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「俺より賢い女は嫌いだ」と婚約破棄をされたけれど、どちらのほうが幸せかしら?

作者: 金狐銀狼

「ネリア・コリー! 貴様のような女とはもう付き合えん! 婚約破棄だ!!」



 ふん、と鼻息荒く婚約破棄を突きつけてきた婚約者を私は白けた目で見ていた。彼の隣には勝ち誇った顔をした義妹がいる。……彼の腕に胸を押し付けながら。

それにデレデレとだらしなく顔を崩している男へ私は蔑みの目を向けた。

 ……どうせ色仕掛けで落としたんでしょうけど。付いてるわよ、ドレスから覗く首元に赤い跡が。気付いてないのか、隠すつもりがないのか。まあ、どちらでもいいけど。


「……はあ。そんなことを言いに、わざわざ私の仕事中に来たんですか?」

「なっ!? そんなこととは何だ!」


 わあわあと騒ぐ男にそっとため息をついた。


 ――ここ、図書館なんですけど。


 なにゆえ、朝っぱらにこんなところ(図書館のカウンター)まで来て、図書館司書()に婚約破棄を告げる必要があるのだ?? しかも、仕事中に。今も接客用の笑顔を貼り付けているが、現在進行系で剥がれかけている。ちょっと頬の筋肉つりそう。ピクピクしてる。


 私の職業は図書館司書。職場はもちろん図書館。それも、国で一番の蔵書数を誇る王立図書館に勤めている。私の誇りの仕事だ。あと一応、子爵令嬢でもある。こちらは自分でも向いていないと思っているけれども。

 この国、特に貴族に強いが、『女は男よりも賢くあってはならない』と言う馬鹿げた風潮がある。よって世間で人気なのはおバカな女。妹もよく『あたし馬鹿だからわかんな〜い』と上目遣いで言っていた―――おっと鳥肌が。

 まあ、そんな理由で女の身でありながら図書館の司書を務めている私は酷く疎まれている。婚約者――それなりに高位の貴族家の令息――はそこが気に入らなかったのだろう。婚約当初から会話はなし。最近ではたびたびうちの温室やら離れやらで妹と二人きりで会っていた。

 バレてないと思っていたのか。使用人から口にするのも憚られるくらいイチャコラしていたと目撃証言が入っているぞ。お前の浮気なんぞどうでもいいがせめてやるならバレないところでやってくれ。二人揃って詰めが甘い。


 それにしても。

 婚約者よ。どれだけ馬鹿だろうと貴方、伯爵家嫡男でしょうが。婚約破棄するなら、それなりの場所と時間を弁えて来なさいよ。

 そして義妹(いもうと)よ。いくら嬉しいからって異性にそんなグイグイと胸を押し付けるんじゃない。見てるこっちが恥ずかしくなるわ。


「はぁ。婚約破棄の件は承りました。家に書類を送っておいていただければ処理しておきますので」

「お、おう……」

「…………」


 ……何だその意外そうな顔は。


「すんなり許してくれるんだな……泣いて縋ってくると思っていたのに」

「…………」


 私を何だと思っているんだ。何故私がお前みたいなクズ男に泣いて縋るんだ。悪いけど私、お前を好ましいと思ったことなんて一度もないからな? そこ、勘違いしないでもらってよろしいですか??


 言いたいことは多々あるが。ぐっと堪えて笑顔を貼り付け。ぴっと出入り口を手で示す。


「?」

「どうぞお帰りください。――ここは図書館でございます。大きな声はどうかお控えください。また、用のない方もお帰りになられますよう。最後に」


 すうと大きく息を吸い、胸元に忍ばせていた扇をばっと開いて顔の下半分を隠した。ニコリ、貴族用の目に笑っていない上面の笑みを浮かべる。


「わたくし、仕事の最中でございますの。貴方のような話の通じない方のお相手をしている暇はなくってよ? さあ、あとがつかえていますので。お早い退館を願いますわ」

「「――――ッ〜〜〜〜!!」」


 羞恥と怒りで彼の顔が真っ赤になっていく。義妹も同様。そのまま二人揃って『誰が来るかこんなところ!!』と叫んで走り去った。だから図書館では静かにしろって言ってるのに。脳みそついてんのかしら。







「あ〜っはっはっはっは!!! 騒がしいと思ったら、そんなことになってたのか! ネリーが、カウンターで、婚約破棄!? それで? どうするんだ? ふふっ」

「ちょっとアリー。そんな笑わないでよ。どうしようもないでしょ? だってあの二人、何も考えてないでしょうし。ま、あの場でグーで殴っておけば良かったとは思ってるけど」

「ぶっ!!」


 さらにバシンバシンと机を叩いて爆笑するのは私の同僚のアリーシュ。男性のようなしゃべり方をする彼女は親友であり王立学院時代からの付き合いだ。私と同じ子爵令嬢で、現在隣国へ留学している婚約者がいる。

 隣国は男女ともに賢く強くあるべきという大変素晴らしい考え方の国だ。私が周囲の反対を振り切って図書館司書になったのは隣国にいる親戚が背中を押してくれたからだ。ちなみに、アリーシュも似たような理由で司書になった。



「この国はイカれてるな、ほんと。女が賢くあっちゃいけないなんて」

「そうねぇ、古臭いったらありゃしないわ」


 笑いが落ち着いたアリーシュが昼食のサンドウィッチに豪快にかぶりつく。私もランチボックスの中の肉のたたきを口に運んだ。


「で、そのせいでおバカな義妹に婚約者を寝取られたってわけか」

「んぐっ!?!?」


 ねとっ!?

 サラリと言われた衝撃的な単語に咀嚼していた肉が喉に詰まった。ゲホゲホと噎せながら親友へ抗議する。


「ここ、としょか! ひと、る! そ、な、こと……つか……っ!!」

「あー人間の言葉喋ってもらっても? はい水どうぞ」


 誰のせいだと―――!

 差し出されたコップを奪い取り水を一息に飲み干して肉を無理やり流し込んだ。涙目になりながらキッとアリーシュを睨む。


「なに考えてんのよ!? 自分の屋敷ならまだしも、仕事場の休憩室で――!!」

「ごめんって」


 悪びれなくひらひらと手を振る彼女に怒る気が失せて、ぽすんと重力に従って椅子に座り込んだ。つやつやとしたトマトをフォークに刺しながらため息をつく。


「……多分、というか十中八九、そうでしょうね。義妹の方は首あたりに赤い跡つけてたから」

「うわキスマーク見せて婚約破棄の場に来るとか……正気?」

「残念ながらね。昔からズレた考えの持ち主だったけど、最近は本当に何がしたいのか読めないのよ。この前も――」

「わぁ」


 かくかくしかじかとつい数日前起こったトンデモ事件のことを話す。するとご愁傷さまです、と言わんばかりの合掌。イラッとしたので軽くその額を小突いてやった。


 義妹は数年前再婚した義母の連れ子であり、私や父とは血が繋がっていない。周囲、というか父の上司のすすめで成立した結婚で、父は最後まで渋っていた。そして嫁いできたのは派手な格好の母娘。気が強くさらに酷い浪費癖があるという、最悪な人間だ。父は気が弱く彼女らに意見できないせいで、家計はどんどん斜めっていく。私がどれだけ彼女らに苦言を呈してもお金が無いなら稼いできなさいよ」と取り合わず、結局私の稼ぎのほとんどを家に入れている。父には「すまない」と何度も謝られたけれど。

 そんな義妹が起こしたトンデモ事件というのが……端的に言うと、通っている学院の同級生である高位貴族の令息にすり寄っていたことでその婚約者の家と本人たちからキツくお叱りを受けた、というもの。

 勿論私と当主の父はそれを知らず知らせが届いたときは文字通り頭を抱えて天を仰いだ。おかげで我が家の社交はうまくいかず、徐々に稼ぎも減ってきている。だというのに出ていくお金は減らないのだから……


「はあぁぁぁあ……これ以上どうしろっていうのよ……」

「……あれ。あんたの婚約者って義妹の浪費癖知ってんの?」

「ん〜……多分知らないわね。そのうち分かると思うけど」


 わー、と言いながらアリーシュの鞄から新しいランチボックスが取り出される。どれだけ食べるのよ。


「私はもう食べ終わったから、仕事に戻るわね。今日は人が少ないから」

「ん、いってらっしゃーい」


 違う味のサンドウィッチを頬張るアリーシュに見送られ、休憩室を後にした。

 再びカウンターに戻り俯いて業務をこなしていると、声をかけられた。


「ねぇ。本を探しているんだけど、どこにあるか分かるかな?」

「あ、はい。経済ですね――ッ!?」


 ぱっと顔を上げた瞬間、驚きすぎて持っていたペンが手から滑り落ちた。

 艷やかな金髪に特徴的なアクアグレーの瞳。貴族ならば誰もが聞いたことのある容姿の御方。


「こ、公子様……」

「あれ。驚かせちゃった? ごめんね」

「いえ……滅相もございません。――ラルゲント公子様。ようこそ王立図書館へ」


 この国に4家しかない公爵位を持つ家。そのうちの1家であるラルゲント公爵家の次男。サール・ラルゲント様がいた。そのお顔の威力にやられ暫しフリーズしていたが、慌てて立ち上がりカーテシーをすると、彼はやめてくれと笑った。


「ここにはただの学生としてきたから、貴女もそう扱ってくれると嬉しいよ」

「わかりました」


 否とは言えず、恐る恐る顔を見る。本来、目上の方と視線を合わせるのは失礼にあたるのだけれど……

 これも仕事だ。うん。割り切ろう。そうするしかない。


「では、改めてご要件を伺ってもよろしいでしょうか?」

「うん。学院の課題で少し調べたいことがあって、それに関連する本を探していたんだけど……どこにあるかわからなくてね。探すのを手伝ってほしいんだ」

「かしこまりました。どのようなものが載っているものをお探しですか?」


 だいたいこんな感じ、とある程度の希望を教えてもらう。随分マイナーな内容のものについてだけれど、それらについてなら――――


「あちらにありますが、お持ちしましょうか?」

「いや、あとで自分でもわかるようにしたいから、場所を教えてほしいな」

「ではご案内致しますね。私についてきてください」

「ありがとう」


 背の高い書架の間を迷いなく進んでいく。かなり奥の方の書架の前に立って、目当ての本を探し出していく。5冊ほどを引き出し、公子様に差し出した。


「どうぞ。こちらに仰られたものが載っています」

「…………」


 ……? どうかしたのかしら。

 動かない公子様の顔をそっと見上げてみると、僅かに目を丸くして私を凝視していた。


「……あの、私何かしてしまいましたでしょうか?」

「貴女は――――」

「はい?」

図書館(ここ)にある本の場所だけでなく、その内容まで覚えているの?」

「え、ええ。ある程度の内容は」


 そう答えると驚いたように公子様は考え込み始めた。ブツブツと「こんな女性が居たなんて……家で雇う……いや反対が……」などと意味の分からない単語を呟いている。

 ……そんなに驚くことかしら? 仕事に関することを覚えておくのは常識だし、それが興味のあるものならなおさら。もともと暗記は得意でもあるし。


 ――――ゴーン、ゴーン、ゴーン。


 王都の大聖堂の鐘の音に今が何時であるかを思い出した。


「あ、あの、公子様。御用がお済みでしたら仕事に戻ってもよろしいでしょうか」

「……あ、うん。いいよ。ごめんね、付き合わせちゃって。ありがとう」

「いえ、お役に立てたようで何よりです。それでは失礼しまします」


 あくまで早歩きで、それでもできる限り急いで私はその場を離れた。次の業務は図書館外でのもので、今すぐ出ないと先方に迷惑がかかってしまう。



 ――だから私は気づかなかった。公子様が私の後ろ姿を見つめて何やら思案していたことに。



▼▽▼▽▼



「おいお前!」

「…………」

「おい、そこの地味な髪色の!」

「………………」

「おい、ネリア!!」

「……………………ああ、はい。何の御用でしょうか?」


 チッ。見えてない聞こえてないふりしていたのに。


 数週後のお昼休憩。少し時間に余裕があったので図書館の裏手にある庭園、そこの木陰に備え付けられたベンチで読書をしていると婚約者――じゃなかった。元婚約者に声をかけられた。読んでいた本にしおりを挟み、膝の上に置く。

 せっかくの読書タイムを台無しにされて内心イライラするけども、それを表に出さないように笑みを貼り付けた。


「…………金を寄越せ」

「はい?」


 おっといけない。心の声が漏れ出てしまった。

 それを聞き返しだと受け取ったのか、元婚約者が顔を真っ赤にしながらもう一度言う。


「だから、金を、寄越せと言っているんだ!!」


 チョット意味ガ理解デキナイナー。え、本気で言ってんの? ……しかも何か、呼吸がおかしいようにもみえる……こう、浅くて速い……クスリでもやっているみたい。

 いやそんなはずはないと考えを頭から振り払う。


 ……一旦現状を把握しましょうか。

 数週前の婚約破棄宣言の日、私はお父様に報告してその日のうちに婚約者の座を私から義妹に変更してもらった。そのことに義妹は勿論、義母も大層喜んでいた。そして婚約して早々に相手の家へ転がり込み(義母&義妹で)、私とお父様は『これで借金が減る!」と大喜びしていたのだけれど……

 元婚約者のこの感じからすると、まだそんなに時間は経っていないというのに、かなりのお金を使い込んだのね。


「はぁ……」

「なっ!?」


 呆れからついたため息を軽蔑と受け取ったのか。元婚約者の顔が険しくなる。それに気付かずにいると、急に右手首を掴まれ捻り上げられた。


「痛っ!?」

「馬鹿にしているのか……!」

「……離して」

「俺より頭がいいからって――――」


 掴む手に力が入り、ミシミシと骨の鳴る音がする。体勢が崩れたせいで本が膝上から滑り落ちた。それを拾えるほどの余裕もなく、痛みで思考が塗りつぶされていく。


「お前が、お前が……」

「なにを、わけのわからないことを――」


 ――パキッ!


「ッッッッ!?!?」


 明らかに骨から出た音と、それに伴う痛みに悶絶する。

 この野郎。折りやがった。言葉は悪いけど、そうとしか思えない。精一杯の抵抗として、ぶつぶつと意味の分からない言葉をつぶやき続ける男の股間めがけて足を


「何をしているのかな?」

「っ!?」

「ぁ……」


 元婚約者が焦ったように声の方へ顔を向けた。涙で滲んだ視界でもわかる、きれいな金髪。


「こうし、さま……?」

「こんにちは、司書さん」

「なで、ここに……」


 呂律が回らず、幼子のような言い方になってしまった。

 ……何故だろう。空気が重い。


 サクサクと草を踏み近づいてきた彼は私と元婚約者を見て、首を傾げた。


「君は一体、何をしているのかな? 僕の見間違いでなければ、君は令嬢の腕を捻り上げているのだけれど」

「え、あ……その……」

「言い訳をする前に、その手を離したほうがいい」

「っ!!」


 公子様の言葉で腕が解放された。変な体勢で居たせいで、手首だけでなく肩も痛い。ゆるゆるとベンチに座り込む。公子様がこちらを見た瞬間


「…………」

「あっ!!」


 元婚約者が逃げ出した。あんな速く走れたのか、ってくらいすごいスピードで。あっという間に消えた背に、公子様がため息をつきながら、側に落ちていた本を拾い差し出した。


「まったく、紳士の風上にも置けない……司書さん、大丈夫かな?」

「あ、りがとうございました……」


 本を受け取りながらそうっと掴まれた方の腕を背中に隠そうとするが、公子様は目敏く、ニッコリと笑った。


「それで、掴まれたところ、見せてくれないかな?」

「えぇと」


 ……なんだろう。笑んでいるはずの顔に恐怖を感じる。言いしれぬ恐怖を感じて固まっていると、さらに笑みが深まる、が……

 こ、怖い……っ、笑ってるけど笑ってない……っ! これ、従わなかったら駄目なやつな気がするっ!!

 渋々腕を差し出すと、手首が手の形に真っ赤に腫れ上がっていた。さらに一部は赤黒くなっている。


 ……うわぁ……どうしようこれ……絶対明日からの仕事に支障が出るわよね。しかも、視認したら余計に痛みが増した気がする。

 そっと、壊れ物を触るかのように触れられるが、少し触れられただけでも激痛が走った。


「これは……」

「あの、公子様……?」

「ちょっと失礼」

「え、うひゃぁっ!?」


 急に抱き上げられ、妙な悲鳴が漏れた。降ろしてほしくて身を捩るも、ぴしゃりと「怪我人は大人しくしててね」と言われてしまい、そのまま運ばれる流れになった。


「あのぅ……なぜ、抱き上げる必要が……?」

「ここまで酷いと歩くだけで骨に響くだろう?」

「はぁ……」


 わかるような、わからないような。ただ、一つ確かのは公子様はほとんど歩くときの振動を感じない。体幹がしっかりしているからなのか、それとも他の理由があるのかは分からないけれど。


 …………ちょっと待て。公子様って今、18歳よね……対する私は22……つまり、4歳下の、身分が上の令息に運ばれている…………っ!? どうしよう、居た堪れなくなってきた……




 運ばれた先の医務室で医者に診てもらい、告げられた結果は。


「骨にヒビで、全治3週間……」

「かなり重いね」


 文字通り頭を抱えて呻く。どうしろっていうのよ……この手じゃ満足に仕事もできない。家の赤字をどうにかしなくちゃいけないのに。

 包帯の巻かれた手を見て暗い顔をしていると、公子様が「提案があるんだけど……」と切り出してきた。






▼▽▼▽▼





「サール、ここはこれよ」

「あ、なるほど……」



 現在、私と公子様は学院の図書館で大量の資料とにらめっこをしていた。



 2週間前、公子様(サール)から提案されたのは、『僕の論文を手伝ってくれないか』。理由を聞くと、私が卒業時に提出した論文を見たとか。アレを見られたとか……恥ずかしすぎる。

 まあ、私の羞恥心は置いておいて。論文を書く手伝いにちゃんと給料が出るということで(しかもかなりいい額だった)二つ返事で了承。図書館長にも許可を取り、現在に至る。

 ちなみに、敬語はやめてくれと言われたので、お互いに名前呼び、敬語なしの楽な話し方になった。


「これでほぼ終わりね」

「ありがとう、ネリー。貴女のおかげでとても早く終わらすことができたよ」

「ううん。元の論文がとてもよく書けていたからよ。サールの実力。私は何もしていないわ」


 散らばった資料の片付けをしながら、ぐいーっと伸びをするサールにお疲れ様と声をかけた。大量の書籍を戻すため、ヨタヨタとそれらを持って書架の方へ行こうとすると、ふと重さが消えた。見ると、半分以上の本をサールは軽々と持ち上げている。手元に残っているのは薄い一、二冊のみ。


「もう。手を痛めてるのに、そんなに重いものを持っちゃダメだよ」

「大丈夫よ? もうほぼ治っているもの」


 ぷらぷらと手を振ってみせるが、サールの眉間のシワはなくならない。


「……わかったわ。安静にする」

「うん、それがいい」


 押し負けて降参のポーズをとれば、彼はにこりと笑った。なんというか。有無を言わせない、無言の圧があるのよね、この方は。

 はあとため息をついて手元の本を戻しにかかる。と、図書室の扉が開かれた。


「ネリアお嬢様はこちらにいらっしゃいますか?」


 入ってきたのは私の家の家紋を身に着けた使用人だった。彼は私を見つけるなり素早くこちらへ近づいてきた。


「……どうかしたの?」

「旦那様から、至急の手紙です」

「お父様から? 何かしら……サール」

「どうぞ、読んで」


 許可を得、手紙の封を切る。急いだのか、少し雑な文を読み進めていくうちに、徐々に顔が歪んでいくのを止められない。


「ネリア? どうかしたの?」

「はぁ……あなた、お父様に了解しましたと伝えて頂戴。家に帰ったら話し合いましょうとも」

「言伝、預かりました」


 また足早に使用人が去っていく。隣で心配そうにこちらを見ているサールの問いには答えずに、椅子まで歩き、そのままヘタリと座り込んだ。


「ネリア……?」

「サール、これ見て」

「うん?」


 説明する気力もなく、手紙をそのまま彼に見せる。と、彼の眉間にも大きなシワが形成された。


「これは……」

「ありえないわよ、ほんと」


 お父様からの手紙には、ある家から夜会の招待状が届いたことが書かれていた。そこまではよくあることなのだけれど、招待状を送ってきた家というのが、元婚約者の家なのだ。この数週間のうちに貴族の慣習をすっ飛ばして、義妹と結婚した元婚約者が送ってきたらしい。


「いくらなんでも、流石に礼に欠ける」

「そうよね……まあ、出ること自体に問題はないのよ。ただ……」

「他に問題が?」

「うん。その前に……場所を変えましょ。ここだと少し話しづらいから」





「それで、問題って?」


 移動した先は高級喫茶店の一室。注文した紅茶のカップ、私の見間違いでなければ世界有数の名匠の作品なのだけど……

 こくりと紅茶を飲み、カップとソーサをテーブルに置く。どこから切り出したものか、と考え、話を切り出した。


「ええと……ウチの経済状況はサールも知っていると思うけど」

「あ〜」


 察した、と彼は渋い顔で唸った。


「もうわかっただろうけど〝ドレスを買うお金がない〟のよ。しかも、その前まで持っていた物はすべて家計を助けるために売ってしまったし」


 義母と義妹(浪費の権化)がいなくなったとは言え、たった一ヶ月ほどで傾いていた家計が右上がりになるわけもなく。最近になってやっと義母たちの借金が返せたくらいだ。――なぜか思っていたよりも物凄く早く返せたらしいけど。それについてはお父様と2人揃って首を傾げていた(ちなみにあちこちにあった借金の総金額は王都の一等地にそれなりの邸宅が建てれるくらいだったそうだ。どれだけ使い込んだんだ、あの母娘は)。


「そういうことで、ドレスがないから普段着か仕事の服で行くしかないのよ。けど」

「十中八九、ここぞとあなたを馬鹿にしてくるだろうね」

「そうよねぇ……どうしようかしら」

「それと、【是非パートナーと来て】みたいな文章もあったみたいだけど」

「えっ!?」


 慌ててサールに手紙を見せてもらうと、しっかり書かれていた――お父様の怒りがしっかり読み取れる筆跡で。夜会への招待の部分の衝撃が強すぎて、その後の内容が目に入っていなかったらしい。


「これは……」

「嫌がらせ、だね」

「…………」


 思わず文字通り、頭を抱えて天を仰ぐ。どうしろと? パートナー? いるわけ無いでしょうっ! お父様に頼むのこともできるけど、最近忙しいから無理をして欲しくない。

 ドレスとパートナー……もう、いっそのこと欠席の連絡をしようかしら……でも、それだと逃げているみたいだし。


「どうしましょう……」

「…………なら、僕がパートナーに立候補してもいいかな?」

「え?」

「それと、ドレスは僕に贈らせてもらえないかな?」

「えっ??」


 驚いてサールの顔を見るけれど、彼の表情はとても真剣だった。どこか鋭い雰囲気を纏う彼は少し考える素振りをしてから口を開いた。


「僕は少し怒っているんだ。貴族にロクでもない奴がいることも、そいつらがやったことも噂でよく流れてくるからよく知っている。もっと酷いことも聞いた。でも、知り合いがここまで非常識なことをされて黙っているほど僕は優しくない。一方的に婚約破棄し、金の無心に来て怪我をさせ、あまつさえ貶めるために夜会へ招待?」


 ぞわりと、目の前の男性から発せられた怒気に肌が粟立つ感覚がした。それを感じ取ったのか、彼は一度深呼吸をしてから私の前に跪いた。


「なっ!?」

「だからね」


 動揺する私の手をとり、にこりと彼は笑った。



「どうか、僕の手を取ってくれないかな?」







▼▽▼▽▼






「よく似合っているよ」

「……ありがとう」


 1週間後、夜会に向かう馬車の中で、私は満面の笑みを浮かべた正装姿のサールに手を握られていた。


 ドレスはサールが贈ってきたもの(どうやってオーダーメイドのドレスをたった1週間で仕立てさせたのだろう?)、色鮮やかな宝石があしらわれた装身具もサールが贈ってきたもの(どこかの家の家宝になってそうな大きく綺麗な宝石があしらわれている)、靴もサールが以下略(好みのデザインなのだけど。私、靴についてなんて話してないわよね……)。

 ひどく高価そうなそれらを身に着け、私はプルプルと震えていた。


「……サール」

「なに?」

「ここまで、してくれなくても……」


 微妙にサールから視線を外して話しかける。それに目敏く気づいた彼はさらに私の手をきつく握った。ヒェ、と悲鳴が漏れる。


「……どうして、さっきからずっと僕の方を見ないのかな? もしかして、似合ってない?」

「え、いえ、そうじゃなくって……」


 ……バレてたのね。見慣れない、正装のサール。もともと良かったスタイルがさらに引き立てられ、普段下ろしている前髪もアップにしている。正直言って、かなりタイプの男性である。が、貴族のキラキラをこれでもかと纏った彼は……


「その。眩しすぎて、直視できないの……それで……凄く、似合ってるわ」

「ほんと? じゃあ、貴女のパートナーとして相応しく在れてるかな?」

「……私のほうが場違いな感じがするわ……」


 これが生まれた身分の差から来る気品の違いなのだろうか……こんな絶世の美男の隣にいて良いのかしらと心配になるわ……


「大丈夫だよ。普段から綺麗だけど、今日の貴女は一段と輝く女神のようだからね。誰にも文句なんて言わせやしないさ」

「そ、そう……?」


 貴族のリップサービスだとわかっているとは言え、ここまで褒められるのは嬉しい。緩んだ顔を整えるべく窓の外を必死に眺めて顔の熱を取ろうとしていると、サールが何かをつぶやいた。


「…………可愛すぎるだろう……」

「え? ごめん、なんて言ったの? 聞こえなくって」

「いや、何でもないよ。ただの独り言だよ」

「? そう。ならいいけど」







「公子様、お嬢様、着きました」


 馬車が止まり、扉が開かれる。先に降りたサールが降りようとする私に向かって手を差し伸べた。



「どうぞ、レディ。私の手につかまってください」



 その言葉にキョト、と目を丸くしたあと、意図を理解し自然と笑みが溢れた。緊張していたことがなんだかバカらしくなってきたわ。こんなに心強い味方がいるんですもの。怖気づいてたまるものですか。



「ありがとう存じます、公子様」







 会場に入るなり、多くの人たちの視線が突き刺さる。噂好きな貴族たちのことだ。何が起きたかなんてすっかり知っていて、今夜は何が起こるのかと楽しみにしているらしい。

 私を招待した義妹たちの姿はまだない。てっきりすでに会場にいて入ってくるなり罵倒してくると思っていたのだけど。予想が外れたわね。


 すこしほっとしながら視線を避けて壁際に寄ると、前方から人の波をかき分けてある人物が近づいてきた。


「おーい、ネリー!」

「! アリー。あなたも来てたのね」

「まあね」


 首をすくめている彼女の側にパートナーらしき人物の姿はない。


「アリー、貴女のパートナーは?」

「あ〜、あそこ」

「……?」


 指し示された先にあったのは、一人の男性が女性を口説いているところ。そして男性のほうはアリーにそっくりな容姿だ。


「あれ、弟さんよね? 想い人でも口説いているの?」

「どうやらそうらしくってねー。妙にご執心なのよ。他のやつなんかにとられてたまるものか、ってやる気を燃やしてるみたい」


 どこか遠い目で眺めているあたり、かなり厳しい戦いらしい。

 あーと何ともいえない声を喉の奥に押し込める。と、横からサールに声を掛ける人がいた。それに彼は応え、申し訳なさそうに謝ってきた。


「ごめんね、ネリア。少し席を外すことになって」

「構わないわ。必要なことでしょう? 行ってらっしゃい」


 話しながら去る彼の後ろ姿を眺めていると、アリーが妙な顔をしているのにふと気がついた。


「……なによ?」

「ネリー、貴女随分と公子様に心を許してるのね」

「?」


 言われた言葉の意味が分からずアリーを凝視しながら直ぐ側にあったワインのグラスを手に取る。ひとくち飲んでみるけど……うん、美味しい。アイツらの家の夜会だと思うとちょっとイラッとするけど。


「もしかして、恋にでも落ちた?」

「ッッッッ!?!?!?」


 ワインを吹き出しかけるも必死に堪えてなんとか事なきを得る。醜聞は回避できたわね……ってそうじゃないわ!!


「ゲホッ、なんてこと言うの!?」

「あれ、違うの?」

「違うわよ、どうしてそうなるの!?」


 軽く咳込みながら訊くと、アリーはなんてことない顔で言い放つ。


「だって貴女、とても親しい仲じゃないと敬語のままじゃない」

「へ?」


 敬語? 確かに私は仕事柄敬語をよく使うから、慣れてしまっているけど……


「私が知っている限りでは、貴女のお父様とばあや、それと私くらいだったはずよ。私だって敬語がとれるまで何ヶ月もかかったっていうのに、公子様はすでに敬語じゃないんだもの。驚いたわ」


 アリーはにやにやと笑いながらワインを呷ると、微妙な顔になってそれを顔の前に掲げた。私はコクリとワインを飲みながらその動きの意味が分からず首を傾げた。と、ボソリと彼女は呟く。


「このワイン美味しいわね……夜会の主催者が違っていれば存分に褒めるのだけど……」


 ……どうやら考えることは同じらしい。2人揃って微妙な顔のままお互いを見、ふっと吹き出した。


「お互い、思うことは一緒ね」

「そうね……もう会わないことを願うけれど」


 そうはいかないわよねぇ……とゲンナリとしながらワインを飲みきり、テーブルに戻す。何か食べる気にもならず、壁の花をしていると、ふとアリーが声を上げた。何だ、と思い顔を上げるとサールが靴を鳴らしながら早足で近づいてきた。……何やら妙に顔が険しい気が……


「失礼。ネリアを借りてもいいかな?」

「?」

「えぇ、どうぞ。というか、今日のネリーは貴方様のものですから。私の許可は必要ないですわ」

「??」


 状況が理解できないままサールにエスコートされその場を去る。振り返ると肩越しにアリーがひらひらと手を振るのが見えた。


「……サール? どこへ行くの?」

「ちょっと外に出ない? 人混みに疲れちゃって」


 その言葉にちらりと隣を見る。早足で併設されている庭園へ出るなり、彼は深い溜息をついた。何があったのかは分からないけれど、理由がさっき言ったものでないことくらいは分かる。

 少し考えたあと、気づかれないようにそっと彼の眉間に手を伸ばした。


「………えい」

「うわっ!? え、ネリア? 何??」


 額を抑えて混乱した表情を見せる彼は、年相応に見える。


「何があったかは知らないけど。そんな顔してたらせっかくの綺麗なおでこにシワが付いちゃうよ?」

「えぇ……?」


 サールの表情が面白くてクスクスと笑っていると、ふと彼は真剣な顔になる。同時に纏う空気も心なしか引き締まり、思わず私も笑うのをやめて背筋を正した。


「ねぇ、ネリア。貴女は、今も元婚約者(あのバカ)のことを想っていたりする?」

「へっ? いや、ないないないない」


 プルプルと首と手を振って全力で否定。……なんか、妙な副音声も聞こえた気がしたけど。ま、気の所為でしょ。


「あるわけないわよ、それは。天と地がひっくり返っても、無い」

「そっか……なら、よかった……」


 何がよかったのか、さっぱりわからないけれど。サールの懸念が晴れたならいっか。


「…………?」

「何やら騒がしいね」


 ふと、会場からこれまでとは違う種類のざわめきが聞こえてきた。2人で顔を見合わせたあと、急いで戻ってみると、ありえない状況が広がっていた。


 座り込む義妹に、土下座をする元婚約者。そしてその前には―――


「お祖父様っ!?」

「えっ?」


 隣でぎょっとした声が上がるけれど、それに反応できるわけもなく、私は呆然とお祖父様を見つめていた。

 お祖父様と言っても若く、見た目は父とほぼ変わらない。豪奢な衣装を着こなし、スラリとスタイルのいいお祖父様は現在……元婚約者の頭を踏みつけていた。それはもう、グリグリと。容赦なく。元婚約者の顔は床に押さえつけられ、これまでの自信は見る影もなく、泣きべそをかいている。


「お、お祖父様……? どうしてこちらに……?」

「……むっ? おお、ネリア!! 元気だったか? 少々やつれたのではないか?」


 パァッと満面の笑みを浮かべてお祖父様はこちらに近寄ってくる。……怖いです、お祖父様。先程まで無表情かつ絶対零度の空気を纏っていらっしゃったのに、急にデレデレモードになるのは怖いです。ほら、周りの方々もドン引きしてますよ……


 まぁ、そんなことは口に出せるはずもなく、笑顔が引きつらないようにしながらお祖父様へ挨拶を返す。


「お久しぶりです、お祖父様。お身体を崩されているとお聞きしていましたが、大丈夫なのですか?」

「うむ! 大丈夫だ。ただ、ちと侍従長が口煩くて置いてきてしまったがな!」


 お祖父様……恐らくその侍従長さんは涙目になりながらお祖父様を探し回っていると思いますよ……可哀想に、と同情せざるを得ないわね。


「ネ、ネリア……?」

「…………」


 床に突っ伏していた元婚約者が私の名を呼んだ途端、お祖父様の顔がクルリと180°回転した。怖っ!?

 そのまま、やれ誰の許しを得てわしの孫の名を呼ぶんだ、やれまだ制裁が足りなかったのかと淡々と詰めていく。


 その様子を見てそそそっとサールが近づき耳打ちをしてきた。


「(ねぇ、貴女のお祖父さんって隣の国の先王陛下だったの?)」

「(え、あぁ、うんそうだよ。お母様のお父様。て言ってもお母様は駆け落ち同然に飛び出してきたらしくて、継承権とかは微塵もないけどな。ただ、お祖父様はお母様を溺愛してたらしくって、私のことも凄くかわいがってくれてたんだ)」

「(先王陛下は十年前退位して以来体調を崩してるって聞いてたけど……)」

「(あ〜……しがらみがめんどくさくて隠居してただけだと思う。ここ数年は本当に体調を崩してたそうだけど)」

「(…………じゃあなんで今ここにいるの?)」

「(それについては私のほうが聞きたい)」


 ボソボソと話していると、ひとしきり詰め終わったお祖父様がこちらに歩いてくる。え、と思った瞬間にはもう抱きしめられていた。相変わらず素早い……年を感じさせない動き方ね……


「すまないなぁ、わしがちと情報収集を怠っていたせいで、ネリアたちの状況に気づかなかった」

「お、お祖父様……大丈夫ですから……一旦、腕を、解いて……」

「お話のところ失礼します、陛下。ネリアの首が締まっていますので……」

「おっといかん。ネリア、大丈夫か!? 君も、教えてくれて感謝する」

「いえ」


 ペシペシとお祖父様の腕を叩いていると、そっとサールが声をかけてくれた。し、死ぬかと思った……わりと本気であの世を見かけた……


 改めてお祖父様と向き直る。……視界の端でピクピクと動くモノからは全力で目を逸らしながら。


「それで、お祖父様。どうしてこちらに? 南の療養地でお身体を休ませているとお聞きしていましたが」

「うむ! 最近やっと思うように体が動くようになってな。久しぶりに可愛いネリアの近況を聞こうとしたら、酷い報告をされたのでな、飛んできたのだ!」


 尻尾を振る犬と見間違わんばかりの笑顔。これは、誰にも止められないわね。昔からお祖父様の暴走を止められるのはお祖母様かお祖母様にそっくりなお母様しかいなかったもの。

 一度釘をしっっっかり刺しておいたほうが侍従長さんの心労は確実に減るわよね。お祖父様に仕えている方たちには是非長生きしてしてもらわなくては。


「お祖父様……侍従長さんを、置いてきたと言いましたよね?」

「う、うむ……」


 少し問いかけただけでお祖父様のピンと伸びた背筋が心なしか丸まり、声が覇気のないものに変わる。


「その方たちが口煩く言うのは他でもないお祖父様のことを大切に思っているからなのですよ?」

「うむ……」


 さらにお祖父様の背が縮む。とどめとばかりにお祖父様を抱きしめた。


「お祖父様がいなくなってしまうのは私も凄く悲しいです。ですから、その方たちの忠告は素直に聞いて下さいね、お祖父様」

「う、うむ!」


 感動のドラマ! とばかりの抱擁。拍手をする観衆と……お祖父様の背後でモゾモゾしているイモムシ――じゃなかった、元婚約者。気のせいかな? ズボンの股のあたりの色が変色してるように見えるわ。


「ネリア、わしはもうここに用はないのじゃが、そなたはあるか?」

「いいえ、ありません」

「ならば、ネリアの家に行ってもよいか?」

「! ええもちろん。大歓迎です!」


 害虫駆除は終わったのでな……とつぶやくお祖父様。何を駆除したのかは聞かないでおこう。世の中、知らなくていいコトもある。


 そっと目を逸らしていると、お祖父様は側でずっと立っていたサールに目を向けた。さっと彼は臣下の礼をとる。


「ふむ……君は何者かね?」

「お初にお目にかかります。ラルゲント公爵が次男、サール・ラルゲントと申します」

「そうか、君が……」


 何やら意味深な笑みを浮かべるお祖父様。


「君、明日あたりに時間を取れるかね? 少し聞きたいことがあるんだか」

「……えぇもちろん」


 …………黒い。とてつもなく笑顔が黒い。

 笑い合った2人は何事もなかったかのようにこちらに向き直り、手を差し伸べた。


「それでは、行こうか。ネリア。今日は楽しかったことについて教えておくれ」

「さぁ、行こう、ネリア」






▼▽▼▽▼





 あのよくわからないパーティーから一ヶ月が経ち、私は平凡な、でも前とはちょっと変わった日々を過ごしている。


 あの日は家に帰り、サールを見送ってからお祖父様とお父様の3人で夜遅くまで話をした。途中でお祖父様がキレてクレームを入れに行こうとするなど、ややトラブルがあったものの、楽しい久しぶりの家族団欒ができた。

 そして不思議なことに、元婚約者の家は潰れていた。どこかの誰かさんがどこかの誰かさんと結託して手を回したのだろうけど。



「はあぁぁぁぁぁ〜〜」


 読んでいた本を置き伸びをする。ぽかぽかとした日差しが気持ちよくて、ちょっとだけお昼寝しようかなとハンモックに横になると、顔の部分に影が差した。


「サール。仕事はもう終わったの?」

「うん。大したものじゃなかったからね。早く終わらせたんだ」


 ニコニコ笑顔の彼は私の現婚約者である。パーティーの数日後、出かけようと誘われ、その先でプロポーズされた。それなりにびっくりしたし、ちょっと考えもしたけど、結果的にはオーケーした。それに、


隣国(こっち)は男女関係なく仕事がしやすくていいね。祖国(向こう)だと能無しの男が多かったけど、こっちは有能な女性が多くてホント助かる」

「そうね。私もとても働きやすいわ。移住の手配をしてくださったお祖父様に感謝ね」


 色々と面倒くさい祖国から隣国へ移住した。隣国は女性が仕事をするのを全面的に支援していて、身分性別関係なく賢い人が採用される。私もこの国大好き。

 ちなみに、私が学院へ入って勉強することを選んだ背景にはお祖父様の後押しもあった。親友のアリーは婚約者が後押ししていたそう。その婚約者は今サールの同僚としてこの国の王太子の側近をしている。

 アリーもこっちに引っ越してきて、また同じ職場で仲良く働いている。



 婚約破棄されなければ得られなかった〝今〟に笑みを漏らすと、さらにサールが顔を近づけてきた。


「ふふ、ネリアが楽しそうでよかっよ」

「貴方のおかげよ? サール」


 コツン、と額同士を合わせる。





 ―――賢い女のほうが、幸せになれるのよ?

 読んでくださりありがとうございました。

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