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薄い壁

フィクションです。

 物事には何事にもメリットとデメリットがある。

 どうしようもないミスを犯したと思っても、それがプラスに働いて今があると言うケースもまあ大いにあるわけだ。

 俺にとってその単身者マンションに引っ越して良かった点は3点、悪かった点は1点だった。


 良かった点その(いち)、家計が潤ったこと。

 山手線の最寄り駅から徒歩5分圏内であるのに対して家賃は驚愕の5万円。

 下町の治安のいい地区で近くに個人経営の物価の安いスーパーもある。

 それまで1Rの八畳部屋に10万近く払っていたのが馬鹿らしく思えた。


 良かった点そのはその新居のおかげで新しい仕事を手に入れた事。

 良かった点その一から察してもらうに、無論俺が引っ越した物件はただの1DKじゃない。

 俺が大家の親戚だとか、もしくは大家がよほど良心的もとい変人とかそういうわけでもない。

 要するに住人が亡くなったばかりの事故物件だったわけだ。

 住んでいた身として保証するが、腐臭や特殊清掃でも落とせない床に染みついたシミと言った家賃相場を大きく下げる欠陥はなかったんだが、首吊り自殺とあって中々次の入居者が決まらなかったらしい。そんな中現れた俺は向こうにとっても渡りに船だったはずだ。

 そしてこちらにとっても当然家賃以外のうまみがあったわけで、それが新しく任された月1のコラムだった。

 見出しは「事故物件に実際に住んでみた。~心霊現象は本当にあるのか?~」

 ここで付け足しておくと、俺はwebサイトなどの広告宣伝費で糊口ここうしのいでいる売れていないライターで日々手を変え品を変え何とか閲覧数を稼ごうと邁進まいしんしている。

 __まあ物は言いようで、実体は所謂いわゆるタイトル詐欺、あおり記事を世に生み出している人間達の一人だ。

 言っておくが、俺だってやりたくてやってる訳じゃない。

 だが、普通に真面目に「8/18、映画○○の試写会に主演女優登壇」と書いたところで誰が見る?

 昨今の読者は右から左ならぬ上から下へ画面をスライドしてそんな記事があった事すら頭から消え失せている。

 俺は明日の飯代を稼がないといけない。

 一汁三菜を得るには「女優○○、監督に対してまさかの発言!?会場騒然」と銘打つしかないし、「他人を貶めて食べる飯は美味いか」と指差されようが、ご馳走様の感謝の気持ちと共に「どうかくだらないゴシックや芸能人の誰が落ち目かどうかなんかよりもまともな記事を好む連中が台頭してくれ」と手を合わせて祈るしかない。

 自己保身により少し脇に逸れたが、つまり俺は例え社主の超個人的趣味で刊行されている同人誌もどきのオカルト雑誌だろうと良心の痛むことなく健全な記事が書けるとあれば、骨を目の前に差し出された犬のごとくヘッヘッとよだれを垂らしていたわけである。

 まあ無論、ブラジル産鶏肉が国産鶏肉にクラスチェンジできるのもかなり大きかったが。

 ちなみに22行前の「~」の間で疑問符を投げかけているが俺自身はまったく心霊現象というものを信用していない。

 かと言って、20世紀をとうに過ぎた近代人がUMAだの霊体だの何を馬鹿な、とのっけから相手にしない連中とは一緒にされたくはない。

 そもそも多少近代人を気取るのなら存在の否定ができない事実を忘れちゃいかんと思う訳で……まあ、専門的知識のほにゃららは皆無なわけで下手につつかれると面倒だからここらでやめておこう。

 つまり、俺自身は未確認生命体や未確認非生命体の存在を否定しているわけではない。

 俺が信用していないのはメディアや自称霊媒師というやからだ。夏の冷涼に放送される「怪奇!!呪われた廃病院」とか「お兄さん、まずいですねぇ。あなたねぇ肩に憑いていますよ。このままじゃ取り殺されますよ」というのを信用していないのだ。

 こういう職業柄、他人の書いた記事、ルポタージュからフィクションの読み物まで暇があれば目を通す習慣があるわけで最近読んだものには我が家への愛情が強すぎて家に憑りついた幽霊が新しい入居者に危害を及ぼす、というものがあったのだが、これなんかは俺個人の考えでいくと、霊体というのはもはやこちら側とは違う次元にあるもので、それらが生者に物理的な干渉を与えるなどというのは眉唾物なのだ。

(まあ向こうもフィクションで書いているんだから文句を言われる筋合いはないと思うだろうが、一応念のためここに宣言しておく)

 という訳で、俺としてはその物件に引っ越す事になんらためらいはなくむしろ飯のタネが出来たとほくほくしていた。


 そして、第三のラストを締める良かった点。

 それは隣との壁がかなり薄い事。

 ……さて、これだけでは「隣人がよほどの美少女で、その生活音を楽しんでいるどうしようもない変態か?」と思われる可能性大であり、それは風評被害もはなはだしいので補足する。

 確かにお隣は女性らしいが、ご近所付き合いの消えた昨今、蕎麦を用意したわけでもない俺は普段碌に外出しないのも手伝って隣が美少女なのかどうかなど知らない。

 無論、一部の強者つわものは「現実など関係ない。お隣は黒髪ロングの国民的女優激似の大和撫子やまとなでしこなのだ」と思い込みもとい暗示をかけて人生を謳歌おうかすることもできるが、俺には自分の脳味噌を騙せるほどの想像力は残念ながらない。

 では何故俺が新居の壁が薄かったことにありがたみを感じたのかと言うと、それは毎日午前1時から始まるお隣さんの噂話を拝聴できるからだ

 実は俺はただの売れていないライターではなく、ただの売れていないライター兼将来有望な小説家志望の青年である。ちなみに青年が何歳から何歳までの幅を差すのかと将来とは西暦何年までの余地があるのかというのは個人の認識にお任せする。(俺の書いたものが2万年後にラスコー壁画的立ち位置を獲得する可能性も無きにしも非ずだ。)

 で、作家志望の青年であるわけだが、前述したように想像力に欠けているくせにこの道をこころざしたせいでかなりの苦労を自分に強いている。

 という訳で常にネタに飢えている。

 だからこそ、先述の幽霊小説も読んでいたわけで、素人だろうが玄人だろうが我がシナプスに火が付くきっかけになるならなんでもござれ状態なのだ。

 だから、深夜お隣が同じような夜更かしで似た者同士の友人とぺちゃくちゃ噂話に興じるのは俺にとって益体だった。

 ちなみに俺自身は根っからの夜型人間なので深夜1時は、一般的な生活スタイルの人間にとってのお昼時みたいなもんだ。

 深読み勢には言っておくが、お隣には確かに生きている入居者がいると大家に確認しているので安心してほしい。

「ねぇ、知ってる?

 5号室の○○さん、やっぱり不倫してたんだって。しかも相手がさぁ」

「あそこの高架下で鳩が殺されてたじゃん。あれって8階の■さんがやってたんだって。

 塾帰りの学生が目撃したらしいよ、こわいよねぇ」

「おーい、ちょっと聞いてるの?寝てるのかなぁ、あ、起きたね!そうそうこの前話した奴の続きなんだけど」

 隣人の会話が聞こえる壁の薄さ、深夜の長電話__ともすれば最悪の物件になるところ、奇跡的な相性の良さで俺は新生活を満喫していた。

 あの日、一本の電話を受けるまではそれが続いていた。


 俺はその時2週間の取材旅行で家を空けていた。

 その日は帰宅する予定のところたまたま知り合いの雑誌編集者に会って朝方まで麻雀宅を囲んでいた。

 電話は大家からだった。

 俺の家で人が死んでいる、警察が話を聞きたいので居場所を教える様にと言う勧告だった。

 俺にとって幸いに死亡推定時刻に麻雀を囲んでいた事が証明された。

 大家にとっては不幸な事に状況からみてどうやら女の自殺であった。これでこの部屋の自殺案件は2件目だ。まあ、自殺でも他殺でも不幸な事に変わりはない。

 女、というのが俺のお隣さんであったこと、俺の部屋の窓ガラスが割れていた事から女がそこから部屋に侵入したことは警察じゃなくてもすぐに分かった。

 分からなかったのは、何故その彼女が俺の家で死んでいたのか?

 当初は俺と彼女に何か関係があったのではないかと警察にこってり絞られたが、当然俺らは何のかかわりもないお隣さん同士。直接の接触はなかった。

 あとあと聞いた話によると、女はどうやらずっと引きこもっていて人恋しさから自殺したらしいと言う事だった。

 人との会話に飢えていたのだろう。

 __何か事情を知っていそうな大家はそう言っていた。


 引っ越して悪かった、たった1点。

 それは今でもふと気を抜くとあの楽し気な声が聞こえてくること。

 ずっと壁越しに俺に話しかけていた女の声が。

最後まで読んでいただきありがとうございます!

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