血塗られた大地
1941年6月29日 ソビエト連邦キエフ要塞より西に50km
累々と横たわる、ウジのわいた死体。周囲にハエが飛び交い、カラスがその肉をついばんでいる。時折、砲撃音が響き、塹壕の前後に砂煙を上げながら着弾する。誰もが感じ取っていた。近くないうちにはじまる。戦闘がはじまる。ドイツ軍装甲車大隊と擲弾兵は横殴りの雨のように降り注ぐ小銃弾の雨をかいくぐり、歩兵砲・迫撃砲の炸裂弾の洗礼を受けつつ、塹壕に肉薄する。塹壕の縁を戦車のキャタピラで突き崩し、塹壕内の歩兵を生き埋めにする。身をかがめて逃げ回るソ連軍歩兵を旋回機銃で薙ぎ払い、戦車砲で半壊したトーチカを、中の機銃手もろとも踏みにじり陣地を蹂躙する。
独ソ戦。それは、1941年6月、『バルバロッサ作戦』によって開始した。『バルバロッサ』は12世紀の神聖ローマ皇帝の『フリードリヒ・バルバロッサ』に由来する。これにより、北はバルト海、南は黒海まで及ぶ東部前線が構築され、世界最大規模の戦闘が繰り広げられた。
当時ソ連はスターリンによる大粛清により経験豊富な陸軍将校を含む数百万人を処刑しており、軍は弱小化し、指揮官不足の隊も少なくなかった。そんなソ連軍を、ドイツ軍300万は容赦なく蹂躙し、燃やし尽くした。結果、ソ連は重要な経済地帯であるウクライナを失うこととなる。
戦争は英雄を生み出す。ネルソン。そしてナポレオン。多くの英雄が戦場で生まれた。そしてここ東部前線でも英雄は生まれた。英雄『レッドウルフ』。それが新たな英雄につけられた名前だった。
目がかっちりとあった。まっすぐ立ち並ぶモミの木の間を通して、20m先の赤襟のベージュ色の戦闘服の男とかっちりとあった。そして、ふたりは同時に相手に向かって走り出した。
ルイスは、銃剣の取り付けた短機関銃を振りかざし、口角からダラダラとつばを垂らしつつ、わけのわからない雄叫びをあげ、狂牛のごとく走る。相手も狂牛の如く走りながら叫び声をあげつつ、腰のザックナイフをちぎり取るように引き抜く。
銃の台尻をガッと握り、相手の喉元めがけて銃剣を横一閃に薙ぎ払った。狙いはやや逸れ、肉を切る感触とともに相手の右頬から左頬にかけてザックリと切り裂さいた。相手の真っ赤に血塗られた歯の間からブパッと血が噴出し、後ろによろめく。その隙に振り切った銃剣を手元に引き付け、ナイフを逆手に振り下ろそうとする相手の腹に凄まじい刺突を食らわせた。刀身が胴体に深々と突き刺さり、腹から背中まで刺し貫いた。血まみれの口からさらに鮮血が吹き出す。ゴリッっと刀身をねじり、銃剣を引き抜くと、相手は膝から崩れ落ちそのまま息絶えた。
これでまた一人だ。ハアハアと息を切らし、膝に手をつき息を整えてから死体のそばにしゃがみ込むと息絶えた敵の手からザックナイフをもぎ取り、コートの第一ボタンを外してふところを探る。おっと、今回は大漁だ。銀細工の時計にシガレットケース2箱。それらを自分の右ポケットにねじこむと、最後に敵の首からかけられた認識票を服の隙間から引っ張り出し、真ん中でぐいっと曲げパキンと切り取り、胸ポケットの中にカシャンといれる。これで4人。さて、さっさとずらかろう。
短機関銃の弾はもうない。持っている武器は、銃剣だけだ。ピストルは、墜落した衝撃でどこかへ飛んでいった。ソ連軍は撃墜された機体を発見し、早くも追手を差し向けてくるだろう。できるだけ早く前線をすり抜け、ドイツ側に戻らなくては。
ウクライナの針葉樹の木々は、ルイスをかくまった。数百機のソ連機から、照りつける真夏の太陽から。森の中は薄暗く、どこか陰気だ。機体から取り外したコンパスを頼りに、空に向かってまっすぐ立ち並ぶ針葉樹林帯を西へ西へ進む。
彼の名はルイス。ドイツ空軍特別航空軍団の地上襲撃大隊のエース・パイロットである。Ju87急降下爆撃機、通称「シュトゥーカ」を巧みに操り、現時点で両翼のに取り付けられた37mm機関砲で482両のソ連軍戦車を撃破している。コードネーム『レッドウルフ』。それがルイスに与えられた名前だ。彼は戦争で生み出された英雄なのだ。