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明日の私たち

作者: 南那美海


私は自らが死にゆくのを感じていた。


特段、恵まれた人生ではなかったが、取り立てて不幸でもなかった。

少子高齢化が進んで未来がないといわれている国で生まれたが、成熟した経済、義務教育、生活保護など、充実した社会制度が整っていた。安全に生きるということに関しては世界でも上位に入ってくるだろう。そう考えると、私は非常に恵まれていたことと思う。


ただ、私は死ぬ。

---死ぬと分かった今、どうしてこんなに後悔しているのだろう。

決してお金がないわけではなかった。決して時間がないわけでもなかった。家族がいた。友人ができた。コミュニティができた。旅行をした。勉強もした。いやなことがあった。楽しいこともあった。人を傷つけた。人に傷つけられた。へこんだ。怒った。笑った。泣いた---

心のどこかで、終わりがあることは理解していた。でも、今日だとは思わなかった。


今日が来るまでの私は、明日が来ることを当たり前だと思い込んでいた。

ある時は、一日中寝巻でゴロゴロとネットサーフィンをして過ごした。面倒であるというだけで好きでもないインスタント食品でおなかを満たした。


本当に自分が心の底からやりたいことを後回しにしていた。「普段の生活が忙しいから休みの日はゆっくりしたい」などとやりたいことややらなければと思っていることから目を背け、生きているのかわからない時間をどれほど過ごしてきたことだろう。死ぬと分かって一番時間があった時に戻りたいと思うのは、私だけなのだろうか。


1時間前に、昨日に、1週間前に、1年前に、今日起こることがわかっていたのだとしたら、私はどんな人生を歩んでいただろう。

もっと新しい経験をしてみたかった。美しい風景を見てみたかった。おいしいものをたくさん食べたかった。たくさんの人と会いたかった。大切な人ともっと多くの時間を過ごしたかった。喧嘩したあの人と仲直りをしたかった。好きになった人に気持ちを伝えたかった。

今になって、こんなにやりたいことが思い浮かんでは消えていく。


本当に満足して終わりを迎えられることなどできるだろうか。今の私のように、亡くなったあの人も後悔していたのだろうか。

こんな思いをしないためにも、明日があるのが当たり前なんて思ってはいけない。死ぬときはあっけなく死ぬんだ。

ああ、1時間前の私や昨日の私、1週間前の私、1年前の私に伝えたい。

その時々の私の決定が、人生の終わりに感じることを決めるのだと。だから、いつまでも人生が続くと思ってはいけない。こんな簡単なことを気づいた時には終わってしまうとは、なんと非情なことだろうか。体の具合が悪くなって、普段の健康状態が素晴らしいことだと気づくように、死ぬ前に生きていることの尊さが身に染みてわかる。明日を生きる大切なあなたに、どうか伝えたい。

あなたが死ぬときに、何を成したかったのかを考えて生きてください。

そうでなければ---


もう二度と伝わることのない思いを胸にその人物は旅立った。


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