空を見る勇気
昔、僕は空を見るのが怖かった。消えてしまう気がして。でも、空はいつも僕に安らぎをくれるのだ。
空を見て、空から安らぎをもらった時には、ちっともお礼なんて忘れている癖に、空は、見上げた僕にいつも安らぎを与えてくれる。落ち込んだ時に、いつも空を見るのが怖くて、でも、ふと見上げた空はいつも気持ちが良い。気持ちが良いことわからないくらい、気持ちがいい。でも、僕はいつも空を見ることを恐れている。
今日も落ち込んだ。希望が消えそうで、でも、自分の不甲斐なさも感じながら。
空を見上げるのはやっぱり怖い。消えてしまうそうな気がして。だって、最後はみんな空に消えてしまうと聞いて。何で僕はまだ生きているのだろう。そう思い、勇気を持って見上げてみると、そこには様々な空模様を見せながら、安らぎを僕に与えてくれるのだ。空を一時は嫌った癖に、見上げた空にはお礼も謝罪も忘れている。空は偉大だ。だから、見上げるのも勇気がいるんだ。
空はいつも怒らない。むしろ、怒られた僕に、元気出しなよと、いってくれるのはいつも空。空は僕のことを見ていないようで、いつも見ている。僕が空のことなんて、すっかり忘れていても。だって、家に居て空を見上げなくたって、窓から明るい光を届けてくれるのは、いつだって空だろ。夜に眠れるのだって、空が暗くなってくれるからだ。時々、夜更かししちゃって、色々と悩んじゃって、半分泣きながら、タバコを咥えて、ふと、見上げてみたら、星空が満面に広がっていて、雨の時もあるけど、それはそれで良くて、僕は星座なんてオリオン座しか知らないのに、なんて美しいのだろうと感激してしまって、しかも、僕は感激したことにも気がつかなくて、すっかり空に安らぎももらっているのだ。そうやって、空は僕のことをいつも見ているのだ。僕が知らないふりしたってね。だから、僕が怒られたことも知っているんだ。
空は怒らない。なんだって受け入れてくれるのだ。だから、僕は空が怖くてたまらないんだ。本当に自分のしていることが正しいのか、いつも不安なんだ。僕は人のことを恨んでしまったり、憎んでしまうことがある。それは、人もそうだろう。でも、空はそういうことをしないんだ。ただ、もし僕が消えてしまう存在なら、黙って、おいで、といってくれるんだ。きっとね。それが、たまらなく怖い。だって、僕はまだ空の下に生きていたいんだもん。結局、見上げなくたって、空はいつでもいるんだ。本当は。本当に僕はわがまま。いつも空が見ていることを知っていて、僕が見上げる時には、怖い、なんていうもんだから。
空の下で生きることが楽かと言われたら、決して楽ではない。空は何でも受け入れてくれるけれど、それは空だけだ。都合の良い時だけ、そんなことを言うけれど、空の下で生きるのって本当に大変なんだ。それでも、僕は何故空の下で生きたいのかわからない。だって、ほとんどは苦しみだよ。その中で、何とかもがいて、人には自分の生き様の顔を見せるんだ。空のように。空のように輝いて、空のように生きていられるなら、それは素晴らしいことかも知れない。
今日、また落ち込んだ。空を見るのが怖くて、でも、少し風に当たりたくて、外に出たのに、うつむいている。だって、怖いんだ。消えてしまったらと思うと。でも、見上げてみて、その時、僕は本当に良かったと思った。夕日だった。余計怖いものかと思ったら、感激して、すっかり安らいだ。僕が自分で僕の心に話しかける言葉なんて、頑張れ、とか、まだ終わってない、とか、少しくらい辛いのがいいのだ、なんて、自分自身にさえ、そんな言葉しかかけられないのに、空はそれでも良いよなんて言ってくれるものだから、なんだか嬉しくて。まだ、空の下に居ていいんだと、思うとなんだか嬉しくて、何とか成るさ、とやや前向きな気持ちになる。それも程よい前向き、反動で後ろ向きになっても、ちょっと辛いだけでさ。
僕はあと、何度生まれ変わるのだろう。その間に、僕の中に貯めた人生を、全て美しいものへと変えて、最後は空になりたいと思っている。それも不思議だ。最後は空になることを悟っていながら、何故、僕は空を見るのが怖いんだろうか。答えは簡単だよ。まだ、僕は僕の人生をやり終えていないんだよ。それをやらなければ、やりきれないんだよ。もしもそれが出来ないのだとしたら、僕はとっても悲しい。きっと立ち直れない。だから、僕は空が見ていても恥ずかしくない、立派な生き方がしたいのだ。でも、空はやさしい。僕が見上げない時には、空を忘れさせてくれるからだ。あんな立派に生きたいだなんていって、本当はいつも空が怖いんだ。空は本当にやさしい。空は僕が怖がっていることも知っている。でも、それは、まだ空の下で頑張りたいという気持ちでもあるからだ。だから、僕の気が悪くならないように、見上げない時には、忘れさせてくれるんだ。
今日は頑張って自分の思ったような結果が出せた。そう思って生き生きと歩きがら、自然に見上げる空も凄くいいものだ。もう、それは、とっても気持ちが良いもの。今日は良かった。僕の思った通りに出来た。だから、とっても気持ちがいい。こんな、一見自分勝手に思える嬉しい出来事さえ、実は空が褒め称えてくれているのだ。空が褒め称えてくれていたことにも気がつかず、僕は空を見上げていたことすら気がつかず。でも、褒めてくれた、ということは次があるのだ。また、落ち込んで、空を見るのが怖くなって、それでも見上げてしまうのだろうな。そして、また、風の気持ちいい空を見上げながら、安らぎをもらう。だって、物事はそんなに簡単には上手くいかない。「次にどうぞ」ということは、人生で新しいことをしていくということ。はじめてのことを、どうやって、最初から上手くやれってんだい。ちゃんと空はわかっているんだ。
でもね。空が求めていることは、成功とか幸せになることとか、そういうことではないのだ。僕の生き様を忠実に守れるかどうかなんだ。成功や幸せは、その結果として、与えられるもの。空がこっそり、こっちへどうぞ、と人と人をくっつけてくれる。でも、それは必ずしも心地の良いものとは限らないんだよ。空が与えてくれた人や物に感謝をして、受け入れることなんだよ。そこで、頑張って成功や幸せを得るのだ。嫌いだった人を好きになれたら、それは幸せだよね。でも、それには凄く努力が必要なんだ。それが出来なかったと思った時には、空を見るのが堪らなく怖い。だって、僕はまだ空の下にいたいんだ。
今日、僕は買い物に出掛けた。「お客様は神様」なんて言葉があるけれど、僕からしてみたら、「売ってくる人が神様」だと思う。人間というのは、つい傲慢になってしまうもの。この気持ちは、意識しないと忘れてしまうんだ。上げ足を取ろうと思ったら、いくらでもとれる。寧ろ、人間は何もしないとそうなってしまうんだ。自分の方が上の立場でいたいと思うのが本能だから、ちょっと店員さん顔色が悪いだけで、すぐに「嫌だな」と感じてしまうのだ。でも、それは、錯覚。「僕もいつも完璧な笑顔で居られるわけではないな」と思った時に、そうは思わなくなる。理性というのがとても大事。理性と理性で、お互い心地よくなれるもの。気持ちはその後についてくるものなんだ。買った後は、いつも「良かった」と感じている。
今日は職場で大きな声で挨拶をした。何時も通り。大きな声で挨拶するのは、意外と大変なこと。だって、みんなが心地よく挨拶を返してくれるわけではないよ。挨拶が嫌な人もいるし、僕だってそう思う時があるし、恥ずかしい人もいるし、静かにして欲しい人もいる。一人でいたいひともいる。元気に大きな声で挨拶するのも、実は色々な気持ちがついてまわる。何かをするって、凄い大変なんだ。人からみれば、ただの一人の人。でも、そうやって、生きていくんだ。何をやっても構わない。でも、何かをするのって凄い大変。
今日はみんなでカラオケに行った。僕は歌が得意だから、楽しく歌っていた。でも、あまり気乗りしない友達がいて、せっかく一緒にカラオケに来ているのに、歌わないのは可哀想だからと思って、僕は歌わせてしまった。その時は、良いことしたはと思って、凄くいい気になった。でも、友達は悲しい顔をしていた。なんだろう、この違和感。もしかしたら、友達は歌うのが嫌なのかもしれない。今度は少し慎重に。でも、その友達とはもっと仲良くなった。不思議だ。僕は友達を嫌な気持ちにさせてしまったのに、何故だろうと思った。でも、友達は自分を気遣ってくれた、その気持ちが嬉しかったのだと思う。今度は気持ちが良いようにしたいな。もしかしたら、僕が離れた方が気持ちが良いこともあるのかもしれない。それも、考えよう。でも、僕は、君といたいと思った。いつも一緒にいるようで、いつも最後。でも、毎日が楽しい。感謝。
今日は楽しく一人でドライブ。天気が良くて気持ちがいい。でも、本当は違うんだ。僕は本当は悲しいんだ。安全に気をつけて、楽しくドライブ。運転すると気分が明るくなるんだ。楽しいんではない。楽しくすると、楽しくなるんだ。無理しないことも大事だけれど、ちょっと無理することも、大事なんだなと、思った。
今日はよく寝られた。幸せ。今日の朝ごはん、美味しかった。幸せ。今日、昼間頑張れた。幸せ。夜、気持ちよくお風呂入れた。幸せ。いつ人生が終わるかわからないと思うと、何でも幸せに感じる。悩むことだって、幸せだし、その時にそう思わなくても、後から思うことはたくさんある。本当に幸せなのかは自分でもよくわからない。でも、「幸せ」だと思うことの方が多い。何故か、口からそう出るんだ。辛いと思っている筈なのに。そう思いたいのかもしれない。でも、そう思うことが出来ることも、幸せだと思う。