平和主義者の愚かな理論
「平和主義」って何だろうと時々思うことがある。
私はよく「戦争」や「差別」などの、まぁ世間一般的に問題とされている課題を小説で書いている。そして私は出来る限り「ハッピーエンド」になるように物語を作っていく。大団円だとか、誰も死なないようにするとか。これが一般的な「平和主義」ではないだろうか。
でも、ただのハッピーエンドじゃ誰も納得しない物語だってある。例えば、戦争を吹っ掛けた敵国の人と大団円、なんて普通は納得しないだろう。私だってそんな単純なものは嫌いだ。
だから、私はあえてバッドエンドを書いた後に、ハッピーエンドになるように物語を作っていく。戦争が起こる前に話し合いをさせたり、主人公の行動を変えたり。
でも、現実では一度起こったことは決して変えることは出来ない。物語のようにうまくはいかない。
私は「平和主義者」ではあるのだろう。でも、単なる平和主義者じゃない。私は、私が書くような小説の主人公たちのようにはなれない。私は何にも力の持たない、愚かで、信仰深いだけの、弱い平和主義者なのだ。
人間は誰だって弱い。きっとそれを受け入れて向き合うことこそが、周囲の人達の、ひいては世界の平和にもつながっていくのかもしれない。
なぜなら、神は人間が乗り越えることの出来ない試練など与えないのだから。
平和主義とはいったい何でしょうか。
口で言うのは簡単ですよね。皆さんはどうでしょうか?