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海鳥の渡る先

作者: ぽてち

 数百の乗員の家族と自衛隊員が見送りに来ていた母港の佐世保を離れ、三日が経った。

 海上自衛隊伝統の礼式「帽振れ」で見送られ、現在南シナ海を第二護衛艦群隷下の護衛艦「ゆきかぜ」は航行している。

 綺麗に磨き上げられた甲板に護衛艦「ゆきかぜ」の乗員165名のうち当直を除いた百名ほどが直立不動の姿勢で整列していた。

 基準基準排水量4560t全長151m全幅17.4mたかなみ型護衛艦の甲板上、コバルトブルーの海を背景に整然と並ぶ様は壮観だった。


 彼らの視線の先には先の大戦で激戦地となった島がある。

 艦長である水島武人(みずしまたけひと)二等海佐は用意していた白菊の花束を海に投げ入れて、敬礼する。

 それに倣うように他の乗員も敬礼する。

 それだけの隊員がいても、しわぶき一つなく、只波の音だけがその場を満たし、寂とした趣を際立たせていた。


 敬礼を終え、振り返ると背後に並んだ幹部の一人と目があった。

 陽に焼けた端正な顔には特筆すべき感傷は浮かんでいない。

 他の隊員たちも、とある理由で彼の方を伺う表情をする。


 水島は咳払いをすると

園城寺(えんじょうじ)二尉、君の御祖父も帝国海軍だったな」

「ええ、よくご存じですね」

 淡々とそう言われて、水島は黙り込む。


 園城寺二尉と呼ばれた男の祖父は立志伝中の人物で帝国海軍の将校だったが、戦後海運会社を起こし、一大企業を築き上げていた。

 一般的にはさほど名を知られてはいない企業だが、官用品のシェアはかなりのモノだった。

 五十代で定年になる海上自衛隊員の再雇用も積極的に行っている。海上自衛隊に属する者ならば知らない者はいない。


 水島自身、彼に対しておもねるつもりはないが、かといって他の隊員と同じような態度をとっているとは天地神明に掛けて誓えないのが実情だ。

 必要以上に言葉を選んで対している自分に時々憮然となる。


 園城寺はふっと笑い、島影がごくわずかな隆起を作る水平線に視線を戻すと誰とはなしに呟く。

「父方だけでなく、母方の祖父も海軍でした。艦載機乗りだったそうです。撃墜されて海に沈んでしまったので、遺骨を拾うことも叶いませんが」

「……それは知らなかったな」

「私は、母方の祖父のことを聞かれたのかと思っていました」

 何の感情も伺えない口調に何となく気圧される。


 水島が園城寺に声を掛けたのは彼にまつわるある噂を耳にしていたからだ。


 霊感が非常に強いという噂だ。



 水島は怪談奇談の類の話が、滅法界も無く好きな男でその手の江戸時代の書籍から女性向けの漫画雑誌まで読み漁り、テレビでこの類の番組はすべて録画して記録媒体に焼き付けて、時々取り出しては鑑賞することを趣味としている。

 水島には高校生になる一人娘がいたが、娘の所蔵する漫画雑誌をこっそりと読んでいるところを娘自身に目撃されたのは、人生の中でも五指に入る恥ずかしい思い出だった。

 

そんな水島を軽蔑するでもなく、ロクに家に帰れない父親に番組録画から四十代の男が手に取るには恥ずかしい女性向けの漫画まで買ってきてくれる娘は我ながら親孝行に育ったものだと思っている。

 ベリーショートとは名ばかりの短髪で空手をこよなく愛し、高校の学園祭では「彼氏にしたい女子高生」一位に輝いたと誇らしげに報告してくるような娘だが。

 「なんでも一位になることは素晴らしいことだ」と称賛した途端、同じく空手有段者の妻に笑顔で脇腹に肘を入れられるくらいは大したことではない。



 怪談話の一つでも聞けるかと婉曲に話を振ってみたのだが、婉曲過ぎて明後日の方向に行ってしまったようだ。

「艦長、こんな場所で幽霊話を聞こうとするなんて不謹慎でしょう」

 そう苦虫を噛み潰した表情で言ったのは、機関長の相馬雄一(そうまゆういち)だった。

 綺麗に口髭を蓄えて、テノール歌手のような朗々とした響きのある美声の持ち主だった。


 水島の趣味はほとんどの乗員に知れ渡っているので、そう言いだしたのだろう。

 水島とは正反対にこの類の話が大嫌いだと公言している。

 非科学的だという理由を述べているのだが、単純に幽霊が怖いだからだろうと水島は思っている。


 水島の年上の友人で去年まで「ゆきかぜ」の航海長をしていた見崎幸久(けんざきゆきひさ)が、本人曰くまあまあの霊感の持ち主だった。

 見崎は霊体験を何度が話してくれたことがある。

 偶然、その場に居合わせた相馬が頭から馬鹿にしたようなことを言いだしたので、ムッとした見崎が「相馬の背後にまとめ髪の女性がいる」と言った途端、相馬は飛び上がり、きゃあと乙女のような黄色い悲鳴を上げた。


 外見は古武士の風格漂う眼光鋭い海の男の思わぬ失態に失笑するよりも、見てはならないものを目撃してしまった気分で、その場には水島の他にも幹部たちがいたが皆気が付かないふりをした。

 見崎も悪い事をしたと思ったのか、以降水島以外の人間がいる場所では話さなくなった。


 本当に相馬の後ろに霊がいたのかと水島が問うたことがあったが、「守護霊の一人だよ、嘘を言った訳ではない」と少しばつの悪そうに笑っていた。


 その見崎が言うには、霊感が強い人間はこれまで何人も見てきたが、園城寺は「別格」なのだという。

 どう「別格」なのかと聞いたが、なぜか深刻な表情で黙り込んだ。


 潮風に晒された皺深い顔にはどう話そうかという迷いが見られた。

「ああいう人間は生きづらいのだろうな、水島なら力になれるのではと思うよ」

 長い沈黙の後ぽつりとそう言われて、首を傾げざるを得ない。


 自衛官として自分はそこそこ有能だとは思っているが、園城寺のような男に頼られることなどあるのだろうか。

 容姿も良く、実家は資産家で自衛官として将来を嘱望され、あらゆることに恵まれている男に。



 園城寺はちらりと相馬に視線を送ると、初めて表情を変えた。

 何とも気の毒そうな瞳の色で眉根を寄せ、相馬の背後を見ている。

 それが分かったのだろう相馬は顔色を変え、小刻みに震え始めた。


 噴き出すのを堪え損ねたのだろう、ぐむっと奇妙な音を立てた機関長配下の海士長の方を園城寺が振り返った。

 これ以上ないほど冷ややかな表情にその場の温度が急降下したように感じられた。


「妙なことを聞いて済まなかったな、園城寺二尉」

 水島は困ったように笑い、制帽をとるとだいぶ薄くなったというか制帽に隠れていた部分は不毛の大地と化した頭部を軽くポンポンと叩く。

「……いえ」

 その水島の行動に毒気が抜かれたのか、園城寺の表情がほんの少し緩む。

 ホッとしたような空気になり、英霊たちを慰霊するセレモニーは終わった。

 隊員たちも持ち場に戻っていった。





 三カ月にわたるアフリカ・ソマリア沖での海賊対策任務を終え、帰港の途についた護衛艦「ゆきかぜ」は順調な航海を続けていた、

 高温多湿の気候と常に緊張感に晒される任務で数人体調不良を訴える者は出たが、死傷者を出すことなく無事に任務を終えることが出来そうで、水島はホッとしていた。

 普段、海上自衛隊の艦船は定員の7割から8割の人員で運行している。

 さすがに今回の任務では定員とはいかないもののそれに近い人員が割り当てられていて、隊員一人の負担は少し軽減されていた。


 そう言う台所事情もあってか、ここ最近威丈高な物言いをする幹部は減って来ていて、隊員間のトラブルもほとんどなかった。

 水島が期待していた園城寺と親しく言葉を交わす機会、霊体験を聞きだす事はこの任務中に叶いそうもないのが、残念だった。



 既に鑑賞すること十二回目になる娘に録画してもらった「本当にあった霊体験」の動画を見るべくプレイヤーに記録媒体をセットしようと引き出しに手を掛けたところで、ドア代わりのカーテンの向こうから声を掛けられた。

 訪れたのは園城寺だった。


「お休みの所失礼します」

 敬礼する園城寺の左手には念珠が握られていた。

 葬式でよく見かける片手に掛ける様なものではなく、僧侶が手にしているような本格的な念珠だった。

「いや、問題ない。何か用かな?」

 精一杯の威厳を保ちながら、期待を込めて園城寺を見る。それが分かったのだろう、園城寺は苦笑する。

「座っても宜しいでしょうか」

「ああ」

 目の前にある簡易な丸椅子を勧める。

 

 園城寺の方がかなり背が高いのだが、あまり視線は変わらない。

 現代っ子めと心の中で年代格差のせいにする。

「多分、艦長が期待するようなことは起きませんが」

 そう言うとじゃらりと念珠を鳴らし、合掌する。

「この前、この海域を通った時に艦長に言いましたが、私の母方の祖父は先の大戦で亡くなっています。正確な場所は分かりませんが、この近くです」

「そうなのか」

「はい、ずっと連れ帰りたいと思っていたのですが、なかなか厄介な爺さんで階級が下の青二才では言うことを聞いてくれないのです」

 ポロリと毒の利いた言葉を吐く園城寺に内心驚きながらも平静を装う。


 ほうほうと頷きながら、普段の一分の隙も無い丁寧な口調よりは少しは人間らしいなと思った。

「君のお祖父さんはどういう状態なんだ?」

 亡くなった瞬間のまま止まっているのだとしたら痛ましいと思い、聞いた。

「……飛び続けています、戦地に向かって。その時の思いが一番強かったのでしょう」

 半眼のまま、暫く沈黙が続いた。

 集中している様子の園城寺の邪魔をしないように呼吸をするのも遠慮がちになる。



 数分経っただろうか、ふうっと息をつくと手を放して、水島を見る。

「漸く、説得に応じてくれました。これで故郷の玄関で亡くなった後も祖父を待ち続けている祖母も安心するでしょう」

 珍しく柔らかい表情で微笑んでいる園城寺に先ほどから疑問に感じていたことを聞いた。

「それは良かった。しかし、何故ここに来たのかな?」

 確かに期待したような霊現象は何も起きていない。


 園城寺はちょっと申し訳なさそうに笑みを浮かべると理由を話した。

「『帰還しろ、これは艦長命令だ』と伝えましたので」

「なるほど、利用されたと言うことか」

 苦笑する水島に園城寺は否定しない。


「ところで、相馬の後ろに何が見えた?」

「まとめ髪の婦人が見えました、相馬機関長のお祖母さんでしょうね。守護霊の一人です」

 見崎と同じ答えにちょっぴりがっかりした。

 いや、悪霊に憑りつかれていても困るのだが。


「その割には随分思わせぶりな態度だったな」

「服装の趣味の悪い婆さんでその上酷く口煩くて、老公も辟易していました。孫をいじめるなとずっと怒っていましたね」

「老公?」

「私の守護霊です」

 感心しながら聞いていると、何か思い出したのか園城寺がくすりと笑う。

「なんだ?」

「いえ……相馬機関長も変わった人ですね。幽霊が怖いなんて」

「普通の人間であれば、怖いだろう?」

「そうでしょうか、生きている人間の方が余程恐ろしいと思いますが」

 何を指すのか察しがついた。


 ロケットランチャーと自動小銃を装備し、ゴムボートに最新のエンジンを搭載して、民間船をつけ狙う海賊たち。

 元は年収二百ドルにも届かない漁民たちで、先進国によって漁場を荒らされて食べていけなくなったことが原因だ。

 そんな彼らが、何故そんな装備を持てるのか。

 海賊たちを資金援助する者たちがいるのだろう。

 海賊たちが誘拐した民間人からとる身代金の上前を撥ねるのが目的だ。


 海賊になっても、強者に食い物にされる彼らが憐れではあったが、同情するつもりはない。

 問答無用で攻撃してくる海賊たちに対してこちらは先制攻撃をしかけることは出来ない。

 精々、指向性の音響兵器で「お帰り願う」ことだけだ。



 思考の海に沈みかけた水島に一礼して園城寺が退室しようとしているのを呼び止める。

「園城寺二尉」

「はい?」

「勝手に利用されるのはあまり心地良い事ではないのだがな」

「……」

「魚心あれば水心という」

「……私は2200から立直ですが」

 暗に自室に戻って仮眠したいことを伝える。

「そうか、あと三時間もあるな」

 にこにこと笑う水島に溜息をつきながら、再び丸椅子に座る。

「――大して面白い話ではありませんが」

 そう前置きして、「老公」と呼んでいる守護霊との出会いを話し始めた。





 あと20時間ほどで佐世保に帰港する距離になった。朝靄で視界は良好とは言い難かった。

 水島は艦橋の艦長席に座り前方を見ているといつの間にか園城寺が隣に立っていた。

「園城寺二尉、どうかしたのか?」

 水島の質問には答えず、二時の方向を指差す。

「艦長にお礼が言いたいそうです」

 誰のことだと問う前にいきなり視界が開けた。


 抜ける様な紺碧の空には数十騎の機影が見える。

 遠目にも現代のものではない機影の多くは零式戦闘機のようだった。

 艦橋には数人の隊員がいたが、全員声も出ないようだ。


 そのうちの一機がすうっと音も無く近づいて来る。

 コックピットに乗っている人物の顔が視認できるくらいの距離になる。

 二十代前半くらいだろうか、なかなか端正な顔立ちだった。

 映画のワンシーンのような敬礼をして離れて行く。


「気障ったらしい爺さんだ」

 憮然と吐き捨てるように言う園城寺によく似ているなと思ったことは黙っていた。

 水島は席を立つと制帽をとり、彼らに向かって「帽振れ」をする。園城寺と年配の幹部もそれに倣う。

「……しかし、君の御祖父だけかと思っていのだが」

「一人だけ救い上げるというのは難しいのですよ」

 見崎が言っていた「別格」というのも分かる気がした。


「君の御祖父は誇らしいだろうな、園城寺二尉が孫で」

「――そうでしょうか」

 称賛するつもりで言った言葉に対して、思わずぎょっとして振り返った。


 今までもあまり感情を見せない男だったが、すっぽりと感情が欠落したような声だった。

 こちらを見る端正な顔に嵌め込まれた黒い双眸に吸い込まれそうだ。


 まるで一片の光すら届かない深海の奥底を覗き込むような……。



 突然、艦橋に絹を引き裂く様なテノールの悲鳴が響き渡った。振り返らずとも誰なのかはわかる。

 そちらを見ることなく、溜息をつくと

「何故ここに機関長がいるのだ?」

「守護霊が連れてきたのでしょう、あの中に婆さんの末の弟がいた様です。自慢の孫を可愛がっていた弟に見せたかったのでしょうね」

「……本当に守護霊なのか」

「一応、本人はそのつもりのようです」

 肩を竦めて答える園城寺に先ほどの影はない。見崎の深く苦悩したような表情が思い出される。

 手にしていた制帽を頭に戻すと前方を見詰める。

 数十騎の機影は水平線の向こうに消えようとしていた。


 異郷の海を飛び続けていた海鳥たちがようやく故郷に帰還しようとしている。

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