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『彼女の半分になりたい』

 ――雪が、降っている。


 二週間が経った。あれからツバキは姿を消し、アイリは父親からすべてを教えられた。


 ツバキの父親の名前はオーゼット・フレシア。金髪碧眼のイギリス人らしい。オーゼットは詐欺師で、世界中を転々としては金持ちを騙して生活をしていた。

 曰く――夢と希望を与える対価としてお金を貰っている、とのこと。

 瞬時に相手の本質を見抜き、巧みに相手が望む言葉を与え、心に入り込む。才能で言えば間違いなく天才レベルらしい。


 彼は十数年前に日本を訪れ、比野春香(ひのはるか)という女性と出会い、娘のツバキが生まれた。

 それから彼は詐欺師としての仕事を辞め、心理カウンセラーとして真面目に仕事をしていたそうだが、しかしツバキが十歳の時に母親が病気で逝去。

 失意のままに仕事を辞め、やがて金に困り、詐欺師として復帰し――少し前にアイリの父によって逮捕された。


 ツバキにとって父は大事な家族で、唯一心を許せる存在だった。

 だからそれを奪ったアイリの父が憎く、何をしてでも家族を取り戻したかった。


「……久しぶり、ツバキ」


「よくわかったわね、アイリ」


 バスに乗り込んだアイリは、一番後ろの席に座ったツバキを見つけ、その隣に座った。

 他の乗客はいない。


「判決が出るの、今日だって聞いたの。迎えに行くならこのバスで、なんとなくこの時間かなって」


「……そう」


 横目にツバキを見る。

 野暮ったい髪型は変えて、眼鏡も外して、雰囲気も堂々としている。初めて出会った時の彼女とは別人のようだ。


「聞いたよ。あの日、私に『あること』をして、その映像で父を脅迫したんでしょ? もっとも私は君の催眠術に掛かって、その時のことは覚えてないけどさ」


「……さあ」


 まあ、認めるわけもない。

 実のところ、多少の怪しい言動や物的証拠ではツバキは逮捕されない。アイリの父親とはそういう取引をしたし、それを可能にするだけの手札をツバキは持っている。

 だがそれが有効なのはあくまでもアイリの父親だけだ。だから油断してはいけない。


「君のお父さんを有罪にするには父の証言が一番重要だから――だから私に近づいた。お父さんを無罪にするために」


 そうして今日、見事オーゼット・フレシアは無罪になった。というか、ならなかったらアイリの人生が終わっていた。

 だからアイリの父は降格処分を受けるか、地方に飛ばされるか、クビになるか、それとも逮捕されるか、一通りの覚悟をして命令を実行した。


「私は日本を出るわ。パパと一緒にイギリスに行くのよ。あなたはもう私のことを忘れられないでしょうけど、心くらい奪ったままでも構わないわよね」


 大切な父を奪ったのだから、とツバキは言外に訴えてくる。

 確かにアイリの中でツバキの存在は大きくなりすぎた。深層意識にも入り込まれたし、その心も完全に掌握されている。

 

「そう……。でも――本当にずっと私は君に惹かれたままなのかな。案外すぐに好きな人が見つかったりして」


「だとしても私の存在はずっとあなたの心に残り続ける。賭けてもいいわ」


「じゃあ……ゲームしよう?」


 その瞬間――アイリの雰囲気が変わった。

 いや、その時になって初めてツバキは気付いたのだ。アイリはこのバスに乗ってから、最初から、どこか余裕を持っていた。

 自分のことで父親が脅迫されたのに。友達以上だと思っていた存在に騙されたのに。

 普通はもっと憔悴したり、話すにしても緊張するはずなのに。


 ツバキは緩やかに腕を組んだ。アイリの余裕を見抜いて、何か不安を察知したのだろう。腕を組むのは拒絶、不安の表れだ。


「私はサイコパス気質――なんでしょ?」


「――まさか」


 アイリがサイコパス気質であると指摘したのはたった一度きり。十二月二十五日。アイリを催眠術で眠らせている間のことだ。

 知らないはずのことを知っている。何故――?


「私は記録を集めていた。自分が関わった出来事の記録。そうだよ。私もあの日、リビングにカメラを仕込んであの出来事を撮影していたの」


「…………」


 ナルシストの傾向が強いサイコパスは、自分に関することは何でも記録したがる。殺した人間の顔と名前や――それこそ性行為の映像なども。

 自分にとって大事なことならなおさらだ。

 予想していなかったわけではない。だがあの時は冷静ではなかった。目的を果たす一歩手前で舞い上がっていた。見落としていた。


「本当は私と君の初めてを永遠にするつもりだったけど、実際に撮れたのは、自分の不利になると思って君がカットした部分がそのまま残っているもう一つ脅迫動画」


 ツバキは目に見えて動揺しながらも、それを必死に隠しながら言葉を返す。


「……ふん、永遠って何?」


「思い出かな」


「違うわ。あなたがそれを父親に渡せば、パパは刑務所に逆戻り、私は少年院行きよ」


「そんなことしない。私はただ――君を脅す。父にそうしたように、脅迫するの」


「……何が目的?」


「最初に言ったよ。ゲームしようって。私は絶対に君を忘れられないんでしょ? だから君がこの先ずっと、私の心を奪い続けることができたら、君の勝ち」


「あなたの勝利条件は?」


「私は君のことが好き。愛してる。でも君はそうじゃない。そんなの不公平だよ。だからツバキには今度こそ、本当に私のことを好きになってもらう。それが私の勝利条件」


 アイリがずっとツバキを好きだったら、ツバキの勝ち。

 ツバキがアイリの事を好きになったら、アイリの勝ち。

 この勝敗に合理的な意味があるのかは分からない。それでもアイリはゲームを突きつける。

 人生を盤上とした、長く永い命懸けのゲームを。


「もし、断ったら?」


「映像を父に渡したあとに君を殺して私も死ぬ」


「できるかしら?」


 挑発するように言うツバキに向けて、アイリはポケットに忍ばせたカッターを見せた。


「『信念は、真実にとって嘘よりも危険な敵である』――私は本気」


「無駄よ。私にとってのあなたの価値は、あの男への復讐にしかならない」


「今はそれでもいい。何年かかっても何十年かかっても、必ず君の心を掴んでみせる。私は永遠に尽くすよ。君が、私無しじゃあ生きていけないと思うようになるまで。だから君が他の誰かを好きになることは許さない。邪魔者は絶対に排除する。そして勝ってみせる、このゲームに」


 漆黒の瞳とエメラルド色の瞳――熱を帯びた視線は、先ほどからずっと重なって離れない。


「――いいわ。そのゲーム、受けて立ちましょう」


 ゆっくりと、ツバキはアイリの頬に手を当てた。


「でもその前に、あなたの愛が一過性のものかもしれないから一応言わせてもらうわ。

 あなたは私のことが好き。一生、絶対に。

 あなたの幸せは私に尽くすこと。でないとあなたは幸福を感じられない。

 そして――私が上であなたが下。私たちはそういう関係よ。たとえ命が尽きても、肉体という器を失って魂だけになっても、輪廻の果てまでもね。これを証明できたら私の勝ち――いいわね?」


 お互いに目を合わせて、それで充分だった。

 目は口ほどに物を言う。だから二人はこれ以上――何も言わなかった。




★P.S.


「――さて、それじゃあその上着のポケットに入れたパスポートを準備しておいて。それとイギリスの観光地でも調べてなさい。ああ、しばらく日本に帰ってこられないから、日本食を食べていてもいいわよ」


「向こうでは私はツバキのメイドさんってことになるんだよね。だったら料理本とか、あと辞書とか必要かな……。ところでツバキのお父さんとはどこで待ち合わせ?」


「……ああ、ちょうど電話が来たわ。少し電話してくるから、ここで待ってなさい」


 通知では公衆電話となっているが、ツバキの父だろう。


「かしこまりました、ツバキお嬢様」


 楽しげにお辞儀をするアイリ。

 ツバキはそれを見て、彼女が『今から親元を勝手に離れて詐欺師親子と一緒にイギリスに行く』ということがどういうことなのか、正しく理解できているか少しだけ不安になり、呆れた。


「もしもし――ああパパ? うん、おめでとう。そうよ。()()()()()()()あの子も一緒。今後は静かに暮らそうね。三人で」


 父親を逮捕されたツバキの復讐――その目的は、父親の釈放ともう一つ。大切なものを奪われる痛みを教えることだった。

 アイリがカメラを仕掛けていたことは最初から判っていた。だからわざとベラベラ喋り、アイリにアドバンテージを与えたように見せた。

 

 アイリは絶対にツバキを貶めるようなことはしない。やったとしても、イギリスへ行くツバキに無理やりついていくことが精一杯だろう。それにしても輪廻の果て云々は言い過ぎだったが。


「うん。うん。勿論あの子が帰りたいと言ったら帰してあげるわ。分かった。それじゃあ待ってるね」


 通話を切る。


(――まあ、あの子が私から離れるなんて、言うはずないけどね)


 ――何年かかっても何十年かかっても、必ず君の心を掴んでみせる。


 アイリの言葉が蘇る。


(もし、もしいつかあの子に情が湧いて本当に好きになってしまったら……)


 少しだけ考えて、答えはすぐに出た。


「――まあ、いいわ。そういう春が来ても」

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