第28話 決着
「ようやくやる気になりやがったか」
バーバラはこれまでの戦闘で初めて"ニヤけ面"からの殺気を感じ取った。"ニヤけ面"は何故か急所や致命的な攻撃を狙ってこなかった。攻撃が当たれば危険な場所だけは細心の警戒を払って守っていたから、"ニヤけ面"は仕方なく警戒の薄い他の部分を攻撃していたのだと思っていたが、この殺気を見るに先程まではそもそも狙う気がなかったというのが正しいだろう。
「次はどうする? 普通にやったら確実に、勝つのはアタシだぜ?」
しかし、バーバラはその普通を飛び越えられることを確信していた。何が起こるかわからないからこそ戦いは面白い。一方的な戦いなど何の楽しみもない。互いに一瞬の油断が命取りになる対等な存在。そんな敵を望んでいるのだ。それに"ニヤけ面"はこれまで戦ったことのないタイプの手合である。この戦いは知らないことで満ちており、バーバラはこの状況を心底楽しんでいた。
バーバラは吹き飛ばした"ニヤけ面"の元まで、自分はここにいるぞと誇示するように堂々と歩いて近づく。すると"ニヤけ面"が枝の上でステアの実を口一杯に頬張っているのを見つけた。
「よくそんなにそれを食って気持ち悪くならんな。食うのは構わんが戦いに悪い影響を出してくれるなよ!」
バーバラはその行為がふざけた行為だとは思わない。自分を見つめる真剣な眼差しがそんなことを微塵も感じさせなかった。その表情は"ニヤけ面"などというふざけて付けられたような二つ名とは正反対だった。
バーバラはその身体能力でもって"ニヤけ面"の居る位置まで跳び上がると、枝ごと叩き斬ろうとするが、"ニヤけ面"はすぐさま口の中身を喉下し木から飛び降りたので、剣は枝だけを両断することとなった。"ニヤけ面"のその機敏な動きからはステアの身を食べた影響も会心の蹴りを食らった影響も全く見られなかった。
甲羅や腕で剣を防御されたときにも感じられたが、"ニヤけ面"は通常の個体では持ち得ない頑丈さも持ち合わせているようだ。【クロウタートル】の元々の持ち味である素早さは更に強化され、持久力や耐久力も兼ね備えている。おまけに身動きが取れない筈の空中で一瞬起こる妙な動きである。神はこのユニーク個体に一体、いくつの力を与えたというのか。
「アタシが言うのもなんだが、その素早さでこの耐久力は反則だな。どうするかねぇ?」
防御をするということは逆にいうと他の場所に攻撃が当たって欲しくないということである。全身が全てあの硬さなら防御の構えを取る必要などない。
「特別硬いのは前足と甲羅か。それ以外を叩けば……ってそうなるとほとんど攻撃が通るところねえじゃねぇか」
前足を除けば、頭と後ろ足と尻尾ぐらいしか甲羅から出ている場所は無く、攻撃しやすい甲羅も亀の魔物だけあって相応に硬い。そう考えると途端に目の前の魔物が無敵であるかのように見えてきた。
「落ち着け、本当に攻撃が効かないならあんな獲物から反撃を受けないようにする動きをわざわざしなくても普通に正面からやれば殴り勝てる」
全身ではなく攻撃を受けるであろう場所。そこだけが局所的に硬くなるのだとしたら。
「……試してみるか」
バーバラは着地すると"ニヤけ面"に向かって走る。そして不自然に見えないようにそれとなく腕を狙うよう目と剣を動かす。実際に狙っている攻撃を悟らせない。
剣を振り上げると狙い通り"ニヤけ面"は片腕を上げて剣を受けようとしている。
しかし、バーバラは剣を振り被ると、見せかけて"ニヤけ面"の腹甲を思い切り蹴り上げた。すると硬い筈の腹甲がベコリと凹み"ニヤけ面"は初めて苦悶の表情を見せた。
「通った! アタシの予想もあながち外れてはないのかもな!」
そして丁度いい位置に蹴り上げた"ニヤけ面"がいたのでついでとばかりに目についた尻尾を剣で切断した。"ニヤけ面"から声なき苦痛の声が聞こえてくるようだ。それでもまだ一回ぐらいは攻撃ができそうだったので更に追撃をしようとしたが、流石にあの妙な空中での加速を使われ、距離を取られた。
「目の前にあったから思わず斬っちまったぜ。その尻尾はバランスを取るのに使っていたのか。それなら悪いことをしたな」
今の空中機動だけでも"ニヤけ面"の動きが不安定になっているのが見て取れた。腕を縛られた人間が上手く走れなくなるように一見関係ないように思われる部分がバランスを取る上で重要な役割を担っていることがある。"ニヤけ面"にとって尻尾はそういった器官だったのだろう。
「せっかくの楽しい戦いをこんなに呆気なく終わらせてしまうのは残念だが仕方な……っておいおいおい、なんだよそれは!?」
致命的な攻撃をしてしまい勝手に終わった気でいたバーバラは思わず声を上げた。なんと、"ニヤけ面"が踏ん張ると尻尾の断面の肉が盛り上がり一瞬で新しい尻尾が生えてきた。腹甲の凹みも部位欠損すら治してしまう治癒力なのだ。当然治っているだろう。"ニヤけ面"はまだ力を隠し持っていたのだ。もうこれからなにが出てきてもおかしくはなくなってきた。
「ここにきてその再生力かよ。たまんねぇな、おい!」
もしここで終わっていたら不完全燃焼になるところだった。バーバラはまだまだ楽しい戦いが続いてくれることを知り、感謝の念すら覚えていた。
バーバラは気を引き締め直していると突然"ニヤけ面"の体からもくもくと白いなにかが立ち上り、すぐに先を見通せないほどになった。一瞬毒の類を警戒したバーバラだったがすぐに湯を沸かした時に出る湯気であることに気付く。
「目眩しか! また変な技を……アタシには通用しないがな!」
獣人は視界を封じられてもその他の感覚が鋭敏なため情報を得ることができる。特に今のバーバラは獣化状態である。この状態では少々の理性を失い、魔力を消耗する代わりに身体能力、動体視力、聴力、嗅覚が上昇するのだ。しかし、次の瞬間その鋭敏な鼻をとんでもない臭気が襲った。
「うげぇ! なんだこの臭い! くせぇ!」
バーバラはあまりの臭さに涙すら浮かべている。"ニヤけ面"に罠に嵌められたときに味わったくしゃみの止まらなくなる粉のことを思い出す。正面戦闘をしていて忘れていたが"ニヤけ面"はそういえばこういうやつだった。
「そ、それがどうした! アタシにはまだ耳が残ってる!」
バーバラが涙目のまま叫ぶとダン! っと左に跳んだ音が聞こえた。目にも朧げながら影が左に移動したように見えた。
「そっちか!」
着地した音を頼りに場所を割り出すと、影を剣で切り裂く。
「くっ、この感触は偽物か! どこから湧いて出た!? いやそれより本物はどこに!?」
しかし、切り裂いたのはいつかの森を探索していた際にけしかけられた脱皮した皮で作られた人形だった。"ニヤけ面"は誘導されてここまで来た筈で人形をあらかじめこの場所に設置することなど不可能である。しかし、現に人形はこの場に存在する。どうしてという疑問は一旦捻じ伏せる。
バーバラは必死に音を頼りに周りを警戒する。しかし、焦っているバーバラでは本体と人形の区別が付かない。すると間を開けず後ろから音が迫ってくるのを聞き取った。
「人形で動揺を誘い、本命の本体が止めを刺しに来るか! 読めたぞ、お前の狙いが!」
あのお粗末な人形には移動させることぐらいしかできないというのはもう分かっている。であれば攻撃を仕掛けてくるのは本体以外あり得ない。
「そこだ!」
バーバラは確信を持って振り向き様に剣を振るう。しかし想定していた肉を切り裂く、もしくは硬い部分に弾かれる反応は返ってこず、ただ人形を切り裂いた空虚な感覚だけが手に残った。そして愕然とするバーバラから見て左側、それも手の届きそうな程近くから今までどこに隠れていたのかというぐらいの凄まじい気配に初めて気付いた。見ると"ニヤけ面"が力を溜めているように佇んでいるのが見えた。その爪からはものすごい圧を感じ、それが解き放たれたが最後自分はもう助からないこと悟る。
(くっそ、してやられたなぁ。流石アタシを燃えさせただけは、あ……)
圧縮された時間の中でバーバラの脳内には真剣勝負に負けた悔しさ、そして策を巡らして最後には自分を圧倒した強敵、"ニヤけ面"に対しての賛辞の言葉があった。
+ + +
(いってぇー!! 何してくれてんだこのヤロー!! 俺が回復できなかったらどうすんだ!!)
何故か俺が魔力をジェット噴射して緊急退避した後は追撃してこなかったのでなんとか尻尾や腹を治すことができた。しかし、俺に感謝の思いなど微塵もない。募ったのは感謝ではなく恨みだけである。
(さてこのクレイジー野郎を相手にどうやって隙を作らせるか)
相手が万全の状態になってなお嬉しそうにしている敵の呼び名など猫耳女なんかではなくクレイジー野郎で十分だ。
クレイジー野郎は俺が一部分だけを硬化しているのに気付いた節がある。あのフェイントが何よりの証拠だ。俺の拙いガードはもう通用しないかもしれない。ガードを固めてじっくりと悩んでいる暇はなさそうだ。
(おっ? いい案考えついたかも)
頭をフル回転させていると必殺の一撃をかますだけの隙を作れそうな策を思いついた。その場で思いついた考えに命を賭けるなど人間だった頃では絶対にできなかっただろうが、魔物の心や、これまでの経験が弱い自分に度胸をくれる。
(短時間で練れた策にしては上出来なんじゃないか? これで無理だったらそんときはそんときだ)
例え、策が通用しなかったとしても死にものぐるいになって生にしがみつく。今とは違い、体の損傷や痛みなんて気にせず戦う。それぐらいの覚悟を持ってさえすれば生き残るぐらいはできる筈だ。
そうと決まれば早速やらせてもらおう。水魔法で出来るだけ多くの水を生み出す。それから素早く熱魔法で素早く生み出した水を熱することでもくもくと大量に蒸気を発生させた。
「目眩しか! また変な技を……アタシには通用しないがな!」
そしてすぐさまこんながこともあろうかと用意していた嫌がらせ用の臭い玉を《アイテムボックス》から取り出す。森で見つけた比較的無害で臭いものを掛け合わせた臭い玉だが作る際にはあらかじめ鼻をもいでおくことをお勧めする。
俺は臭い玉を地面に叩きつけて中身を炸裂させた。すぐに鼻をもぎたくなる臭いに襲われるが、これで敵は朧げな視界と聴覚だけで動かなければならなくなった。
「うげぇ! なんだこの臭い! くせぇ!」
クレイジー野郎が何やら騒いでいる。どうやら臭いが届いたみたいだ。さすがの効力である。
「そ、それがどうした! アタシにはまだ耳が残ってる!」
それでも敵にはまだ聴力がある。動けば音で場所を察知されるだろう。そこで《アイテムボックス》から今度は人形を2体取り出す。10号ぐらいまでは名前をつけていたのだが、作り過ぎて名前をつけるのがめんどくさくなってしまったので名前はもうつけていない。
わざと大きな音を立てて右に人形を1体飛ばし、もう1体はクレイジー野郎の後ろの方に音をたてず、設置した。
「そっちか!」
狙い通り音をたてた方の人形に飛びついてくれた。肝心の俺はそろりとクレイジー野郎の足元にまで近づく。
「くっ、この感触は偽物か! どこから湧いて出た!? いやそれより本物はどこに!?」
1つ目の人形が切り裂かれた。いい感じに混乱してくれているようだ。慌てているのが手に取るように分かる。冷静さを取り戻させないようにすぐさま二つ目の人形をクレイジー野郎にけしかける。今度は音を少しだけ抑えているので少しゆっくりだ。
「人形で動揺を誘い、本命の本体が止めを刺しに来るか! 読めたぞ、お前の狙いが!」
足元まで着いた。魔力を爪に限界を超えて注ぎ込み機を待つ。
「そこだ!」
2つ目の人形が切り裂かれた。俺の爪には既に解放をまだかまだかと待ち望む大きな魔力が押さえ込まれている。あとはこれを呆気に取られた顔をしているクレイジー野郎に叩き込むだけ。俺が爪を後ろに引くとクレイジー野郎と目が合った。
(迷うな! 俺は十分我慢した。引かなかったのはあっちだ)
散々翻弄して少し恨みの晴れた俺がここまでしなくてもいいんじゃないかと甘いことを言う。しかし、ここで引けば情報が出回りもうこんな不意打ち通用しなくなるかもしれない。こうなった以上どのみちこいつの仲間から俺が危険な魔物であることが伝わるのは確実で俺を討伐しに人間が動く可能性がある。正真正銘、これがコイツに止めを刺し、俺の手の内という情報を塞き止めたまま逃げることのできるラストチャンスだ。そう考えればやることは一つだ。
覚悟を決め、腕を振り被ろうとした瞬間……
「バーバラさん、危ない!」
クレイジー野郎の後ろから小さな女の子の鬼気迫る声が聞こえてきた。そして俺とクレイジー野郎の間に申し訳程度の魔力の壁が貼られる。一瞬で作ったにしては丈夫で素晴らしいできの魔力の壁だったが、俺の全力の魔力の刃はこんな壁無いも同然に突き進んでいく。こんな森の奥に居て、こんな技術を持っている以上、クレイジー野郎と無関係者である可能性の方が低い筈なのに俺の脳は勝手にリミッターを掛け直してしまう。
(なんでこんなとこに! くそっ! がぁぁぁあああ!!)
このままでは前方の広範囲の部分が全てが両断されてしまう。もちろんクレイジー野郎の後ろにいるであろうこの戦いとは無関係であるかもしれない女の子もだ。もう既に右腕を振り被って魔力の刃が出ている状態だが、まだやれることはある。残った全魔力を左腕に集中させ、そして魔力の刃を下から左腕で全力で殴り付け、飛ぶ方向を無理矢理斜め上に逸らそうとする。
(あーあ、こんなとこで終わりか。結構頑張ってみたのになぁ。ごめんなシールド。兄ちゃん甘さ、捨て切れなかったよ)
魔力不足により薄れゆく意識の中で耳の尖った少女が呆けた様子のクレイジー野郎の元に走って近づいていくのが見えた。どうやら自分の全力の攻撃を左腕と残りの全魔力を犠牲にして逸らすというアホな行動をした甲斐もあって少女は助かったようである。0か1しかない調整のせいでクレイジー野郎も助けてしまったのは残念で仕方ないが、俺に何の危害も与えていない、与えるつもりのない者を殺してしまうよりは良かった。
そんなことを思いながら俺は重くなった目蓋を閉じた。
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