第20話 嫌らしい罠
縄でできた罠に前足を吊られ、プラーンプラーンと揺れている間抜けな獲物の姿があった。その格好はさながら血抜き中の獣のようであり、死んだ魚のような目も合わさってさぞかし真に迫っているように見えることだろう。
それが自分の仕掛けた罠であり、そこに狙っていた獲物が嵌まっているという状況なのだとしたら俺は小躍りしてもおかしくないぐらい喜んだことだろうが、現実はそうではなかった。
何故なら間抜けな獲物というのは俺自身のことだからだ。
(あぁ、辛いなぁ。恥ずかしいなぁ。何度目だよ、罠に引っかかるのぉ)
悔しさやら、悲しさやらで涙が出そうになる。俺が誤って罠にかけてしまった人たちもこのような気持ちだったのだろうか。元々申し訳なさから優しくはしていたが、今ならより慈しみの心を持って接せられるような気がした。
最近このような罠が増えている。以前は見るからに罠と分かるものが多かったのだが、より高度なものに入れ替わってきていた。毎度毎度巧妙にカモフラージュが施されており気を張っていても引っかかってしまう。今度はその道のプロでも引っ越してきたのだろうか?
トラバサミのような怪我をするタイプの罠には遭遇していないのが幸いだが、いきなり足を掬われて引っ張りあげられるというだけでも非常に心臓に悪い。
(せっかく美味しそうな実が群生してるのを見つけたのに……)
嬉々として草むらをあさっていたところを狙いすましたかのように設置された罠が即座に吊り上げた。きっと設置した者は餌を前にした獲物の動きを熟知しているのだろう。
(そういえばリンゴもどきを罠に設置していた人は馬鹿だったなぁ。あれを餌にしても何も引っかからないだろうに)
丸見えのギミックにポツンと置かれたリンゴもどき。罠丸出しの見た目に関しては人のことを言えた立場ではないが、餌がダメなことぐらいは流石に分かる。リンゴもどきのことを知らないのだろうか?
ちなみに設置されていたリンゴもどきはそのまま土に還すのはもったいないので俺が美味しく頂きました。コンクリートジャングルだった前世と違い俺が食べなくてもいずれ土に分解されるので無駄にはならないだろうが、食べ物を粗末にするなという考えは未だに根強く残っている。
(まあ見え見えの罠のことは置いておくとして、悔しいけど上手い罠は勉強になるな)
上手いようにやられて腹立たしくは思うが、餌を動かすと輪が締まるというようなギミック付きの罠を俺は作ることができない。仕組みや設置されている場所など学べるところは学んでおきたかった。
結び目や縄が括り付けられている場所など重要そうなところに軽く目を通す。
しかし、やはりというべきか出来上がった罠を見るだけでは罠の作り方に至ることができるほど甘くはない。もしかすると作っているところを見ていたとしても覚えるのは無理かも知れなかった。精々理解できたのは細木のしなりを利用したなんかすごい罠ということだけである。どの道ここまで細かいと俺の手の構造的にも再現できないので今回はこういう罠もあったなーみたいな感じで傾向だけ覚えておこう。
このままぽけーっと吊されたまま眺めていても仕方が無いので自由のきく方の腕をブンっと振るう。爪がもう片方の腕に引っかかていた縄を切り裂き、俺は自由の身となる。丈夫そうな縄だったが爪には薄く魔力を纏わせていたのでほとんど抵抗も感じずすんなりと爪が通った。
(俺の強化された爪にかかればこんなもんよ! もっと上等なものに取り替えた方がいいんじゃ――ない?)
俺は落ちた先にあるであろう落とし穴を木を蹴って回避する。離れた場所に着地すると答え合わせとしてそこにたまたま転がっていた石を本来の着地地点だった所までぶん投げた。すると案の定何も無いように見えた地面にかなりの深さの穴がぽっかりと開く。ここらは地質が柔らかいのでもし落ちていれば出るのには地味に苦労を強いられたことだろう。
(やっぱりそこにあったか! どうだ、俺も日々成長してるのさ!)
これまで罠に嵌められてきた経験が役に立った。罠を無理矢理抜け出すと待ち受ける二段構えの罠に何度苦汁を舐めさせられてきたことか。罠から脱出してドヤ顔中の俺を襲う“お前はまだ掌の上だ”と言われているような絶望感。苦節一週間、初めて俺は罠の制作者の掌から一歩踏み出せた気がする。ただ単に罠を一つ回避できたというだけなのだが、それだけでとても嬉しかった。
俺はウキウキ気分で家に足を向ける。食料調達や訓練のため、出掛けていたのだが、もうこれで切り上げよう。いつもからすると少し早いが、こんなめでたい日くらいは家でゆっくり過ごしたい。気の抜けない一週間を乗り越えたのだ。たまにはこんな日もあっていいだろう。
今日の晩ご飯は何にしようかな、奮発してアレを開封しちゃおうかな、などとそんな浮かれたことを考えていたときだった。足に何かがプチンと切れたような感触がしたかと思えば、それとほぼ同時にガシャンと鉄格子らしきものが落ちてくる。
(あぁ、そこにもあったのか……)
二つ目の罠を回避できたのは良かったが、どうやら運悪く別に仕掛けられた罠の近くに跳んでしまっていたようである。これまた最近見かける罠の傾向と同じく嫌らしい場所に仕掛けられている。きっと犯人は同一人物だろう。高揚していた気分が一瞬で地に落ちた。そして俺の頭の中でも何かがプチンと切れる。
(……上等だよ、やってやろうじゃねーか! 今に見ていろ、絶対に酷い目に遭わせてやる!)
俺の中で密かに溜まっていた仕返しゲージが振り切れた。家に帰るのは後回しだ。俺は記憶を総動員させて敵対者にする嫌がらせの算段を立て始める。
+ + +
「中々引っかかりませんねえ、例の魔物」
「せっかくリンゴもどきまで用意したのになんでだろうな?」
軽装の男と猫耳の女が深い森の中をするすると歩いていた。迷いがなく、張り巡らされた根に足を取られる気配すら見せないその足取りからは歴戦の経験が感じられる。それもそのはず彼らは並ではない。D級の凄腕冒険者であった。
数日前、森の奥で木々が広範囲で薙ぎ倒されているのが発見された。危険な魔物が出現した恐れがあり、事態を重く見た冒険者ギルドはたまたま別用で居合わせていた高ランク冒険者二人に調査依頼を要請していた。
【クロウタートル】のユニーク個体を追っていた二人の冒険者はその依頼を受けた。仕掛けた罠を巡るついでに森の様子を報告することにしたのだ。
と言っても今日に至るまで特に異常らしい異常は起こっていない。強いて言えば現在追っている魔物が一番のこの森での異常であった。
「罠を仕掛けすぎて警戒させちゃった可能性がありますね。バーバラさんすみません。こうなると少し時間がかかるかも知れないです」
「そうか。できれば早い方が嬉しいが、捕まらんものは仕方がない。アンタほどの罠使いでもそういうことはあるんだな」
「気のせいかこちらの罠を学習してきている節があるんですよね。ほんと魔物を相手にしているとは思えませんよ。あっ罠が見えてきました」
男はそこそこ名の知れた罠使いであるが、できるだけ傷つけず動きだけを制限するという条件下とは言え、これほど同じ獲物に罠から抜け出されるのは初めてであった。最近では突破されるどころかそもそも引っ掛かることすら少なくなる始末。嫌でも高い学習能力が感じられた。
「これは……」
「あちゃー。見事に破壊されちゃってますねぇ」
その光景は二人の想定を超えていた。そこには周りの木々ごとズタズタに切り裂かれた鉄格子、もう少し進んだ先には木に括り付けられている綺麗に切断された縄とその真下にはぽっかりと深い穴があった。そしてそれらはどれもこれも男の仕掛けた罠である。
「どれどれ、アタシが仕掛けた罠は、っと……餌だけ持ってかれてる!?」
(あんたも仕掛けてたのか。いつの間に……)
男の知らぬ間に罠を仕掛けていたらしいバーバラ。しかし、どうやら餌を食い逃げされていたようである。男がそちらの方を向くとお世辞にも上手とは言えない罠の前に跪くバーバラの姿が見えた。悲しいことに罠の作動した形跡が見えない。罠を作動させず餌だけ持って行くとはなんとも器用な魔物であった。
「そっちはどうだったんだ?」
残念そうに肩を落としながらバーバラが鉄格子の前で膝をつき考えごとをしている男の元に歩いて来る。
(丈夫なものに変えたんだけどそれでもダメか。縄も檻も結構高かったのに……)
以前仕掛けた罠を力技で突破されてから罠のグレードを引き上げたつもりであったが、あっさりと壊されていた。特注の縄に至っては暴れた形跡や切断面からも綻びが見られないことから一太刀で綺麗に切断されたようである。それに加え、これらの断面からはどこかギルドから知らされて見に行った木々の断面に似通っているように感じられた。
「おーい、聞いてるのか? 聞いちゃいねぇか。おっ、落とし穴も作動してんじゃん。中に何か居ねぇかな?」
この場で何が起こったのか、どうすればあの魔物を捕らえられるのか、謎の広範囲に切られた木の関連性などを考え続ける男。自分の中にのめり込むと敵意や危険などが迫るまで戻ってこないタイプであった。
男から反応が返ってこないのでどうしたものかと途方に暮れるバーバラだったが視線を上げるとぽっかりと開いた深い穴を発見した。男は考え事に夢中でしばらく暇が続きそうである。であるなら少しぐらい暇を潰していてもいいだろうと穴を覗きに行く。
好奇心の赴くまま中を覗きに行こうとするバーバラが視界に映ったのは、そこへもうほとんど到着しかけているときであった。男は慌てた様子でようやく閉じていた口を開く。
「バーバラさん! そっちはマズ――」
「うおっ!? なんだこりゃ!?」
作動した落とし穴の直前でバーバラは足のひざ下までが地面に沈み、前につんのめった。足の裏から何かを潰してしまったような感触がし、嫌悪感からすぐさま足を引き抜こうとするバーバラだったが、何故か上にも横にも動かすことができない。
「遅かった! 今そっちに行きます」
「すまん、やってしまった。足が動かん」
バーバラは何故かそれほど深くはない落とし穴にも関わらず、出てくることができないようだ。声から苦痛を感じなかったので怪我が原因ではないだろうが、とにかく男は焦る心を落ち着かせて罠を警戒しながら近づいて行く。
見たところバーバラが引っかかったもの以外には罠は見つからないが、自分まで動けなくなるわけにはいかない。二人共が確実に森を出るために普段より慎重に歩みを進める。
ジリジリと進んで行くと何本も垂れ下がった蔦に行く手を阻まれた。特に何も考えずそれらをくぐるようにどけたとき蔦の上部から何やらキラキラとした微細な粉末がバーバラと男の頭上から舞い落ちてくる。
「うん? ――ッ!? ヤバイ!」
男はそれを見た瞬間血相を変えバックから布二枚と水筒を取り出す。それらを水筒の水で濡らし即席のマスクを作成すると一つを自らの口元に当てもう片方をバーバラに投げつけた。
「それで口を!」
すぐに意図を察し、鼻と口を濡れた布で塞ぎ目を固く瞑るバーバラであったが、ほんの少しだけ粉末を吸い込んでしまったようだ。
「ヘッヘッ、ヘックシュン! ヘックシュン! なんだ、クシャミが……ヘックシュン!」
バーバラが全く可愛げのない豪快なクシャミを連発させていた。どうやらあの粉は吸い込むとクシャミが止まらなくなるものらしい。頭の片隅で何かの花の花粉にそのような特徴があったことを思い出した。男の記憶が正しければその花粉に強い毒性は無く、粘膜に付いた花粉を洗い流せばすぐに症状は治まるはずである。そのことにホッとすると同時に己のミスから仲間兼依頼人を危険に晒してしまったことを心から恥じた。
男は今の自分が冷静でないことを素直に認める。バーバラが花粉を洗い流し次第、今日のところは出直す方が賢明である。この状態で無理に探索しても碌なことがないのは明白だ。
男は舞っていた花粉が地面に落ちて見えなくなってから今度は蔦を揺らさないように更に迂回してバーバラの元へ移動する。今度は何かが作動することもなく無事にたどり着くことができた。
水筒を鞄から取り出すとバーバラに手渡す。未だクシャミの止まらないバーバラはそれを受け取ると鼻や口を濯ぐようにして必死に花粉を洗い流した。
「ふぅー。クシャミって連発すると結構体力使うんだな。知らなかったぜ。まだ鼻が少しムズムズするが……助かった」
「いえ、それよりすみません。余計な罠を作動させてしまって……」
埋まったままのブーツの靴紐をほどきながら礼を言うバーバラだったが、男は酷く申し訳なさげに答えた。バーバラは一瞬キョトンとした顔をしたが、すぐに笑みを浮かべる。
「別にいいよ。元はと言えばアタシが勝手にどんどん進んで行ったのが原因だしな。そんなことより見てくれよ、これ。くっ付いて取れねーんだ」
片足だけ裸足になったバーバラが指を指す。男は言われたままに覗くと全長は土に隠れて見えないが、大きな岩にブーツが立っているのが見えた。ぐっぐっと試しに引っ張ってみるも全く動く気配がない。ブーツと岩の接着面をよく見ようとして邪魔な土をどけると、周りに乾燥した白い何かが付着している。他に変わったものも見つからないのでどうやらこれがバーバラを拘束していたものので間違いなさそうだ。
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