第17話 ビクビク生活続行決定
(よし、追ってきては……いないな)
はあーと深く息を吐き出し体の強化状態を解く。そして傷付いた筋肉の治癒や熱を持った体の冷却に意識を向けた。
全力で逃走を行ったので、これで追いすがられてしまうと逃げる手段が無くなってしまうところだった。
しかし、俺があの女より速かったから逃げ切ることができたと早合点するのはまだ早い。もしかするとあの少し青ざめた顔から不調が理由で追えなかったということも考えられる。もしそうであるなら万全の状態で出会ってしまうと今回みたいに確実に逃げられるという保証は無い。
不幸中の幸いは遭遇した場所から我が家はそこそこ離れているということだ。目立つ真似をしなければ住処まで直接辿り着かれることはない。あの場所は最近お気に入りであるリンゴもどきの木の近くで水場も少し移動すれば簡単に見える優良物件だ。住みやすいように自分なりのカスタマイズまでしていて愛着もあり、離れるのはできれば避けたいところである。
それにしてもこの森であれ程強い人間に出会うとは本当に驚いた。たまたま用事があってこの近くに滞在したとかそういうのだろうが、見つかるとは運が無い。しばらくすれば用事も済んでどこかへ移動すると思うのでずっとビクビクしながら過ごす羽目にはならないはずだ。息を潜めて生活するのもしばらくの辛抱である。あんな強い人間がこんな弱い魔物しか居ないような場所に長居するなどよっぽどの理由が無ければ考えにくい。
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バーバラは悶々とした表情で冒険者ギルドの入り口をくぐる。その昂ぶる感情を無理矢理抑えようとしたような顔は騒いでいた荒くれ者の冒険者たちに思わず道を譲らせてしまう程だった。
期待させられておいてからのお預けはかなり応えた様子である。ズカズカと人が避けてできた道を進み、臨時の仲間紹介のボードの前に立つとそれを食い入るようにして見るバーバラ。
するとそこへ先ほど話をした受付嬢が声をかけてきた。下手をすると何かのきっかけで周りに襲いかかってくるのではと思わせるような気迫を放つバーバラに平気で近づく剛の者。周りの目が期待に輝く。
「そんなに顔してどうしたんですか? もしかして例の魔物になにかされたとか?」
「ん? ああ、あんたか。いや、別にどうということはないんだ。ちょっとばっかし燃えてきたってところで獲物に逃げられただけで……」
どうということはない、とは言いつつどう見てもいつもと違う様子を隠せていないバーバラだったが、受付嬢は攻撃の意思を持って近づいたのにも関わらず、あの“ニヤけ面”に逃げを選ばせたという事実に驚いた。
「すごいじゃないですか! あの“ニヤけ面”に何もさせず逃げ帰らせるだなんて。そいつを討伐しに行った人は軒並み精神をボコボコにされて帰ってきたのに!」
「「「うっ……」」」
予期せぬ特大の飛び火に頽れる何人かの冒険者たち。明るく元気で愛想のいい、人気の高い受付嬢だが時々笑顔で地雷を踏み抜くことがあるので話すときや近くに居るときは注意が必要な人物だった。
「トーマアアアアアス!」
「大変だ! トーマスが息してない!」
「トーマス密かにあの子のこと好きだったからな……」
バーバラは馬鹿騒ぎする外野と目をキラキラさせて自分を褒め称えてくれた受付嬢に少し頬を緩める。
「また“ニヤけ面”を探してみるよ。今度こそ逃がすことなく戦ってやる」
「その意気です! 私も腕のいいシーフとか探してみますね」
「助かるよ。丁度索敵やら足止めに向いたやつは居ないかと戻ってきてたんだ。強くなくてもいいからそういう能力に特化した奴を頼む」
広大な森の中でさして大きくもない一体の魔物を捜し当てるのは非常に難しい。そこでバーバラは臨時でシーフなどの役割をこなすことのできる冒険者を雇おうとしていた。
だが、この町に来てまだ間もない彼女にはどの冒険者がどう優れているかなど分かるはずもない。貼り紙から判断できる内容はランクや得意なことなどだが、ランクが高くて得意なことが目的に合った人物でもただ強いからランクが高く、肝心の能力の方は微妙ということがある。かくいう自分もそういうタイプの冒険者の一人であった。
今回求められているのは戦力ではなく索敵能力や逃げるのを妨害できる技能に優れた冒険者だ。ギルドの紹介ならある程度の水準は満たした冒険者を用意してくれることだろう。
次の日バーバラは“ニヤけ面”を見つけた場所にヒントはないかと訪れていた。ギルドが人を用意してくれるまで自分なりに情報を集めてみようとの考えだ。
“ニヤけ面”が食事をしていた木に登ってみる。そうすると昨日回収し忘れていた矢と太い枝がへし折れて他の枝に引っかかっているのを発見した。
(移動の反動だけで太い枝をへし折るか……あまり蹴りは食らいたくないな。そういえばアタシの矢はあのときステアの実を貫いていたよな? なのに今はなんにも刺さってない)
磔にされたはずのステアの実は影も形も無く、矢はただ幹に刺さっているだけだった。
(逃げる直前に食ったのか? だとしたらどんだけステアが好きなんだよ……それとも単に食い意地が張ってただけか?)
どちらにせよステアを美味そうに食うとはとんでもない魔物である。魔物は普通の生物に比べ、魔力と関わりが深いのでステアの体内の魔力をかき乱すという効果をより強く受けるはずだが、何故かあの魔物は食べても平気なようだった。
(食い意地が張ってるなら特に罠が有効かもしれないな。でも毒を仕込んだり、罠で身動き取れなくするとアタシが楽しめないし……)
戦うことを目的としているバーバラは相手の動きを鈍らせてしまう罠を使うことに気が進まなかった。
(罠を使うのはあくまでおびき出すためだけにするか)
バーバラはステアをあの魔物以外の生物で食べているのを見たことが無かったため、罠に利用できれば“ニヤけ面”だけを釣ることができそうだと考えた。
しかし、ステアはかなり珍しい部類に入る魔法植物である。病気にも強く栄養の豊富な土壌なら大抵の場所で生き残る生命力があるが、虫や他の動物が寄りつかないので増え辛いという欠点を持つ。その結果、ステアは幻という程ではないがあまり見かけることの無いというような魔法植物となった。
それに加え熟練の調合師でもなければステアは扱うのが難しい。この町にそんな凄腕など存在しているとは思えず当然需要が無いので場所を知る者の数は少ないはず。やはり自身の手で探さなければならなかった。
矢を幹から引き抜いて矢筒に回収すると、木から飛び降りる。
かなりの高さだったにも関わらずほとんど衝撃も無く着地すると、バーバラの口が三日月のように歪む。
「こんだけアタシに苦労させるんだから……期待してんぞォ。“ニヤけ亀”ェ」
その瞬間吹いた強い風で木々がざわめき垂れ下がった髪で隠れていた顔が露わになる。もしこの場にその顔を見る者が居ればこう言ったことだろう。「あっコイツ何人か殺ってるわ」と。
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