第16話 女傑襲来
なんとか意図せずとはいえ、落とし穴に嵌めてしまった人を送り届けることができた。本当は魔物とか野生動物を捕らえようとして掘ったものだったのだが、まさかあんなあからさまな落とし穴に人が掛かるとは思いもしなかった。
罠を数箇所に仕掛け終わって暇になった俺は、時間を潰すために美味しい木の実を探しに行っていた。そしてある程度時間が経ち、獲物が掛かっているのを期待して戻ってみれば俺を出迎えてくれたのは足を挫いて怒鳴り散らしている中年の男だった。
一瞬見なかったことにして他の罠のところへ行こうかとも考えたが、流石にそのままにしておいて魔物に襲われると寝覚めが悪いと思い直し、魔力で治癒力を活性化させることで怪我の回復を促した。
その後、俺ができ得る限りの友好的な笑顔で警戒心を解いてから近くの町まで送ろうとしたのだが、男は俺の顔を見るや否や突然おっかない形相をして襲いかかってきた。魔法で足の治療をした俺に対して不義理ではないだろうか? まあ、そもそも足に怪我をしたのは俺の掘った落とし穴のせいではあるのだが……。
それにしても不思議なものだ。数ヶ月前からこの辺りの樹の洞に住んでいる俺はなんとなくで人通りが少ない場所を把握しているのでそこを狙って罠を仕掛けたはずなのだが、体感では数時間足らずで人が掛かってしまった。
なにか森で変わったことでもあっただろうか?
最近で言えば俺の寝床の近くで緑の肌をした小さい角を持つゴブリンらしき存在をよく見かけるようになったとか、やたらと美味しいリンゴみたいな実が成っているのを見つけたとかぐらいしか思い当たることはない。
リンゴもどきはとある理由から鳥や魔物、動物はおろか、虫すら食べようとしない特別な実なので人間が食用以外の何かに利用しようと採りに来ても不思議ではないが、多分原因は緑のやつらだろう。
あいつらは騒がしく、やたらと狩場を荒らして行く。人間がやつらを討伐に動いても不自然なことではない。
かく言う俺も自分がねぐらにしていた樹を切り倒されかけたり、森の散策中に襲われたことがあるのでそういうときは迷わず返り討ちにしている。
緑のやつだって生きるのに必死なのだろうが、それはこっちだって同じこと。俺の平穏を乱すのならば容赦はしない。肉はそれほど美味しくはないが、殺してしまったやつはできる限り食うという信条でやらしてもらっている。
元来の勿体無い精神と魔物の精神と丈夫な消化器が合わさって、最近俺の悪食化が進んでいるが、これは果たして良いことなのだろうか……?
この辺りには俺の命を脅かす存在は今のところ現れていない。唯一怖い人間もこの森には脅威となる魔物は生息していないので心配はしていない。俺自身が人間に害を与えない限り強い人間が送り込まれてくることもないはずだ。
もっとも、罠で怪我をさせてしまったことを害としてカウントするならば今回だけなく何回かやってしまっているので俺は立派な害獣と認定されてしまうかも知れない。
しかし、そういうときはきちんと人里近くまで送り届けているのでプラスマイナスでゼロになっていると信じたい。ただ、俺が罠を仕掛けたことは知らないはずなのに例外なく俺の顔を見た途端激昂してしまうのは何故なのだろうか? ありがた迷惑というやつになってしまっていたとか?
俺は太い枝の上でリンゴもどきを齧りながらもはや日課となっている魔力操作の特訓をする。
母さんにどこかの森に飛ばされてから気付けば数ヶ月が過ぎていた。シールドと会えないのは寂しかったが、離されてしまったものは仕方がないので弟に再会したとき誇れるように一匹で頑張っている。
なんやかんやですっかりこの森の暮らしにも慣れた。来たばかりの頃は自分の寝床の場所が覚えられず、忘れる度に別の家を確保することになってしまい家があちこちに存在するという状態だった。
しかし、そのおかげで今の住み心地の良い場所を見つけられたのだから迷うというのもそれほど悪いことではないかもしれないと思う。
今の俺は自由気ままな生活を送っている。好きなときにご飯を食べ、好きなときに寝る。そして合間、合間に習慣と化した魔力制御の練習を行う。
このように天敵がいないおかげでものすごくのんびりとした生活を送れている。
時々こうも刺激が無い環境でいると、忙しない日々に戻りたいと思うことがあるが、それは贅沢な考えというものだろう。暇は得難いものなのだ。うん、暇サイコー。
そんな他愛もないことを考えていたときだった。俺は第六感とも言える感覚に従って頭を勢いよく甲羅の中に引っ込めると、宙に浮いたままになっていた食べかけのリンゴもどきを矢が貫き、そのままドスッと樹の幹に磔にした。
磔にされたリンゴもどきが少し反応が遅れてしまっていた場合の自分の頭に見えて背筋がゾワッとする。
何奴!? と矢が飛んできた方向を見ると、少し驚いたような顔をしながらも既に次の矢を弓に番えている心なしか少し顔色の悪い猫耳の女を発見した。
強靭でしなやかそうな筋肉、見えている範囲で至るところにある古傷、ボサッとした髪、どれをとっても歴戦の女傑と言い表すに相応しい見た目だった。
一目見て分かった。あの女はこれまで見てきた人間と格が違う。見た目も強そうだが何よりオーラが違った。
(うわ~顔恐っ! あれはバトルジャンキーの顔だわ)
自分より弱そうであればこれまでのように殺されかけた仕返しに精一杯おちょくってやるつもりだったが、格上ならば話は別だ。
俺は磔にされたリンゴもどきを芯ごと全て平らげると身体中に魔力を限界まで張り巡らせる。その状態で枝の側面を全力で蹴ることでほぼ初速でトップスピードにまで加速した。体が耐えられるギリギリまで魔力を使っているので体が少し強張っているし、体の周りが熱のせいで蜃気楼が発生する。俺はすかさず熱で自滅してしまわないよう水魔法で体表面を湿らせた。
体に負担がかかり、魔力消費が今の俺の《変換》で補える分を超えてしまうため滅多に使うことはないが、少しでも格上を相手にするならば使っておくべきだろう。
そうして俺は今なれる最速の状態となり脱兎の如くその場から逃げ出した。
+ + +
「あー、クソッ! どうなってやがんだ?」
面白そうな魔物の噂を聞きつけて隣町からやって来たD級冒険者、バーバラが冒険者ギルドの片隅で呟く。せっかくここまで足を運んで来たというのに肝心のその魔物の張り出しが見つけられず困惑していた。
(噂を聞くにD級の下位は確実なやつだったんだが、もう討伐されたんじゃないかってぐらい依頼がねぇな)
D級の魔物と言えばギルドを上げて討伐とまではいかなくても、討伐依頼ぐらいあってもおかしくはないはずである。不思議に思ったバーバラが受付嬢に声をかけた。
「ここら辺で有名なD級の魔物ですか?」
「掲示板を見たんだが、噂の魔物が見つからなくてな。確か……亀の魔物だったと思う」
「あーそれ多分【クロウタートル】のユニーク個体ですね。一時期ギルドでも討伐依頼が出ていたのですが、少し前にギルドの依頼から外されてしまいました」
「それは何故だ?」
「D級冒険者の方をわざわざ呼ぶほど害が多くなかったからですね。かといって並の冒険者さんじゃ歯が立たないので放置していたのですが、それでも被害が報告されなかったので問題は無いだろうとされました」
冒険者ギルドはかなり忙しい。強いが被害が少ない魔物、弱いが繁殖率が高く放っておくと被害増大する魔物なら後者が優先される。強くても被害が無ければ対処が後回しにされるのも当然だろう。それにD級冒険者を雇うとなるとかなりの報酬を用意する必要があるので冒険者ギルド側の気持ちとしては被害が出て依頼が出るまでは手が出しにくい魔物だった。
「その魔物は基本的にはこちらから何もしなければ無害で、その魔物を討伐しようとした冒険者さんでさえ心以外はほぼ無傷で帰って来ました」
「……心以外?」
バーバラはそれを聞き、もしやその魔物が精神魔法を使うのかと考えて神妙な表情を作った。精神魔法は高度な技術を要する魔法で使用してくる魔物も存在するにはするが、それは余程上位の魔物かそれだけに特化した魔物と相場が決まっている。もしそうであるなら特別な対策が必要になるので今すぐにアタックするという訳にはいかなくなってしまう。
しかし、受付嬢の様子を見ていてもそういった危険な魔物を説明しているような緊迫したものを感じない。
「ユニーク個体の生態には謎が多いですがその魔物の行動は一際特殊で、攻撃をすると徹底的に馬鹿にしたような行動を取ってくるようです。私にはちょっと分からないのですけど、ある意味これがすごく冒険者さんたちにとっては心にくるそうでしばらく休養を取る人が増えましたね」
危惧していたことはなかったが、なんとも不思議な魔物だった。
「もう一つだけ聞きたいのだが、その魔物は森のどの辺りに出るんだ?」
「最後に目撃されてから結構経ってますし、よく見かけるようになったときも色んなところに出没していたようで場所を絞り込めません。申し訳ありませんが、ご自分で探して下さいとしか……」
「いやいや、ありがとう。十分参考になった。情報料はいくらだ?」
バーバラは律儀にお金を払おうとするが、受付嬢は花のような笑みで返す。
「いえいえ、これくらいなら無料でも大丈夫ですよ。その代わりこれからもここの冒険者ギルドのご利用お願いしますね!」
「おー、なんか情報量を払うよりも怖い返しだ。やり手だな」
「ありがとうございます! ではお気を付けて」
バーバラは強かな受付嬢を対応を受けて、思わず漢らしい笑みを浮かべると冒険者ギルドを後にした。
+ + +
バーバラはひとまず森に出ようとして冒険者ギルド近くの酒場の前を通りがかると、なにやら騒がしい声が聞こえてきた。それは言い争いと言うより、男が必死に仲間に身の潔白を訴えているようだった。
「だから俺は集合場所に行こうとはしてたんだけど、途中の道で“ニヤけ面”に襲われたんだって!」
チラッと聞こえてきた単語にバーバラの猫耳がピクリと動く。しばらく森を彷徨う予定でいたバーバラだが、幸運なことにも思わぬところから情報が得られそうであった。
しかし、そのパーティは少し揉めている様子だ。問題に首を突っ込みたくはないので、パーティが落ち着いてから情報を聞き出すことにした。
バーバラは店に入り、落ち込んだ様子の男に声をかける。
「ちょっといいか?」
「……なんだぁ?」
机に突っ伏した状態で老け込んだ男はぶっきらぼうに返事をした。
バーバラはそんな様子は関係無いとばかりに話を続ける。
「お前がさっき仲間に話していた魔物の場所が知りたい。金は情報に見合うだけの金額を払う」
「マジか!? 教える、教える!」
男の反応は現金なもので、落ち込んでいたのが嘘であったかのように、すぐさま起き上がると洗いざらいを話し出した。
そしてバーバラは有益な情報を聞くことができたので、約束通りそれなりの金額を手渡す。男はそれを受け取るとそこから勘定分を取り出して机の上に置き、小躍りして店の外に出て行った。
バーバラはいい年をした大人が取る行動としてそれはどうなんだろうとは思ったが、これで場所を絞り込む手間が省けて良かったと気にしないことにした。
+ + +
「……見つけた」
男が言っていた魔物が消えた地点の近くをしばらく捜索していると、木の枝の上でくつろいだ様子の【クロウタートル】の姿を発見した。
よく見ると【クロウタートル】はステアという果実を美味そうに囓っていた。
ステアは魔力の含有量が多く、味や栄養価も優れているが、体の魔力を強く乱されるという最悪のデメリットを秘めた果実だ。魔力を乱されても死ぬことはないが、酷く酔うことになる。その気持ち悪さは酷い船酔い以上であるとされそのせいで鳥、獣、魔物、果ては虫に至るまで一切口を付けることはない。
バーバラはその昔、仲間とふざけ合ってその実を食べたことがあった。そのときに感じた想像を絶する気持ち悪さがフラッシュバックし、見ているだけで吐き気を催す。
「うぐっ、いきなり精神攻撃とはやるな……」
バーバラは予想外の方向からの攻撃に精神を正常に戻す時間を要することになった。
しかし、流石はD級冒険者見事に精神を立て直すと得意な武器の一つである弓を構えた。
(【クロウタートル】は食事中だ。意識は完全にステアの……うぐっ、考えないようにしよう。とにかくやつは今、隙だらけだ。狙うなら今だな)
時々意識がステアの方に向いてしまい気持ち悪くなるが、一旦集中をし始めるとそんなことは一切感じなくなる。
バーバラの気配が希薄になり、存在が森と一体化する。その状態で矢を番え、弦を音も無く引き、そして離す。矢がまるでそうなるのが当然のように【クロウタートル】の頭部に向かって真っ直ぐ飛んでいく。
バーバラは念のため二の矢を準備するが、必要になることはないだろうと考えていた。
しかし、その確信は覆されることになる。なんと【クロウタートル】は矢が届く直前に頭を引っ込め、矢を避けたのだ。
(本気で驚いた。あれを躱すのか……面白くなってきたな)
バーバラは噂の魔物があっさり倒せてしまいそうだったので所詮この程度かと、心のどこかで白けていた。
しかし、自信のあった不意打ちの矢を躱されたことで久々に闘争心に火が付き、獰猛な笑みを浮かべる。
驚きに手を止めたのは一瞬ですぐさま次の矢を放とうとするが、その前にこっちに気付いた【クロウタートル】に変化があった。
存在感が爆発的に高まり、【クロウタートル】の周りの景色が揺らぐ。その変化はD級冒険者のバーバラをして思わず身構えさせるほどだ。
バーバラは久しく感じていなかった命の危機さえ感じ、これから血湧き肉躍る闘争が始まるのだとワクワクが止まらなくなる。
【クロウタートル】が太い枝を折れるぐらい強く蹴って凄まじい加速を見せる。バーバラが居る方向とは反対側に。
「へっ?」
思わずバーバラの口から気の抜けたような声が漏れた。
そして結局、その場に残ったのは唖然としているバーバラと折れてプラプラと揺れ動く枝だけだった。
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