第10話 大熊vsお兄ちゃん
なんとしてもこの大熊を洞穴へ行かせる訳にはいかない。幸い俺は目を潰したことにより大熊に多大な怒りを向けられている。この怒りは並大抵のことでは解けないだろう。これで俺がやられでもしない限り大熊は洞穴には意識が向かないはずだ。
とりあえず爪が届く範囲まで近づかなければ話にならないので《変換》は常に、熱魔法は体温が下がるたびに行いつつも普段通りに突貫する。
しかし、シールドが居ない状態で普段通りの行動をしたせいで俺の他に注意を引く者がおらず、激しいラッシュに捕まってしまう。その豪腕を振り下ろす凄まじい余波に羽織っていた狼の毛皮がはためき、雪で覆われた地面が露出する。
(きっつ! このラッシュはいつ止むんだ!?)
俺は必死に連続する振り下ろしを避けながら反撃のチャンスを窺っていた。
しかし、無尽蔵とも思える大熊のスタミナにそのチャンスはなかなか訪れない。
こういうときシールドは敵の気を引いたり、攻撃を肩代わりしてくれていた。シールドは妨害と援護、俺は様子見の突撃とタイミングを見計らっての特攻。それはとても上手く嵌まっていたし、それで倒せない敵なんて居なかった。
だがそれは、コンビの強さであって、俺単体での強さではない。
俺だけで強敵を相手にするとどれだけ自分がシールドに頼っていたかがよく分かる。思えば単独で俺が勝利したことなんて数えるほどしかなかった。強敵と戦うとき、いつも隣にはシールドがいた。
(敵が、遠い……)
慣れない雪上での格上との戦闘。嫌でも自分の正面戦闘での弱さが浮き彫りとなってしまう。
振り下ろされる腕を必死に掻い潜ったと思えば、もう片方の腕も振り下ろされ、後退を余儀なくされる。敵の攻撃が俺に集中することで攻撃の機会が減っているというのもあるが、いつも以上に捕まれば終わりというプレッシャーが俺の動きを狭めているように思える。いつもならもう少し詰められるというところでどうしても日和ってしまうのを感じていた。
(おい、ビビるなよ俺! これじゃあ勝てるものも勝てないだろう!?)
乱打が当たらないとことに焦れたのか大熊は腕をすくい上げるような動きで俺を爪で切り裂こうとしてきた。咄嗟にしゃがんだ俺だったが、爪の先が狼の毛皮に引っかかり、大熊の馬鹿力によって大きく飛ばされることになった。
猛烈な息をつく間もない連続攻撃を受け精神的に乱れていた俺は一旦空中で姿勢を建て直し少し離れたところに着地する。距離が開いたことは焦っていた心を一旦落ち着かせたかった俺にとってラッキーだった。
大熊は一瞬見失っていた俺を見つけると直ぐさま全速力で追いかけてきた。笑えるほど単純で何も考えていない直線的な動きだったが、俺の目には大きな黒い重機が俺を押し潰そうとしているような光景にしか見えず頬が引き攣る。横へずれて避けようとするが、大熊は走りながら軌道修正をしてくる。俺はそれでもめげずに横に動き続けるとついに大熊が曲がりきれず大熊は盛大に転げた。転げる瞬間の隙を突き、腹を爪で斬りつけたが黒い剛毛が邪魔をして掠り傷しか与えられなかった。狼相手には通っていた爪の斬り裂きがあまり通じず、乾いた笑みが勝手に浮かぶ。
しかし、今の大熊の動きで何となくの勝ち筋が見えた気がする。
コイツは獣であるということを差し置いても、力任せなところが目立つように思う。今だって減速すれば曲がり切れていたはずなのにそうしなかった。常に全開の力で狂ったように暴れ回る。確かにそれは厄介ではある。
だが、逆に言えばその大熊はそれだけの存在だった。
俺は少し憧れていた。互いの攻撃が当たる距離で敵の攻撃を紙一重で避け痛烈なカウンターを仕掛けたり、火花が散るような攻防を。
しかし、少なくともそんな芸当は今の俺の技術ではできない。一発でもまともに攻撃を食らったら終わりな俺が暴れ回る大熊の攻撃の届く範囲で戦い続けるのは自殺行為だ。
だから今の俺は普段やっていたからといって考え無しにそんな戦いを選択すべきではなかった。ましてやこんなシールドや俺の命のかかった重要な場面で。
「グオオオオォォォォォ!」
起き上がった大熊が身も竦むような咆哮を上げる。さっきの自分なら間違いなく動揺していただろう。しかし、やることの定まった俺にとってはただのうるさい音にしか聞こえなかった。
大熊が再び走り出そうとする。しかし……俺はその前から既に動いていた。
視界が狭まり風を切り裂く音がし、大熊の後ろに立つ。遅れて大熊の腕から血が滲み出た。大熊は突如突っ込む相手を見失い、混乱している。
大熊が辺り見回し、俺の方を向くというところで再び一閃。逆側の腕にも切り傷が走り今度も俺は大熊の後ろにいた。
俺がしていることは単純。全力で走り、通りがけに爪で切り裂いて大熊の爪の届く範囲から離脱する、ただそれだけだった。
(俺にできることは気取った戦い方じゃない。この冬磨き上げた《変換》による持久力と元々持っていた速さの押しつけだったんだ)
いくら俺が二月もの間、シールドと一緒に戦ってきたとはいえそんな短期間で歴戦の技術など付いてくるはずもない。特に俺たちはできるだけ相手のペースに乗せないように立ち回ってきた。敵の良さを潰し自分たちの連携を通し完封する。二匹の連携はどんどんと磨かれていったが、個体としての技術はそれほど上がっていないように思う。
「グオオオオォォォォォ……」
何度も何度も傷を付けた。大熊が力ない声を上げる。浅いが、その分全身に走った傷が激しく動くたびに痛みを発し動きを阻害するのだろう。
しかし、大熊の目に諦めの色は無かった。それほど痩せている様子にも見えないが何故かギラついている目を不思議に思った。
+ + +
俺は大熊を動きが鈍くなるくらいには痛めつけた。傷が無いところを探すのが難しいぐらいだ。
(そろそろ終わらせるか)
襲ってきた相手とはいえ大熊の痛々しい姿にこれ以上長引かせるのは気が引けた。だから俺は一際距離を取り足に思い切り力を込めた。俺の足の周りが蜃気楼のように揺らめいて見える。
そしてそれを一気に解放するとその勢いで爪で潰した方の目を貫く。そのまま爪を限界まで伸ばし脳を破壊するとようやく大熊の目から光が失われた。
巨体が倒れ、白い雪が赤く染まる。俺はそれを見て深く息をつく。
長く苦しい戦いだった。しかし、結果的に見ればこれはいつかは絶対に経験するだろう戦いだった。シールドは分からないが少なくとも俺はシールドに多くを頼っていた。普段ならそれでいい。二匹いることに越したことはない。
しかし、今回の戦いのようにどちらかが戦えないという状況も来るかも知れない。そのときシールドはちゃんと戦えるのか、それがとても不安だった。
+ + +
光の届かない暗闇の中で何者かが呟く。
「やるじゃないか……発破をかけた甲斐があったというものだ。まぁこれぐらいは楽勝にやって貰わんと困ってしまうがな」
少し捻くれた言葉とは裏腹にその顔には微笑みが浮かぶ。その顔は成長した子を喜ぶ母親のようだった。
「特に最後の一撃は素晴らしかった。魔力で強化でもしたのかな? これなら――しても大丈夫そうだな」
喜び半分、寂しさ半分といった声色だ。
「あの甘えん坊の方は……少しだけ鍛えてから――するか。冬が明けるのが楽しみだ」
巨大な、なにかの独り言は誰の耳に入ることもなく暗闇に溶けていった。
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