第1話 プロローグ
よろしくお願いします。
「はぁ」
夜も遅い中バイト帰りの俺は、白いため息を吐きながら重い足で自転車を漕いでいた。
何もかもが上手くいっていない。上手くいっていたこと自体がそもそもあまり思い当たらないが、最近は特にそうだ。
あれもこれも俺が不器用で世渡り下手なせいだろう。
ついさっきも俺はそんな世渡り下手さを発揮したせいで嫌な目に遭った。
目をつけられているバイト先の店長に、細かい仕事のあらをあげつらわれたり、お気に入りの従業員のミスを俺のミスにされ怒鳴り散らかされた。おまけにミスの尻拭いまでさせられて22時上がりのはずが、25時上がりだ。
今はバイトの業務に不慣れなのでどちらかと言うと、自分に非がある怒られ方の方が多いが、例え俺が完璧に仕事をこなすようになったとしてもあの店長の俺への姿勢は変わらないだろう。それどころかそのうち本当に何も無くても怒る理由を無理矢理作り出されてストレスのはけ口にされそうである。
ムカつく奴は何をしていてもムカつく、というやつだ。
「クソッ……!」
自然と口から言葉が溢れた。
しかし、周りは住宅街でしかも今は夜だ。小心者な俺はブチ切れていても大声なんて出せないので小さな声しか出なかった。
代わりに自転車の漕ぎ方が荒々しくなった。
一度ついたレッテルを覆すことは容易では無い。
不快感を持たれた人に対して努力して印象の巻き返しをはかろうとするよりも、新しいバイトを見つけて人間関係をリセットする方が賢明かもしれない。
しかし、折角慣れ始めたバイトを止め、また必死に仕事を覚える日々に逆戻りするのにも抵抗がある。
それに新しいバイトを始めたとしても今回と同じように仕事を覚えるのに手間取って“使えない奴認定”を受ければまた今の状況である。というか口下手で容量の悪い俺は高確率でそうなる。
新しいバイト先を闇雲に探しても今より酷くなる可能性がある。
バイトアプリや求人広告を見ようとしても目が滑る。オススメのバイトを友達に聞こうにも数少ない友達はバイトをしていないので聞く意味が無い。
そんなこんなを考えている内、面倒くさがり屋の俺はもう今のままでいいかなと妥協してしまうのだった。
「はぁ、やめやめ。早く家に帰って録画してたアニメでも見よっと」
暗いことを考えていても気分は暗くなる一方だ。そういう時こそ、何か楽しいことを考えて気持ちを切り替えねば。
そうして俺は明日の講義がしんどくなることが分かっているのに、自ら負の連鎖に陥る不毛な計画を立てた。そのまま空元気気味にルンルンで横断歩道に差し掛かるとその瞬間、何かが俺を乗っていた自転車ごと跳ね飛ばした。
考え事をしていて視野が狭まっていた俺は、突如起こった事態に声すら上げられず、意識を手放した。
+ + +
「はっ! はぁ、はぁ……?」
俺は悪夢から覚めたかの様に汗だくの状態で飛び起きた。
(あ、あれは……夢だった、のか?)
確か俺は、バイトの帰り道で何かに跳ね飛ばされた。
状況的におそらくだが、車に跳ねられた……のかも知れない。
夜のあの道の車通りは少ないが、通らないことはない。車側の信号も深夜からは点滅するだけで赤信号にならないので飛ばしているやつも少なからずいる。考えれば考えるほどあり得そうな状況証拠が出揃っていくが、一切傷を負っていない自分を見るとやはり夢だったのかと思う。
しかし、夢にしてはあまりにもリアルな衝撃や感触を思い出してしまい震えが止まらなかった。
それでも何とか乱れた息を少しずつ沈めて、冷や汗を袖で拭いながらようやく周りを見るとそこは目が痛くなるほど真っ白でそして何も無い現実味のないおかしな場所だった。
どこまでも続いているような、手を伸ばせばすぐ届いてしまいそうな……目がおかしくなってきた。
何がどうしてこんな場所に居るのかと途方に暮れていると、すぐ後ろから声が聞こえてきた。
「目が覚めたようじゃな」
「――――!?」
声の方に振り向くと、突然誰も居なかったはずの空間に眩い光を伴いながら何者かが現れた。光が収まり、目を覆っていた手をどかすと、そこにはそれ自体が輝きを放っているように錯覚してしまうほど純白でシミ一つ無い服を身にまとい、長髪と立派なひげを生やしたお爺さんが立っていた。
不意を突くかのように見知らぬお爺さんが登場したことで、心臓が大暴れしていたが、普段から反応が表に出にくい俺は目が僅かに見開かれるのみだった。
その事が目の前のお爺さんには少し気に入らないようだった。
「驚かないんじゃな」
「いや、ちゃんと驚いてますよ」
「そうか、驚いておったか! それなら良い」
何が良いのかは分からないが素直に驚いたことを伝えるとお爺さんの機嫌は良くなった。
いたずら好きなのだろうか?
「えっと、それでここはどこで、あなたは誰なんですか?」
現実味のない真っ白な空間とそこに現れたお爺さんを見て当然起こるであろう疑問をぶつけると、
「ここは転生の間で、ワシは神じゃ」
創作物でしか聞かないようなことを真面目な顔で返された。
何を馬鹿なことをと鼻で笑いそうになったが、思い留まった。
目の前の人? はこのドアすら見当たらない空間に前触れも無く突然現れた。
得体の知れないこの状況下で唯一の情報源であるお爺さんの機嫌を無駄に損ねてしまうのは不味いかも知れない。
(例え頭のいかr……頭が少しファンタジーなお爺さんでも話を合わせよう。本当に神様かもだし)
「うむ、賢明な判断じゃ。しかし、頭がいかれてるを頭がファンタジーに思い直したところで失礼なのには変わりがないと思うのじゃが……」
(心が読まれてる!?)
急に心中を言い当てられて心臓が止まるかと思った。正直失礼なことを考えていた自覚はあるので俺は再び全身に嫌な汗をかき始めていた。失礼をしないようにしようと考えた矢先にこれである。
しかし、表情の変化に乏しい俺じゃなくても見た目から判断して考えていた言葉の一言一句を言い当てるのは流石に難しいはずだ。
神様であるというのも本当のことなのかもしれない。
「まあ口には出さんかったから今のは大目に見よう。ワシは人の心が軽くなら読める。深層心理までは本気を出さんと無理じゃがな。さっきもお主が本当は驚いていたのも知っておった」
じゃあわざわざ聞かなくてもよかったんじゃと思わないでもなかったが、失礼なことを考えていても許してくれた寛大な心には感謝しておいてとりあえず話を進めることにした。
「どうして俺……僕は転生の間に居るのですか?」
「俺でけっこうじゃよ。お主はトラックに跳ねられて苦しむ間もなく死んだ。ここに呼んだのはお主が転生するにあたって問題が無さそうか確かめるためじゃ」
頭が殴られたようだった。転生という言葉を聞いた時から薄々感付き始めてはいたのだが、即死だったらしいせいか全く死んだのが実感できなかった。
あの突然横から来た衝撃は夢ではなかったのだ。
「ショックを受けたようじゃな。まあ無理もない人生これからというところで死んだんじゃからな。立ち直る時間ぐらいは待ってておいてやろう」
頭を色んなことがよぎった。
そうして色々考えてみて驚いていたことは自分がそれほどショックを受けていないことだった。
(あれ? 何か無いか後悔している事とか!)
逆に少し寂しいかなとしか思っていない薄情な自分に焦り始めていると、
「もう大丈夫みたいじゃな。というかお主立ち直るのが早いな」
神様が俺が気持ちを持ち直したと判断し、話しかけてきた。
「ま、まあもう大丈夫です」
変な理由で悩みそうにはなったが、これは親や兄弟、友達に会えなくなりしばらくしてやっと喪失感やありがたみに気付くことができるのだと考えた俺はそう答えた。
「そうか、では問答を始めよう」
神様は神妙な顔付きでそう言った。
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