小説を書くという事は夢を綴るという事である
こんにちは、はじめましての方ははじめまして。
登録してから半年もたつのに、未だに長編を出さず、短編と詩を少しだけだして満足している人、アカリです。
今回は最近設定に行き詰まってしまったので気分転換にエッセイを書きました。
タイトルの通りの事を話していくつもりですが、宜しければ最後までお付き合いください。
さて、早速本題に入りますが、皆さんは小説をなぜ書くのでしょうか?
評価が得たいから?
書籍化したいから?
欲求を満たしたいから?
恐らく色々出てくると思います。
そういうものは人それぞれですからね。
そこに私がとやかく言うことはありません。
因みに私としては小説を書く理由は三つ目の欲求を満たしたいからが一番近いですかね。
自分の読みたい作品がないのなら自分が作れば良いんじゃない。
そんな感じの欲求です。
まぁこの通り私達がなぜ小説を書くのかはもう一度言いますが個人個人理由があります。
では次にそんな皆さんに聞きたいことがあります。
『小説を書くということはどういことか』、です。
この質問、結構難しいと思いませんか?
なぜならこの質問は『書く理由』ではなく『書く事の意味』を問おうとしているのです。
普段皆さんは欲求のままに小説を書いていると思いますが(欲求無しには人間は行動できません)、その動作の意味については案外無意識なものです。
もしかしたら書きたいから書く、それが小説を書く事の意味じゃないか、と思われる方もいるかもしれません。
しかし、ちょっと立ち止まって、食事について考えてください。
皆さんは物を食べるとき食べたいから食べてますよね?
しかし、その行為にはちゃんと意味があって、生命活動を維持するためですよね?
しかもそれは人間にとって必要なことです。
これを無くしてしまえば忽ち人間は生きることができなくなってしまいます。
それに対して小説を書くことについて、書きたいから書くで意味付けすることは少し無理があると思いませんか?
だって別に生きるためには必要ないですから。
つまり本質的には人間には小説を書く事の意味は無く、小説を書く人は無意味な行動をしているわけです。
(といっても趣味に限っての話ですけどね。商業的ならお金を稼ぐために書くという意味があります。)
しかし、私達はそんな無意味な事に時間を割いているだけだとは思いたくはありませんよね?
私だって嫌です。
では、どうしたら小説を書くことに意味を見いだせるのでしょうか?
それを私は考えました。
考えて考え抜いた結果、一つの結論が出ました。
それは『小説とは夢を綴る行為である』と考えることです。
よくよく考えれば小説を書くことは自分の中にあるものを外に出したいという欲求から生まれでてくるものです。
実は書きたいから書くも意味は無いけれど人間の欲求として立派なものでした。
そしてその欲求自体はよく考えれば『自分の夢』そのものなんですよ。
何かをしたい、何かをやりとげたい。
そんな気持ちが小説を書くというやる気に繋がります。
そしてそれは自分の夢だからこそ本質的な意味がないのです。
夢は現実のものではなくあくまで想像のものです。
いつも叶うとは限りません。
夢見がちな人は指を差されて笑われます。
現実的ではありませんから。
しかしそれがなんですか?
私達は小説家です。
夢の綴り手なんですよ。
誰かが何かを言ってきたって自分の夢があるから私達はそれを綴るだけなのです。
それで何かに怯えて途中で止めてしまうのは勿体ない。
夢は叶えるまで夢のままです。
逆に夢を叶えなかった人々にその先が見えるわけないじゃないですか。
夢の綴り手ならばしっかりと最後まで夢を追い続けるべきです。
今、もしも皆さんのなかに自分の夢に自信が持てない方もいるかもしれません。
ですが自分の夢に自信が持てないのは一番駄目です。
夢があるなら最後まで自信をもってそれに向かって駆け抜けなさい。
途中色々落とし穴や脇道もあると思います。
しかし、絶対に自分の夢には辿り着く強い意思を持ちなさい。
何度も言いますが私達は小説家、夢の綴り手です。
夢を書き出す人として誇りをもって夢を追いかけてください。
最後まで諦めなかった人が勝ちです。
以上。ご拝読ありがとうございました。