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一話飛んでいたので割り込みです。すみません。
すっかり日も暮れ肌寒くなって来た頃、ようやくスレイプニルに動きがあった。
その頃にはもうリスから解放されていたホルンだったが、来る前より若干やつれたかと錯覚する程満身創痍な状態であった。
スレイプニルが小川を離れ森に向かったのを確かめると、二人も荷物をまとめ一定の距離を開けつつ見失わないように後を追った。
しばらく追いかけ到着した場所は何の変哲も無い森の一角。他の木より一回りか二回り程大きな、低い位置で二股に分かれた木の下でスレイプニルは再び腰を降ろし毛繕いを始めた。
その木の周りは少し土が掘り返され小川と同じような状況になっている事から、スレイプニルは普段からここで良く休憩をとっている事が伺える。
スレイプニルはそこに腰を降ろすと、小川にいた時よりもゆったりとし動かなくなってしまったので、ザミラとホルンもここで夜を明かす事にしたのだった。
*
周囲の小動物達も眠りにつき少し経った頃だろうか、粗朶を拾い手早く火を熾したザミラが布膳に続き取り出したのは小さな包み。
「これは?」
「これはカーゴ。小さなオシグルをサッパでしめた物ですよ。贅沢にオシグルの卵とか根菜を入れても良いんだけど、これだけでも十分。肉はいつでも狩れるけど、これも長距離の移動をする時は持って行きますね」
「オシグル……」
数枚の木の皮を丁寧に剥がしていくと、現れた物は小さな木の椀に並々詰められたオシグルと呼ばれた魚の切り身。
それを広げた布膳の上に置いたザミラが再び何かを探し鞄を漁り始めたので、ホルンは恐る恐る木の椀に顔を近付ける。
王都にはあまり魚は流通しない。その為ホルンはあまり魚を食べた経験が無かったのでどんな物か興味があったのだ。
木の椀に顔を近づけるとつんとする匂いが鼻を抜けむせそうになり、慌てて呼吸をとめた。
「この魚、良く食べるのですか?」
どうにかむせるのは堪えたが、思いがけず声が裏返ってしまった。
「あ、気をつけて下さいね、サッパで漬けた物だからかなり酸っぱいですよ。王都では魚ってあまり食べないんでしたっけ? 食べた事無いですけど王都に献上されるイと一緒に食べると、それはもう絶品らしいですよ」
木製のフォークを布膳の上に並べ、重ねてあった一番大きな器を取り出しながら、ザミラはふと思い出したように答えた。
ホルンはカーゴこそは見た事は無かったが、イは知っている。以前は王都の一部の人間のみ食す事を許された穀物だった。
確かに言われてみれば、ふんわりと柔らかく炊いたイはほんのりと甘く、あまり味を主張しないものだがカーゴと併せて食べれば酸味も緩和され食べやすいかもしれない。
そんな事を真剣に考えていたせいか、以前王宮で料理人がイを炊いている姿を思い出し、無性に食べたい衝動に駆られて来た。
ホルンがそんな事を考えつつぼうっとカーゴを眺めていると、いつの間にかザミラは先程取り出した大きな器の中で何かを力強く捏ね始めていた。
「今度は何をしているのですか?」
「摩り下ろしたエリ芋にククルを混ぜてお餅を作ってます。しっかり捏ねて焼けば腹持ちも良いし、ほんのり甘くて美味しいんですよ。イも甘いって聞くし、合うんじゃないかなーって思って。いつもとはちょっと作り方も違うし外では手間だけど、時間ならたっぷりあるし丁度良いなって」
捏ね始めたばかりの器の中は、まだぼろぼろと細かな塊が幾つか点在した状態。
これを一つの塊になるまで捏ねて、それが終わったら次は焼く。確かに外でする食事にしては手間がかかる。
だが一日中スレイプニルの観察の為、自然と一体化している今の二人には有り余る時間があった。
ぎゅっぎゅっとザミラが餅を捏ねる音と時折ぱちりと爆ぜる薪の音、火の横に置いた湯沸しから聞える湯の音だけが静かに二人の間に響く。
少し離れた場所にいるスレイプニルは二人の事など気にしていないのか動く気配は見せない。
ほぼやる事も無く座りっぱなしだった二人だが、王宮に付いてすぐ休憩も取らずここまで来てしまった為か、さすがに二人共疲労の色が顔ににじみ会話もゆったりとしたものだった。
熾った火の中に平たい石を置き、千切って丸めた餅を乗せ少しすれば、薪とは違う、香ばしい香りが鼻をくすぐり始めた。
ザミラは拾った小枝で器用に餅を反していき、最初に焼けた餅を一つ手に取ると、ぱっぱと手早く炭を掃いホルンの目の前にとんと置く。
ホルンも手伝いもせずただ眺めていただけの自分が先に頂いてしまうのはさすがに気が引ける。
だがザミラがあまりにも自然とそうするので、そんな思いを口にするのが無粋な気がし、小さく頭を下げてからはふはふと遠慮なく一口かぶりついた。
食感は芋の様にねっとりとしているか、ククルの様にぼろぼろしているかのどちらかと思っていたのだが、良く捏ねたお陰か、思ったより弾力がある。
かぶりつき食い千切ろうとするも、これがまた良く伸びる。子供の様に腕をめいいっぱい伸ばし、ようやく千切れたかと思うと、今度は伸びて千切れた餅がぴたっと唇と顎に張り付き、熾った火を押し付けられたかのような激しい熱さにたまらず声を上げそうになった。
ほっほと息をつき口内の熱を逃がしながら必死に顔に張り付いた餅と格闘していると、ついに耐え切れなくなったザミラが肩を揺らして笑っているのが視界に入った。
焚き火に照らし出されたザミラの顔はほんのりと赤く、きっとホルンの顔も赤く染まっているだろう。
「……このお餅、カーゴより蜜をかけて食べてみたいものです」
じりじりと傷む顎の火傷をさすりながら苦し紛れに言った言葉だったが、言ってみてどうにも子供じみた響きに、言ったホルン自身もつい笑みが浮かぶ。
「そうですね。いつもより上出来なのは良いけど、これなら甘い方が美味しいかも。蜜だけじゃなくて、蜜に漬けた木の実を入れても面白いかも」
蜜に漬けた木の実と餅。
あつあつに焼けた甘く香ばしい香りのする木の実と餅はさぞ美味しいだろう。
各々そんな事を考えていたのか、二人揃ってくうとお腹がなってしまった。
「夜食だから簡単にって思ってたけど、団子にして汁物に入れれば良かったかも……」
「それは素敵な意見ですね。私も手伝いますので次回は是非そうしましょう」
夜に男女二人だけで焚き火を囲う。普通だったら良い雰囲気になっても良さそうな所なのだが食欲が優先の残念な二人。
仲良くスレイプニルを眺めながら餅を口に運ぶ。
火があるからかスレイプニルは時折二人の方に視線を向け何かを確認している様な仕草が見受けられるが、やはりそれ以上動きがあるわけでもない。
「野草のククルは実をつけないと聞きますが、このククルの実ならスレイプニルも食べるでしょうか。イや高山麦も持って来ていれば良かったのですが」
二つ目の餅を頬張っていたホルンが、スレイプニルに視線を向けたままぽつりと呟く。
まだ粉にする前のククルの実は残っているので実験する事は可能だ。それにイは無いが、ククルの他にエリ芋もある。さすがにサッパで漬けたオシグルは食べないと思うが、生のオシグルならどうだったのだろう。
ホルンがそんな考えを巡らせていると、ザミラは餅を銜えたまま自身の鞄の中から小袋に入れたククルを引っ張り出すと、そのまま四つん這いの姿勢でゆっくりとスレイプニルに近付いて行った。
自身で言っておいてなんだが、即実践されると思っていなかったホルンはどうして良いか分からず酷く気を揉んでいた。
布膳の上に座った状態だったので、靴も履かずにずるずると進むザミラ。
ザミラが三・四歩進んだ辺りでスレイプニルもそれに気付いたのか、徐々に近付いて来るザミラに視線を向けている。
慎重に一歩一歩進み、丁度折り返し辺りに差し掛かったと思った矢先、スレイプニルが姿勢を正した。
その瞬間、ザミラはスレイプニルを刺激しないように低い姿勢を維持したままぴたりと止まった。
ホルンは、ザミラが考え無しの無鉄砲さで行動したわけではなく、しっかりと状況を観察出来ている事が分かり、一先ず胸を撫で下ろす。
しばらくそのままの姿勢を維持していると、スレイプニルは緊張を解いたのか、ザミラから視線を外し毛繕いを始めた。
するとザミラは再び前進を始めたのだ。
まだスレイプニルと会って半日しか経っていない、お互いにまだ緊張した状態だというのにも関わらず、ザミラは臆する事なく進んでいく。
先程の地点よりまた三・四歩進んだ辺りで、スレイプニルが毛繕いを止め立ち上がった。
するとザミラはそこが今の限界と悟ったのか、ククルの入った袋を開けると袋のままその場に置き、スレイプニルから視線を外さずずるずると後退しはじめた。
そのまま後退していき布膳まで戻って来ると、手と膝、引き摺った所に付着した土を静かに払い落とし何事も無かったかの様に湯沸しに手を伸ばし、夜食の続きをとりはじめた。
スレイプニルの捕獲や育成方法等は全面的にイヴァンとザミラに任せる事にしているホルンは、相当危険な事ではない限り口を出さないと心に決めていた。
だが、いざそういった場面に出くわすと動けないどころか声すら出す事が出来なかった。
目の前で何事の無かったかのようにお茶を飲み追加の餅を焼き始めたザミラを眺めながら、はたしてどうやってこの人を制御し守ったら良いか、もしかしたらスレイプニルの捕獲との両立は不可能なんじゃないかと言う思いがよぎり始めていた。
「あ、見て見てホルンさん。綺麗にお餅膨らんだ」
「えぇ、見事に膨らみましたね……」
ホルンは目の前に置かれた焼けた餅と、袋を興味津々に眺めていたスレイプニルが袋に鼻先を突っ込みククルの実を咀嚼しだしたのを交互に眺めつつ、今年一番の複雑な溜息をついた。