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「さて、到着しましたがこれからのご予定は?」
森の入り口で馬車を見送りながらこれからの行動を話し合う。
王都からさほど遠くない森だが、基本的に王都から北の方角はあまり人の手が入っていないらしく、そこはザミラが想像していたよりうっそうと緑が生い茂った薄暗い森だった。
道から外れ過ぎれば迷う恐れもあるが、だからと言って森の入り口で待っていても意味が無い。
ザミラは目の前に広がる森をしばし眺めた後、森沿いの崖に視線を向ける。
そこは崖と表現するよりも、少し傾斜のある平野が続いていると言った方が良いだろうか。森から平野に連なる小川は緩やかな曲線を描きながら王都の方角まで続いている。
「んー……一先ず川沿いに森の中に入りましょうか。川を下れば戻れるし、旅先で水場は近いにこした事はないですしね」
斜めがけの鞄を肩からかけ背中に弓矢を背負ったザミラは、小川を指さしながらホルンにそう告げると、許可を待つように無言のままホルンを見上げる。
「そうですね。次回来た時の目印にもなりそうですしそうしましょうか」
ホルンはザミラが指さす方を眺めそう返事をすると、荷物を背負い直し小川沿いを進み始める。
「あれっ? ホルンさんって本当は視力悪くないんだ? その眼鏡は見かけだけ?」
「また移動中質問攻めですか? ですが、どうしてお分かりに? おっしゃる通りこれは見かけだけです」
ザミラに合わせゆっくり歩き出したホルンの隣にザミラが並んだ瞬間、ホルンの前に身を乗り出すと繁々と顔を見上げながら突如不思議な事を言い出す。
「なんか隣に並んだ時の目の動きと顔の動き? が、うちに居た目の悪い馬とは違ったから」
「私を動物として観察するのは止めて頂きたいのですが……。宰相をしていると、時々ですがこの瞳の色が邪魔になる時があるんですよ。ですので王宮の外では眼鏡をかける様にしています。レンズに色をつけてみようかとも思ったのですが、余計怪しくなりそうでしたのでこれで妥協しました」
そう言うとホルンは苦笑いをしながら眼鏡を外し、片手でひらひらと木漏れ日の中にかざす。
確かに眼鏡を外したホルンの瞳は、外す前よりも少し明るい色彩の紫だった。眼鏡の有無で大分印象が変わって見える。
眼鏡の下に潜り込み必死に見上げながら歩くザミラだったが、必死になりすぎて口が半開き。流石のホルンもたまらず眼鏡をザミラに渡し、ザミラから視線を外し必死に笑いを堪えていた。
「本当にただのレンズだー……って、勢い余って眼鏡かけちゃったけど、素人目にも高価な物って分かかかか」
ザミラは何の気なしにかけてしまった眼鏡の値段に気付いてしまい、外したくても外せなくなりたまらずホルンの服を鷲掴みにする。
正直な話、眼鏡もだが今ザミラが全力でしわくちゃにしているホルンの服も、実は軽々しく作業着にして良いような物ではない分類なのだろうが、流石にそこはホルンも秘密にしておく事にした。
「ふっふふふ……。ザミラさんのその、やってみてから後悔する性格結構好きですよ。度の入ってない眼鏡なんですから壊れたって構いませんよ。城内業務中は意味が無い物ですし。それにしても、元遊牧民の家系だけあってザミラさんは弓が使えるんですね。食料も街ではなく狩りでですか?」
服を掴んで放さないザミラの顔から眼鏡を外し回収すると、流れるようにザミラの背負う弓に視線を向ける。
良く使い込まれた小さめの弓と矢。それと今までホルンは気付かなかったが、弓矢の他にザミラは少し大きめの鉈の様な刃物を腰にさしていた。
ザミラは弓を降ろすと無造作に片手で振り回すと、弓をつがえる真似をする。
「勿論使えますよ! こう見えて馬に乗ったままの追い物射も得意なんですよ。肉は街でも買いますし獲った獲物を売りに行く事もありますし、一概にはなんとも。でもククルとか高山麦を買いに街には良く行きましたよ! エリ芋は家で作ってたんですけどククルは――」
「ククル? エリ芋?」
「えっ? ククル知らないんですか? 王都じゃ食べ……家柄かしら」
完全に立ち止まり小首を傾げ不思議そうにザミラを見るホルンを、同じく立ち止まり不思議そうに見上げるザミラ。
王都うんぬんよりもあまりにも育ちが違う為か、と思いながら、ザミラは自身の鞄からいくつか刺繍の入った小袋を取り出すと、ホルンの前で開いて見せた。
「この小指の先位の丸い実、これがククルの実ですよ。私の家では乾燥させて粉にした物を練って焼いた物を【ククルパン】って言って、ほぼ毎日食べてました。シンプルに塩と水で練っただけなのでぼそぼそぼろぼろな食感なんですけど、バターとか乳を入れるともっとしっとりするんですよ。それはさすがにたまーーーにする贅沢って感じですかね」
そう言うとザミラはもう一つ袋を開け、手の平にころんと乗る一口大位の少し淡い琥珀色の長方形の物を取り出し、ホルンの顔の前に差し出した。
鼻にふわりと香るかすかな香ばしい香り。ザミラの手にぽろぽろと付着した細かな粉を見る限り、先程ザミラが言っていた通りのぼそぼそとした食感が想像出来る。
ホルンが目の前に差し出されたククルパンを繁々と眺めていると、ザミラは更にぐいっとホルンの顔にククルパンを近付ける。
一度ククルパンからザミラに視線を移したホルンだったが、またすぐ視線を戻すとそのまま目の前のククルパンを一口齧った。
「エリ芋はまぁ……お芋です。生だとちょっと粘りが強いんですけど火を通せばほくほくして主食にもなるんですよ。イヴァンはククルパンよりエリ芋のが好きらしいです。どっちも長期保存が出来るので狩りや旅には必ず持って行きます……って、ホルンさん大丈夫ですか?」
もぐもぐとククルパンを租借していたホルンが水筒を銜えたまま動かなくなった。
ククルの実とククルパンを鞄にしまい、次にエリ芋の入った袋を開き説明していたザミラだったが、さすがにこれにはザミラもゆっくりと小首を傾げながら水筒の隙間からホルンの顔を覗き込む。
「す、凄いですねククルパン……。少量口に含んだだけでしたのに一気に口の中に広がって、更に水を飲むとその水分を含んだ細かい粒子が喉に詰まって詰まって……。粉にするのは初めて見ましたが、同じ物は王都にもあります。どうやら名称が違うようですね」
元々色白なホルンの顔をうっすらと青白い気がする。
実は今渡した物はザミラが出掛けに急いで作ったせいか、普段よりあまり捏ねずに焼いたククルパンで、本来だったらぼろぼろとはしているが水やスープ等口に含めばすっと溶けて無くなってしまう物であり、そんなみっちりと喉に詰まる土石流のような物ではない。
うっすらと思い当たる節があるザミラはそっとホルンに追加の水筒を手渡しつつも、失敗した事は絶対に言わないでおこうと心に決めた。
「でもこんな出先で慣れない物を王子様に食べさせちゃいましたけど、大丈夫です? 私、後から色々な人から怒られません?」
「ですから王子様でしたが今は王子様じゃ……そう言えば料理人の作った物以外を口にしたのは初めてですね。出先でも従者が毒見をしてましたし。毒見も無くテーブルや椅子も無く立ったままカトラリーも無い食事。私は新鮮で楽しいのですが……バレたら二人共色々な人に怒られる気がしますね。黙っておきましょう」
ホルンが真顔のまま明後日の方向を向きそうはっきりと決断したので、ザミラは何も言わずその意見に賛同した。
おそらくホルンが突如森に同行すると言い出したせいで、諸々の関係者は魔物や寝具等に気を取られ毒見やら何やらまで気が回らなかったのだろうと推測される。
そもそもそんな難しい立場の人が従者や護衛を付けずふらりとここまで来るのが問題なんじゃないか等々、ザミラには色々思う所があるがその辺は散々馬車の上で言い合ったので今は目を瞑る事にした。
そんな会話を繰り広げていると、少し開けた水場にたどり着いた。
緩い弓なりになっている為か先程までよりも小川は浅く広く、木々が開けているお陰か日も差し込んでおり休憩するには丁度良い場所であった。
ザミラとホルンは一先ずそこに荷物を降ろすと、各々周囲をくまなく見渡し観察する。
小川の周りの土は小川に向かって傾斜がつき、ぼこぼこといくつか掘り返されたような跡が確認出来る。いくつも跡が重なり一部泥になってしまっている為、それが何かの足跡なのか掘り起こされた物なのかは判断出来なかったが、確実に何かの動物が頻繁にこの水場を利用しているのは分かる。
小川の反対側は小高い崖となっていて、一先ず向こう側から魔物や動物に襲われる事は無さそうだ。
ザミラが小川の周辺を確認している間、ホルンは手近な場所で粗朶を拾い集めつつ、森の中に残った足跡が無いか確認する。
「ホルンさーん! 休憩しましょうよー!」
一通り小川の周りと確認したザミラが、小川のそばの手頃な木の下を整地し、そこに刺繍を施したしっかりした大きな布を敷きホルンに呼びかけ、再び整地と荷物整理に取り掛かる。
ホルンが森の中から粗朶を持って戻って来た時には、ザミラはブーツを脱ぎ布の上で寛いでいた。
「こんなしっかりとしたラグを持って来ていたんですか。随分見事な刺繍ですが、地面に敷いてしまって良かったんですか?」
ホルンは森の中で大声を出さない、とザミラに小言を言うつもりだったが、大人が二・三人座っても余裕がある位の大きな布の上に置かれた湯沸しや菓子盆に盛られたククルパン等、少し目を放した隙に出来上がっていた小さな部屋を、呆然と突っ立ったまま見下ろしていた。
「ラグなんてしっかりした物じゃないですよー。適当に買って来た布に刺繍をしただけのただの携帯布膳です。うちは遊牧民だった頃の名残かどうか分から無いですけど、自宅で食事をする時もこうやって皆で布膳に座布団を敷いて座ってました。一応持ち出す時に洗って来たんで綺麗なはずですからどうぞどうぞー。気になるならブーツのままでも良いですよ」
「いえ、ちゃんと脱いで上がらせていただきます。では、失礼して……」
ホルンは粗朶を適当な場所に纏めて置きブーツを揃えて脱ぐと、布膳の上にちょこんと正座をし、目の前の刺繍を指でなぞりながら物珍しそうに布膳の隅々まで視線を這わせる。
ホルンが座ったのを確認したザミラは、ホルンが集めた粗朶の中からを二・三本適当な物を拾いあげると、布膳の脇の砂利の上で手際良く火を熾し湯沸しをそばに置き湯を沸かし始めた。
ザミラが焚き火に薪を追加しようとするも丁度良い大きさの物が無く、丁度荷物の山の上に無造作に置かれたままだったホルンの双剣が目に留まりそれに手を伸ばすも、瞬時に先程の眼鏡の事を思い出したのか、ゆっくりと手を引っ込めると死んだ表情で自身の鉈を荷物の山の下から引っ張り出していた。
「近年他国の影響を受け始めているとは言え、王都周辺でこういった物やその服装は見た事無いですね。私の服などは昔から様式は変わって無いですし……まぁその話は追々。この後はどうしましょうか、このままここで少し様子を見ますか?」
先程ザミラが用意していた茶器に、ホルンが自身の荷物から取り出した茶葉を入れる。
正直ザミラの茶器はホルンが普段使用している物とは様式は違ったが、まぁ問題ないだろう気にせず茶葉を入れながら今後の予定を伺う。
焚き火の世話と湯沸しの位置の調整をしていたザミラは、唸りながら周囲をぐるっと確認し、眉間にシワを寄せながらホルンに視線を戻す。
「全く何も考えて無かったです」
「左様で御座いますか。ではお茶を頂きながら考えましょうか」
「あ、出た『左様で御座いますか』。ホルンさん怒ってる」
「怒ってないです」
緊張感と計画性の無いザミラに何故か突っ込まれつつ、ホルンは現実逃避を兼ね、ゆったりとお茶を頂く事にした。





