不器用
ちょっと短い先王様のお話。
もはや恒例になった王妃教育からの逃走。
ザミラはいつも通り昼前に一度目の逃走を図り、ホルンの執務室を目指していたが、意外な人物から呼び止められた。
「そこの動の母神、こっちだこっち」
「へっ? ……何してるんです先王様」
侍女に見付かったのかとびくりと体を震わせたザミラだったが、振り返ると廊下の脇に置いてある人の背丈程の花瓶の裏にしゃがみ込み、必死に手招きする先王の姿があった。
以前ザミラはライアンに運ばれ先王と謁見した事があるが、その時に感じた威厳やら何やらは微塵も感じない。むしろ何か悪い事をした後のレオの様な小動物っぷりでザミラ呼んでいる。
そのせいか、全く警戒心を抱く事無く、ザミラは先王に習い花瓶の裏にこそっとしゃがみ込む。
「どうしたんですか? ホルンさんに伝言?」
何故かザミラを呼びつけておいてもじもじと気まずそうにしている先王に、痺れを切らしたザミラが口を開いた。
するとようやく先王は顔を上げたが、何故か情けない程に目尻を下げ、ふにゃっと力の無い笑みを浮かべた。
「色々言いたい事はあると思うが何も言わず聞いて欲しい。……その、ファティを……触らせてくれないだろうか?」
「あ……はい、どうぞ」
先日、先王とランスはイヴァンからマンドレイクを貰ったが、その直後ホルンに没収されていた。
それでファティを触りたい、と言うのは分かるが、正直さっさと二人とも腹をくくってホルン本体を可愛がれば良いのにと言うのがザミラの本音だ。
まぁそんな事を今言える訳も無く、大人しくファティを差し出す。
「おぉ……ホルファティウスにもこんな頃があったな。ここまでころころと笑顔を振りまきはしなかったが」
「マンドレイクは構ってくれる人が大好きですからねー。ホルンさん本人は一人でもだいじょ、うぶそ……う……」
自分で話ながら何度目かの墓穴を掘ったザミラがその場にぼてっと倒れ込むも、先王はファティに夢中。
ファティの頭を撫でれば嬉しそうに目を細め、腹をさすればくすぐったいとばかりに小さな笑い声をもらす。
徐々に先王の顔が緩んでいき、気付けばホルンそっくりの柔らかい穏やかな笑みを浮かべていた。
「ホルンさんって目元と口元は先王様似なんですね」
「そうか? どれ、同じ顔で抱き締めてやろう」
「あ、それは大丈夫です」
ホルンと同じにやりとした笑みで冗談を言う辺りもそっくりだ。
「うわ……二人とも何して……」
そんなやり取りをしているとひょっこりとイヴァンが花瓶の裏を覗き込んで来た。
早々に覗き込んだ事を後悔しているのか、もの凄く引きつった顔で、自身の周りに浮かんでいるマンドレイク達を撫でている。
「ねぇイヴァン、ホルンさんって、一人でも平気なのかかかかかかかかか」
「静の母神、レイを触っても良いだろうか?」
二人揃ってイヴァンに縋るようにずるりと花瓶の裏から這い出すと、思い思いに口を開く。
しかしイヴァンは一瞬固まった物の、もう状況を受け入れたのか先王にレイを渡し、屍一歩手前のザミラの背中を無言でぽんぽんとさする。
しばらく満足そうにファティとレイを撫で回す先王を眺めていたイヴァンは、何かを思い出したように周りに浮かんでいるマンドレイクを一株手に取る。
イヴァンは慣れた手つきでマンドレイクをレオの姿にすると、目を丸くしている先王の手の中にぽいっと投げ込む。
「ここまで揃ったらレオも欲しいよな」
三体のマンドレイクを顔に貼り付けた先王は、徐々に体を震わせたと思うと次の瞬間、ぽろぽろと泣き始めてしまった。
「酷い扱いをした私にここまでしてくれるとは……」
突然泣き始めた先王にどうしていいか分からず、イヴァンとザミラは目を丸くし固まってしまったが、先王にくっついていた三体が必死に涙を拭い始めた。
自身の子どもの現し身達が必死になって涙を拭ってくれる状況に、先王の涙は更に勢いを増してしまう。
「イヴァンさんにザミラさん? そんな所で何をして――」
「よーホルーン、仕事の息抜きに空の散歩をプレゼントしてやるよー」
タイミング良く現れたホルンに、イヴァンが抜群の対応力をみせる。
ホルンをひょいっと肩に担いだイヴァンは、廊下の反対側まで移動するとがっと窓枠に足をかける。
ホルンはいきなりの事で対応出来ず、手に持っていた書類の束をばさりと落としてしまった。
「はっ!? いえ、本当に結構ですからっ! って、父上何故泣いて――」
「この書類侍女さん達に渡しておくねー。あとはえーと、お餅を作っておくから散歩から戻ったら皆で食べましょ? じゃ、いってらっしゃーい」
ホルンは思い切りイヴァンの頭を鷲掴みにし抵抗するも、何ともしまりの無いザミラの声が耳に入るとほぼ同時に窓の外に跳び出していた。
ザミラは床に散らばった書類を拾い集め、跳んで行く二人に手を振る。
先王もザミラの隣で跳び出して行った二人を眺めていたが、目を細めふっと笑みを浮かべた。
「久し振りに【父上】と呼ばれたよ。其方達が来てから何もかも変わって来た。良い方向にな。身から出た錆だと諦めていたが……いや、何でも無い。呼び止めて済まなかったな」
言いかけた言葉を飲み込んだ先王は自嘲気味に笑うと、ザミラの頭にレイ達を置き用件は済んだとばかりに歩き出す。
しかし先王が背中を見せた瞬間、ファティがその後頭部に思いっきり突っ込みそのまま貼り付く。
そして先王が体勢を立て直す前にレイとレオマンドレイクが時差で突っ込み、見事先王を廊下に押し倒した。
頭に貼り付く三体を剥がすに剥がせない先王の前にザミラがひょいっと顔を出す。
「今からお餅作るので人手と場所を確保しなきゃいけないんですけど、先王様ってこの後忙しいです? メルとレオも巻き込んで皆でお茶しませんか? イレーネ様は……ほら、私今逃走犯なのでアレですが、レオがお餅好きなんで皆で作って食べましょうよー」
返事をまたずザミラが先王の腕を引っ張ると、レイ達も真似する様に髪や服の端を引っ張り出す。
強制的に立たされた先王が何か言いたげに口を開くが、先に言葉を放ったのはザミラの方だった。
「と言うか先王様と一緒なら王妃教育から逃げてても誰も文句は言えないはず! ホルンさんの所に逃げても最近また忙しそうであまり長居出来ないんですよねー。なので持つべきものは隠居した権力者! 要はおとーさん完璧良い物件! 今後はおとーさんの所に逃げ込もうと思います! ですので今からお餅を使っておとーさんを餌付けするのです! ついでに父子仲も取り持とうという下心もあります!」
「あぁそうだな、その理論なら私は完璧に良い物件だな……。……では、私は何も聞かなかった事にして茶会に呼ばれよう。ホルファティウスの渋い顔を見ながら飲む茶は面白そうだ。それと、これはひとり言なのだが、今はどうか知らないがホルファティウスは子どもの頃蜜漬けにした物が好物だったな」
「女子力……! こっそり養蜂を始めようかな」
見事ザミラの勢いに陥落した先王は、心底呆れ顔ながらもどこか嬉しそうにファティを撫でている。
その後予定通り、メルとレオを誘い不思議な四人で大量の餅と茶菓子作り上げた。
この日からすっかり茶菓子作りにはまった先王が、数日おきに作っては官僚や侍女達に配りまくる不思議で心温まる光景が見られるようになった。
当初、ホルンは信じられないとばかりに引きつった顔で【太らせたいのか】や【頭でも打ったか】と言った言葉をかけていたが、今では先王を見れば無言で手を出す様になったらしい。
ホルン曰く【何を言ってもどうせ押し付けてくる。文句を言うだけ無駄】との事らしいが、貰った物は全てしっかりと完食し、王宮で仕入れる茶菓子の材料のランクをこっそりと上げたのはここだけの秘密。





