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ザミラが姿を消して一ヵ月。王宮内は良くも悪くも何も変わってはいない。
ザミラに代わりスレイプニルの世話をしていたイヴァンは、相変らず周囲にマンドレイクをふわふわと漂わせていた。
「お? おーホルン、よくここが分かったなー」
相変らず全力で甘えるスレイプニルの鼻先を押さえ込んでいたイヴァンは、王宮から近付いて来るホルンを見つけると、あっけらかんとした様子で手を振る。
「栽培場とテラリウムにいらっしゃらなかったのでこちらかと思いまして。こちらがテラリウムで栽培したマンドレイクとその薬効表です。既に一部は液剤と粉末として市場に卸し始め、すでに製法の問い合わせがいくつか来てますよ」
「製法教えたてやったらどうだ? 【ただ撫でるだけです】って。それよりも大丈夫かよ? 顔色悪いぞ? 何も進展無いのか?」
ふわりと笑顔を浮かべイヴァンに資料を渡すホルンだが、見るからに疲れの色が顔に浮き出ている。
「ようやくマーサの共犯者が判明したのと、例の誘拐犯達は以前イヴァンさんがマンドレイクを卸していた偽医者の――」
「はぐらかすなよ。その話も気になるけど、そんな顔色になる程探してもザミラは見つからないのかよ」
イヴァンは視線を下げ露骨に話を反らしたホルンの頭をがっちりと掴み、強制的に顔を上げさせる。
すると心底疲労困憊といった様子のホルンは、ふっと無理に笑顔を作るのを止めた。
「ここまで……持てる権力の全てを使って探しても見つからないとは思いませんでした……」
ホルンの耳には二つの耳飾りが揺れる。
ホルンの言葉にやっぱりかとため息をついたイヴァンは、スレイプニルの鼻先にマンドレイクを押し付けながらどこを見る訳でもなく、ぼんやりとした目で口を開く。
「何かあったら指輪を外すと思うが、今の所何も伝わって来ないんだよな。石喰い鳥を連れて行ったから結構遠くまで移動しててもおかしくは無いし……。今更だけど、喧嘩でもしたのか?」
この一ヵ月、ホルンは自分の責任でザミラがいなくなったとだけ伝え、イヴァンとメルにさえ詳細は言っていない。
そしてそれを追求しようとするとホルンがあまりにも嫌がるので、イヴァンとメルもそれとなく尋ねるしか出来ていない状況だが、ホルンの耳飾りを見れば何があったのか大体想像がつく。
そして先程ホルンが自身で言っていたように、この一ヵ月ありとあらゆる手を使って探したのだが、未だザミラは行方知れず。
思い悩みまともな睡眠もとれず、日に日にやつれていくホルンを見ているのは、さすがにイヴァンも限界だった。
「そのうちひょっこり帰って来るだろ。石喰い鳥を連れて街に出れば遅かれ早かれ目撃情報も――」
変な所で言葉を切ったイヴァンにホルンが視線を向けると、何故かイヴァンは自身の右手を見つめながら押し固まっていた。
ホルンがしばらくイヴァンの顔と手を交互に見つめていると、イヴァンはぎゅっと眉根を寄せ、ふらりとその場に座り込んでしまった。
「どうされました!?」
ホルンが慌てて駆け寄ると、イヴァンは呆れたような顔に薄ら笑いを浮かべホルンを見返した。
「うははっ、そんな顔色のやつに心配されたくねぇよ。なんか……今、全身噛まれてる」
「……はい?」
「ザミラが全身何かに甘噛されてる。多分、さっき手を噛まれた時に指輪が抜けたんだとおも……っ!」
説明中に突如イヴァンはぐっと顔を反らすと、不満そうに袖で顔をごしごしと拭き始める。
その光景を眺めていたホルンだったが、何となく今顔を舐められたか何かなのだろうと推測し、くすりと笑みを浮かべる。
「あいつ何してんだよ! くっそ、つねってやる……いてててて」
不満そうにイヴァンが自身の頬をつねったと思った矢先、つねった方とは反対の頬を押さえ痛がる。
多分、気付いたザミラが頬をつねり返したと思われるが、はたから見ればイヴァンが一人で自分をつねり騒いでいるようにしか見えない。
そして見る見るイヴァンの腕や首筋には、甘噛していると思われる者の歯形が赤く浮き上がった来る。
「嘴……? あいつ、石喰い鳥に甘噛されてやんの。って事は、指輪は食われたな」
腕にあわられた痕はしっかりとした三角形。ザミラが連れて行った石喰い鳥のものと見られる。
子どもが体に印を押すように不規則に広がる痕を微笑ましく眺めていたホルンだったが、ふと何かを閃いたようにイヴァンの腕をとりその場に座り込んだ。
「イヴァンさん、軽く引っかいて良いですか?」
「は? 普通に嫌……って、聞けよ」
ホルンは返事を待たずして爪で軽くイヴァンの腕を引っかいていく。
すると引っかいた箇所は見る見る赤くなり見事な文字が浮かび上がった。
「スペース的にこんな所でしょうか」
イヴァンの腕にはシンプルに【どこにいる】の文字。
「人の体を伝言板にす、る……」
ぐったりとしため息をついたイヴァンは、そこで言葉を切りふっと顔を上げると、何故だかブーツを脱ぎズボンの裾を捲くり始める。
二人でイヴァンの足に視線を落とすと、徐々に赤く文字が浮かんで来た。
「【岩------】? なんです? この横線は?」
「書いてる所に石喰い鳥が突っ込んで来たんだろうな……思いっきり踏まれた……」
そう言ってイヴァンがコートを脱ぎ捨てシャツを捲ると、見事に腹筋の辺りに石喰い鳥の足跡がついていた。
それを最後に石喰い鳥の甘噛は一段楽したのか、ザミラから連絡が来る事も無く、先程の一悶着が嘘のように静かになった。
「とりあえず、元気そうでなによ――」
「ホルファティウス殿下ー!!」
赤みの引いていくイヴァンの体を眺めほっと一息ついていると、王宮から全速力で走ってくる近衛兵の姿があった。
ホルンはイヴァンの手を取り立ち上がらせると、息を切らせて駆け寄って来た近衛兵に視線を移す。
「ほっほる、ふぁ……はぁはぁ……殿下ぁ……」
「なんです? 大変気持ち悪いのですが。落ち着いてからで結構ですよ」
はぁはぁと肩で息をしながらにじり寄ってくる近衛兵からじりじりと逃げつつ、ホルンは引きつった顔で視線を外す。
さすがのイヴァンも息を荒立て近寄ってくる男に軽く引き気味になり、それとなくホルンの腕を引き近衛兵と距離をとる。
「お、おまちくだ、さい……はぁはぁ。そんな、やましい気持ちは……はぁはぁ」
「いや、ホルンに対してやましい気持ちとかそんなの今聞きたくないし、むしろそんなの無いって願ってるから落ち着くまで黙っててくれ。な?」
弁明しようと口を開けば更に距離を置かれる始末。
ぜぇぜぇと息をしその場にしゃがみ込んだ近衛兵と一定距離を開けて立つ二人は、心底聞くのでは無かったと哀れむような視線を近衛兵に向けている。
「そ、その。スレイプニルの生息地の近くで、複数の石喰い鳥を見たとの目撃情報が入りまし、て……縄張りが変わったのかと、懸念の声が……調査……」
相当急いで来たのか、近衛兵は早口にそこだけ伝えると再びぜぇぜぇと肩で息をし始めた。
「……ホルン?」
「すぐに調査隊を派遣しましょう。……即、捕獲してみせます」
ホルンは真剣な表情で近衛兵を労う様に屈みそう告げたが、目の奥には不自然な輝きが見え隠れしている。
そしてその報告から僅か数刻後、あけなくザミラと石喰い鳥は捕獲される事となった。





