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夜会から三日。
イヴァンとザミラは倒れる直前まで体を酷使し続けていたせいか、未だに目を覚まさない。
呼吸をする時に僅かに胸が上下するので間違い無く生きているのは分かるが、それ以外は二人共、ベッドに横たわった三日前と何一つ変わっていない。
ホルンは数度扉をノックをし入室する。
ノックをしてもこの部屋からは返事が帰って来ないと分かっていても儀式的にしてしまう。
ホルンはベッド脇の椅子に腰掛け変わらず眠り続けるザミラをぼぅっと眺める。
ぼんやりと眺めるホルンは、普段ザミラは散々ホルンの事を彫刻と言っているが、そのザミラも今は人形か何かのようだと、ふとそんな事を思った。
それを発端に色々な記憶が蘇る。
久し振りに会った夜会では散々言われた事。たまに王子様と茶化して来るが、そんな扱いは一切して来ない事。そう言えば自分が寝ている間にイヴァンとメルと三人で何故か体をつつきまわしていた事もあった。
思い返せば意外に散々なものが多いが、ホルンは存外に嫌な気もしていない。
ふと小さな鳴き声にホルンが視線を移すと、ベッド脇のテーブルに置かれた小さなクッションの上に座るファティと目があった。
ファティはザミラが倒れてから一歩もそこを動いていない。
ファティもレイも、完璧な人のような見た目になったとは言え本質は植物。纏っている服は水を魔術で変形させた物で、水分はそこから摂取しているのだろうが、それでも少しこの三日でやつれたような気がする。
ザミラのしていた指輪を抱え切なげな声を上げるファティを、ホルンは若干複雑そうな顔で見つめる。
小さな自分の生き写しが切なげに見つめて来るこの状況は三日経っても違和感しかない。
切なげに目を伏せたファティの頭をそっと撫でると、ファティは目を細めホルンの手に擦り寄ってくる。
そのまま何となく両手で包み込むように持ち上げると、ファティは満面の笑みを浮かべホルンの指にしがみ付き何故か甘噛みを繰り返す。
ホルンはぴしりと固まり、より複雑そうな表情でファティをただただ見つめ続けていると、しばし甘噛みをし甘えていたファティは満足したのか、ふわっと小さな欠伸をするとそのままホルンの手の中でころんと丸まり眠ってしまった。
植物が睡眠をとると言う目を疑う光景を目の当たりにしたホルンは、しばし硬直したままファティを眺めていたが、ファティが座っていたクッションにそっと戻し、近くに置かれていたスカーフをかけてやる。
ホルンは何とも表現しにくい複雑な感情を抱きつつも、ふと何かを思い出したように立ち上がると、そのままザミラの眠るベッドの端にすとんと腰掛ける。
そして迷う事無くザミラの頬をむにっとつつく。
当たり前だが、マンドレイクであるファティは色形こそ人そのものだが触れば硬く体温も無い。
そしてそのファティの隣にはあまりにも人形のような見た目のザミラ。
以前イヴァンとザミラがホルンの頬をつついたのと同じ心理で、何となくホルンもザミラの頬をつついてみた。
勿論つつけばむにゅっと柔らかく体温もある。
ホルンが指がむにゅと頬に沈む感覚と押し返される感覚を何度か楽しんでいると、少しだけザミラがぴくりと動いた。
ほんの少しだけだが久し振りに動いたザミラ。ホルンは更にぷにぷにとつつき続ける。
次第にザミラは反応を示すようになり、今はつつくたびにむっと眉間にシワを寄せ少し身動ぎする。
それが面白くなって来たのか、ホルンはふふっと小さく笑うと今度は眉間のシワを伸ばすように人差し指でぐりぐりする。
するとザミラの睫が小さく震えると、ゆっくりと開いた目から黒い双眸が現われた。
小さく息を呑んだホルンが体勢もそのままにザミラの顔を覗き込むと、ザミラもぼんやりとホルンに視線を向けて来た。
「分かりますか? ザミラさん」
ホルンは不安定に揺れる黒い瞳を覗き込み静かに名を呼ぶ。
虚ろな瞳で横たわるザミラを見ていると、あの夜会の光景がホルンの脳裏を横切る。
目を開けたは良いものの特に反応はみられず、徐々に徐々にホルンの表情が曇り始めた時、ザミラがすっとホルンから視線を外した。
「……」
目を伏せたザミラが何かか細い声で呟いた。
だがあまりにもその声が小さかった為聞き取れず、ホルンはザミラに顔を寄せ再び頬をつつく。
「……ほる……さ、の……かみ……」
「私の、髪? 私の髪がどうしました?」
聞き取れた言葉を復唱するも、ザミラが何が言いたいのか上手く汲み取れない。
ホルンはザミラがまだ夢現で寝言のようなものかとも思いつつも、更に顔を寄せ耳に神経を集中させる。
「み……かゆい」
「……はい?」
その内容にホルンは目を丸くし固まる。
そしてそのまま自身の髪に視線を這わせていくと、首の横で一つに纏めていた髪がザミラの首筋に触れていた。
ザミラも腰まである長い黒髪をしているので、髪が首筋に触れるのはいつもの事。だが自身の意思で対処出来る事と出来ない事ではその不快感が違うらしい。
ホルンが動かずとも、ゆらゆら揺れる髪の束は不規則な動きでザミラの首筋を撫で続ける。
ホルンはザミラの言わんとしている事を理解し、あぁと小さく納得すると無意識のうちにくてっと小首を傾げていた。
するとザミラが小さく唸り声を上げ身動ぎし、どこと無く不満そうに眉根を寄せた。
その様子にとっさに自身の髪を掴みザミラから離したホルンだったが、何を思ったか今度は意図的に手で髪を揺らすようにザミラの首筋に這わせ始める。
むぐむぐ言葉にならない呻き声を上げ小さく身動ぎするザミラを面白がっているのか、ホルンはくすくすと笑いながら髪を動かし続ける。
「……だ……ぃ、きらいぃ……」
「っ……!? 誠に申し訳御座いませんでした……」
ザミラが全力で搾り出したその言葉に衝撃を受けたホルンがすぐさま謝罪するも、ザミラはむいっとふて腐れた様に視線を外してしまった。
するとそれとほぼ同時に、起きたファティ鳴き声を上げながらザミラにぺったりとくっ付き、甘えるように頬に擦り寄る。
ザミラは自身の頬に当たる小さな白銀が何か理解したのか、ふにゃりと柔らかな笑みを浮かべ自身からも頬を摺り寄せた。
椅子に腰掛けなおしたホルンは、ザミラに飲ませる液剤を準備しながらその光景を複雑そうに眺める。
液剤を少しだけティースプーンに注ぐと、ファティがホルンの手にしがみ付きスプーンに手を伸ばす。
そのままホルンがスプーンを渡すと、ファティはふらふらとしながらも液剤をザミラの口元まで運んで行く。
ファティはザミラの口に少し液剤を流し込んでは、空いたスプーンをホルンに差し出し液剤を追加してもらう動作をひたすらに繰り返す。
ゆっくりと時間をかけザミラが小瓶の液剤を飲み下すと、ファティは満足したのかそのままぱったりとザミラ横で眠ってしまった。
「ファティ……寝ちゃっ、た……?」
液剤が効いたのか少し上体を起し先程よりはっきりと話すザミラに、ホルンは心底怪訝な顔を向けた。
「な、まえ……ファティと言うのですか……?」
ファティにスカーフをかけ直しながら明らかに戸惑った表情のホルンに、ザミラはふっと力無く笑みを浮かべる。
「だって……ほるふぁてぃうす、でしょ?」
「えぇ、まぁ……ホルファティウスですが……。ザミラさん、まだ辛いならあまり話さなくても良いですよ。語彙力が吹き飛んでますし」
自身が差し出した二本目の液剤の瓶を咥えたザミラが面白そうにふふっと笑うのを、ホルンはやれやれと眉を下げる。
「ザミラさん、何か欲しい物やして欲しい事はありますか?」
ホルンは少しずつ確実に回復していくザミラに問いかける。
これ位意識がはっきりとしていれば何か要望があるかもしれない。そう思っての発言だったのだが、ザミラはうーんと唸った後むすっと頬を膨らませた。
「今、は……絶賛、ホルンさん大嫌い、中なので……何も無、いです、もん」
がくっと崩れ落ちるホルンに、ザミラは頬を膨らませたままつんと顔を反らす。
相当嫌だったのか、先程の髪の件を多いに引き摺っている様子のザミラ。
どうにかホルンは額に手を添えつつも顔を上げると、心底気まずそうに再び椅子からベッドへと座り直すと、ザミラは枕元で寝ていたファティをぽすっと自身の胸の上に置き直した。
「その節は誠に……。ですが、私は駄目でもファティは良いのですね……?」
ホルンがそう言ってファティをクッションに移そうとそっと持ち上げると、ザミラがそれを阻止する様に手を伸ばす。
さすがにそのザミラの行動に酷く衝撃を受けたホルンは、そっとザミラにファティを返すと、目を伏せ口を閉ざしてしまった。
「ファティと、レイ……大事、だもん。離れてて……また、あんな事にな、ったら、嫌」
ぎゅっとファティを抱き締めるザミラを眺めながら、ホルンはザミラの言葉の意味に思いを馳せる
イヴァンとザミラが倒れた後、夜会までの二週間二人の身に何があったのか魔術師長はホルンに説明してくれた。
勿論ホルンは、今は随分落ち着いたが、イヴァンが倒れ酷く憔悴してしまったメルにはその事は伝えていないし、当分、笑い話に出来るようになるまでは伝えない様にもお願いはした。
そして夜会の前日の早朝にマンドレイクが全滅し、丸一日後の夜会当日の朝まで復旧作業を行い夜会に参加していた事。
そして、運悪く栽培場に残していたイヴァンマンドレイクとザミラマンドレイクも失った事。
散々嫌がらせを受けていた二人は、自身の写し身が無残な姿にされた事自体は然程衝撃では無かったようだが、今度はそれが自分達では無くホルンとメルの生き写しだったら。
ホルンもメルも破壊されたマンドレイクを直接見ていないので想像する事しか出来ないが、ザミラは現に目撃してしまっている。
それは普段あまりレイとファティを連れ歩かないイヴァンとザミラが、夜会の前日からずっと側に置いていたと言う意味を考えると、二人が何を恐れていたのかが良く分かる。
「そうですね……。私がもっとしっかりしていれば、いえ、王宮だからと油断していたのかもしれないですね」
ザミラは、何故か突如懺悔を始めたホルンに視線を向けると、そこには見た事ない虚ろな表情のホルンが座っていた。
「私やメルと居て、お二人に好意を寄せる人ばかりでは無いと勿論理解していました。ですが、考えが甘かったのです。この王宮内で、私やメルの目の届く王宮内では手を出しては来ないだろう、と。思えばライアン師団長の一件でその甘さに気付けていれば良かった。不安定な二人の立場では、どこに居ようが……むしろ二人のその立場だからこそ王宮は一番危険だったのだと」
「ほ……るんさん?」
ふぅっと魂までもが抜け出そうな程深く重いため息をつくホルンの姿に、たまらずザミラは横たわったままにじり寄る。
「私の敵も味方も、その全てがザミラさん達の敵になる可能性があるというのに……はぁ……」
「え……国中どころか、他国ま、で私の敵に、なるじゃん、それ……」
ホルンに好意を寄せる者全てザミラの敵に回るとなると、その規模は国内だけでは収まらない。全てと言わず女性だけと限定してもその規模は変わらないだろう。
ザミラはホルンの自己嫌悪を理解するや、苦笑いを浮かべるのみだった。
 





