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イヴァンがアマデウスを抱え跳び去るのを呆然と眺めていたザミラは、異様に群がってくる魔狼の群れにもみくちゃにされていた。
片っ端から撫で回し大人しくさせたは良いが、今度は我先に撫でろと体をこすり付け来る魔狼に取り囲まれ身動きがとれずに居た。
「ザミラさ、ん……。えっと、助けた方が宜しいでしょか? それとも他の方の救助を優先させた方が……」
「今すぐ助けて下さい……」
ザミラに夢中になり絨毯のようになっている魔狼の上を這って近付いて来たホルンだったが、もふもふと魔狼に埋もれるだけで特に危険そうでも無い見た目のザミラに遠慮がちに声をかける。
そして無事ホルンに助け出されたザミラは、懐いた魔狼達全てに壁際で待機するよう指示を出す。
「なにか、先程イヴァンさんが面白い事をしてましたね」
「うん……火事場の馬鹿力ってああ言うのを言うのかな? 指輪つけてるのに凄い足音してたね」
ホルンもイヴァンがアマデウスを運ぶ光景を目撃していたらしく、引きつった笑顔を見せる。
階下の惨状からかけ離れ、回廊の上で何から和気藹々と談笑するイヴァンの背中をじとりと見つめていたザミラは、そう言えばとホルンに視線を向けまじまじと観察する。
「……? どうかされま――」
「うーん……。イヴァンの方が白タイツは似合う」
「白タイツ……。むしろ似合わなくて良かったような気もしますね」
腕を組み唸り声を上げたザミラが、久し振りにホルンにかけた言葉は散々なものだった。
その何とも言えない発言に邪魔され、ホルンはザミラのドレスを褒めるタイミングを逃がしてしまったのだが、当のザミラはそんな事など気にしていないようだ。
「ホルンさん怪我して無いです? この魔術師長様に作ってもらった服、いくら引っ張っても破れないって言ってたのに机に引っかけたら普通に破け――って、ほらやっぱり血出てますよ? はいこれ、マンドレイク液剤と、物理攻撃が効かなくなる指輪」
きょとんとするホルンの手の中にドレスの袖から取り出した瓶を落っことし、ついでに外した指輪を手袋の上からホルンの小指にはめる
「あれ? 小指なら入ると思ったのに意外に指太い」
「ザミラさん、先程から酷い言いようなのですが……」
ホルンは指輪の効力を聞きザミラに返そうとするも、ザミラは【魔狼は私に襲い掛からないから】と言う理由で頑なに受け取らなかった。
ホルンは渋々指輪を受け取ると、耳飾りにかちゃかちゃと着け始めた。
「貴族さん達もようやく落ち着いて避難し始めたし、後は魔狼を一掃するだけっぽいけど……。この魔狼の群れ、明らかに召喚されたものの気がする」
次々走り寄ってくる魔狼を撫で回し手懐けながら、ザミラは訝しげにホルンに視線を向ける。
ここまでの大群が騒ぎも起こさず王宮の真ん中に現れる訳は無いし、そもそも魔狼達が現れた扉は未だに閉ざされたままだ。
意図的に扉の内側に召喚されたものと考えて間違いは無いはずだ。
「やはりそう思いますか? 扉付近に居た騎士達も同じ事を言っていました」
飛び掛かってくる魔狼を燭台ではたき落とし、そのままザミラの方に投げ渡していたホルンも眉間にシワを寄せ会場内を見渡す。
避難した人も居ればまだ混乱状態の人も居る。こんな状態では術者を見分ける事ほほぼ不可能だ。
「しかも魔狼達、飛び掛かりはするものの噛み付いたり引っ掻いたりはしてないのかな? 騎士や近衛兵さん達にはがぶがぶやってるけど。……それにしても今のホルンさん、絵本に出て来る【ピンチの時に駆け付けてくれる王子様】っぽいんじゃないです? そのせいで女の人を助けると大変そうですけど」
真面目な話から一転、突如何故今それを言うのだろうと言った状況に、ホルンは力無くふふっと笑う。
「えぇ、大変でしたよ……。何と言いますか【このまま私と居て】がほとんどでしたが、中にはこんな状況で【以前からお慕いしておりました】等々。全く、皆様私が持っている物をよく見て頂きたい物ですよ。様にならないでしょう?」
ホルンは苦笑しながら手に持った燭台をくるくると回す。
確かに【剣を持った王子が颯爽と現れ魔狼を切り捨てる】ならまだしも【颯爽と現れた王子が燭台で魔狼を殴る】と言うのは、想像しなくともその字面だけで十分面白おかしい事になっている。
ザミラは先程魔狼と戦っていたホルンの姿を思い出したのか、思い切り吹き出すと肩を震わせ笑い始めてしまった。
「みんな盲目過ぎ……! はー……。それで、勿論言い寄って来た人達は丁重にお断りしたんですよね【私の旦那様】?」
「あはははっ! それは勿論。【私の奥様】はザミラさんだけですので。メルが師団長にしたように、しっかりと耳飾りを見せて【ごめんなさい?】と微笑んでおきましたよ」
笑いを堪えながらザミラがメルの真似をすると、今度はホルンがザミラの真似をしながら盛大に笑う。
体よくホルンの気持ちを聞き出せるかと思っていたザミラだったが、ホルンの口から【私の奥様】と聞けただけ今日のところは良しとした。
「ザミラ様……!」
二人で涙が出る程笑っていると、何故かホルンではなくザミラを呼ぶ声がする。
魔狼を受け流しつつ不思議な面持ちで二人が声のする方に視線を向けると、いつの間にか開け放たれた扉から駆け寄ってくる侍女のマーサの姿があった。
「マーサさん!?」
マーサに気付いたザミラは目を丸くし、ばたばたと駆け寄って行く。
どうにか魔狼を蹴散らしマーサの近くまで来ると、ザミラは扉の方に視線を向けながら口を開く。
「危ないからこっち来ちゃ駄目ですよっ! それに王宮内に魔狼が逃げちゃうから扉も閉め――……えっ……?」
扉から出て行った魔狼に気を取られていると、駆け寄って来たマーサが勢いそのままにすぽっとザミラの胸の中に収まる。
ザミラはマーサが飛び込んで来たと同時に腹部、丁度胸のすぐした辺りに変な衝撃を覚えた。
嫌な衝撃で言葉が途絶えたザミラから、ゆっくりと体を離したマーサの手には小さなナイフが握られ、その刀身からは鮮やかな色合いの液体がぽたぽたと滴り落ちていた。
「っ……! ザミラさん!!」
全く現状が理解出来ないザミラが膝から崩れ、丁度追いついたホルンに受け止められるのと全く同時に、会場の端で何かが落下するような大きな物音がした。
「ごほっ! ごほ……こ、ほ……。ホル……イ、ヴァ……」
徐々に痛みを理解し始めたザミラが刺された腹部を押さえ咳き込みながら、ホルン越しに音のした方に視線を向けると、そこには泣きじゃくり回廊から今にも飛び出しそうなメルの姿とそれを押さえる二つの人影、そして丁度その真下には体を丸め床にうずくまるイヴァンの姿があった。
激しい感情や体の痛みは共有してしまう性質を持つ双子の母神。
その為、意味が分からず痛みを理解するのが遅いザミラに比べ、刺された瞬間ザミラより先に痛みを感じてしまったイヴァンは、びくっと硬直した直後、メルの目の前で腹部を押さえ階下に落下してしまったのだ。
そして残念な事に、未だぼんやりと他人事の様な感覚で本来の痛みを理解しきれていないザミラより、理解の早いイヴァンの方が痛みは遙かに酷いらしい。
普段大体ぼんやりしあまり表情が変化しないイヴァンが、今はその表情は酷く歪み、体を曲げ小さな呻き声を上げながら苦しそうに身を捩っている。その光景を見ればどれ程の痛みなのか容易に想像出来る。
「わ……わた、しが、悪いんじゃ、ないわ……。そうよ、ぜん、ぶ……ザミラさ……」
ひゅうひゅうとか細い呼吸を繰り返し、徐々に力の抜けていくザミラの体をホルンがただただその場に座り込み呆然と抱き締めていると、近衛兵に取り押さえられたマーサが壊れた機械のようにかくかくと口を開いた。
「……何をしたのか、分かっているのですか……?」
徐々に痛みが増して来たのか、ザミラが苦しげに息を吐き身動ぎするのをホルンは青白い顔で見つめながら、今にも消え入りそうな弱々しい声でマーサに問いかける。
「わたしは悪くないわ……ザミラさまが悪いの……。だってそうでしょう……? 突然やって来たと思ったら……私が、ずっとずっとずっと憧れていた殿下を、簡単に持って行ってしまった……。こんなにも、王家に相応しくない……不作法な人なのに……。それ、に、殿下だけじゃ無いわ……ザミ、ラさまは……父までも奪って……」
ぷつぷつと話すマーサの言葉をぼんやりと聞いていたホルンだったが、マーサの言った【父】と言う単語に引っかかりを覚えた。
そして宰相室に補完されている侍女や執事達の、経歴や家族構成の書かれた書類の中からマーサの物を思い出すと、ふっと冷ややかな視線をマーサに向ける。
「あなたの父……いえ、戸籍上あなたの父だった人、ウェルダー魔術師長がどうザミラさんに関係あるのです。まさか、分かっていると思いますが、魔術師長が家族を残し一人貴族籍を抜き魔術師になったのは、魔術師の規約に則ったからですし、更にそれは何十年も前の事でしょう?」
「わ、たしを捨てた父、が……ザミラさまを、娘のよう、に……私では、無く、ザミラさ、まを、娘のように……」
ホルンはかたかたと震えながら話すマーサに、ため息と共に怜悧な視線をぶつける。
確かに魔術師長はイヴァンとザミラを養子に迎えたいと息巻いており、実際息子娘と呼び可愛がっている。
だがそんな魔術師長でも、ホルンの所に養子縁組の書類と王宮魔術師の辞職書、そしてなにより貴族籍に戻る念書を一度たりとも持って来た事はない。
魔術師長は二人を溺愛しているが、実際の家族にしようとは思っては居なかったのだ。
ただそれを勘違いした実の娘のマーサは面白くなかったのだろう。
近衛兵に取り押さえられぐったりと床に這うマーサに視線を向けつつ、ホルンは深い後悔のため息をついた。
「ぐっ……ごほっ……。ほ、るん……」
遠くからかすかに聞こえた自分を呼ぶ声。
ホルンははっと顔を上げると振り向き、会場の端に転がるイヴァンに視線を向ける。
「ほる……ん……ま……んどれ……ざ……らに……」
イヴァンは虚ろな目でホルンに何か訴えかけると、何かを握り締めた手を必死に差し出している。
「ほ……ざみ……に……」
ほぼ声にならない声でイヴァンはそう呟くや、ついに酷使した体が限界を迎えたらしく、すとっと気を失ってしまった。
イヴァンの緩んだ手から、何やら小瓶が一つころりと転がり落ちる。
その小瓶を見るやホルンはがばっとザミラを横抱きにすると、自身のポケットから転がった小瓶と同じ物を取り出す。
「聞こえますかザミラさん! これを飲んで下さい!」
それは先程ザミラが手渡してきた液剤の瓶だった。
ザミラが声に反応しうっすらと視線を上げたのを確認したホルンは、ゆっくりとザミラの口に液剤を含ませる。
「ん、ぐ……。ごふっ! ごほごほっ!!」
しかしほんの少し飲み下しただけですぐに激しく咳き込んでしまう。
刺された位置が胸のすぐ下と言う事もあり、もしかすると場所が悪く上手く飲み込めないのかも知れない。
焦るホルンは一先ず残った液剤をドレスの上からかけ、負担にならない程度に押さえる。
じわりと手袋に広がる血と液剤を苦しげな表情で見つめていると、効果があったのか、ぐったりとしていたザミラが小さく呻くと、ぽすっとホルンの胸に顔を埋めた。
ホルンはほんの少し安堵の表情を浮かべるも、すぐさまその表情は曇っていった
先程よりは大分楽になったのか、呼吸も安定して来たのだが、やはり液剤の量が少なすぎたのか、傷は完全に塞がってはいないようだ。
ふとホルンが振り返ると、レイとファティが先程イヴァンが持っていた薬剤をイヴァンの口に流し込んでいた。
そしてその直後、イヴァンの顔色が少し良くなったのが確認出来た。
「ホルファティウス殿下……」
ホルンは、今度は不意に隣で自分を呼ぶ声に顔を上げる。
すると風が吹いたと思った矢先、ふわっと悲痛な表情の魔術師長が現れその場に膝を着く。
「ふむ……。多少マンドレイクが効いたようだが……」
魔術師長は優しくザミラの頬に触れた後独り言の様にそうこぼすと、傷に手を当て神経を集中させる。
そのまま徐々に光と熱を帯びていき、ふぅと魔術師長が息を吐き手を退かせば、そこにあった傷はすっかり塞がっていた。
心底安心した様にホルンが微笑むと、ぼんやりとザミラが目を開けた。
ホルンがあっと小さな声を声を上げザミラの顔を覗き込むと、ザミラはそれに気付いたのか、一度ふにゃりと蕩けるような笑顔を見せると、すぐにすとんと眠りに落ちてしまった。
「魔術師長殿、本当にありがとうございます……!」
ぎゅっとザミラを力強く抱き締めたホルンが、目に溢れんばかりの涙を滲ませ顔を上げる。
「いや……わしは殿下にお礼を言われるどころか……」
すると魔術師長は気まずそうにそうこぼすと立ち上がり、取り押さえられているマーサに視線を投げかける。
「マーサ……わしは魔術を追い求めれば追い求める程、それに比例するように不気味がる家族と向き合おうとせず、一人籍を抜き逃げ出してしまったのだ」
「……へ? わた、し、一回もそん、な事……」
魔術師長の言葉に目を丸くし口を開くマーサだったが、魔術師長はそれを阻止するように首を振る。
「今更言っても遅いが、あの時向き合っておけばこんな事にならずに済んだのだろうな。あの時、わしの増大する魔力の影響を受け魔術の才能が開花し始め、それを嫌がるマーサに正しい魔術の知識と押さえ方を。そして自分の娘が良く分からない力に目覚め始めた事を嫌がり、自身もそうなるのではと思った妻が、わしからもマーサからも距離を取り始めた時に」
魔術師長は一回そこで話を区切ると、悲痛な表情でザミラに視線を向ける。
「家族を愛しているのに向き合う勇気が無く逃げ出した。だがどんなに望んでも、もう本当に大切な家族は帰って来ない。そう思うと、せめて形だけでも家族の様に接する存在が欲しく、母神の二人にそのような態度を取ってしまった……。だがそれすらも間違っていたのだな。マーサ、今更言っても信じては貰えないだろうが、わしが心から愛し家族と思っておるのはマーサと母さんだけだ。わしは本当にお前達を愛していたんだよ……」
マーサは目を見張り、何か言いたげに魚のように口をぱくぱくとさせるが、一向に言葉が出てこない。
魔術師長はそんなマーサの様子をしばし眺めた後、ぐっと何かを断ち切るように力強く唇を噛むと、近衛兵マーサを連行するよう指示を出す。
ずるずると連れて行かれるマーサを見送った魔術師長は、ふっと体の力を抜くと、未だに座り込んだままのホルンに視線を落とす。
「殿下、この度は申し訳御座いませんでした。とても謝って済む事では無いと理解はしておりますが、今は一先ず母神のお二人をどこか休める部屋に移したく……」
その言葉にはっと息を飲んだホルンは、腕の中で静かな寝息を立てるザミラと、未だ一人床に倒れ込んだままのイヴァンを確認すると、ザミラを抱えゆっくりと立ち上がる。
「そうですね。出席者各位への説明やら色々ありますが、一先ず二人を休ませましょう。魔術師長殿、イヴァンさん……それと、メルもお願いしても宜しいですか?」
ホルンはため息を付くように短く息を吐き、会場全体を確認しながら落ち着いた声色で魔術師長にそう伝える。
そしてそのまま何度も何度もザミラを強く抱き締め呼吸をしている事を確認し、頭に鼻先を埋めると満足したのか、そのままザミラを抱え会場を後にする。
魔術師長はホルンに言われた通り、イヴァンの体をふわりと浮かせ手繰り寄せると、そのまましっかりと抱きかかえる。そして回廊の上で座り込み抜け殻になっているメルを見つめるとすぐに、その隣にいるアマデウスに視線を移しホルンの後を追うように歩き出す。
するとその意図を汲み取ったのか、アマデウスは王妃にレオを預けると、メルを抱き上げ歩き出した。
 





