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ホルンはなかなか会場の真ん中に戻って来ず、その間メルがダンスやら雑談やらで上手い事貴族をさばいていた。
「……ん? 何か音がした?」
存外に楽しい時間を過ごしていたイヴァンだったが、ザミラのその一言でふと入り口の方に視線を向ける。
きっちりと閉ざされた巨大な扉の防音効果は絶大で、イヴァンは特に違和感は感じなかったが、ザミラの耳の良さを知っていたのでそのまま視線は扉に向け続けていた。
しばらく眺めていたが、取り立てて異変は感じず、気のせいかと二人が視線を外した瞬間、部屋中に突如遠吠えが響き渡ったと思うや、きっちりと閉じられた扉をすり抜けるように魔狼の群れが部屋中に押し寄せて来たではないか。
入り口近くに居た貴族達は悲鳴を上げ我先に逃げるように会場の奥へと詰め掛け、その波は瞬く間に会場全体に広がる。
会場警備に当たっていた騎士や近衛兵達が魔狼を食い止めようと動き出すのだが、混乱した貴族達に阻まれ動くに動けないようだ。
「……っ! ザミラ、出来るだけ時間稼げ!」
「分かった! イヴァン指輪つけてるよね!?」
同時に駆け出した二人。
押し寄せる人の波に向かって駆け出したイヴァンにザミラが視線を投げると、イヴァンは振り向く事無く手袋を脱ぎ捨て指輪を見せ付け、任せろとばかりに後ろ手に手を振り人の波に消えて行った。
ザミラも押し寄せる邪魔な魔狼を蹴り飛ばしながら突き進み、液剤の瓶を咥えながら走り抜けるついでに一頭ずつ頭を撫でて落ち着かせて行く。
通行の邪魔になる固体や襲いかかろうとする固体は蹴り飛ばしているが、ザミラが何もしなくとも魔狼達はザミラを避けるだろう。
以前ザミラが【母神VS召喚者】の実験をした時、魔獣は指輪をつけていないザミラにはその場を動かず唸り声を上げたが、指輪をつけた状態のザミラの時は、ザミラが何もしなくとも目を逸らしその場に伏せてしまった。
ザミラが指輪をつけている時は本人の意思に関係無くとも、多少魔獣には影響を及ぼしているとの結果であり、それはイヴァンも同じようだ。
イヴァンはその特性を活かしザミラに時間稼ぎを依頼した。
「メル!」
「……旦那様っ!」
人の波に揉まれ倒れこみ起き上がれずに居たメルの前に、メルの名を呼びながらイヴァンが飛び込んで来た。
「やっと見つけた……本気で焦ったー。メル、跳ぶからしっかり掴まってろよ」
イヴァンはメルに駆け寄った瞬間、当たり前の様にメルを抱え上げそう言うと、返事を待たずして真上に高く跳躍した。
イヴァンは指輪で体重が四分の一になっている為か、メルを抱えた状態でも普段より高く跳び上がれる。
当たり前のように跳び上がると二階の回廊の手すりにすとんと着地し、そのままメルを降ろす。
「よし、ここなら大丈夫だろ」
イヴァンは回廊にメルを降ろすと満足そうに呟き、階下に視線を向ける。
メルはその場にへたり込んでいたのでそのまま放心状態になるかと思いきや、がばっと立ち上がると手すりの向こう側から寄りかかっていたイヴァンに思い切り飛びついた。
「……! だっ旦那様! 御母様の事もお願いして宜しいですかっ!?」
「うんー、そう思って今探してるんだけどー……えーと……あっ、あれか?」
イヴァンは無意識にメルの頭をがしがしと撫で回しながら階下を指さす。だが普段と違う触り心地に、そう言えばメルは髪をセットしていた事、ついでに今撫で回したせいでそのセットが崩れた事に慌てふためいてしまう。
不思議そうにその様子を眺めるメルの頭をどうにかそれっぽく直すと、イヴァンは誤魔化すような苦笑いを浮かべ王妃目掛け思い切り跳び出して行った。
「っ! どっこいしょーーー!!!?」
王妃目掛けて跳び出したは良いが、そこは魔狼と人が多いに入り混じった場所だったのを失念していた。
今まさに王妃に跳びかかろうとする魔狼と、それを助けようとするが身動きが取れない近衛兵。
そんな緊迫した状況下だったが、王妃が眼前に迫り来る魔狼にぎゅっと身を硬くした瞬間、その魔狼の上にザミラの様な残念な掛け声と共にイヴァンが降って来たのだった。
その出来事にその場だけ時間が止まった様になった。
「……ん? あーそっか、今の俺軽いのか」
イヴァンは魔狼の上に見事着地し、膝を曲げてしゃがみ込んでいたのだが、以外にも魔狼はその状態でもぐるぐると唸り声を上げ身動ぎしている。
だがイヴァンは取り立ててそれに驚く事無く、自身と同じ位かそれより大きい位の魔狼をもふっと抱え上げると、そのまま近くに居た近衛兵にぽいっと投げる。
「よし、片付いた。よっこいしょ」
イヴァンは突然投げて寄越された魔狼に慌てふためく近衛兵をさらっと無視し、目の前で腰を抜かし驚き固まってしまった王妃を当たり前のように横抱きにする。
「いいいイヴァンさーん! 待って下さいこれもお願いしますー!」
いざ飛び上がろうとイヴァンが足に力を入れた瞬間、背後から呼ばれ振り返る。
するとそこには片手に弟を抱え、もう片方の手にはなぜか蜀台を持って走ってくるホルンの姿があった。
ホルンは駆け寄るや否や、当たり前のようにイヴァンの背中に弟を貼り付けると、ぐしゃぐしゃっと乱雑に頭を撫でながら口を開く。
「多分色々と衝撃的だとは思いますが、何が起きても絶対に手を離すんじゃありませんよ? 良いですね? 何が起きてもイヴァンさんから手を離してはいけませんよ? イヴァンさん、私はザミラさんと合流致しますので、後はお願い致しますね」
「久し振りに会ったら第一声それかよ、ホルン。ザミラは魔狼の足止めと調教してるから側に行くのは危ないぞー?」
元気に走り去っていくホルンの背中に向かい声をかけたイヴァンだったが、ホルンが手に持った蜀台で迫り来る魔狼を撃退しているのを確認し、何事も無かったかの様に回廊まで跳び上がる。
跳び上がった瞬間、横抱きにされていた王妃は小さく悲鳴を上げ、イヴァンの首に腕をかけ背中にしがみ付いていたホルンの弟はびくっと体を震わしたものの、ホルンの言いつけ通り手を離す事は無かった。
イヴァンは回廊に降り立つとメルの隣に丁寧に王妃を下ろし、背中に張り付いていた弟をメルに手渡す。
「よし、これで一先ずは――同じ顔が三つ……」
階下に視線を向け次は国王と思ったイヴァンだったが、近衛兵に囲まれ裏から会場の外に連れ出されるのを確認し胸を撫で下ろす。
そのままふうっとため息混じりに目の前の三人に目を向ければ、驚く程そっくりな親子の顔があった。
「ねっ御母様、素敵な旦那様でしょ!?」
「おわっ! 待てメル押すな落ちるからっ」
二人抱えてはさすがにメルの時ほど高く跳躍出来なかったイヴァンは、回廊の外側に設置されている装飾に足をかけていたのだが、渾身の力を込めて抱きついて来たメル諸共落下しそうになる。
「そうね。人見知りもしないし対応力もあって行動力もある。それにスタイルは文句なしね。ちょっと触って良いかしら?」
「そうですの! さすが御母様話が早いわ! この細すぎず厚過ぎずしっかりと引き締まったお腹に背中に長い手足! 普段は長いコートかゆったりした民族衣装しか見た事ないのですけれど、白タイツがもう完璧……!」
「待て待てまさかのそっくり母娘。冷静に分析する場所が微妙過ぎるし、これ白タイツじゃ――白タイツに見えるのかよ……」
ぐったりと落ち込むイヴァンにぎゅうぎゅうと抱きつくメルと、ぺたぺたと触りまくる王妃。
自己紹介などしている状況では無いと思っていたイヴァンだったが、目の前の母娘はそんな事お構い無しのように触りまくる。
「最近運動不足だったから腹がぷにってきてんだよ、あんまり触るな……」
抱きつくメルをぐいーっと剥ぎ取りながら、どうにかこの状況から逃げ出そうと口を開いたイヴァンだったが、その発言が余計母娘の興味を引いてしまったらしい。
「あらーそんな事無いわよー? だってつついても指が入りませんもの」
「そうですわよ旦那様っ! それにそんな事を言ったら兄様が不憫ですわ!」
「なんでホルン……あぁそっか、柳腰大将……」
イヴァンは迫り来る母娘にやりたい放題腹をつつかれながらふと階下のホルンに視線を投げる。
実はイヴァンも先程ホルンを見て思った事なのだが、普通に立っているだけだとジャケットとマントで違和感は無いが、ふとした拍子に、例えばダンス中にくるりと回ったりしてマントとジャケットがふわりとたなびきくと、ぴたっとしたベストで変に強調された女子と見紛うばかりの細腰が露呈する。
あの腰のファンも多いのだろうが、少なくとも身内の女性には不評のようだ。
色々と理解しため息混じりにイヴァンが手すりに腰掛け直すと、待ってましたとばかりにメルがしがみ付く。
ここで二週間分しがみ付いているつもりだろうか、と半ばイヴァンが諦めかけた時、何かを思い出したようにメルが小さく息を吸うと勢い良く顔を上げ口を開いた。
「旦那様! あともう一人、御父様……。あのーあれ、朴念仁じゃない方の御父様も助けてあげて下さいまし!」
「朴念仁じゃない方の御父様……【じゃない方の】御父様……?」
必死で訴えるメルだが、その内容が全く理解出来ないイヴァンは小首を傾げメルを見たまま小さく復唱し続ける。
するとそのイヴァンの様子を見た王妃とメルが【まさか説明してないの?】や【そう言えば言ってなかったかも?】と小声で話し合い、再びイヴァンに視線を戻す。
「えーと、先の王妃様はホルン兄様をお産みになられた際に亡くなってしまい、御母様はその何年後かに後妻に入られ王妃になったのですが、私は御母様の連れ子で国王陛下の実子では無いのですわ」
至って普通に話をするメルだが、イヴァンの頭は既に停止中。
しかし本人は何とも思っていないのか、気にせず話を続ける。
「実の父も王宮の官僚ですので、今日この会場に居ますの。ですのでそっちの父も助けて頂きたいのです」
こてっとお願いするようにメルがイヴァンの胸元で小首を傾げると、絶賛思考停止中のイヴァンも今見たままこてっと首を傾げる。
勿論こんな話をいきなり聞かせ衝撃を受けない分けは無いと理解している母娘は、イヴァンが再起動するまで静かに見守っている。
イヴァンは小首を傾げた直後、ぎゅーっと目を閉じ自身のこめかみをぐりぐりと押し、ふと目を開けると目の前のメルを撫で回す。
そして今度はその隣に立つ王妃の手を取り何度かぎゅっぎゅと握り、更に今度はずっと端で押し黙っていた弟を抱きかかえその頭に鼻先を埋める。
何かの儀式のような動きをするイヴァンにされるがままになっていた三人だったが、イヴァンは一通りその作業を終えると既に普段通りの表情で階下に視線を投げた。
「どれだよメルの親父。とりあえず王妃様の目は緑だから、親父はメルと同じ青い目なんだろ? 選択肢多過ぎて笑える」
「え……?」
イヴァンの飲み込みの速さに絶句する王妃だったが、メルは満面の笑みでイヴァンにしがみ付き階下を指さす。
「えっとー……あっ、あの柱の所で猛然と椅子を振り回している茶髪の大柄な男性ですわ!」
「えー……なんだよそれ、まるっきり猛獣師団長だろ……。最初に貰った本当の義理の親父の情報が【柱の所で椅子を振り回している大柄な男】ってもー情報過多、間違ってるわー。と言うか、それって助ける必要ある?」
淡々と話を進めて行く二人を不思議そうに眺めていた王妃だったが、恐る恐る思った事を口にする。
「えっと、イヴァンさん? 驚かないのですか?」
王妃のざっくりとした質問に揃って小首を傾げるイヴァンとメル。
「驚いたよ? 驚いたけど、それ以上になる程って思った。だってメルぜっっっっんぜん国王に似てねぇもん。恐ろしく母親似だけど、目の色も違うし鼻筋もちょっと違う、のかな? だから激しく納得してすっきりした所」
「あら、私の鼻筋って御父様似だったのね」
王妃よりもすっと通った鼻筋を撫でながら意外そうに微笑むメルとイヴァン。それと未だ信じられないと言った表情の王妃。
相変らずここだけ緊迫感の無い空気が漂っていた。





