25
「見て見てイヴァン、またドレスの裾切られたー」
マンドレイクの栽培部屋の扉が開いた瞬間、ザミラが内容とは裏腹に元気いっぱいにそう伝えて来た。
摺り下ろしたマンドレイクを乾燥させる作業をしていたイヴァンは、ザミラのドレスが見事に膝下辺りからぱっくりと切られてるのを横目で確認するも、特に慌てた様子も無く淡々と作業を進める。
「それで四着目か? ホルンのファンは陰湿だなー。俺はせいぜい廊下でぶつかってこられるか舌打ちされるか位なのにな」
「どのような理由があれ、刃物を持ち出すのは許しがたいのだが……」
宰相室で最後に四人が集まってから早四日。
イヴァンとザミラは毎日、廊下を歩けば大小何らかの嫌がらせを受けていた。
ごりごりとマンドレイクをすり下ろしながら何ともないように言うイヴァンの隣で、一緒に作業している魔術師長も、当初は激怒し相手に呪いをかけるとまで息巻いていたのだが、ホルンとメルに知られ無くないとの二人の意見を尊重し、今のところは大人しくしている。
ただでさえ忙しくあれから会えていないホルンとメルに、これ以上気苦労をさせるわけにはいかない。
実際に殴られたりでもしない限り、二人は反論しない事にしたのだが、毎日服を切り戻ってくるザミラに、身の回りの世話をしている侍女のマーサは怒りを通り越し最近は嘆き始める始末で、魔術師長もせっせと魔道具を作っていた。
「これが娘用の物理攻撃を弾く術を施した指輪で、これは息子用の落下ダメージ軽減と、更にこちらは体重を四分の一にする物だ。これを着けていれば多少高いところから飛び降りようが何しようが大丈夫だ。ただし、何度も言うがこの部屋では外していなさい」
「何か俺のだけニュアンスが違う気がするが、まぁ良いか」
イヴァンは一度、余りにも嫌がらせが集中し面倒になった時、王宮の外側から魔術師の棟に跳んで行った事があったのだが、魔術師の棟の周りには術が複雑にかけられていて危険だと魔術師長にお叱りを受け、翌日イヴァンとザミラは魔術師の施した攻撃魔術を弾く指輪が贈られた。
現在、二人の指には多種多様な指輪がしっかりとはめられている状況だ。
魔術師長から指輪を受け取ったイヴァンが、試しにその場で軽くジャンプしてみると、思ったより体が軽くなったのか危うく天上に頭をぶつけそうになっていた。
「軽減とかより、イヴァンの場合はその身体能力の制御のが良かったかもね」
「慣れるまで迂闊に跳べない走れない……」
イヴァンは気まずそうに指輪を外しながら、マンドレイクの加工の続きを開始する。
「薬効にムラはあるが、マンドレイク粉末をティースプーン一杯に対し、水は大体ピッチャー一杯、これをカップ一杯か二杯飲めば全身の切り傷擦り傷は完治ってとこかな。この分量だと一回ですっげぇ量出来るけど、どうすっかなー」
「それでも従来の物より格段に高い効力はある。大量に出来るなら診療所も願ったり叶ったりであろう。それに、多少薬効にムラがあったところで、他人より優れた物好きの貴族が大枚叩いて買うだけだろうしの」
「軟膏にするより粉末の方が汎用性は高いね。狩人とか傭兵にはすぐ使えるように液体で渡した方が良いかも」
収穫したままのフレッシュマンドレイクの状態での出荷はしないと取り決めをした。
そのままで出荷し、不正に量産されてはまた犯罪に利用されてしまう為、一度加工する事にした。
加工する事でマンドレイク一株丸ごと買うよりも遙かに安くなり、これで魔術師に看て貰う資金を調達出来ない平民の元にも、安定的に薬を安価に流通させることが出来る。
「今更だけど魔術師長様、マンドレイクって外傷と何らかの疾患にだけ効くの? 肉体疲労とか精神的な疲労とかには効かない?」
完全に手の平サイズの小さな人間の様な見た目にまで変化したレイ達を撫でながら、ザミラはずっと不思議に思っていた事を呟いた。
「父と呼んでおくれ娘よ。肉体疲労には有効かも知れぬな。ホルファティウス殿下に差し入れか?」
ホルンマンドレイクを指先で撫でながら、えへーと苦笑いを浮かべ小首を傾げる。
メルはたまに顔を出しに来たり手紙を寄越したりするが、ホルンに至っては全くの音信不通状態であった。
「じゃあ試作のドリンク持ってくか? ついでに部屋の暖炉でククルでも焼いて持ってけよ」
イヴァンは試作品だと言うのに、いやに高そうな瓶に入ったドリンクと、何故か持っていたククルの粉の袋を投げて寄越す。
「ククル焼いたら俺達にもくれよ」
マンドレイク達を撫でながら空いた手で手を振るイヴァンを横目に、ザミラは一先ず自室に戻っていった。
ノックの音にホルンは短く返事をした。
一拍置いてからゆっくりと開いた扉の隙間から、ザミラは恐る恐る顔を出し室内の様子を伺い、静かに入室する。
部屋には先客が溢れ返り、ホルンはその対応に追われているせいでザミラの存在には気付いていないようだ。
騎士のような装いの人から貴族服に庭師の様な人まで、全員無言で宰相机の前に行儀良く一列に並び書類を提出して行く。
ザミラもその光景を確認した瞬間、当たり前の様にその列に並んだのだが、宰相机の側に控えるマーサがくすりと笑うのが視界に入った。
自分達の身の回りの世話以外にも色々仕事があるのだな、等とザミラが思っていると、マーサはザミラ以外の人の視線を一身に受け気まずそうな顔をしていた。
物凄い速度で人がはけて行き、順番待ちの列はついにザミラのだけとなったが、他の人の時と同様に、ホルンは無言のまま書類から視線を上げる事無く淡々と作業をこなし続けている。
普段見られない真剣な面持ちのホルンをぼんやりと眺めつつ、ザミラはきっとこちらから声をかけなければこのまま顔を上げないのだろうな、とのんきな感想を抱いた矢先、ホルンがすっと視線だけを上げた。
完全に傍観体勢だったザミラは射抜くようなホルンの視線に硬直し、すぐに視線を手元に戻したホルンも違和感を覚えたのかぴたりと硬直した。
ぎぎぎと音が聞えてきそうな動きでホルンが顔を上げると、全力の苦笑いのザミラが立っていた。
「お、お疲れ様です……? 息抜きにと思ってお餅を焼いてみたんですけど、えっと、硬くなっても温め直せば大丈夫なのでゆっくり食べて下さいね? あと、イヴァンの作った試作品のマンドレイク液剤もどうぞーではお邪魔しましたー」
「……ザ、ミ……」
ザミラはポケットから取り出した包みを机の端に申し訳無さそうに乗せ、にこにこと引きつった笑みのままじりじり後ろに下がっていくと、そのまま消えるように扉から出て行ってしまった。
その場で立ち上がり何か言いたげに右手を伸ばした体勢のまま閉まった扉を眺めるホルンを横目に、侍女のマーサはお茶を一杯机の端に準備すると一礼し、ザミラの後を追うように退室して行った。
我に帰ったホルンが勢い良く扉を開け放った時には、ザミラはおろかマーサの姿すら見えなくなっていた。
呆然とホルンは自席に戻り包みを手に取ると、餅は本当に焼きたてらしく、包みの上からでも温かいと言うより少し熱い位だった。
包みを剥がし迷うこと無く一口頬張る。
いつぞやか森で食べた時と同じようににゅーんっと伸びるが、餅に何か練り込まれているらしく、たまにさくさくとした食感がある。
以前食べた時はほんのりと甘いだけだったが、今度の物ははっきりと甘い。
餅をしげしげと眺めてみると、木の実のような物が見え隠れしている。
ホルンが言っていた事を覚えていたのか、今回ザミラは蜜漬けのナッツを餅に練り込み焼いたのだった。
ホルンも森での会話を思い出したのか、無言で餅をにゅーんっと伸ばしてはゆっくりと租借するだけの置物と化していた。
その間宰相室にやって来た官僚や侍女達は、ホルンがぼんやりと両手で餅を持ちにゅーんっと伸ばしては小動物のように食む、見た事も無い程愛らしい様に卒倒し、その日以降何故かホルンへの菓子の差し入れは餅の様に伸びる物ばかりになった。
ついでに、マンドレイクの栽培場で残った餅を食べていたイヴァンとザミラは、追い掛けて来たマーサに調理をする際は暖炉では無く厨房を使うよう懇々と怒られた。
*
「うっわ……何これ」
「流石に酷いな……」
生誕祭前日、揃って栽培場の扉をくぐったイヴァンとザミラは、部屋を見るなり絶句した。
この一週間、他にする事が無かったのもあり、三桁近くマンドレイクを増やし栽培していたのだが、その全てが見るも無惨に砕れ床に転がっていたのだ。
呆然と入り口に立ち尽くす二人だったが、部屋の奥でマンドレイクの残骸の片付けをしている魔術師長を見付けた。
「おはようございまーす。魔術師長様が来た時にはもう?」
砕け散ったマンドレイクを拾い集めながらザミラが口を開くが、今まで見た事の無い鬼の形相で顔を上げた魔術師長に、思わず拾ったマンドレイクを落としてしまった。
「おはよう子ども達。悪いがわしは今猛烈に気が立っておる。朝の挨拶に抱き締めてやりたいのだが、余り近付き過ぎると感電するやも知れぬのでな」
努めてやんわりとしたいつもの口調でそう話す魔術師長だが、その体中はばりばりと音がする程帯電しており、近付けばその言葉通り物理的な感電をするのは一目で分かる。
一先ず近付かなければ問題無さそうと判断した二人は、再びマンドレイクの残骸を拾い始めた。
「俺達も嫌われたもんだなー。まさかここまでやられるなんて。なぁ、魔術師長さん、この部屋に手を出せるって事は、犯人はここの魔術師って事か?」
王宮と魔術師の棟の入り口は限られた人間にしか開けられず、開ければそれなりに目立つ。ただ魔術師ならば全員が問題なく開けれる上に、開けたとしても違和感は無い。
どうにか固まりで残った根の一部を選別しつつイヴァンがそう予想すると、魔術師長が即座に口を開いた。
「それは無い! うちの魔術師共は二人に嫌悪感を抱くどころかマンドレイクを栽培する機会を貰ったと大いに喜んでおる! マンドレイク以外も母神の記録を採れると泣いて喜ぶ程だ。それに、記録の為でもこんな事をしたらわしに何をされるか分かっておるしな」
鼻息荒く語る魔術師長とは反対に何か思うところがあるのか、イヴァンとザミラはゆっくりと苦笑いを浮かべた。
「あ……だからかな、次席さんにいきなり外に連れて行かれたと思ったら【母神VS召喚者】とかやらされたんだよね。記録採りたかったんだ……」
「ザミラもか。俺は四席さんだったけど、同じ事やらされたわ」
召喚した魔物は召喚者と母神のどちらの言う事を聞くかと言う検証だったらしいが、どちらも召喚獣が困りに困って動かなくなると言う結果に落ち着いていた。
正直この一週間、廊下を歩けば嫌がらせに合うか魔術師達に拉致されるかのどちからであった。
「次席と四席な、覚えておこう。二人を溺愛している我々魔術師がこんな事出来る訳ないだろう?」
そう言って何かを差し出した魔術師長の手の中を覗き込んだイヴァンとザミラは、咄嗟に自身の横に浮かんでいるレイとホルンマンドレイクをしっかりと抱き締める。
「マジか。一番ぐっちゃぐちゃにやられてんじゃないか、これ?」
「これは……さすがに再生出来なさそうだよね」
レイとホルンマンドレイクは毎回自室に連れ帰っていたが、イヴァンマンドレイクとザミラマンドレイクは魔術師達がひっきりなしに面倒見てくれていたため栽培場に置いていたのだが、その二つは何となく黒い部分は髪だろう位にしか識別できない程、一際酷く粉々にされていた。
魔術師長はその二つの破片を丁寧に丁寧に机に置くと、再び酷く帯電し始める。
「わしの可愛い子ども達の可愛い可愛い生き写しが……あれ程大切に大切にしてきた可愛い可愛い生き写しが……可愛い可愛い可愛い可愛い……」
「……怖ぇよ親父。何よりも親父が怖ぇよ」
「息子よもう一度父と……!」
呪文の様に呟く毎に帯電が酷くなっていったが、イヴァンが【親父】と呼んだ瞬間ぱっと帯びていた物が無くなり、一気に晴れやかな笑顔になると、今度はしっかりと二人を抱き締める。
歳が歳だけにほっそりとした腕だと言うのに、どこからこんな力が出るのか不思議に思う程、魔術師長が抱き締めたら魔術師長が離すまでまんじりとも動けない。
魔術師長の腕の中で部屋を見渡していたイヴァンは、何かを決心したように一つため息をつくと、部屋の前で外した指輪を再びはめはじめた。
「今から二人でガチでやったら今日中に再生出来るだろ。ザミラ、こうなりゃ完璧に再生してホルンとメルに見せてやろうぜ? 誰か知らねぇけど流石にもう我慢出来ん。ついでに明日の夜のダンスも完璧にやって、犯人に見せ付けてやるぜぇ……」
変なやる気の入り方をしたイヴァンは、呆気にとられ腕の力が緩んだ魔術師長の元からするりと抜け出すと腕をまくり、並べたマンドレイクに全力を注ぎ始めた。
「なっ……! 止め――」
「よーしこっち半分は任せろー! イヴァンはそっち全部ね! あと、お父様も手伝ってくれるよね?」
「勿論だともー!!」
「すっげぇ都合の良いタイミングでの初【お父様】……! ひでぇなお前」
止めに入った魔術師長を一言であっさりと味方に付けたザミラに、思わず力が抜けそうになるイヴァン。
だが、魔術師長の補助があるとは言え少しでも気が緩めば卒倒しかねない現状に、三人とも表面のみの強がった笑顔すら早々に打ち消す事となった。





