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「すっげぇだるい……。何で俺寝てんだ? どこだここ?」


 イヴァンが頬に柔らかな感触を覚え目を覚ますと、見た事無い光景が視界に入った。

 体が深く沈み込む上質な天蓋付きのベッド。

 二、三人余裕で寝れそうな広々とした見覚えの無いベッドに横たわっていたイヴァンは、一先ずその場に座り直し、最後に覚えている事はなんだったかと思いをはせる。

 ぼんやりとし上手く働かない頭に、身動きするのも億劫なだるい体。気付ばシャツとズボンを着ているのみで指輪も無い。

 ぼんやりとした記憶を辿れば、何となく最後にザミラの顔を見た気がする。

 そう言えば二人は無事帰って来てマンドレイクの栽培部屋に来たのだったと思い出したが、だからと言って何故こんな所で寝ているのか検討もつかなかった。

 そこまで思い出すと、ゆっくりとベッドの上を四つん這いで移動し天蓋のカーテンの隙間から辺りを確認する。

 広い部屋の割には家具が少なく、ヘッドボードの脇に小さなランプがあり、後は木製の椅子が一脚と大きなドレッサーとクローゼットのみの、いかにも上品な貴族の寝室と言った内装だ。

 カーテンの隙間から漏れる光の加減から見て、もう朝とは言えないような時間だと推測されるが、落ち着いた色合いで統一された室内の雰囲気でもう一眠り出来そうである。


「よいしょっと……おわっ!」


 イヴァンが毛足の長いカーペットに足をつけ立ち上がろうとすると、上手く体に力が入らず盛大に転んでしまい、ついでにベッドの脇に置いてあった椅子を思い切り倒してしまった。


「いってぇ……。何なんだよ本当……ん?」


 カーペットに突っ伏しながら上手く動かない自身の体を忌々しく思っていると、突如扉が開き、駆け込んで来た見知らぬ女性は驚きの表情でその場で立ち尽くしイヴァンを見つめていた。


「……っ失礼しました! すぐに姫様を呼んで参ります!」


 しばらくイヴァンを凝視していた女性は我に返ると、勢い良く一礼し再び駆け出して行ってしまった。


「え……誰? 何? 姫様?」


 イヴァンはもぞもぞと上体を起しその場に座り込みながら、烈火の如く現われ去って行った女性の言葉をゆっくりと反芻する。

 ぼうっと扉を眺めていると、徐々に硬い足音が猛スピードで近付いて来たと思った矢先、先程よりも勢い良く扉が開き見知った顔が飛び込んで来た。


「旦那様! お体は大丈夫ですの!?」

「うぐぁっ!」


 部屋に飛び込んで来たメルは、勢いそのままに思い切りイヴァンにしがみ付きその場に押し倒す。


「旦那様とザミラが倒れたと聞いてすっごく心配しましたのよ!? 兄様と魔術師長様がついていて全く……!」

「今また倒れそ……って、ザミラも?」


 イヴァンは自身の上に座ったまま興奮気味に話すメルの背中をさすりながら、メルの言葉で何となくの状況を把握した。

 メルにそれとなく聞いてみた所、イヴァンは倒れてから丸一日眠っていたらしく、ザミラもつい先程目を覚ましたらしい。

 そしてこの部屋はイヴァン用にホルンが準備していた部屋との事。

 部屋を準備しても全く使う気配の無い主達だが、健気にも先程の侍女が毎日部屋の手入れを欠かさずにいてくれたお陰で、緊急時に素早く使用する事が出来たらしい。

 イヴァンはその話を聞いて先程の人が侍女であった事を知ったのだが、その侍女がなぜか、今再び扉の前で真っ赤な顔でわたわたと手をバタつかせながら突っ立っていた。


「ひひ姫様っ、殿方にううう馬乗りになるなんて……! イヴァン様! お手伝いさせて頂きますので御召物を正して下さいぃぃ!」


 侍女のその言葉でイヴァンとメルはお互い見合わせ自身の状況を改めて確認する。

 床に仰向けで倒れこむイヴァンの上に乗っかったメルは、全力でイヴァンのシャツにしがみ付き、その衝撃でシャツのボタンが外れイヴァンの胸元はがっつりと露出していた。

 当のイヴァンは散々メルを抱え走り回っていたし、メルに馬乗りにされるのは初めてじゃないので今更なんとも思わず、メルもメルで、マンドレイクの異臭騒ぎの際にザミラとイヴァンの服を思い切り剥ぎ取った経験があるので、こちらも今更と言った感覚であった。

 が、侍女の目にはそんな事情よりも【寝室】【胸のはだけた男】【馬乗りの女】と言った構図にしか映らず、鬼気迫る勢いでメルを抱え上げ部屋の外にすとんと置き扉を閉めると、クローゼットから文官用のコートを取り出し猛然とイヴァンを着付けだした。 

 瞬く間に着付けられたイヴァンはよたよたと歩きながら、侍女に案内されるがまま部屋を移動する。

 大人しくついていけば重厚な扉の前に案内され、侍女はそこで一礼し真っ赤な顔のまま去って行ってしまった。

 ただ案内され無言で置き去りにされたイヴァンが途方に暮れていると、侍女と入れ違うように廊下の端の方からメルが駆け寄って来るや、ノックもせず笑顔で目の前の扉を開け放った。


「!? ……あぁ、メルですか」


 そこは宰相室だったらしく、大きな机に乗り切らない程の山盛りの書類に埋もれたホルンが、突如開いた扉に驚きはしたようだが、メルだと分かるとすぐに普段通りになり、宰相机の手前に置かれたソファには目を丸くしたまま硬直するザミラの姿があった。

 悪びれる様子も無くにこにことソファに腰掛けるメルに続き、イヴァンも恐る恐る部屋に入ると、それを見つけたホルンは安心したように顔を綻ばせた。


「良かった、目が覚めたんですね。もう起き上がって大丈夫なんですか?」

「まだ膝がかくかくする……。と言うか状況を把握しきる前に侍女に追い出されて寝てられなかった。ザミラはもう良いのかよ?」

「私はイヴァンみたいに卒倒した訳じゃ無いしねー。もう普通に動けるよ」


 にっこりと柔らかな笑みを浮かべているが手元は一切止まらず書類作成を行っているホルンと、ホルンが受理した書類に印をぺたぺたと押していくザミラ。

 ホルンもザミラも案外元気そうな事を確認したイヴァンは、ザミラとメルの座っている反対側のソファにぼすっと俯せに倒れ込み、机の上の書類を一枚手に取りぼんやりと眺めだす。

 するとメルがすっと印鑑を差し出すので、ザミラに習い適宜印をついて行く。


「お二人が目覚めてほっとしました。当分の間石喰い鳥の捕獲には行けないので、またしばらくマンドレイクにかかりきりになりそうですし、指輪は外していて下さいね」

「えっ? 石喰い鳥の捕獲は外泊がある分、やっぱり申請が難しいとかです?」


 二人の指輪の入ったケースを残念そうに眺めるメルの隣で、ザミラは不思議そうな声を上げ、ほぼそれと同時にイヴァンが一枚の書類を手に声を上げた。


「来週、国王生誕祭?」


 ふーん、と言った様子のイヴァンとザミラとは対照的に、ホルンは心底疲れ果てた笑顔で深く椅子に沈み、メルに至ってはその事を忘れていたらしく、絶望の表情を浮かべたと思いきやそっとザミラに抱き付いた。

 

「国王の生誕祭は街中で屋台や催し物が出る程大々的な行事で、王宮も挨拶に訪れる方達の為に、昼は一部一般開放されます。そして夜は貴族の方々が集まる夜会で、ダンスやら食事やら……まぁ、その日は騒ぐ良い口実なってまして、今週はその準備に掛かりきりになるんですよ。今回の生誕祭は師団長が不在ですので、王宮の警備をどうするか……」


 街での屋台出店許可証や、王宮一般開放の準備に貴族への招待状に御礼状の作成。

 ぱっと考えられるだけでもホルンの仕事は山盛りだった。


「一日中笑顔で座って挨拶して、夜は全てのダンスのお誘いに答えて……重いドレスで大変なのですよね。生誕祭と言う事は兄様も正装されるのですよね? 似合わないのよね……」

「あ、イヴァンさんとザミラさんの服も準備しなくては。仕立屋の手配、と……採寸して一週間で間に合うでしょうか。ここはぱぱっと魔術師長に魔術で作って貰いましょうか。ついでにメルの軽いドレスと、私の体に合った物も作って貰いましょう」


 ホルンの言葉を聞くや、イヴァンとザミラははっと顔を上げわたわたと宰相机にかじり付く。


「俺達も!? いらないだろ! ほらあれだあれあれ、魔術で作ったらまた俺達倒れるかもしれないしな!」


 すると満面の笑みを浮かべたメルが立ち上がると、宰相机にかじり付いているイヴァンの背中にすぽっと貼り付く。


「駄目ですわよ? 社交界で堂々と私の旦那様としてご紹介しなきゃ。大広間は他に魔道具は御座いませんし、問題ありませんわ」


 メルは貼り付くついでにイヴァンの背中にこれでもかと言う程すり寄り、イヴァンもイヴァンで【そうか、なら仕方が無いな】とメルの意見に全く反論をしないばかりか、背中に貼り付くメルをぐいっと自身の正面に引き寄せ、腕の中にすっぽりと収めてしまった。

 だが、イヴァンとメル以上に課題が多いザミラは、ぎぎぎと顔をホルンに向けると、半泣きで何か言いたげに手をわたわたさせる。


「メル……そうしたいのはやまやまなのですが、流石に時期尚早と言いますか、まだ課題が山のようですのでお披露目はいたしませんよ。耳の裏に隠した耳飾りの羽根はそのままにして、ダミーの羽根をつけやり過ごしましょう」


 ザミラの様子に苦笑しつつ、ホルンは引き出しから四つの羽根飾りを取り出し机に広げ、その中の白銀の羽根を取り上げると自身の耳飾りにかちりとはめ、指先でぴんと弾く。


「耳の裏に隠した羽根飾りが見えなければ、ぱっと見た限りでは誤魔化せます。紋章と材質の違いはどうにも出来ませんが……」


 ホルンの首筋にそう白銀の耳飾りを確認し、ザミラも自身の色の羽根を着ける。

 ただ一人、メルだけは思いっきり不満そうな顔をしていたが、イヴァンが金の羽根をメルに付けてやると、輝かしい笑みを浮かべイヴァンに抱き付いたので、あっさりと機嫌が直ってしまった。

 

「生誕祭までの一週間は私もメルも少しばたばたしますので、申し訳御座いませんが、マンドレイクの方はあまりお手伝い出来そうにありません。その間面倒な輩に絡まれたら厄介ですので、耳飾りは生誕祭が終わるまでそのままにしておいて下さい」


 ホルンとメルが二人の側を離れている間に、二人に危害を加える者が現れてもおかしくは無い。

 平民が堂々と王宮に住み、更に王太子と姫の耳飾りを付けているなど、快く思わない者も居るだろう。

 イヴァンの時の様に、ライアン師団長の様な絡まれ方はもううんざりだった。


「お二人の部屋もなるべく魔術師の棟に近い場所に用意し直しますので。もし何かありましたら魔術師長に相談して下さい」


 申し訳なさそうに言うホルンを眺めながら、もし面倒な輩に絡まれて困ってますと魔術師長に相談するとどうなるかを想像したイヴァンとザミラは、全力で曖昧な笑みを浮かべるしか出来なかった。

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