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 結局、ホルン以外の三人全員その日の作業はそこまでとし早々にベッドに沈んだ。

 考えてみれば朝から慌しく食事もろくに取っていなかったのだが、美容と健康に気を使うメルさえも食堂を訪れる事無くそのまま就寝したらしい。

 そして翌朝、なぜかイヴァンマンドレイクを鷲掴みにしたライアンが、昨夜寝る前に突貫で直したおいた厩の入り口を再び破壊し猛烈な勢いで休憩室の扉を蹴破った。


「山猿てめぇ……これはなんだぁ……」


 頭やら口やら背中やらから色々な煙を吹き出しながら、ライアンは部屋の入り口で仁王立ちしたまま低い声で唸る。

 幸いイヴァンもザミラもとっくに起きてメルが置いて行った服に着替え朝食を取っていた時だったので、王宮から土煙を上げて走ってくるライアンに早めに気付き予め窓辺に非難していた。

 もぐもぐとククルパンを頬張ったままのイヴァンは、ライアンが一歩近付く毎にじりじりと下がり、現在は完全に窓枠に飛び乗りまさに猿のように膝を曲げてその場にしゃがみ込んでいる状態だ。


「逃げるんじゃねぇ山猿ぅ……」


 亡霊の様にゆらりゆらりと一歩ずつ近付くライアンは近付く毎に怒りが増しているらしく、声は徐々に野太く大きな怒声へとなって行き、更にイヴァンマンドレイクを持っていない右手は剣に添えられた。

 丈の長いコートの裾を踏まないように捲り上げたイヴァンはザミラから受け取った弓を背負い直すと、その体勢のままぐいっとお茶を飲み干しカップをザミラに投げ口を開く。


「俺は逃げるつもり満々だけど、それが駄目ってんならあんたがそれ以上近付かなきゃ良い話だろ。それにこの服、汚したり破いたりするとメルがうる――」

「気安くその名を呼ぶんじゃねぇぇぇぇ!!」


 昨日と同じように思い切り振り抜かれた剣はイヴァンをかすり窓枠に突き刺さる。

 イヴァンと共に壁際に非難していたザミラは、ライアンはイヴァン以外眼中にない事を確認したのか、普通に入り口近くに移動しそのままソファに腰掛けてしまった。

 半身体を捻りライアンの剣を避けたイヴァンは、少し切れてしまった自身の左肩に視線を落とすと、やってしまったと盛大にため息をつく。


「あーあ、言ったそばから。着替えたばかりなのにどうしてくれ……っつーか、俺がマンドレイク育てて何が悪いんだよ」

「何でこんな形したやつをメルティーナ姫様が持ってんだって言ってんだよ!!」


 ライアンはそう叫び今度は思い切り拳をイヴァンの顔に向け振り降ろしたのが、イヴァンがするっと避けてしまった為危く窓から落下しそうになる。

 窓から半分乗り出す形で厩の外壁に手を付き何とか落下せずに済んだライアンの頭上で、窓からするりと這い出しそのまま飛び上がって屋根に座っていたイヴァンは心底面倒そうなため息をつく。


「何でって言われてもなぁ。それを欲しがったのはメルだし作ったのはザミラだし、理由はメルに聞いてくれよ。今の俺、冤罪も良い所だぞ? ほら、あんたがそれ持って来たからメルが怒ってる」


 自身の立てた膝に頬付けを付き座っていたイヴァンが、くいっと顎で王宮の方を示す。

 メルの名前に反応したライアンがそちらに視線を向けると、先程のライアンと同じように全身から煙を出したメルが近衛兵を三名引き連れ向かって来ていた。

 イヴァンは屋根に寝そべり、わたわたと慌てて体勢を立て直そうともがくライアンの襟を後ろからがしっと掴むと、そのまま部屋の中に押し戻すように投げ入れる。

 うっすらと部屋の中からザミラの叫び声が聞えた気もするが、さすがにイヴァンがあの巨体を片手で投げ飛ばせる訳も無く、早々と再起動したライアンが鬼の形相で部屋を出て行ったのだろうと推測される。

 窓に駆け寄ったザミラが外を確認した時、近衛兵三人と更にその後ろに侍女を二人連れた怒りのメルに猛烈な速度で駆け寄るライアンが、メルの射程範囲に入った瞬間振り抜かれた扇子の一撃で地面に沈んだまさにその瞬間だった。

 見事にライアンを沈めたその一撃で扇子が壊れたのか、扇子をライアンの上に投げ代わりにイヴァンマンドレイクを拾い上げると、メルは何も無いかのようにライアンを踏み越え歩き出す。が、引き連れていた人達はそのあまりの衝撃に完全に棒立ちとなっていた。


「イヴァン、お迎えに行った方が良いんじゃない?」

「それ採用。弓返すわ」


 イヴァンはぽいっとザミラに弓を投げ身なりを整えると、ひょいっと屋根から直接地面に飛び降りメルに向かって歩いて行く。

 そしてイヴァンの姿が視界に入った瞬間メルの機嫌が瞬く間に直ったのか、先程までのどす黒い剣呑な空気は見事に吹き飛び、華やかな笑みを浮かべたメルがイヴァンに駆け寄るなんとも微笑ましい光景に早変わりした。

 そのメルの変化にライアン以外の全員が引きつりながらも少し安心したように胸を撫で下ろすと、イヴァンに思い切りしがみ付いていたメルがふと思い出したように口を開く。


「お気に入りの扇子でしたのに……でも汚れてしまったんですもの、しょうがないわよね」

「あぁ、しょうがないな。うん。もう少し落ち着いたら一緒に街に見に行くか」


 今日はメルの前でライアンの名前は絶対禁句だと全員が悟った。

 再び輝かしい笑みを浮かべたメルが上機嫌でイヴァンの手を引いて歩き出す。

 そして引っ張られる形で進むイヴァンが振り向き立ち止まっていた近衛兵と侍女に向かって親指を立てると、ようやく全員に笑顔が戻り、近衛兵はイヴァンに一礼するとライアンを引き摺り王宮へ引き返し、侍女はそのまま無事に厩に同行する事が出来た。

 休憩室に着くなり侍女は持って来た衣類や食事等を手際良くテーブルに広げると、そのまま一礼し壁際に待機する。

 鼻歌交じりにメルが目の前に置かれたジュエリーケースを開けると、満面の笑みで向かいに座るイヴァンとザミラに箱を差し出した。


「これ、昨日言っていた魔力を込めた指輪よ。一晩で準備出来るものなのねー」


 その笑みと口調に些か不穏なものを感じつつ、イヴァンとザミラが箱に視線を落とす。

 すると二人揃って苦笑いを浮かべた。


「何て言うか、どっちがどっちのかすっごく分かり易い色」


 二人が同時に迷うこと無く自分のと思われる指輪を取り上げる。

 イヴァンが手にしているのは金で出来たリングに小さなサファイアが埋め込まれた指輪。そしてザミラが持っているのはプラチナで出来たリングにアメジストがはまっている。

 どこからどう見てもホルンとメルを模した色合いの物だった。

 二人がそれを指にはめるのを満面の笑みで見ていたメルは、満足そうに箱を回収した。


「だってこんなに二人に似合う組み合わせ、他に無いでしょー? 私と兄様のも作りましたの。流石に双黒の指輪は不自然ですので、金とプラチナで作ったリングにそれぞれブラックダイアをはめ込んでみましたの」


 双黒の指輪。

 ホルンとメルに似合うかどうか以前に、そもそも何か良くないものを召喚出来そうなイメージが先行する。

 そしてメルが見せて来た左手の薬指には、何とも神々しいやら禍々しいやら表現のしにくい指輪がきっちりとはまっていた。


「そうそう! そう言えばザミラ、昨日は兄様にプレゼントをありがとう。素晴らしく目立ってましたけど素晴らしく似合ってましたわ!」

「あぁ、狐のスヌードね。やっぱりこの時期にあれは目立つよねー」

「ううん、そうじゃ無いの」


 冬も終えすっかり春めいた気候だと良いかのに毛皮のスヌードは目立ち過ぎたかと思うも、どうやらそれとは別の事で目立っていたらしい。

 思い出したようにくすくすと笑うメルは、きょとんとした顔で小首を傾げる二人にその理由を話し始めた。


「あのね、白銀の兄様が黒銀のスヌードを着けますと、すごく豪華で様になるのに、とても魔王っぽくなってしまいまして……ふふふ」


 聞いた瞬間イヴァンとザミラは揃って吹き出してしまった。

 スヌードにした狐は冬毛をたっぷりと蓄えた銀ギツネ。艶やかな黒銀を全身真っ白で紫の瞳のホルンが着けているのを想像すると、まさに魔の者と表現出来る見た目になっている。

 そしてホルンはザミラに言われた通り耳飾りをそれで隠し通したらしい。

 盛大に笑っていたザミラだが、ふと気になりメルに訪ねた。


「その魔王様、今日は来ないの?」


 普段のホルンなら、怒りのメルを近衛兵と侍女だけに任せるなど残忍な事はしないはず。

 それを不思議に思い聞いてみたのだが、メルも不思議に小首を傾げていた。


「兄様は昨夜から山盛りの書類に埋もれてますわ。何故か通常業務に加え、酷く仕事が増えたとかで。確か大会議室のバルコニーを修理するとかなんとか……」

「老朽化ね」

「老朽化だな」


 本日のメルの地雷は断じて踏まないようにする。

 今は、徹夜で仕事をこなし今もまだ執務室にこもりきりのホルンの事など二の次三の次である。

 幸いメルも納得しにっこりと笑うと、持って来た朝食を侍女に取り分けさせ始めた。

 厩の入り口や休憩室の扉に窓。修理する箇所はこれからまだまだ多くなりそうだが、今はまだその事は言わないでおこう。

 メルに同行した侍女は姫付きの侍女なのか、一切音を立てず静々と迅速にテーブルを片付けカトラリーを置く。

 瞬く間に皿が置かれ料理が盛り付けられ、あっという間に食卓を整えるとまた侍女は一礼し壁際まで下がっていった。


「以前二人がお好きと言っていましたので、今朝は少し無理を言って魚を取り寄せましたの。魚の香草焼きとミルクのスープですわ」


 メルは満足そうにそう言うと、二人に食べるよう勧め自身も魚にナイフを入れ始めた。

 メルは簡単に言っていたが、王都ではあまり魚は流通していない。それこそ王太子であるホルンでさえ魚を食べたのは、ザミラと食べたカーゴを入れても片手で数える程度しかない。

 【少し無理を言って用意させた】と表現していたが、きっと調達に走った人達は血眼で探したであろう。

 いくら常識に疎いイヴァンとザミラでもその辺は理解出来る。

 だが、その辺の事も全てひっくるめて今日は気付かなかった事にし、二人は満面の笑みでメルに礼を言うと朝食を取り始めた。


 朝から贅沢に満腹になり、久しぶりにゆっくりとした時間が流れるかと思いきや、侍女が食器を持ち退室してすぐにメルが動き始めた。


「森での外泊許可は取れたには取れたみたいなのだけど、スレイプニルの餌が全然揃わないみたいでいつになるか見当も付かないらしいわ」


 飼料用の高山麦もククルもエリ芋も秋口に収穫する為、完全に冬が明け暖かくなってきた今の時期は、ようやく迎えた春の実りに誰しもが夢中になる時期だ。その為、店側も今の時期に採れる物をメインに仕入れをするので、余程家畜の多い街や寒さの厳しい地域で無いとまずお目にかかれないのだ。

 牧場を営んでいたイヴァンとザミラもその事は重々承知なので、メルの話をただ頷いて聞いていた。


「ですので当面はマンドレイクの量産をする事になりそうですわ。まずは私でも増やせるか実験ですわ! さぁ、二人とも! 始めますわよ!」

「もう!? 薬効成分とかは!?」


 昨日イヴァンが不覚にも作成してしまった輝く女神マンドレイクを片手に意気揚々と立ち上がるメルと、それつられて立ち上がり驚きの声を上げるザミラ。


「昨日少し磨って確認したから薬効は問題無いはず。メルがやる気のうちに手伝って貰おうぜ……」


 イヴァンは唖然としているザミラにそう言うとメルの後を静かに追っていった。


 輝く女神マンドレイクを植えて半日。当たり前だが何の変化の訪れない。

 他のマンドレイクのように変な呻き声を上げる事は無いが、水が欲しくなると少し輝きと笑みに曇りが見られるだけで、他は特に代わり映えのしない現状だった。


「やっぱり母神以外が魔力も使わず育てると、普通の植物と同じ成長なのかもな。早めに量産するなら魔力のこもった鉢で育てるか、魔力のこもった水差しで水をやるか……魔力で灯りを作って直接降り注がせるか、か」

「そうなりますとこの放牧場のテラリウムでは少し不便ですわね。王宮の魔術師棟に一部屋設けた方が宜しいかも知れませんわ」


 もし放牧場で今イヴァンが言った方法をとってしまうと、スレイプニルを育て始めた時に影響がでないとも言い切れない。

 スレイプニルが魔力の灯りを受けたらどうなるか。魔力のこもった水を飲んだら、魔力こもった土で育った草を食んだら。それらがどう影響するかを検証する位なら、はじめから別の場所に移してしまった方が後々効率が良い。

 残念そうに芝に座り込みため息をつくメル。今までが順調で、しかも目の前ですくすくと育つマンドレイクを見ていただけに、改めて母神以外がマンドレイクを育てる事の難しさに直面するとため息ばかり出てしまう。 


「でもほら、このマンドレイク、メルの事嫌がらないじゃん? マンドレイクは普通魔術師以外は拒否するはずなのに。そう考えたらこの輝く女神マンドレイク? は成功してるんだって! 後は上手く育てるだけ! ね!」


 ザミラは落ち込むメルにそう声をかけ、輝く女神マンドレイクを引き抜くと、以前レイが使っていた鉢に植え直しメルに渡す。

 放牧場に植えていたらメルが付きっ切りで世話するには不便だ。イヴァンとザミラの二人が世話をしては元も子もないので、思い切って鉢ごとメルに託す事にした。


「まぁ失敗してもまた作れば良いし、そんな簡単に駄目になるような植物でも無いから好きにやってみろよ。俺達もその間に輝かない女神マンドレイク作っておくから」

「……そうですわね。では魔術師長に取り急ぎ水差しを一つ作って貰いますわ! あと、兄様に部屋の確保も!」


 心機一転やる気を見せたメルがホルンの仕事をさらっと増やしたのは気付かなかった事にした。

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