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 王宮に来て二週間。

 早朝からマンドレイクの鉢を背負ったイヴァンが、ごりごりとすり潰しているのは収穫したばかりのマンドレイク。

 結局いくら肥料水をあげても取り立てて見た目は変わら無かったが、念の為薬効成分がどの程度なのかを調べようと朝から薬研を足で抱えるようにし床に座り込み作業をしていた。

 マンドレイクは全て摩り下ろさず、頭の部分が少し残るように茎と葉を切り落とし後で適当な鉢に植えなおす。すると二人の経験では一晩でまた元のマンドレイクの形に成長している。

 マンドレイクを引き抜いた時の悲鳴もなかなか壮絶ではあるが、すぐに生えてくるとは言え、頭を切り落とした際の断末魔に近い声の方が二人は苦手としていた。


「んー……やっぱり他のも変わりは無いみたいだよー」

「だよなー。今のところは臭いがヤバくなった位か? 薬としては無いな、吐くわ」


 マンドレイクを片手に二階に上がって来たザミラがふて腐れ気味に今見て来た事を伝えると、イヴァンも手元の状況を見た結果、あまり今回の実験には期待していなかったらしく溜息交じりに手を動かし続けている。

 細かくカットし砕いたマンドレイクを、更に薬研ですり潰し成分を抽出していく。

 二人が自宅に居た時は時間をかけて煮詰めたり水車ですり潰したりしていたのだが、今回作業を始めようとマンドレイクに刃を入れた瞬間、室内に広がった強烈な異臭にたまらず最短で抽出する方法に打って出た。

 

「量産は出来なかったけどこれで薬効成分が素晴らしかったらどうする?」

「乾燥させて粉末にしたら臭いは消えるかもな。でもやっぱり液体飲み薬か塗り薬のが良いとは思うんだけどな。そうなったら粉末を水に溶くとか? 不味そう。しかも手間。無いわ」


 薬研を動かす毎に香り立つ異臭。

 通常の青臭さが増強され、さらに体中の粘膜が破壊される刺激臭。

 実際イヴァンもザミラも目は完全に瞑り規則的に手を動かすだけの装置に徹し、口に布を二重に当てマスク代わりにし、更に交代で外で深呼吸をしないと喉と目がやられてしまう程だった。


「でも粉末で持ち歩けるのは強みよ? 液体よりは保存もきくだろうし、水で薄めて薬の濃度が調節出来るのも画期的」

「となると、水の量も検証しないとどんなもん薄めて良いか分からないな。と言うか本当にそれで効くのかもまだ分からないし。【あなたのお宅の常備薬・マンドレイク粉末】……無いわ。あーザミラ、もう駄目だ交代してくれぇ」


 目を瞑ったまま体の正面でわたわたと両手を振りながら立ち上がるイヴァンの腕をとったザミラは、そのまま階段の手すりにイヴァンの手を導くと小さく気合いを入れて薬研に歩み寄る。

  

「もう結構出来てるじゃ無い。瓶に詰めちゃうよー」


 薬研の中を確認したザミラが階段に向かってそう叫ぶと、階段の下の方から力の無い弱々しい返事が返って来た。

 ザミラは棚から小瓶を取り出すと、恐ろしく機敏な動きで薬研の中の物を移しはじめ、目にも止まらぬ速さで作業を終えると一息に水の張ってある水桶に薬研を漬け込み入り口まで駆け寄る。

 部屋から顔だけを出したザミラは、止めていた息を盛大に吐き出すと、肩で息をし若干座った虚ろな目のまま階段の下に視線を移す。

 階段下には力尽きたイヴァンがぜぇぜぇと息をしながら、水瓶の水で何度も目元を拭っている様な動きが確認出来る。

 正直ザミラの目もあの一瞬でも瓶に移す為目を開けていたので、目がやられ視界がぼやけていてどうなっているのか良く分からない状況だ。

 ただ階段下に兄と思われる色合いの何かが動いている程度の認識だ。

 

「イ、ヴァンさん……?」


 ついに水瓶に顔を突っ込んでしまったイヴァンの後ろから、恐る恐る声をかける人物がいた。


「ごぼ? ごぼごぼごぼごぼばばばば」

「イヴァンさん!? それ大丈夫なんですか!?」


 水瓶に顔を突っ込んだまま返事をし、そのまましゃべり始めたイヴァンに思わず飛びついてその体を起こしたのはホルンだった。


「おーおはよホルン、だよな? 久し振り。今絶対に上に行くなよ。行ったら最後、俺達はお前に危害を加えたって事で犯罪者扱いされるわ」

「なんですその目……二階? はっ、ザミラさん!?」


 真っ白な宰相服のまま床に正座するホルンの膝の上に、ごろんと仰向けで寝そべったイヴァンの目は血が出ているのではないかと思う程真っ赤に充血し腫れ上がっていた。

 イヴァンの背負っていた鉢植えに収まっていたマンドレイクのレイはイヴァンが力尽きる前に降ろしていたらしく、今は水瓶の脇に鉢ごとそっと置かれ心配そうな声を上げている。

 自身の膝の上で力なく笑うイヴァンに絶句していたホルンだったが、ザミラの存在を思い出し顔を跳ね上げ階段の上に視線を向けると、そこには手すりに掴まりながらのろのろと降りてくるザミラの姿があった。


「おはようございますホルンさーん……。私はここでうわぁ!」

「! ザミ……っぶ!」

「ぐえっ!」 

 

 イヴァンと同じように完全に目を閉じた状態で階段を降りていたザミラだったが、ホルンに挨拶しようと片手を手すりから離した瞬間見事に階段から転げ落ち、しかもそれを受け止めようとホルンが腕を伸ばすも膝の上に居たイヴァンが邪魔で身動きがとれず、結局は落下して来たザミラに二人とも押し潰される形となった。



「……マンドレイクの生薬があって助かりましたね」

「それが原因でこうなったんですけどね……」


 辛うじてまだ目が見えていたザミラは薄めた生薬を飲んですぐに回復する事は出来たが、完全に目が腫れ上がっていた挙げ句、落ちて来たザミラと受け止めようとしようとしたホルンの下敷きになったイヴァンに至ってはそうも行かないようだ。

 朝から疲労感漂う哀愁に満ち満ちた目でホルンとザミラが揃って視線を向けた先には、生薬がたっぷり染み込んだ布を目に掛けまんじりとも動かず芝に仰向けで寝そべっているイヴァンの姿があった。

 ザミラが落下してすぐ異臭に気付いたホルンが、轟沈した二人をどうにか放牧場まで引きずり出した後、急ぎ二階を換気し今に至る。

 イヴァンは生きているのかどうか定かでは無い程微動だにせず、鉢から這い出したレイもただただ心配そうにイヴァンの胸の上に無言で座り込んでいる状況。


「あの様子を見る限り、効き目はむしろ悪くなったのかな?」

「そのようですね。本来のマンドレイクならば瞬時に治ってもおかしくは無いと思いますし、そもそもそれ以前に……」


 言葉を飲み込んだホルンに言わなくても分かると深く相槌を打つザミラ。

 一株でこの異臭、たとえ優れた薬効成分であっても大量に処理をしたら命が危ない。言わずもがなで却下である。

 

「んー、【植物】を育成するやり方で考えてたんですよ、肥料とか土とか光とか。でもやっぱり【魔物】って考えるとそもそも根本から違うかも」

「そうですね……。些か決め付けるには早い気もしますが、そちらの路線も視野に入れた方がよろしいかと」


 ザミラは読み込んだ資料の内容に思いをはせる。

 日陰が好き。魔術師が魔力を注ぐと魔術師とそっくりな姿になる。胡乱な情報なら人間の血で育つや月明かりでのみ成長する等もあった。

 どれも似たり寄ったりな事か素晴らしく独特な発想だったりと、共通点は無いように見えるのだが一つだけ共通している事は【マンドレイクを植物として扱っていない】だ。

 正直この共通点は最初の段階で三人とも気付いてはいた。だが、そう考えると普通の植物としてイヴァンとザミラが庭先で育てていた高品質のマンドレイクの謎が深まるばかり。

 昨日からずっと同じ様な内容の事をぐるぐると考えてはいるが、やはり机上の空論なのか一向に解決の糸口は見つからない。

 

「うちの土って実は凄かったのかな。ホルンさん、うちの土少し持って来れないです? せめてここの土との違いとかが――」

「苦ぇ……苦ぇよぉ青臭ぇよぉ……あぁれぇ? だんだん美味くなって来たぁぞぉ……へへへぇ」


 真剣にザミラとホルンが頭を突きつけていると、すっかり存在を失念していた人物が思いも寄らぬ声を上げた。

 振り返る確認すると、その光景に驚きのあまり目を見張るホルンとザミラだったが、徐々にザミラの目に涙が溢れ出しホルンにすがるように口をパクパクさせ自身の兄を指さす。

 さっきまで大人しく芝に転がっていたイヴァンは、胸の上に乗っていたレイに引きちぎった自分の葉を口にぎゅうぎゅうに押し込まれもごもごとおかしな声を漏らしていた。

 兄のこんな姿を今まで見た事がなかったザミラの頭は完全にパニック。ホルンも衝撃を受けたがザミラはその何倍もの衝撃があった。


「うえぇぇんイヴァンがぁぁぁ」

「何やってるんですかマンドレイクさーん!?」


 泣き出すザミラを横目に、ホルンはイヴァンに駆け寄りイヴァンの上に乗るレイをその場から退かすと、口に詰め込まれた葉に手をかける。

 すると何故かそれと同時にイヴァンがビクリと震え、そのまま勢いよく腹筋だけで起き上がった。

 ずるりとイヴァンの目元から落ちた布に視線を落とし、再び視線を上げた瞬間今度はホルンがビクリと震え少し後退する。


「……。うわにっげぇ! 口ん中すっっっげぇ苦ぇ!!」


 起き上がったイヴァンの目は完治していた。

 イヴァンは起き上がった直後、がっつりと目を見開きぼうっとしていたのだが、すぐさま我に返り口に詰まった葉を吐き出すと、そのあまりの苦味に再び芝の上を転がり回り始めた。

 転げまわるイヴァンと泣くザミラに挟まれ完全に停止したホルンの前で、レイが心配そうにイヴァンに歩み寄って行くが、引きちぎった葉は見るも無惨な事になっていた。

 

「ぐぇぇ……これお前の葉っぱなのか、ありがとよ。でも簡単に千切るんじゃねぇよ」


 よろよろと再起動したイヴァンが寝そべったまま自身に張り付いていたレイを抱えなおすと、その姿勢のまま目の前の土を掘るとレイを植え直す。

 ぼろぼろになった葉をくたりとしならせ反省しているような素振りを見せるレイの頭を、イヴァンが当たり前の様に人差し指でぐりぐりと撫で回すと、ぱぁっとレイの体が色味をまし嬉しそうに小さな声を上げ手をバタつかせている。

 ぼろぼろになった葉はさすがにすぐ治る分けでは無さそうだが、レイの様子を見る限りそこまで重篤な事は無いらしい。そもそも自分で葉を引き千切ったのだから大丈夫だと分かっていての事なのだろう。

 植わったまま土を掻き分けじりじりとイヴァンに寄って行こうとするレイを微笑ましそうに眺めていたホルンだったが、ふとある疑問が浮かんで来た。

 

「そのマンドレイクさんは葉にも相当な薬効成分があるのですね。それ以前に色々規格外なのですが、そもそもお二人はなぜマンドレイクさんだけをそこまで大切にするのです?」

「「え?」」

 

 泣き止みホルンとイヴァンのそばに駆け寄って来たザミラと、寝そべったままレイをつついていたイヴァンが揃って不思議な声を上げる。

 

「何でって……何でだ?」

「強いて言うなら……懐かれてるから?」

 

 揃って同じ顔で不思議そうに小首を傾げる二人だったが、ホルンはレイに視線を落としたまま何か深く考え込んでいるようだ。

 レイもそんなホルンの姿が気になったのか、イヴァンとザミラの様に小首を傾げるとホルンに向き直り一度小さく鳴くと両手を差し出す。

 絶賛考え中のホルンは反射的に伸ばされた手を指先で摘み、レイの頭の辺りを指の腹を使い撫でる。

 それが存外に嬉しかったのか、レイは恍惚な表情を浮かべ湯船に浸かるかのように両手を地面の上に投げ出している。

 

「もしかして……二人のかける愛情が関わってるのかもしれませんね」


 その言葉にレイの表情が一気に華やぎ、爛々とした輝きを放ちイヴァンとザミラに視線を向けた。

 

「テラリウムでマンドレイクさんをお二人にお渡しした時、確か瀕死の状態だったマンドレイクさんを必死に蘇生されてましたよね? 同じ土に植え水をあげるだけの動作でも他のマンドレイクの時とは違っていたように思われるのですが」


 言われてみれば厩の二階にメルが持ち込んだマンドレイクも、レイと同じ時期に収穫した為全部瀕死状態ではあったが、繁殖の事で頭がいっぱいで心配なんか欠片もしなかった。それにもし繁殖の事が無くともレイという前例があった為、二人はあそこまで焦る事は無かったと思われる。

 

「それでレイはこんな感じになったって事だったとして、家で育てたやつとここで育てたやつの違いも純粋に植物を育ててたのと繁殖目的だったからの違いって事か。でもそんな心持一つで変わるんだったらそれこそ量産なんて無理じゃないか?」

「母神は心を通わせようとする気持ち次第でその力が変わるのかもしれません。となるとお二人の気持ちによりどう魔力が変動するか調べないといけないですし、そもそもお二人にしか出来ない事でしたなら量産どころか育成自体不可能でしょう」


 ホルンはそう言うと苦しそうに視線を下げてしまった。

 土から這い出したレイもそんなホルンに心配そうに歩み寄ると、正座するホルンの膝に両手を沿え覗き用に見上げ鳴き声を上げる。

 

「えうー」

「…………鳴き声が進化しましたね、マンドレイクさん」


 今までは聞き取れるが表記出来ない声にならない声を上げていたレイだったが、なぜか人間の赤子のような声でホルンに必死に語りかけていた。

 必死に何かを訴えるようにホルンの膝をべしべしと叩きしまいには登り始めたのを、イヴァンが抱え上げどうにか阻止した。

 

「レイー見て分かるだろー? ホルンの服は真っ白なんだから土なんか付けて汚したら後で怖い人達に怒られるんだぞー? 本人はもう膝付いて座っちゃってるけどなー、登りたくてもホルンが自分から膝に抱えてくれるまで良い子にしてろー」

「はいはい、おいで下さいマンドレイクさん」


 レイのお陰で場の空気が少し和んだ気がする。

 ホルンは笑みを浮かべスカートのように広がっていた宰相服の裾を直すと、改めてレイに両手を差し出す。

 すると勢い良くイヴァンの腕から飛び出したレイは何故かその広げた腕でも整えた膝では無く、思いっきり純白で豪華な装飾の付いたホルンの胸にべたりと張り付いてしまった。

 

「うん、その大胆さ私好きよ。良くやったわレイ!」


 ホルンは横で何故か満足そうな声を上げるザミラに視線を流すも、前傾姿勢のまま固まるホルンの胸をじりじりと鳴き声を上げながら登ってくるレイにすぐさま視線を戻す。


「この際もうどうでも良いですが、服の中に土を入れないで下さいね? っいたたたた」

「……え?」

 

 ホルンの体をよじ登り、ホルンが右耳につけている首筋に沿うように垂れ下がっていた王家の紋入りの羽飾りにレイが飛びついた瞬間、ぼろぼろだったレイの葉の一部が光を放ちほんの少しだけ成長した。

 思いがけず耳を引っ張られる形になったホルンが耳の痛みに耐えかねてぼすっと地面に崩れ落ちると、くっ付くように一緒に目の前に落ちて来たレイの姿に目を見開いた。

 

「えっ? 葉がいたたたたた」

「ちょっ、レイさすがにそれは大胆過ぎだからー!!」


 硬直する三人を尻目に、レイは耳飾を甘噛みする様に口に含み始めていた。

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