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庭にこだます悲鳴に、逃げ遅れた鳥が目を回し落下する。
あぁやってしまったと思いつつも、二人共作業の手は止めない。
「今日は十個だったか?」
「十二個じゃなかった?」
丁寧な刺繍を幾重にも施した色鮮やかな服と、その服とは対象的に真っ白なシンプルな布で頭を覆った黒髪の女が、屈めていた腰をゆっくりと伸ばしながら立ち上がると、同じく刺繍の入った服を着た隣の男に視線を向ける。
あと二個か、と溜息混じりに溢した男は、女同様に屈めていた腰を一度伸ばすと、勢い良く左右に腰を捻っている。
庭の端、庭といっても手入れもしていない自宅と裏の森のと間の、日も満足に当らないような空きスペースの一角で、二人は土にまみれながら畑作業をしていた。
「あ、見て見てイヴァン、これ今日の一番じゃない?」
女は腰を捻っていた男、イヴァンの肩をぽんぽんと叩きそう言うと、首から下げていた耳栓を耳にはめ直し足元の草に手をかける。
慌ててイヴァンが耳栓をした直後、再び庭に悲鳴が響いた。
「ザミラ! 抜くなら俺が耳栓つけてからにしろよ!」
「あ、ごめん。でもマンドレイクって言っても普通に育てたやつだから、悲鳴聞いても大丈夫じゃない? ちょっと……頭と耳が痛くなるだけ? それよりほらっ! 丸々太ってる!」
抗議の声を上げるイヴァンを無視し、ザミラはイヴァンの鼻先にまだ掘り出したばかりで土臭いマンドレイクを差し出した。
イヴァンは勢い良く差し出されたマンドレイクを恨めしそうに眺め、自身の顔に飛び散った土を掃い、差し出されたマンドレイク受け取るとを足元のカゴに放り投げる。
カゴの中には先程収穫していた物も合わせこれで十一個のマンドレイクが入っている。
変にカゴから飛び出しているのを直そうと、横着し足先でカゴをつついてやると、新鮮なマンドレイク達は各々小さな呻き声を上げた。
遠く地の底から聞えてくるような微かに聞えてくる低い怨念がこもったような呻き声が、足元で迷惑な多重奏を奏でているのを横目に、ザミラは今日の分の残りの一本を引き抜きにかかった。
*
イヴァンが収穫した直後のフレッシュマンドレイクを梱包している隣で、ザミラは乾燥させた物と粉末にした物をそれぞれ梱包している。
部屋の中には至る所にマンドレイクが吊るされており、小川に面した所では水車の力ですり潰していたり、挙句部屋の奥の竃では煮込んでいる様子。
そんな何とも怪しげな場所だが、二人はいたって普通の牧場を営む普通の兄妹。
街から歩いて十分あたりの場所にある、両親が残してくれた小さな牧場を慎ましやかに守って生きている二人だったが、なぜだか動植物の育成に秀でていた。
それはもう魔術か何かかと言っても良いのかもしれない。
それがどれ程かと言うと、二人が食べた木の実の種をその辺に投げ捨てたとしよう。だが、それだけでその種は大成したわわな実をつけるであろう。
だが意外にも二人が自分達のそんな特出した才能を発見したのはつい最近で、しかも先程収穫していた庭のマンドレイクがきっかけだった。
それは数ヶ月前にたまたま街に流れ着いた医者が持っていたマンドレイクを、長期滞在では傷んでしまうが街中では植える場所が無く困っていると相談され、仕方なく一時的に預かったのだが、マンドレイクの好む日陰に一晩植えただけで何故か分けつし、しかもどちらが元のマンドレイクかすら分からない程に立派に成長し、株わかれをしていたのだった。
二人は魔術の心得なんか無く勿論育て方なんて知らない。
気味悪がった二人は翌日すぐにその事医者に伝え、マンドレイク二本と植えてた場所の土、ついでに自身の健康診断を兼ねて体も見てもらったのだが、不思議とただの土と普通のいたって健康な人との検査結果だったが、マンドレイクだけは二本とも薬効成分が跳ね上がっていた。
言われてみればと、興奮している医者に自宅で飼育している家畜の乳や肉や毛の品質は良かったな等と答えたが最後、手軽に安定して高品質な薬効成分の高いマンドレイクが手に入ると、半ばなし崩しにその医者に定期的にマンドレイクを卸す契約を交わす事となった。
今更だがマンドレイクは魔術のこもった植物。分類的には魔物扱いになる。
本来、魔術師が己の力を注ぎ込み育てると、人とそっくりの見た目に成長し、それを魔術師は自身の助手として使う物である。
そして育成に失敗すると、医者が持っていたような森にたまに自生するただの叫ぶ人型の植物になる。
だがそれでも貴重な品であり、良質な薬になる事も相まって高値で取引されているのだ。
二人はこの数ヶ月間牧場仕事の片手間で、医者から依頼が入った時だけ庭から放置していたマンドレイクを引き抜き王都に送るようにしていた。
「ん? まずいぞザミラ、依頼書に続きがあった」
荷造りをするザミラの隣で、依頼書の入っていた封筒を光に透かしながら、言葉の割には危機感を感じない声色でイヴァンが呟いた。
定期的に届く医者からの依頼書は、自身が王宮付きの医者である事を全面に主張するかのように、これでもかと言うほど巨大な王宮の印を押した封筒に、ぴらりと一枚必要個数と納期だけ記された物が入っているだけだ。
だが今回はなぜか中にもう一枚入っていたらしい。
依頼書が届いた時、イヴァンが横着しろくに中身を確認せずに一枚目だけしか取り出さなかったのだ。
「えー、もう梱包しちゃったのに。なんて書いてある?」
ぴっちりと綺麗に木の皮で梱包したマンドレイクをそっと端に寄せ、不満げな声を上げながらイヴァンの手元に視線を落とす。
それはいつもの癖の強い、難読な医者の字では無く、これぞお手本と言うような流麗な文字が一糸乱れず並んでいた。
【東の果ての双子の母神様】
詩の様な童話の様な見出しの一文に、二人は揃って首を傾げた。
王都からしたら二人の住む場所は東の果てだ、そしてイヴァンとザミラは双子。ここまでは少し考えたら二人もすぐに察する事が出来たが、母神とは何をさす言葉なのだろう。
見出しに釘付けのイヴァンの横で、ザミラが封筒の裏の宛名を確認するも、やはり間違いなく自分達宛てである。
「あのお医者宛ての手紙が間違えて入っちゃったのかしら?」
「でも双子様って見出しだぞ?」
揃ってうなり声を上げるも一向に理解が出来ないので、二人は失礼ながら先を読むことにした。
【正式な形では無く、こういった形でのご連絡となり申し訳御座いません。私、王宮にて宰相を務めておりますホルンと申します。お二方に折り入ってお話があり……】
そこまで目を通したイヴァンが突然静かに手紙を机の上に置いた。
そして無言のまま目頭を押さえ、入り口のすぐ脇に寄せてあった木箱に座ると動かなくなった。
「……面倒くさいんでしょ?」
ザミラが心底呆れた声でそうイヴァンに呼びかけると、イヴァンは気にせず先を進めるように机の上の手紙を指さすだけだった。
ため息交じりにザミラも手頃な箱に腰掛けると、手紙にささっと目を通し始めた。
「今回は直接取りに来るって」
「誰が?」
「ホルンさんが」
「医者と契約してるのに宰相が? 取りに来るだけあの手紙の仰々しさ? 折り入ってのお話の内容は?」
イヴァンが心底関わりたくないと思っているのが手に取るように分かる言動。
面倒事を察知する能力は本当に長けているイヴァンだが、ここまで露骨に態度に出すのは珍しい。
ザミラも面倒事は出来るだけ避けたい性分。これは手紙に気付かなかった事にしてしまおうか。
「不躾な手紙をお送りしてしまい申し訳御座いませんでした。折り入ってのお話は今させていただきます」
二人が弾かれたように顔を上げ声のする方に向き直ると、そこには真っ白な異国の服をまとった眼鏡の青年が従者を二人従え立っていた。
柔和な雰囲気のその青年は、白銀の髪と紫の双眸、白を基調とした体の線にぴたっと沿った装いで、外套のような丈の長い上着は襟元から腰までしっかりと金のボタンで留められ、腰から下の部分は開け放たれふわりと風にたなびいている。
非の打ち所の無い完璧な笑みを浮かべ小首を傾げれば、右耳に着けた髪と同じ白銀の羽根の耳飾りがふわりと揺れる。
口調から察するにこの青年が手紙の主、ホルンだろう。
二人が突如現れた見知らぬ異国の服の青年に驚き固まっていると、青年の従者は外に向かって何か指示を出しながら家の中に慌しく押し入って来た。
「ちょっ……勝手に困りま――」
「お二方はこちらをご覧下さい」
そう言ってホルンは外に出ようとした二人を呼び止め、机の上に一枚の書類を広げた。
ザミラとイヴァンは反射的に広げられた書類に目を通すも、そこに書かれた言葉はあまりにも小難しく専門的な内容だった。しかし、先程の手紙と同じように書類の見出しの文字だけは理解出来た。
「差押え!? 土地建物家財一式!?」
「はい、本日付でこちらの敷地とその上物全て差押えさせて頂きました」
さらりとそう言ってのけたホルンは、未だ書類に釘付けになっている二人を横目にもう一枚の書類を差し出すと続けて口を開く。
「お二方はこちらの人物に心当たりが御座いますか?」
「心当たりって……王宮付きの医者だろ? ここ数ヶ月手紙で納品の依頼をしてくるだけだから殆ど関わりなんて」
ホルンの差し出した資料の一番上に添付されていた肖像画、それはマンドレイクを育てるきっかけとなったあの医者だった。
二人は何度か視線を合わせ確認しあうと、なぜ王宮付きの医者が差押えに関係あるのかと、促すようにホルンに視線を戻した。
「王宮専属医にこのような者はおりません」
「はっ!? だってあいつ鬱陶しい程王宮の紋入りの手紙送って来てるし、初めて会った時なんか死ぬ程肩につけた陶器製の徽章を見せびらかせて、いかに自分が凄いかの自慢話してたぞ!? それに王宮経由でマンドレイクが安価に安定供給出来るって……!」
予期していなかったその言葉に、理解が出来ないイヴァンがホルンに詰め寄り両肩をがっちりと掴むと、目を見開き捲くし立てるように話す。
そのあまりの剣幕に、外にいた従者が慌ててホルンからイヴァンを引き離しにかかる位だった。
「落ち着いて、お二人とも一度落ち着いてよく考えてみて下さい。王宮でマンドレイクを市場に安定供給するとしましょう、そうなった場合このような小箱一箱に収まる分だけの少量の不定期納品になるでしょうか?」
従者によってずるずると引き離されていくイヴァンと、イヴァンに寄り添っていたザミラの表情が固まった。
「それと先程【肩の陶器製の徽章】と仰っておりましたが、我が国の徽章は【肩章】ではなく【襟章】であり、階級によってプラチナや金や銀など材質は異なりますが、陶器製の物はございません」
ホルンはそう言うとイヴァンに掴まれ乱れた服を直し、自身の襟元の徽章が二人に見えるように襟を引っ張りながら小首を傾げる。
イヴァンとザミラはお互い顔を見合わせると、二人揃ってじりじりとホルンに近付き襟元の徽章を覗き込む。そこにはホルンの話の通り、襟元に六角形のプラチナ製の徽章がしっかりとつけられ、そばに控えている従者の襟元にも素材の違う同じ形の徽章が光っていた。
それは素人目にも医者がつけていた徽章とは違いが分かる程しっかりとしたものであったし、それ以前にそもそも医者のつけていた物は六角形では無く楕円形の物であった。
確かにイヴァンもザミラも王宮からの手紙にしてはあまり品の無い封筒と便箋、字体や対応だとは思っていたのだが、生まれてこのかた王宮と無縁の生活をしていただけに、そういう物なのだろうと納得せざるにいた。
だが改めてホルンの話を聞き実際に会ってみた事であっさりと疑問が解消された。
目の前に居るホルンも、ホルンの書いた字体もその便箋も二人の想像していた【王宮】を更に上回った形で体現していた。
「あーそうかぁそうだよなぁ……。あの医者、王宮付きにしては小汚いし一人で王都まで帰るって言ってたからな、おかしいとは思ったんだよな」
「本当に。胡散臭いし小汚いし小汚いし小汚いし……」
その場にうな垂れ座り込む二人に、二人の前にしゃがんだホルンが更に追い討ちをかける。
「あと、彼は医者ではなく詐欺グループの一員です。お二人から買い取ったマンドレイクを高値でその筋に横流ししていた人物です」
「あ、うんなる程。なんかしっくりきた……」
完全に床でふて寝するイヴァンの横でザミラが座り込んだまま呆れたように呟いた時、ふとある疑問がザミラの頭に浮かんだ。
そのままザミラは目の前で困ったような笑顔を向けるホルンを見上げながら、恐る恐るその疑問をぶつけてみた。
「そのとある筋に横流ししていた詐欺グループに、物資を売っていた私達って……」
「そうですね。共犯者、と言ったところでしょうか。捕まえたその詐欺医者も『契約して買った。金も払っている』と言っておりますし」
「いやいやいやいや待て待て! 俺達も騙されてたんだぞ!?」
寝そべっていたイヴァンが突如再起動し、目の前でしゃがんでいたホルンの足をがっちちりと掴む。足をとられたホルンがその場に座り込んでも気にする事無く、早口で話しながらずるずるとホルンの体をよじ登り始めた。
勿論すぐに従者によってホルンから引き離されたが、それでも尚ホルンに突っかかろうとするので、従者はホルンを守るようにがっちりと両脇に控える様にしたらしい。
「本来ならばこの様な場合私共もお二人は共犯ではないとする所なのですが、お二人が提供していた物と、その転売先が少し厄介なのです。マンドレイクは正しく使えば良薬ですが、使い方では相手を昏睡させたり命を奪う事も可能なのです。その詐欺グループがマンドレイクを流していた先は非合法な人身売買をしていた所でしたので、残念ながら良い方向での使用はされていなかったでしょう。ですのでお二人の身柄は王宮で預かり、この場所も王宮差押えという処分となったのです。それに、いくらお二人共知らなかったとは言え、一回の納品で十万リルもの大金を受け取っていたとなると、さすがに途中で気付い――」
「一箱十万!? いや、大きさによるけどマンドレイク一個で大体三百リルって契約だったから多くてもせいぜい三千……」
お互い新たに発覚した事実に言葉を失う。
王宮付きの医者と思っていた人物が実はただの詐欺師で、一箱十万リルの価値の物を安易に大量生産し、尚且つそれが人身売買に使われていて、挙句そのせいで二人は親から受け継いだ家と土地、牧場と家畜を差押えられ、自身の身柄も王宮に拘束される事になった。
人と関わる事をしない、世間知らずな二人が見事カモにされていたのだった。
「……お二人はもう少し世間に目を向けた方が良いかも知れませんね。ですが事が事ですのでなんのお咎めも無し、と言う訳にもいかず、一先ずお二人の身柄を王宮で預かるといった形を取る事になったのです。ここまでが王が下した結論です」
そしてとホルンはそこで一度話を切ると、従者に外に出るよう指示を出し、座り込んでいる二人に顔を寄せ続けて口を開く。
「そしてここからのお話は私からの提案なのですが、お二人は罪人疑惑のまま王の監視下に置かれるのと、私の下に付いて働くのと、どちらが宜しいです?」
「……は?」
人払いをしこそこそと意外な提案をするホルンに、二人とも拍子抜けな声を上げる。
「それは罪人扱いよりはそっちの方が良いに決まってるけど、今ちょっと『王宮』とか『王』とかそういう言葉が全く信じられない状況にいると言いますか……」
「ぶっちゃけ俺達の頭じゃもう理解が追いつかない状況で……色々聞きたい事はあるけど、そもそも家を差押えられた俺達に拒否権っていう物は――」
「今の所ありませんね」
にっこりと微笑みきっぱりと言い切るホルン。
王宮の医者と言う名乗る男に騙された直後、王宮の宰相を名乗る男に自身の下で働かないかと持ちかけられる。
二転三転する話に二人の頭は完全に付いていけていなかったが、一つだけはっきりと分かった事は、二人に拒否権は無いという事。
「これから二人にお願いしたい事やこれからの居住等の説明は、追って王都にてご説明させて頂きます」
ただ無言のままホルンの顔を見上げている二人にそう告げ、差押えられてはいるものの、必要最低限な荷物の持ち出しは許可を出す。
「話ならここや移動中の馬車でも出来るんじゃないのか? 王都まで丸二日はかかるよな?」
「そうしたいのは山々ですが、急ぎお二人を連れて戻らないとさすがにそろそろ業務に支障が出る頃ですし、あの者達は作業がありますので、私もお二人と同じ馬車で戻ろうと予定していたのですが、私が護送車に同乗すると言ったら従者が卒倒し、ではお二人を私の馬車にと思ったのですがこれまた出発の直前まで泣き付かれてしまい……」
「護送車……」
家の外に目を向ければホルンが乗って来たであろう小さな王宮の紋入りの馬車と、従者や外で作業をしている人達が乗って来た大きな馬車、それと窓にしっかりと鉄格子が嵌められた護送車の三台が並んで停車している。
ザミラとイヴァンが護送車に視線を向けたあと、再びホルンに視線を戻すと、絵に描くような困った笑顔を向けていた。