騎士、帰還する
オレは十分な仮眠を取り、カルドの街を後にした。もうここで得るものはなかった。
せめて何か土産になるものはないかと探し、オリーヴの塩漬けの壺を二つ買い求めた。一つは職場に、一つはダルの親父にだ。片手に収まるほどの小さい物だが、名物だと言うし、ダルの親父は喜んでくれるだろう。結果としてエトワールには会えなかったが、ここを教えてくれたのはあのひとだからな。
乗り合い馬車の揺れを骨身に感じながら、オレは今回の短い旅について思いを馳せていた。夜を押しての強行軍、さらには魔物討伐の助太刀と、戦ってばかりの一日だった。疲労は感じていたが、それでも休みを使い潰してまで来た甲斐はあったと思う。
エトワール……。
エトワール・ノレッジ。それが彼女の名前か。
風に髪をほどいた彼女の横顔が脳裏に浮かぶ。やはりと言うべきか、彼女はただの商家の娘じゃなかった。あの口ぶりでは貴族の令嬢なんだろう。エトワールの纏っていたあのゆったりとした空気は、育ちの良さから来るものだったのか。釣り目がちな大きな瞳が笑う時だけふんにゃりとゆるむのが、高貴な女性らしさを感じさせない部分であったのだが、しぐさと言い身なりと言い、彼女は他の誰とも違っていた。
あの老婦人は何と言っていたっけ。
思い出そうとしたのとは違う言葉が甦る。
『恋する人間を留めることなんて出来やしないのだから』
ハッ、恋? オレが?
そんな馬鹿な。今さらオレにそんな感情なんて残っていようはずがないのに。
『あの不幸なお嬢さんを救えるのなら、どうか救ってさしあげてちょうだいな』
不幸な、お嬢さん。
エトワールを不幸だと。
あんな風に微笑む彼女を。あんな風に一生懸命で前向きな彼女を?
否定したくて頭を振ってみたが、それならそうだ、納得がいく。エトワールがあえて家名を口にしなかったのも、思わせぶりなセリフも、どれも彼女が持つその「不幸」とやらのせいだったとしたら。ああ、誰かとの恋を解消しようとしていたのではないかなんて、下世話な想像をした自分自身が腹立たしい。
「エトワール。エト……エティ? まあいい。とにかく、不幸な囚われのお姫様なら、助けて差し上げるのが騎士の役目、ってね」
そっと小声で嘯いて、オレは頭の後ろで組んだ腕を枕にガタガタ道を行く馬車に身を委ねた。彼女を守るのではなく、縛り付けるだけの家ならば、そんな柵なんて壊してやろう。そんな夢想をしながら帰途に着いた。
宿舎に戻るとオレを見つけたロクフォールがずんずんと大股でこちらにやってきて、いきなり胸倉を掴んできた。その顔は怒りのあまり歪んでいる。避けようと思えば避けられたかもしれない。だが、この純朴な大男の表情に、なぜかそうする気にはなれなかった。
「ラペルマぁぁぁ!」
「落ち着け。誤解だ」
「何が誤解だ? お前ぇ、お前は、上に話しは通っていると言っただろうが!」
「ああ、うん、ちゃんと……」
「我々の間で上といったら、分隊長殿だろうが!」
「すまん……」
ガックン、ガックン揺らされてちゃ上手い言い訳も思い付かない。う~ん、普段は大人しくてどこか自信のなさそうなロクフォールだが、ジェレミアのこととなると目の色が変わるなぁ、こいつ。
「分隊長を泣かすなと、ちゃんと言っておいたろう。どうしてわざと心配かけるような真似ばかりする? あんなに可愛がられておいて!」
「……泣いてたのか、あいつ」
「あいつじゃないだろ! ったく……。泣いてはいなかったが、朝起きてきて呆然としてたぞ。あの分隊長が修練場にも行かずに……。おいたわしい!」
「えっ。修練場に行かなかった?」
「そうだ。休日はいつも半日以上居座っては追い出されるのが常の分隊長がだ! 一人で密林を抜けて墓所まで行こうとするしで大変だったんだ。しかも、今も無言のままずっと書類仕事をしてらっしゃるし……」
「げっ……」
これは相当に怒っていると思った方がよさそうだ。ジェレミアの場合、きゃんきゃん吠えているうちは怒っているわけじゃなく……いや、怒ってはいるがそれはまだ許される範囲なんだ。本当に腹を立てると、黙る。そしてずっと無視される。前に怒らせたときはオレが十四のとき、ジェレミアの忠告を聞き流して、氾濫した河に内緒で遊びに行って危うく死に掛けたときだった。あの時は三日間謝り倒してようやく口をきいてもらえたんだったか……。
「とにかく、行って謝ってこい。お前にとっては兄だろう」
「いや、どっちかと言えばオレが兄であいつが弟……うん、悪かった。謝ってくるから!」
「…………」
「ありがとな、ロクフォール」
まるで熊みたいに厳つい大男の胸板を拳で軽く押し、安心させる。ロクフォールはまだ渋い顔をしていたが、それでも隊服の襟を離してくれた。オレはじっとりとした恨みがましい視線を背中に受けながら、ジェレミアがいるという資料室へ向かった。