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目眩

 ぎぃ、ぎぃ、と藤の揺りかごが規則的な音を立てている。その中で眠る赤子の、ふわっとした細く柔らかい髪は燃えるような炎髪だ。どこもかしこもくしゃくしゃで小さい赤ん坊の頬を、折り曲げた指の背で撫でると、皮膚とは思えないほど、まるでビロードのような肌触りがして奇妙だ。


 赤子は眠りながらも、オレの指をくすぐったがってか喉を鳴らした。なんて小さい、頼りない存在だろうか。呼吸をするにも体のすべてを使っているように見える。首に指を添え、ほんの少し力を入れただけで……折れてしまいそうだ。


(この子さえいなければ……。いや、違う、そうじゃない! だが…………)


 相反する思いが体中を駆け抜ける。オレはルベリアの首に手をかけ…………。そのとき、何かを落とすような鈍い音と息を飲む悲鳴が聞こえた。振り返れば、そこには洗濯籠を取り落としたサーラがいた。


「何をしようとしているの!? 離れて、このケダモノ!!」


 サーラはオレを突き飛ばし、赤ん坊を抱き上げた。とたんに泣き声が響く。サーラはルベリアを包み込んだ腕をスイングさせて落ち着かせようとしている。赤ん坊をあやす声は優しいのに、サーラの目は今にもオレを刺し殺さんばかりだった。


「私は……だから反対だったんですよ! あなたなんかがお嬢様とだなんて!! もう任せておけない、この子は私が預かります!」


 それに対して是も否もなかった。遠ざかる足音と泣き声。誰を求めているのか……あの子の母親は、エトワールは、もういないのに。オレはただ、ぼんやりと眺めていた。






 眠ればエトワールが側にいてくれて、二人で他愛もない話をした。すぐそこに、本当に彼女がいるかのようだった。そして目が覚めて、冷たく感じる部屋の中に彼女の姿を探すのだ。すぐそこの影からひょっこり顔を出しそうな、隣の部屋から鼻歌でも聞こえてきそうな、そんな錯覚に見舞われる。オレはただ、彼女を求めて、その残滓に縋っていた。


 何をして過ごしていたのか、どのくらい時間が経ったのかも分からないが、そのときまでオレはどうにか生き延びていた。時おり誰かが様子を見に来て食料を置いていった。話しかけてくるヤツもいた。だが、オレはそのすべてがどうでも良かった。


 居間の壁にもたれかかって座っていると、玄関も奥の部屋への入り口も、この平屋のほとんどすべてが見える。オレは酒瓶を呷って幻覚の訪れを待った。情けないことに、この四、五日は酒の助けを借りないと彼女の姿を捉えきれないのだ。


(本当はこんなことじゃいけないとわかってる、だが、もう少しだけ……あと一度でいい、エトワールに会いたい……!)


 その声を、笑顔を、妄想でもいから感じていたかった。オレは、玄関を開けて入ってくるエトワールの姿を夢想した。


 そこへ、小さな音を立てて、戸が開かれた。日の光が閉めきった室内を照らし、オレは眩しさに目を瞑った。


(エトワール……?)


 確かに、彼女の気配を感じた。だが、次に目を開いたとき、オレの前にいたのはドニだった。冴えないその大柄な男は、いつものようにどこか遠慮がちにオレに呼びかけた。


「ノレッジの者が近くここへ来ます。早く、離れた方がいい」

「………………なに?」

「サーラ、妻が、手紙を出したので」


 オレは手にしていた瓶を放り、両手で顔を拭った。


「なぜだ?」

「妻は、そうした方がいいと思っているんです」

「今更! ノレッジに手紙を送ったところで、その情報が正しいとも限らないのにわざわざ誰かを寄越したりしないだろう。悪いが、あんたたちみたいな身分のない人間からの投書なんて、読まれる可能性は低いぞ? ………………それとも、最初から密通してたのか?」

「……それが、サーラと自分の命を見逃してもらう条件だったのです。そして、金も受け取ってしまった。だからもう、言うことを聞くしかなかったのです」

「………………」


 二人の裏切りにカッとなったが、ここで怒鳴り散らしてたところで何の解決にもなりはしない。ドニはわざわざオレに情報を流してくれているのだ、それを無駄にする理由はなかった。


「すみません……。ドゥケスというひとが、お嬢様は恐ろしいほどの魔力を秘めていると言っていました。妻はそれを聞いて、ここで育てるよりもノレッジで教育を受けさせた方がいいと考えたようです。しかし、エトワール様の遺志は違う。絶対に知らせてくれるなと書き残しておられました。

 とにかく、エトワール様の死や子どもが生まれたことはいずれ向こうも知ることになるでしょうから、時期を少しずらして報告しました。ただ、お嬢様については普通の子どもと変わりないと、自分が情報を書き換えました。妻は、知りません」


 ドニの言う「お嬢様」とやらが、ルベリアを指すのだと悟ったオレは、妙な感覚に囚われた。そうか、オレにとってはただ普通の女性だったエトワールも、彼らにとっては仕えるべき家のお嬢様であり、それは今も変わらないのだ。だからこそ、今度はエトワールが遺したルベリアが「お嬢様」というわけだ。


「相容れないな……」

「………………」


 憎々しげにオレを睨むサーラの顔を思い出して、オレは思わず苦笑していた。

 そろそろ、頃合いだったのかもしれない。


「少し、待ってくれ。支度をする。……サーラは?」

「お嬢様が昼寝をしてらっしゃるので、婦人の集まりに顔を出してくると言って出かけました」

「そうか。なら、しばらくは帰ってこないな」

「ええ。お嬢様が生まれて、もう、三月になりますね」


 驚くべきことに、ドニは少し責めるようにそう言った。もうそんなに経っていたかと、ぼんやりと思う。あれから一度も、娘の顔を見ていない。


 散策にでも出かけるかのような軽装で、しかし剣だけは帯び、オレは旅支度を終えた。先に戻ったドニが赤ん坊の世話に必要な物を鞄に詰めてくれているはずだ。オレは裏庭へ行くと、エトワールに別れを告げた。


(しばらくお別れだ、エトワール。きっとまた、ここに戻ってくるよ……)


 裏庭を抜けてドニの家へと続く小路を行く。すぐ近くまで来て、様子がおかしいことに気がついた。こどもたちの声がまるでしない。死角を選び足早に寄ると、倒れているドニたちの姿が目に入った。彼らは意識を失っていたが、胸の上下する様子から命に別状ないと思われた。その不自然さにまず真っ先に浮かんだ可能性がひとつ。


(黒術……?)


 高度な術の使い手は限られてくる。ノレッジ……ドニの話から考えるとやって来るのが早すぎる。しかし……、もし……!


「ルベリア!! どこだっ!?」


 オレは荷物を捨てて屋内へ乗り込んでいった。部屋という部屋に踏み込んだが誰もいない。苛立ちを抑えきれず暴言が口をついて出る。もしやと思って裏庭へ出ると、揺れる白い敷布の波の向こう側に誰かがいた。灰色の長衣(ローブ)をその痩身に纏い、赤ん坊が入ったかごを覗き込んでいる。きゃっきゃと嬉しそうなルベリアの声がまるで作り物めいて聞こえた。


「あんたは……!」

「また、会うたのぅ、聖堂騎士よ」

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