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不和

 サーラのところで出産したいと言われたとき、即座に頷くことができなかった。オレと彼女の仲は良くない。むしろ相性は最悪だ。そうだとしても、エトワールの願いを叶えない理由にはならなかった。オレが了承すると、エトワールはなんだか言いにくそうに微笑んだ。


「わたし、トムさんにひとつ謝らなくちゃいけないことがあるんです」

「なんだろう」

「実は、トムさんのお家の近くに、土地を買って家を建てるように勧めました。きっと今頃はみんな、そっちに移っているはずです」

「…………家、か」

「ごめんなさい! でも、これからもきっとサーラの助けが必要になるから。そう、思って……」


 オレは怒りで声も出ず、彼女に背を向けた。エトワールの声がだんだん小さくなっていく。


 これでドニの家族は名実ともに「お隣さん」というわけだ。借地人と家主という関係だったこれまでと違い、いくら腹が立ったといっても彼らを追い出すことは出来なくなった。そりゃあこれまでだってそんなことをするつもりはなかったが、オレの意思ひとつで契約を解消できる問題でもあったわけだ。それをこんな風に騙し討ちするなんて……。しかもこれは、ただの思いつきで実行できることじゃない。エトワールが出産で死んだ場合にサーラに赤子を面倒見てもらおうという意図が丸分かりだ! 用意周到なエトワールに対し、やりきれない思いがせり上がってくる。彼女はオレよりもよほど自分自身の生と死に向き合っていた。


「ごめんなさい……」


 重ねての謝罪の言葉がオレを背中から打ち抜く。

 違う。謝らなければならないのはオレの方だ。非礼を詫びて抱きしめるべきだ。だが、どうしても怒りの炎が消えない。


 何を言うのももどかしくて、オレはエトワールを強引に背後から掻き抱いた。


「きゃっ!」

「…………ごめん」

「トムさん……」


 そっと、腕に触れてくる手が、オレを「責めてはいない」と伝えてくる。だが、オレの方は止まれなかった。ずっと言わずにいるのも限界がある。彼女を優しく手放して、オレは正面に回った。


「エト、オレは……、オレは君に対して怒っている」

「あ……」


 エトワールは唇を開いて戸惑いに瞳を揺らした。


「サーラたちのこと、土地を買って家を建てて、それはいったい何年がかりのことだ? そんな交渉、妊娠がわかってからで間に合うわけがない。つまり、彼らは先に知っていたんだ、きみの体のことを!」

「………………」

「最初からこうするつもりだったわけだ。思い返せば、オレたちとのことになら何だって反対してきたサーラが黙ったままだった。きみが先回りして黙らせたんだろう、サーラを。オレたち二人の問題なのに、オレに話すより先に保護者に許可を求めたんだ、そういうことだろ?」

「トムさん待って、そんな……違うわ」

「違わない!!」


 オレとエトワールは視線を合わせたまま、互いに何も言わなかった。オレは彼女の目の中に、苦しみと謝罪と懇願と愛を見た。潤んだ深い夜空の藍に、激情が、鎮まっていく……。


 彼女ばかりを責めるわけにはいかないだろう。オレだって黙っていることがある。ドゥケスに頼んだ施術には、危険が伴う。オレはこどもよりもエトワールの延命を望んだ。二人の子どもだというのに、口にすればそれだけで、どんな言い方をしようとエトワールの死を肯定しているように聞こえてしまうんじゃないかと思って……オレは……。


「エト……」

「そう、ですね……あなたの、言う通り……。わたしはまずサーラを説得しました。だって、サーラは、きっと反対すると思ったんですもの。そして、それを見たトムさんが、やっぱり嫌だって言い出したらって。そう考えたら、わたし……。本当に、ごめんなさい……。

 それに、産まれた赤ちゃんのことも考えたの。わたしは、自分が死んだあとのことも考えなくっちゃいけなかったでしょう? そうしたら、サーラしか頼れるひとがいないって気づいたんです」

「ああ。オレも、そう思う。オレが、その、頭に来たのは、きみが死ぬことを受け入れていたからだ、きっと」

「それは……」

「言わないでくれ。わかってる。……わかっているからこそ、ずっと、辛かった。きみの選択が、そして、ひとりで決めてしまったことが。それに、きみはオレの前では泣かないじゃないか。オレのいないところで、ずっと、悩んで苦しんできたんだろう? オレはその痛みも、分けてほしかったんだ……」

「ああ、トムさん……。ごめんなさい。ごめんなさい……!」

「オレたちはよく似てる」


 オレはエトワールの額にこぼれた毛の筋を指の背で払いながら続けた。


「きみはオレに笑顔だけをくれようとしたんだな。オレだって、同じ立場なら、きっとそう考えた。だからこそ、見て見ないふりをしてきたんだ」

「全部、知っていたんですね」

「偶然さ」


 ふんにゃりと微笑み返して、エトワールはオレの手を取った。両手で包み込み、口づけたそれを、今度は大きくなって今にも産まれそうな腹の膨らみに持っていく。


「わたしは幸せです……。トムさん、この子を撫でてあげてください。愛されて産まれてくるんだよって、教えてあげたいんです」

「それは……!」

「今じゃなくてもいいんです。そう、思えるようになったときで。ね、トムさん……お願いします」

「……祝福してないわけじゃない。ただ……。

 エトワール、約束してほしい。最後まで諦めない、と。予言の通りになんてさせない、宿命なんて信じない。だから、きみも……生きることを諦めないでくれ。子どもは二人で育てよう」

「……はい!」


 眩しい笑顔を振りまいて、エトワールは頷いた。初めて触れる、エトワールの腹の温かさ。そこに新たな生命が宿っているのを、言葉や概念なんかじゃなく肌で感じた。否定しても目を背けても、ここにいるのは紛れもなく二人の子だ。


「……名前はもう決まってるのか?」

「いいえ。候補はあるんですけど、まだ」

「そうか」

「そうだわ、女の子だったら、トムさんが名前を決めてあげてください。わたしは男の子の名前を考えますから!」

「ええ~?」


 おどけてみせたものの、エトワールはすっかりその気になっているようで、とてもはしゃいでいた。






 休暇を取ったオレたちはサーラとドニの待つ家へと身を寄せ、セドリック・ドゥケスを招いて下見をしてもらった。彼はオレを見て少し驚いたような顔をしたが、すぐに満面の笑みを浮かべて祝福してくれた。


「うんうん、いいですね。実にしっかりした造りです。これなら、場所は問題ないです。あとは、約束の日まで無理しないこと、転んだりしないようにすること。考えすぎず、気を楽にしてください」

「はい」

「いちゃいちゃするのはいいですけど、人前でできることぐらいで止めておいてください」

「……はい」

「おい、ドゥケス!」

「本気ですよ? それじゃあどうか、お大事に」


 そんな軽口を叩いて、ヤツは去っていった。赤ん坊を取り上げる予定の日は、すぐそこだった。細心の注意を払って生活し、穏やかな日々を過ごしていたというのに……。

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