金杯騎士団
食事会はつつがなく行われ、オレたちは祝福の中、夫婦としてやっていくことを皆の前で宣言した。陽の光の下で花びらのシャワーを受けるエトワールは、言葉を尽くしても言い表せないほどに美しかった。
とはいえ、オレたちふたりの生活に大して変化はなかった。エトワールはそのまま鐘つきの塔に暮らし、オレは隊舎に詰めていた。そうこうしている内に、武術大会の本選だったからな。
リリオを北上し、大聖堂を大きく迂回して金杯騎士団の詰める駐屯地に行く。“風の墓所”の崖から見下ろした樹海の先がそうだ。ひとつの街だと言われても頷けるほどに拓かれた、樹海の中の文明の飛び地、それがここ、アコロだ。
アコロの隊舎前は、巨体から小さいのまで、鎧の男たちがひしめいており非常に煩かった。各地から集まった本選出場者たちは、オレの顔見知りもいればまったくの初顔もいて、バラエティに富んでいる。隊長は挨拶があるから後は勝手にしろと言い置いて行ってしまった。ジンウェイ副隊長も一緒だ。あのひとがいないと隊長だけじゃ不安すぎる。休憩場所や宿泊する部屋の取り決めがあるんだ、エトワールのことを忘れて大部屋に放り込まれでもしたら、オレは全員追い出してエトワールに部屋を明け渡すぞ。……そうならないためにも、ジンウェイ副隊長にはついていってもらわなければ。
「トマス=ハリス・ラペルマぁ!! よくものこのこ現れやがったな、入れ違いでここから去りやがって、俺がどんだけ探したと思ってやがる!?」
勝手知ったる何とやら。古巣には昔馴染みがいたりもする。
「カインズ。久しぶりだな、八年ぶり、か?」
「そうだよ! ……ってぇ、そちらの黒髪の美人さんはいったい誰? 俺、ロドウィン・カインズです、よろしく。恋人募集中です!」
「オレの妻で、名前はエトワールだ」
「って妻かよ、馬鹿! ばか、ばぁか! お前、ジェレミーちゃんはどうしたんだよ!?」
「アイツは男だろ。それと、今回は出ないよ」
「なん……だと……。俺の癒しぃぃ! 俺の黒騎士がぁぁぁ」
オレもジェレミアもそんなに背が高い方じゃないが、カインズはもっと小さい。馬の尻尾のような銀髪を揺らして悔しがる馬鹿を見て、エトワールが小さく咳払いする。
「ああ、気にしないでいい。ただの馬鹿だから」
「はぁ。ところで、後ろでフレデリックさんが睨んでますけど?」
「おっと」
振り返ると、腕組みをしたフレデリックが無表情でカインズを見下ろしていた。上から下まで、品定めするような目つきだ。……怖いよ、お前。
「ふむ、ジェレミアを狙っているのか。どの程度の実力か、ちょっと見せてみたまえ。確か修練場は向こうだな、さあ、行こう」
「いてててて、髪を引っ張るな、誰だ、あんた!」
「フレデリック・ガルムだ」
「げえっ、俺と同じ白騎士候補の……?」
カインズは一気に顔色を悪くした。尻尾を掴まれ引き摺られていくヤツの助けを呼ぶ声が聞こえたような気がしたが……
「助けてくれぇえ!!」
空耳だな。
オレはエトワールに隊舎や食堂を案内して回った。前と変わらずな場所もあれば、変わってしまった部分もあり、エトワールだけじゃなくオレも楽しめた。アコロの敷地を大きく回り、聖堂の裏までやって来ると、唐突に二人、取り残されたような気分になる。
「エト」
「はい、なんですか?」
オレはさりげなくエトワールを壁際に誘導しながら囁いた。
「もしもの話だけど、オレがこの大会で上位に食い込めば、春からここか、この周辺地域に勤めることになると思う。そうしたら、どこかに家を構えて、二人で暮らさないか?」
オレとしてはリリオも嫌いじゃないが、せっかく能力の半分が戻ったんだ、あの平和すぎる場所から離れて元のように闘いに身を置くのも悪くないと思っていた。ジェレミアはもういないし、フレデリックも春にはリリオを離れる。ポムのヤツは結婚してひと足先に抜けてしまったし、ベイジルやロクフォールだっていつ異動になるか分からない。どうせ離れ離れになるなら、自分の居場所くらい自分で決めたかった。ただ……
「危険な、お仕事に、なるんでしょう……?」
エトワールはそっと目を伏せて、口許に寂しげな笑みを浮かべた。そう、オレが気にかけていたのは彼女のことだ。正直、彼女の反応は読めなかった。嫌がるのか、反対するのか、それとも信じてついてきてくれるのか。エトワールは憂うようにうつむきながらも、オレを責めなかった。
「エトワール、オレは今までここで上手くやれていた、これからだって同じことだよ」
「でも、危険は危険です」
「そうだな。運が悪ければ、死ぬことだってある」
エトワールが鋭く息を吸った。
「リリオは、狭すぎる」
「そんな……いい所ですよ?」
「まあね。けど、きみにはやることもなく退屈な場所だ。一日の大半を噂話に費やしているような街じゃ、きみが本当に必要とされる仕事なんてないだろう。そりゃあ、家でオレの帰りを待ってくれると言うなら嬉しいけど」
「……わたしのため? わたしが家の名前を名乗れないから? 噂話でわたしが傷つくと……?」
「リリオやカルドみたいな、ひとの出入りの少ない土地じゃ、人間関係が濃密になるものだから……。いっそ王都くらい大きければ、きみを隠せるかもしれないが、あまりにも美人過ぎて逆に目を引きそうだ」
「まあ!」
オレの軽口にようやく彼女は笑ってくれた。平和な街や村は、いいものだと思う。それは計り知れない価値を持っている。だが、オレみたいに適当な人間は、実力だけが物差しである場所が心地いいものだ。入れ替わりの激しいアコロの駐屯地なら、オレたちの関係も深く詮索されないだろう。皆そこまで暇じゃない。
「わかりました、トムさんの言葉に従います。私も、今の生活は一時的なものだと思っていましたから、ちょうど良かったのかもしれません」
「ありがとう、エト」
「いいえ、わたしこそ……」
自然と唇が重なり、互いに何度もついばんだり舌を這わせたりして愛撫した。角度を変えて繰り返されるそれに彼女もすっかり慣れたのか、最初のぎこちなさはなくなっている。気分だけ高まっても仕方がないので、エトワールの温もりを手放すのは惜しいながらも体を離した。その日はよく休み、翌日からの試合に備えた。
結果だけ言えば、フレデリックが数いる出場者を蹴散らして見事に一位を手にした。獅子奮迅と言うか、何か憑いているのじゃないかと思うほどの暴れっぷりで、いつもの洗練された型は綺麗さっぱりなく、術によるごり押しと超スピードで早々に勝負をつけていった。これでヤツは晴れて白騎士だ。好きな任地に行けるし、もしくは定住せずに諸国漫遊してもいい。春になれば任期が明ける、そうなったらジェレミアを探して旅立つだろう。
オレはと言えば、何とかギリギリで入賞したので、やはり春からだが、ここで働くことになった。エトワールは喜んでくれたし、知り合いからは「よく戻った」と歓迎された。ただやっぱり黒術は使えなくなったままだから、注意は必要だ。オレたちは大聖堂で夫婦としての誓いをやり直し、届出を出した。ノレッジはもう追ってこないとは思ったが、それでも、エトワールは家名を書かなかった。
リリオに戻る前に、オレの家があった場所へと向かった。荒地のままになっているだろうと思っていたのに、そこには良く知っている外見の真新しい家が建っていた。近所の親父さんの話では、貴族らしい格好の赤毛の男が指示して、ここら一帯を整地して行ったらしい。全く名乗らずに無償で土地を綺麗にしていったとかで、大層ありがたがられていた。
家の中に入ると、懐かしい間取りがオレを迎えてくれた。暖炉の張り出しの上には絵皿ではなく、メッセージ入りの皿が飾られている。そこにはただ、『帰るべき場所』とだけあって、だがオレには誰の字か分かっていた。心臓の上にぶら下がっている印章指輪を握り締め、いつまでもオレを甘やかしてくれる兄貴に無言で礼を言った。
それから、九年の月日が経つことになる。




