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市場

 その日、オレとエトワールはリリオで開かれた市へ来ていた。サーラとドニも市を回って、必要な品々を買い求めている。オレたちは、食事会に来てくれる客のために心ばかりの品々を用意するという名目で、今だけは二人きりにさせてもらったのだ。


 並んでいるのは日用品が多い中、稀に家具や武器なども置いてある。オレは手にとって見ていた仕込み杖を戻すと、ある店の前から四半時ほど動かずにいるエトワールの横へ並んだ。


 薄紫のブラウスに紺色の長いスカートを身に付けた美女が、道に敷かれた絨毯に膝をついてずっと陶器と睨めっこしているのだ、それは目立つ。しかも値引き交渉をするでもなく黙ってじっと見ているのだから。店の主人は早々にセールストークを諦め、困り顔でちらちらと窺うだけ。周囲の店からは好奇の視線と、彼女が買うか買わないかで賭けをする声もある。


「買えばいいのに」

「きゃっ! と、トムさん……?」


 声をかけるまで、顔を覗き込んでも気づかないのだから、本当に好きなんだなぁと思う。ちなみに、店主はオレの言葉に大きく頷いていた。


「この花瓶だろう?」

「ええ……。でも、五点でひと揃えなんです。残念ですが今の住まいには五部屋もないので……」

「うん、普通の家にはないだろうな」


 なにげに発言がお嬢様だ。のほほんとしていて忘れてしまうが、侯爵令嬢だったな、そういえば。干し芋をもぐもぐしているのが似合いすぎて、王都であった仮面舞踏会での出来事がまるで夢みたいだ。


「ひとつだけ出しておいて、気分で取り替えればいいんじゃないか?」

「ん~、そんな贅沢、許されていいのでしょうか」

「贅沢かな」

「ええ。持ちきれないのに手元に置くのは間違っています。でも、とっても素敵なんです」

「へぇ。果物の絵だな」

「ええ。これらの梨とオリーヴ、ナツメと桃、林檎と葡萄、いちじくとオレンジ、プラムとザクロはそれぞれ、希望と平和、長寿と救済、若さと繁栄、豊穣と愛、誠実さと多産を表す象徴(シンボル)なんです。結婚のために買い求める品としてはこれ以上にないくらい縁起の良い品ですよ。

 それにこの手触り、良質な土で練られて適温で焼かれたんでしょうね、品質は確かです。絵師の腕前は、まだ若い筆致の荒さもありますが、瑞々しい感性で伸び伸びと描かれています。これからきっと名を残す職人に育つでしょう。わたしは、買いたいと思います。将来への投資として、また、まだ出ない名工の初期作品をコレクションに加える意味でも」


 エトワールの語りかけるような穏やかな美声が、つっかえることなく流れるようにあふれ出してくる。好奇心から集って来ていた人垣が、一拍をおいてわっと品物に手を伸ばす。瞬く間に桟敷の商品は姿を消し、ほとんどが捌けたようで主人もほくほく顔だ。件の花瓶のセットだけはオレがそっと抱えて守っておいた。財布から小金貨一枚と大銀貨一枚を出し、爺さんのシワだらけの手に握らせると、何本か歯の抜けた口許をにっかりと笑みに変えて主人は言った。


「ひ、ひ、ひ。どうもおかげさまで大儲けじゃわ。お嬢さんの指摘した絵付け師の作は、実はその花瓶だけ。他は同じ工房の、どうということはない作品じゃ」

「えっ。じゃあ、エトワール……」

「わたしは最初から、この花瓶についてしか言ってませんよ。まさか、みなさん、勘違いを?」

「あ~、参った。面倒が起きる前に早く帰ろう、エト」

「え? あ、はい」


 老いた店主の言葉に、オレは天を仰いだ。まったく、食えない爺さんだ!


「まぁまぁ、待たんか。その花瓶じゃが、大儲けさせてもらったんじゃから、少しまけてやろ」

「いや、いいよ。仲間みたいに思われても困る」

「謙虚じゃのぅ。いやいや、清廉潔白、さすが金杯騎士!」



 隊服ですらないオレを聖堂騎士と見抜き、しかもその中でも金杯騎士だと指摘するとは……。ただそれも過去の話、今は金杯騎士団に関わる物は何も身につけちゃいない。オレは店主をよくよく眺めた。全身を覆う薄汚れたローブは擦りきれてはいるが頑丈そうで、裾に入った刺繍が丁寧な仕事を感じさせる良品だ。しかも、オレの故郷である聖火国由来の旧い意匠、旅の安全を祈る刺繍だ、つまりこの爺さんはオレの父や祖父の友人なのかもしれない。


「…………オレを知っているのか?」

「知っておるとも。そのお嬢さんを絶対に手放すでないぞ、お前さんの運命の相手じゃ。よき子を授かるように祈っておるよ、ラペルマの!」

「…………」

「まぁ、ありがとうございます!」

「エト……」

「さぁ、トムさん、この花瓶を持ってくださいませ。五つもあるんですから、ひとりじゃ持ちきれません!」

「ならば、ほれ、この籠を使えばよかろう」

「あら、ありがとうございます」

「お代は結構じゃよ。元からこれに入れて来たんじゃ」

「じゃあ、お言葉に甘えて。トムさん?」

「あ、ああ……」


 籠が手に押し付けられ、オレはそのずっしりした重さに少し驚いた。まあ、花瓶のひとつひとつがちょうど兎一匹くらいの重さと大きさだ、それを五つも詰めればそりゃあ重いか。オレたちは、手を振って老店主と別れた。


「なぁ、エト……」

「わたし、気にしてませんから。トムさんも気にしないでくださいね。いいですか?」

「はい……」

「ふふっ、トムさんったらまるで聖堂に通う学徒みたいですよ」

「オレも昔は学徒だったものな。エトこそ、導師様みたいだったぞ」

「もう……。いたずらっ子だったんでしょう?」

「まぁね。それなりだよ。エトこそ、導師に向いてるんじゃないか? いや、無理か」

「あら、どうしてですか?」

「トロくさいから、スカートめくられて泣かされそうだ」

「まぁ!! ひどいですよ!?」

「ははは、そう怒るなって」

「怒るに決まってるじゃないですか! もう、そんな子にはおしおきです!」

「ごめんごめん、ちょ、本当にめくったわけじゃなし……」

「めくったらこんなもんじゃ済まないですから!」


 バシバシと尻を叩かれ抗議すると、本気の表情で凄まれてしまった……。そんな子どもみたいな真似、するわけないのになぁ。そう言えばジトっとした目で睨まれた。


「信用してくれよ」

「だって、トムさん……この前はあんなこと……」

「あれは! その……悪かったよ。でも、スカートめくりはしない。他の誰かに見せるのは勿体ないからな。今度また、二人きりのときに……」

「トムさん!!」

「あはは。痛い、痛い……」

「もう、知りません!」


 こんな感じで結局、エトワールを怒らせてしまうのだった。

 次回からちょっぴり時間が進みます。

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