まずはお手柔らかに
結局、予選のやり直しは身内だけで行われ、一般には公開されなかった。オレとフレデリック、トラン、ギィの四人が本選に進んだ。五人目の枠は埋まらなかった。推薦された者は皆、「ジェレミア・リスタールが出ないなら自分も出ない」と辞退し、隊長も強くは言わなかった。
エトワールは本選にも付き添ってくれることになっていたので、二人で大聖堂に寄って結婚届けを出してくることにした。だが、サーラたちは同行できないというので、本選のための遠征に先がけてささやかな食事会をして祝うことに決まった。そして今日はその準備のための話し合いで鐘つきの塔に集まっている。
急なことだったが、サーラ嬢もとい、ドニの奥方は祝いの席で着るためのエトワールの花嫁衣裳や小道具一式をコツコツと用意してくれていたので大変助かった。白を基調としたドレスで、エトワールも一緒に生地を選んだり刺繍したりしていたそうだ。本来ならもっと早いうちから用意する物だし、持っては来られなかったけれど立派なドレスがあったのだとサーラはぶちぶち言っている。
「時々いらっしゃる黒術士のお姉さまがたにも、祝福のひと針をもらったりしたんです」
「ふぅん。大変なもんだなぁ。そういうのはよく知らなかった」
「二度目なのに……」
「サーラ!」
どうやら、ちくちくとやられる関係はこのまま変わらないみたいだ。まあ、言われても仕方がないが。
「まさか本当にお相手があなただとは思いませんでしたけどね」
「サーラったら!」
「だって、何もこんなに年上じゃなくたって!!」
「トムさんは若いです! 二十四だもの!」
「充分オジサンですよ! ……確かに見た目よりは若いですけど」
「ハハ……」
ドニが申し訳ないと目で謝ってきた。気にしてないと手で返事をしたが、彼女の目にオレはいったい幾つに見えているんだろうか?
「ちなみに、ジェレミアの方が年上だぞ」
「えっ、嘘……」
サーラは口を手で覆って、くりくりした茶色い目を丸くしている。たったの二ヶ月しか違わないことを言わなかったのはわざとだ。その様子が可笑しくてオレは溜飲を下げた。食事会の料理についても話し合い、オレは前日から調理の手伝いをすることになった。陽の気が使えれば便利だということで、こき使われることになるようだ。エトワールにさせるわけにもいかないし、むしろオレにも出番があって良かったと思う。金だけ出すのは性に合わない。
話し合いもいったん落ち着いたので外の空気を吸いに出ると、エトワールがやってきて、ちょこんとオレの隣に腰かけた。木々の作る天然の庇と落ち葉のクッションが備わった、掃除をサボるのにもうってつけの休憩場所だ。
「トムさん、あの……無理しなくてもいいんですよ?」
「無理じゃないさ。藁一本分の価値しかない男という見方を改めてもらういい機会だ」
「サーラは、もう……。ごめんなさい、態度が悪いでしょう? よく言い聞かせておきますから、許してください」
「いいんだ。きみには彼女が必要だよ」
「…………ごめんなさい」
エトワールは弱々しく睫毛を伏せた。エトワールより年上のサーラは、エトワールの保護者を自認している。自分がいないと何もできないだろうと世話を焼いているが、実際にはそうでもない。エトワールは危なっかしいし炊事も掃除も洗濯もてんで駄目だが、精神的には安定している。サーラの助けは必要ないのだ。だが、こうしてここまで一緒に落ち延びてきた彼女をここで見放すことはできないだろう。なにせ職を失う覚悟でエトワールの家出に付き合い、王都から逃げる際には追手を引きつける囮役も務めてくれたのだ。
それはオレよりもエトワールがよく分かっている。だからオレと彼女の板ばさみで心を痛めているのだ。サーラはエトワールを妹のように思っているから、諌めても言うことを聞かないだろう。オレまでサーラに対抗してしまえば、辛いのはエトワールだ。それに、知り合いのいないこの土地で、サーラとドニも居なくなってしまったらエトワールはひとりぼっちだ。それは絶対に避けたい。だから少しばかり腹が立っても、サーラには逆らわないようにしているのだ。
「もしもオレを可哀想と思うなら、慰めて欲しいな。奥さん」
「まあ! ふふ、ちょっとだけですよ……」
エトワールはそっとオレの頬に口づけをした。軽く触れるだけの、音もしないようなキスだ。それなのに勝ち誇ったようにオレの目を覗き込んでくるのが可愛らしかった。オレは手を伸ばしてエトワールの顎を引き寄せ、薔薇の唇にキスを落とした。くすぐったそうな笑い声がする。そのまま食んで舐めてやると、掌の中で小さな肩が震えた。
彼女が鋭く息を吸うのに合わせて舌を滑り込ませる。熱く甘い口腔内を円くなぞれば、エトワールが体の強ばりを解いた。預けられる重みを愛しく受け止め、オレは彼女の腰を強く抱き寄せて繋がりを深くしていった。
舌を絡ませ、吐息を飲み干す。彼女の細いしなやかな指がオレの胸板にやんわり触れられている。激しく打つ心臓の音が伝わっているだろうか? この喜び乱れている鼓動が?
オレはエトワールの豊かな黒髪を優しくほどいていった。ピンが絡まぬようそっと抜き、そのへんに放り出していく。細い紐を引き抜くと、塞き止めていた水の流れのようにうねりながら腕に落ちてくる絹の束のように滑らかな髪の毛。しっとりとしたその中に指を差し入れ、空気を含ませる。オレは長い口づけをやめ、香油が振り撒く花のような匂いを肺いっぱいに吸い込んだ。
「ああ……!」
エトワールの溜め息が切なげに耳許に触れる。柔らかい地面にそっと横たえてやると、彼女の潤んだ藍色の瞳が戸惑ったように揺れていた。
「待って……待ってください……」
「待てない。ずっとこうしたかった……」
「トムさ……んむぅ!」
この場でどうこうするつもりは勿論ない。だが、ここで止めるのも勿体ない。彼女の首を覆う飾り襟のリボンをゆるめ、白い喉を指の背で撫で上げると、エトワールはオレの隊服の肩袖をきゅっと握りしめてきた。そんな仕草がいじらしく、可愛らしくて、思わず彼女の耳の後ろに音を立てて何度もキスをしてしまう。
「ひゃん! や……だめっ、トムさんっ! やだぁ……っ!」
ひそめられた悲鳴が上がり、オレの体はピタリと動かなくなった。無詠唱の黒術か……! 辛うじて息はできるものの、声をかけることも叶わず、オレはエトワールが術を解いてくれるのを待った。しかし……
「ひぃぃ……ん、トムさんのばかぁ……。ダメって、言ったのにぃ……!」
いや、言われてないぞ、多分。……言われてないよな?
「うぇぇん……立てない……。サーラぁ、助けて……!」
……………………。
どうやら、オレはやりすぎてしまったようだ。
泣きながら名を呼ぶエトワールの声に、彼女の姉代わりはすっとんできた。
「お嬢様っ!? どうかなさっ…………こ、この、けだものっ!!」
動くことのできないオレの後頭部に、容赦のない平手打ちが決まった。結構痛かった。遅れてドニやどこから来たのかフレデリックもやってきて、オレの下に組み敷かれたエトワールを救出した。特に、膝の下に挟まっていたスカートが厄介だった。おかげでというか、いったん黒術の拘束からは逃れられたが、今度は「警戒」の姿勢で固められた。……衛士じゃあるまいし。
「しばらくこのまま反省したらどうだい、ラペルマ」
フレデリックの冷ややかな声が突き刺さる。いつの間にやらまた、苗字呼びに格下げされてしまったようだ。
「調子に乗ってしまった。反省はしてる」
「どの口がっ! この、この……っ!」
サーラが怒りのあまりか拳を震わせ、言葉に詰まっている。きっとものすごい悪口を言いたいのに出てこないんだろう。その後ろではエトワールとドニが、オレが散らかしたピンやらリボンやらを拾っている。髪をほどいて服の襟が乱れたその姿は、確かに事後に見えないこともない。殴られたのは当たり前か。
「本当に申し訳ない。手は出してないから……」
「あ、あ、当たり前ですっ!! もう、新居の件はしばらく白紙に戻しますからね!!」
サーラの駄目押しの一発がオレの頬に綺麗に決まった。
エトワールさんは当然(?)キスは初心者。啄むようなバード・キスで「トムさん、可愛い!」と思っていたら、あれよという間にディープ・キスに持ち込まれ、呼吸が……(笑)。この時点ですでに腰砕けだったもよう。初心者なんですよっ! 加減なさいな、このけだものっ!←




