告白
オレは隊舎に戻る二人に声をかけ、彼らより先にエトワールと二人連れ立って鐘つきの塔までの路をゆっくり歩いていった。どんな話だろうかと身構えている自分がいる。歩みが遅いのはそのせいだ。もしも、妻帯者だったことで彼女がオレとの関係を受け入れられないと言うならば、そのときは未練を残さず身を引こうと思った。何せ彼女は十六で、オレは妻を亡くして男やもめという状態だ。それに八つも年下の女の子を相手に、みっともなく縋るもんじゃない。
そんなことを考えていたら、とうとう着いてしまった。エトワールがお茶でも飲みながら、と誘うので塔の階段を上っていく。引越しの掃除のために入って以来だ。通された居間の階には、こじんまりした円い部屋の中央に机と椅子がある。灰に埋もれさせていた種火を熾すために、彼女は壁に据えつけられた小さなオーヴンの窓を開けた。オレは彼女と位置を代わり、取り戻した陽の気でさっと火を点け、ケトルも少し暖めた。早く湯が沸くように。
「もうすっかり力を使いこなしているんですね」
「元からあったものだから、コツを掴めばすぐさ。陽の気だけしか戻らなかったけどな」
「ふふ、もしかしたら、陰の気も戻ってくるかもしれませんよ?」
「必要ないさ。きみがいれば……」
「あっ……」
先にオレの手に触れてきたのはエトワールだというのに、オレがその滑らかな白い手を包み込むと、彼女は弾かれたように手を引っ込めてオレに背を向けた。それが少し寂しかった。
オレがもう少し若ければ、それか、もう少し彼女が大人だったなら。こんなほんの僅かな距離など躊躇せずに抱きしめたろう。払いのけられようが叩かれようが、心のままに彼女を求めただろう。互いに惹かれあっているというのに、離れる理由なんてない。だが……線を挟んでオレの側に踏み切れないでいるエトワールを、力尽くで引き寄せるような真似はしたくなかった。
調理用のオーヴンの中で、パチリと薪が音を立てた。
「あ、あの、トムさん……! わたし……」
「ああ、お湯が沸いたよ」
「はい……」
沈黙に耐え切れなかったのか、何かを切り出そうとするエトワールの言葉にわざと被せるようにして、オレは沸騰したケトルを取り上げた。茶器を温めている間に、エトワールは茶葉を量ろうとしている。その危なっかしい手つきを見かねて、オレは茶を淹れるのを代わった。
「すみません……」
「いいよ。慣れてるさ」
ポットに被せる布巾がなかったので、陽気を放出して蒸らしの温度が下がらないように加減する。ほどなくして良い香りの茶が飲み頃になった。飾りっ気はないがそれでも高価な薄い磁器に注ぎ淹れると、白いカップに水色がよく映える。
「甘味はないけど、どうぞ」
「わぁ! いい匂い……ありがとうございます!」
「どういたしまして……」
エトワールの席の前に器を置くと、素直な喜びがあふれ出るような賞賛をもらった。オレも向かいに腰掛けて、紅茶の香りを楽しむ。ブレンドではない茶葉は、あまり庶民には向かない贅沢だが、彼女はどこでこれを手に入れたのだろうか。言っては悪いがサーラやドニもそんなに余裕のある暮らしができるほどじゃない。ほとんど着の身着のままで逃げ延びてきたのだから。こんな小さなことからも、彼女へ贈り物をする男の影を感じて嫌な気持ちになる。自分はそこまで彼女を気にかけてきたわけではないのに、だ。
「うふふ、フレデリックさんの選ぶ茶葉は本当に美味しいですね! いつもはこんな贅沢はしないんですよ? でも、今日は特別なんです」
「……フレデリック?」
「はい。たくさん贈り物をもらっても、ひとりでは消費しきれないからって、いろいろと下さるんです」
「そうか……」
フレデリックのこういう気の回し方には惚れ惚れする。貰い物だなんて方便だ。アイツはけっしてそういう品物を受け取ることはない。実家に影響があるかもしれない事柄には大層敏感だからだ。ジェレミアも抜けているようでいて、その辺りはきっちり教育されていた。差し入れの主がフレデリックだと聞いて、オレはホッとした。露骨かもしれないが、ヤツなら大丈夫だ、下心はない。しばらく茶を楽しみ、二杯目を注いでポットが空になった頃、エトワールはハッと身に纏う空気を改めた。
「わたし……トムさんに、お話ししなければいけないことがあるんです」
「うん? 二杯目はミルクを入れようか?」
「トムさん!」
「わかってるよ……」
オレは返事をしながら紅茶を飲み干した。できれば、この時間をもっと長く楽しんでいたかった。だが、そういうわけにはいかないようだ。きちんと向き合っても、エトワールはすぐには切り出さなかった。何度も言いかけては止め、言いかけては止め……オレはそんな彼女を静かに待つことしかできない。つ、と視線がかち合ったとき、オレは安心させるように頷いた。それを受け、彼女も頷く。
「わたし、ずっと貴方に隠してきたことが、あるんです……。黙っていて、本当に申し訳ないと思っています、でも……打ち明けるのが怖かったんです。貴方に嫌われてしまう気がして……」
ポロリと一粒、エトワールの眦から涙が浮かんでこぼれた。部屋の空気が一気に湿り気を帯びてきたようだ。オレは黙って続きを待った。
「わたしは……生まれたときにある予言を受けました。それは、わたしが子どもを産むと、わたしは死んでしまうという予言でした」
「なっ……!」
「どういうことかは、わからないそうです。呪いでもない、魔術でもない、それでも……その予言は確実だと言われてるんです。だから、わかっているのはわたしの死、くらいなものですね」
「ノレッジ……きみの死を承知で王宮へ送り込もうとしていたのか……!」
エトワールはこくんと頷いた。オレの中で怒りが爆ぜたが、同時になぜ彼女はこの話を始めたのかと疑問に思った。
「ですから……わたしはトムさんに相応しくないんじゃないかと思ったんです」
「それは……」
「だって、こんな体じゃ、トムさんを幸せにして上げられないと思ったの……! わたしよりももっと素敵なひとが現れるんじゃないかって、急に、怖くなったんです。わたし、本当はずっと隠しておくつもりでした……でも、でも、トムさんの奥さんが、亡くなってるって聞いてそれで……! ちゃんと言わなくちゃって…………ごめんなさい! ごめんなさ……」
とうとう顔を覆って泣き出してしまったエトワールの横に立ち、オレはその震える肩を抱いた。彼女を王と結婚させ、命と引き換えに権力争いの道具を産み落とさせようとするノレッジに怒りが沸く。そして、エトワールがこれまで笑顔の下に隠してきた苦しみを思うと、自分の馬鹿さ加減にも腹が立つのだった。
「謝らなくていい。いいんだ、エトワール……。きみは何も悪くないんだから……」
「でも、でも、トムさんの……」
「オレは子どもは欲しくないよ。きみがいれば、それで充分だ。きみだけがいればいい」
「ああ……!」
エトワールがオレの首に手を回し、頬を胸にくっつけてきた。オレは彼女を抱きとめ、泣きやませようと背中をさすった。
「結婚しよう、エトワール。オレもきみも、家族は遠い。二人だけで式を挙げよう」
「……はい。はい、トムさん!」
もしも可能なら、サーラとドニに立ち会ってもらい、フレデリックや皆にも祝ってもらえばいい。ささやかな暮らししかできないかもしれない。それでも。彼女が微笑んでくれるなら、何でもすると誓おう。
「オレにできることは何でもしよう。約束だ、エト。きみが幸せを感じられるように頑張るよ」
「光と影とが……」
「え?」
「光と影が決して離れぬように、わたしもまた貴方のものです。どうか、お側に置いてくださいませ、旦那様……」
「もちろんだとも。夜と朝とが途切れぬように、この身はいつもきみの側に……」
聖典に手を置いていないから、まだ無効ではあるが、花嫁が唱えるべき文言をエトワールは口にした。だから、オレもまた定められた言葉を返した。オレの腕の中の花嫁はふんにゃりと微笑んだ。今までこぼしてきた彼女の涙が、すべて喜びに変わるようにと願い、俺は彼女の眦に口づけを落としたのだった。
物語はまだ、終わりません。ただ、ここで終わっておいたほうがいいのかもしれません。




