別れの朝
明けの鐘をエトワールが鳴らしている。それを聞きながらもう一度眠りに落ちようとしていたとき、部屋のドアが勢いよく開いた。ベイジルが血相を変えて飛び込んできたのを目に留め、そのまま掛布を被った。
「寝直してる場合か!」
容赦のない拳を後頭部に食らい、オレは渋々起き上がった。隣の二段寝台ではロクフォールが眠け眼をこすっている。
「ジェレミア分隊長が任を解かれた。ここを、去るそうだ……」
「なっ!?」
「…………」
「もう出発される……お前ら、急いで支度しろ。……ラペルマ、落ち着いてるがお前、まさか知ってて……?」
「いや。オレも初耳だよ。……驚いてないのは、アイツのことをよく知ってるからさ」
そうさ、ジェレミアのことはオレが一番理解している。アイツは殺人を犯して、そのまま聖堂騎士としてここにいられるような、そんなヤツじゃない。遅かれ早かれこうなっていただろう。ただ、オレに何の相談もせず、こんなに早く決断するとは、予想外だった。
「ジェレミア……」
寂寥感と安堵がない交ぜになった胸の裡は、ぐるぐると蛇がとぐろを巻いているように少し重かった。
ジェレミアの見送りには、オレたちだけじゃなくエトワールも、フレデリックとセドリック・ドゥケスも来ていた。むしろ第三分隊のオレたち三人が一番遅かった。小径を彩る若葉の緑の中、まず、ジェレミアの短くなった髪に目が行く。耳にかかるか、かからないかのごく短い髪は丁寧にセットされていて、まるで成人前の貴族の末弟か少女騎士の様だった。それがフレデリックの手によってなされたと聞き、確かにヤツの趣味丸出しだなぁと思った。こっそり首筋を観察してみたが、口づけの痕は残っていなかった。
ロクフォールやベイジルが髪の毛や急な出立のことをジェレミアに問い詰めている中、エトワールは一歩外れたところからその様子をそっと見守っていた。その落ち着きようから、彼女はこのことを知っていたのだと直感した。ジェレミアのことを誰がどんな風に彼女に伝えたのかは分からないが、嫉妬に似た感情が沸き起こるのを感じた。
(ったく……ガキじゃあるまいし……)
そう思って後頭部を掻いていると、エトワールがこちらを見ていることに気づいた。ふっと微笑まれる。だが、何故だろう。オレはその笑顔を悲しげなものだと思ったのだった。
「ロクフォール、急なことですまないが、後を頼む。次の分隊長になるんだ、皆を率いて頑張ってほしい」
「…………はい、拝命します。うっ……お世話に、なりました!!」
ジェレミアがそれぞれに別れを告げていく。ロクフォールは号泣しているし、珍しくベイジルの目にも光る物があった。
「ベイジル、今までよく支えてくれた。これからもロクフォールについてやってくれ」
「はい、ジェレミアさん。……もう分隊長と呼べなくなることが、寂しいです……!」
ジェレミアが慰めるように二の腕を叩くと、ベイジルも泣き出してしまった。ジェレミアはエトワールと目を合わせると頷き合い、軽く抱擁を交わした。ドゥケスとは握手をし、餞別の品を受け取っていた。そして今度はオレの前にやってきて、晴れやかな笑顔を向けた。
「トマス=ハリス、しばしの別れだ」
「……ああ、気をつけてな」
「お前は引き留めないだろうと思っていた」
「お前はどうせ行ってしまうつもりだと思ってたよ」
「お前から貰った言葉を、今度は僕から贈ろう……。迷うな、トマス=ハリス。たとえ何を聞き、何を知ったとしても。自分の信じたようにやれ。それが、僕から言える精一杯だ」
「……わかったよ、ジェレミア。お前が心配なくてもいいように、ちゃんと地に足つけて生きていくよ」
「そうしてくれ。必ず、また会おう」
「ああ!」
オレたちは拳と拳を打ち合わせた。オレたちの別れに涙は必要ない、心と心が通じ合っている、そう信じられるからだ。オレはジェレミアを抱き寄せた。シャリ、と鎖帷子がこすれて音を立てる。
「元気でな、兄弟……」
「ああ。ありがとう」
ぐっと抱きしめてから解放すると、フレデリックが横に立っていた。オレはおとなしくその場を明け渡した。フレデリックは両手で掬い上げるようにして短剣を持っていた。それはガルムの家紋が入った物で、いつぞやジェレミアと交換し、武術大会の予選の際にフレデリックの手に返されていたのだった。
「これを……」
「いいのか?」
「お願いするのはこちらだよ、ジェレミア。受け取ってくれるかい?」
「ああ。きみの代わりに、連れて行くとしよう」
「っ、ジェレミア! きっとすぐに追いかけるから、君を探し出す、必ず! だからどうか、それまで……」
そこからは言葉にならなかった。ジェレミアに縋りつき、自分より低い肩に顔を埋めてフレデリックは泣いていた。まさかここにきてフレデリックまで除隊など許されるはずもなく、辛い選択だが、今すぐにジェレミアを追うことはできないのだった。
「待っているぞ、フレデリック。きみならきっと本選で勝ち残れる」
「……ああ。必ず白騎士に選ばれて、自由を手に入れる」
「フレデリック。……その、キス……してもいいだろうか?」
「!!」
フレデリックから身を離したジェレミアが、おずおずと口にした言葉に、オレたちは驚かされた。それを言い出すのは、てっきりフレデリックだろうと思っていた。止めようと拳を作ったロクフォールも、その先どうしたら良いか分からないと言うように視線をさ迷わせている。
「だめか?」
「も、も、もちろん、いいとも! さあ、いつでも! さあ!」
「逆にやりにくいんだが……」
そう言いながら、ジェレミアはフレデリックの首に手をかけ、少し屈ませた。エトワールの口から「ひゃっ」と悲鳴が漏れる。こらこら、手のひらで顔を隠しているが、目はばっちりと開いているじゃないか……。ロクフォールをベイジルとドゥケスの二人が抑えている。オレたちは大人しく二人を見守るが、ジェレミアの口づけが落とされたのはヤツの頬にだった。
「きみの頭上に栄冠が輝くように……フレデリック」
それぞれから安堵のため息が漏れる。……なんだ、頬かと思いはしたが、オレもホッとした内のひとりだ。フレデリックには悪いが。黒髪の貴公子は残念そうな表情一つ見せることなく、慇懃に騎士の礼を取ると、ジェレミアの指先にグローヴ越しにキスをした。
「期待には必ずお応えしよう。このフレデリック・ガルム、約束を違えることはない!」
先ほどとは打って変わって自信に満ち溢れた様子のフレデリックは、ジェレミアを見送り、その背中が見えなくなるまで胸を張って立っていた。だが、それもやはり虚勢だったのだろう、若木を背にずるずると座り込むと、そのまま動かなくなってしまった。
「フレディ……」
「ほっといてあげてください。昨日寝てないんです、これ以上は頑張れないでしょう」
「セドリック」
「責任持って連れて帰るんで、どうかお先に。これ以上ウチの分隊長の失態を見せ続けるわけには行きませんから」
「ん。それなら、任せる。……その、ジェレミアに餞別ありがとう」
「いえいえ。商家の嗜みですからね。それに、ジェレミアさんにも貴方にも、大変お世話になりましたから。その節はどうもありがとうございました」
「いやぁ、オレは何も。弓の腕前が上達したのは、素が良かったからだよ」
「恐縮です」
そつなく返され、オレは首をすくめた。フレデリックたちを置いて元来た道を帰っていく途中、エトワールがオレの袖を引いた。
「……どうした?」
「少し、お時間頂戴してもよろしいですか?」
「エト?」
「今度は……わたしの話を聞いてください」
ざあっと風が吹いて木の葉を揺らした。エトワールの真剣な表情がオレの胸も木の葉のように翻弄する。ジェレミアの言葉が脳裏に甦った。
――迷うな、トマス=ハリス。たとえ何を聞き、何を知ったとしても。
★白と黒のないしょの逢い引き★
ジェレミア「あっ、フ、フレデリック……こんなところで……」
フレデリック「いいから、おいで。誰にも見つからないさ」
ジェレミア「でもまだ勤務中……」
フレデリック「休憩時間だよ。さぁ、口を開けて……」
ジェレミア「あ……。ああ、甘い……」
フレデリック「とっておきだからね。見つかるとすぐに無くなってしまうから、内緒だよ」
ジェレミア「美味しい。でも、いいんだろうか?」
フレデリック「いいんだよ。高いんだ、これは。だから、二人占めだよ」
蜂蜜飴(蜜蝋とも)食べてるだけでした!




