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告死蝶

 エトワールが呼び出されたのは、“風の墓所”へ至る森への入り口だった。試合会場のすぐ裏手ではあったが、こちらは立ち入り禁止であり封鎖されている。いや、封鎖されているべきはずだった。


「どういうことなの……?」

「誰もおりませんね」


 エトワールは若い聖堂騎士から「リスタール家の者が話がしたいと言っている」とここへ呼び出されたのだった。普段であれば絶対に受けなかったであろう誘いに乗ったのは、それが大恩(たいおん)あるリスタールからのものだったからだ。エトワールはサーラとドニを連れて指定された場所まで来たものの、解かれた封印に戸惑った。


「戻りましょう、サーラ、ドニ」

「でも、お嬢様……」


 エトワールの言葉にサーラは従い難いようだった。彼女としては、リスタール家の人間と会うことで、今の貧しい生活から抜け出せるのではないかと希望を抱いていたのだ。


「残念ながらリスタール家ではないけれど、迎えに来ましたよ、ラ・ジョリ・プゥペ」

「ロクサーヌ!! 貴女、どうしてここに……」


 エトワールは驚きを隠せずにいた。一度は引き下がったはずの彼女が、この場にいることが信じられなかったのだ。しかし、実際にロクサーヌはここにおり、どこか虚ろな眼差しで優しげな微笑を浮かべている。エトワールの背筋を悪寒が駆け上る。


「逃げてっ!!」


 警告を発したときにはすでに遅かった。


「……いさ、【絶】!」


 詠唱を済ませていたロクサーヌが、力ある言葉で術を導く。彼女ら黒術士にとって影は己の手足も同然、こんもりと葉を茂らす木々により影はすべてのものと繋がっていた。術は狙いを(たが)えることなく二人の従僕へと向かった。サーラの体が無言で(かし)ぐ。ドニはそれを抱きとめながらも、やはり同様に地面へ倒れ伏した。


「いやぁぁああ!!」

「安心なさい、命までは奪っていないわ。もちろん、そう出来たことはおわかりでしょうけれどね」

「何のつもり!?」

「言ったでしょう、迎えに来ましたよ、お人形さん。わたくしと一緒に帰るのです」

「嫌よ!」


 エトワールは間髪入れず腹の底から声を出していた。思わぬ激しい拒絶にロクサーヌの目が見開かれる。


「嫌よ。わたし、絶対に帰らないわ」

「ふぅん……。ならばこの者たちがどうなっても構わないと?」

「詠唱をしている間にわたしが貴女を倒すわ」

「出来るものですか」

「いいえ。貴女は年寄りでわたしは若いの。できないはずがない」

「ならば試してごらんなさいな! 貴女の得意な氷の術はこの二人も巻き込むわよ!!」


 エトワールとロクサーヌはしばし無言で睨み合った。魔力の量と質においてはエトワールが、長年の経験ではロクサーヌが、それぞれ(まさ)っている。互いに黒術の腕前には自信があった。二人の放出する気が空気を掻き乱し、この対決を見守る木々が葉を打ち合わせてざわめいた。


「大人しく帰って、ロクサーヌ」

「わたくしに従いなさい、お人形さん。どうせ今頃、あの憎たらしい聖堂騎士は死体になっているでしょう。もうここにいる意味はないのよ?」

「っ! どういうこと? 貴女、トムさんに何を……」

「ちょっとした取引よ。この日を待っていたの。監視の目が届きにくい、この賑やかな日をね。聖堂騎士にとっても、死ぬにはぴったりの晴れの舞台でしょう?」

「トムさん……!」


 エトワールは口の中で愛しい男の名を呟くと、我を忘れて駆け出そうとした。それを枯れ木のような腕を広げて制止するのは不吉な影を背負ったロクサーヌ老嬢である。


「砦を築け、すべてを阻め。いさ、【障壁】!」

「きゃっ!」


 【障壁】とは、何も己の身を護るのみにあらず。前に踏み出そうとしていたエトワールの足を、虹色に透けた膜が弾き返す。体に返ってきた小さな衝撃にエトワールは悲鳴を上げた。


「愛する男の亡骸にすがって泣くというの? そんな感情、貴女に必要かしら?」

「……許さない。許さないわ、ロクサーヌ!」


 目に光る粒を溜めて叫ぶエトワールを、老嬢は嘲笑(あざわら)った。だが、その笑みもエトワールが取り出したオークの葉を模した装飾品を見留めると怪訝な表情へと変わった。エトワールが覆いを外すと、繊細な刃が現れた。


「そんな玩具で何をするつもり? それで命を絶つことは無理というものだわ」

「それもいい案ね、ロクサーヌ。トムさんがいなければわたしが生きている意味なんてない」

「はったりだわ!」

「そうかしら……!」


 エトワールは老嬢を睨みつけたまま、小さな葉を握りこんだ。肉の間に刃が挟まり嫌な音を立てる。紅い流れが白いこぶしから滴り落ちた。


「来たれ、我が眷族……代償を食らい顕現せよ!」

「ま、まさかその魔法は……!」

「あら、どうしてわたしが使えないと思ったの? わたしもノレッジなのよ?」


 おののくロクサーヌに不敵な笑みを見せるエトワール。そう、今度は彼女が攻める番だった。血溜りから湧き出るのは蝶の群れであった。透き通る黒い羽を持った蝶たちは風の動きをものともせず、ロクサーヌ目掛けて四方八方から押し寄せた。


「ひぃっ! やめなさい、このっ、このっ!」

「眠りなさい、ロクサーヌ……。これがわたしの慈悲だわ」


 この蝶たちは生命を啜る。ノレッジの血が秘めている魔法の力で、彼女はロクサーヌを永遠に葬り去るつもりだった。死の口づけを運ぶ美しき告死(こくし)蝶たち。ロクサーヌは纏わりつこうとする、こどもの手のひらの大きさもあるそれらを必死で払いのけるが、いかんせん蝶の数が多すぎた。


 悲鳴を上げ逃げ惑うかつての家庭教師の姿を、エトワールは身を切られたように顔をしかめながら見守った。


「いやっ、いやぁっ! やめさせなさい、このっ、言うことを聞きなさい!」

「…………」


 ひと言でも。

 謝罪の言葉があればエトワールは蝶たちを止めたかもしれない。だが、その口からは呪詛しか漏れ聞こえず、やがて、黒だかりの痩身は膝からゆっくりと地に堕ちていった。


「っ……。ああっ…………」


 エトワールの濃い藍色の瞳からは涙がこぼれ落ちていた。彼女は息を詰まらせながら、顔をくしゃくしゃに歪めて童女のように泣いていた。そこに油断があった。


 木々を踏み台に跳躍する影。エトワールは己のわき腹を食い破られるまで、その存在に全く気がついていなかった。最初はただ、ぶつかられたように思った。だが派手に地面に転がされ、エトワールは体に広がる熱と痛み、ひどい悪寒に喘いだ。


「え…………?」


 閉じてしまいそうな目を必死で開き、エトワールは招かざる来訪者を目に入れた。そこには口許を彼女の血で濡らした美しき捕食者、“炎の尾持つ(ファイア)殺戮者(スパイク)”が優美に佇んでいた。山猫に似たその顔は隻眼であった。


「あな、たは……」


 忘れることはできない。

その獣は確かに、以前にも彼女の前に現れた魔物(ルビーアイ)だった。


「ぁ……っ!」


 痛みで朦朧となる意識を術の導きで保ちながら、エトワールは状況を見極めようとしていた。“炎の尾持つ(ファイア)殺戮者(スパイク)”はすぐには彼女に飛び掛ることはせず、ゆっくりと回り込むように足を進めた。無音の歩み。それはエトワールにとっては生命の終焉の音に聞こえた。


(血を流しすぎた……。もう、体が上手く動かない。トムさん……)


 滲む涙の向こう側に、寂しげな笑顔を見た気がした。


(貴方がいないなら、わたしがここにいる意味なんて、ない……)


「あなたがわたしの死なのね……。すべては、報いなのかしら。いらっしゃい、“炎の尾持つ(ファイア)殺戮者(スパイク)”……、わたしの蝶と、あなたの爪と、どちらが早いか、確かめてごらんなさい……」


 エトワールが腕を上げるのと、魔物が跳躍のために頭を垂れるのは同時だった。

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