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白と黒 その3

 更新が遅くなり、申し訳ありませんでした!

 ヨックトルムは首の後ろ、盆の窪に短剣が刺さった状態でうつ伏せに倒れていた。カッと目を見開き、驚きの表情のまま絶命している。おそらく凶行は一瞬のことで、痛みも感じなかったに違いない。トマス=ハリスは足元の土が乱れていないことを目視した。そもそも、この大男がバッタリと倒れている様子から、立ったままの状態で一撃を受けたのに間違いはない。推測だが、ヨックトルムは短剣の投擲で死に至ったのだ。同僚の死体を前に、トマス=ハリスはあまり動揺してはいなかった。だが、


(フレデリックと来て良かった。こんなの、オレが真っ先に疑われる……)


 トマス=ハリスは投擲の腕前ではこの小隊随一だと自負していたし、周囲からの評価もその通りであると知っていた。ヨックトルムとの因縁もあり、もしひとりでこの状況と出くわしていたら、それを誰かに見られたらと思うと……。


「ジェレミア? ……ジェレミア!!」


 フレデリックの悲痛な叫びが物思いをうち破った。ただごとではない響きだ。しゃがみこんでいた場所から立ち上がると、トマス=ハリスは声のした方へ駆けていった。


「なんということだ……。いったい、誰がこんな……」


 鐘つきの塔の中では、フレデリックがぐったりしたジェレミアを抱えこんでいた。陽光に照らされた、血の気の失せた顔はあまりにも青白い。そして、生成(きなり)鎧下(よろいした)の腹から下にはいくつもの穴が開き、血に染まっていた。そして剥き出しの大地もまた、彼の(あか)を卑しく貪り濡れていた。


「あ……、ああ……」


 言葉も失い、膝から崩れるようにトマス=ハリスはジェレミアに取りすがった。額に指を滑らせ、柔らかい髪を掻き上げてやると、のけぞった白い喉がひくんと動く。そのまま首筋に手を当てると、命が脈打つのが確かに感じられた。


「フレデリック……?」

「ああ」


 フレデリックは力強く頷いた。すでに治癒の術を導いているのだろう。心なしかジェレミアの頬に赤みが差したようにトマス=ハリスは思った。


「安心したまえ。【止血】と【安定化】が働いていたんだ。内傷(ないしょう)は処置した。後は傷を塞いで、それから……。とにかく、ジェレミアは私が命に代えても必ず救う。だが、誰か応援を呼んできてもらえないだろうか。辛いのは分かるが……」

「いや、すまない。すぐに救護を呼んでくる……」


 フレデリックは兄弟のような彼らの関係を(おもんばか)った言い方をしたが、実際、術を使えないトマス=ハリスにできることなどそれくらいしかなかった。いつになく怒りと悔しさを表に出しながらも、不平を飲み込んで彼は立ち上がった。


「……ヨックトルムは死んだか」

「ジェレミア!」

「気がついたのか!」


 低く冷たい声だった。傷つき倒れていた聖堂騎士は確信を持って死者の名を口にした。その翠玉の瞳は、今はどこか虚ろだ。


「トマス=ハリス、エトワールに危険が……。彼女を、探せ……。ロクサーヌが……!」


 囁き声でそこまで伝えると、ジェレミアは激しく咳き込んだ。手を差しのべようとするトマス=ハリスを制し、「早く行け!」と一喝する。走り去っていく背中を見送るその顔は満足そうだった。


「うぐ……!」

「ジェレミア! ……ああ、びっくりさせないでくれ。君を失うなんて耐えられない」

「ふ……丈夫さだけが取り柄なんだ、そうそう死なないさ」


 そうは言うものの、その微笑みは弱々しく、フレデリックの支えなしには座っていることも困難だった。フレデリックは一度途切れてしまった術をかけ直し、ジェレミアを力づけようと手を握った。その冷たさに愕然としながらも、決して表情には出さないようにと懸命に笑顔を作る。


「ジェレミア、もう、大丈夫だからね。私が君を死なせるものか。エトワールだって、トムがきっと助けてくれる。だから、今はちょっとゆっくり話でもしよう」

「……気を使い果たすのは、なし、だぞ。そんなことをしたら、フレデリックの命が危ない」

「馬鹿なことを。そうなる前に、誰かが探しに来てくれるさ」

「そうだろうか」


 誰かに言付けていたわけではない。だが今頃はきっとジェレミアを慕う二人が必死で行方を訪ね歩いているだろうし、フレデリック自身も、己の指揮する分隊の仲間ならば探し当ててくれるだろうという確信があった。今頃、会場が大騒ぎだろうと思うと少しだけ愉快な気持ちになる。なにせ、試合に出場する聖堂騎士が四名も姿をくらましているのだ、この平和なリリオ駐屯地では前代未聞だ。


 ただ、フレデリックに懸念がひとつあるとすれば、それまでに自分の気が尽きてしまわないかということだった。意識を取り戻したジェレミアも拙いながら術を導いて体の回復に努めている。それでも、瀕死まで追いやられた傷口は深かった。


 しばらくの間、他愛もない会話を続けたが、ジェレミアの瞼がだんだんと下がっていくことにフレデリックは怯えていた。気休めにジェレミアの手をさすってみても、触れていた部分の他は相変わらず冷たいままだ。


「ジェレミア、何があったのか聞いても……?」


 何とかジェレミアの意識をはっきりさせようと、破れかぶれに口にしたのは、フレデリックが気になりながらもあまり触れたくない話題だった。ジェレミアは瀕死で倒れており、ヨックトルムは死んでいた。ジェレミアの告白めいた言葉から考えれば、何があったのかはおよそ見当がつく。


 ジェレミアは伏せていた睫毛をぱっちりと開いた。


「………………」


 ため息がやけに大きく響く。いつもは賑やかな鳥のさえずりすら絶えていたことにフレデリックは今さらながら気がついた。トマス=ハリスと二人、ここに辿り着いたときにはすでに、小さな生き物たちはまるで存在しないかのように静かだったのだ。


「命を奪うことには、慣れている。僕が彼を殺した」

「ああ……! だがそれは仕方がないことだったんだろう? 身を守るためだったんだ、誰も君を責めるものか」

「いいや。僕は僕の意思で殺したんだ。ヨックトルムをあのまま帰せば、僕が戻らないことは誤魔化されてしまったろう。そうなれば致命傷を受けていた僕は死んでいた。僕は自分のために彼を犠牲にすることを選んだんだ」


 フレデリックが低く呻いた。それを慰めるでもないだろうに、ジェレミアは自分の頭をフレデリックの胸にすり寄せた。


「フレデリック、きみに頼みがある」

「どうしてかな、いつもなら喜んで何でも引き受けるだろうに……。今はそんな気になれないよ、ジェレミア」

「僕がいなくなったら……」

「嫌だ! 絶対に嫌だ!」

「フレデリック……」


 ジェレミアの言葉を乱暴に遮り、荒い呼吸を繰り返していたフレデリックの澄んだ水色の双牟から、涙の粒がこぼれて落ちた。


「どうしてこんなときにそんなことを言うんだ! 死なせない……死なせないぞ、ジェレミア!」


 抱き締める手にも力がこもる。フレデリックの瞳の奥で陽の気が弾けて煌めいた。


「よすんだ、フレデリック」

「頼むから、いなくならないでくれ。ようやく、ようやく君に手が届いたのに……」


 フレデリックは想い人の額に己の額を押し当てた。滴る涙がジェレミアの頬を濡らす。いつも毅然と、指導者らしい態度を崩さぬ青年が、弱々しく頭を垂れている。ジェレミアは優しくその髪を梳いてやった。


「ごめん……」

「………………」


 謝罪の言葉に、フレデリックは声もなく首を振った。それは許しではなく、受け入れたくないという気持ちの表れだった。何に対して謝っているのか、それすら理解したくなかった。遠く、鎧の立てる金属音が聞こえてきていた。

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