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遠い記憶の余韻

 栗色の長い髪を二本のお下げにした少女が、一生懸命に花冠を作っている。十三にもなってもまだ、シロツメクサの花冠の端を処理できないでいる不器用さ。いつも姉さんぶって澄ましている顔がしょげかえっている様がおかしくて可愛い。だが、おかげでそろそろ冠が首飾りになってしまいそうだ。


「アリー、代わりにやってよ」

「……しょうがないな」


 オレはリアンの脇に座ってシロツメクサの首飾りを作ってやった。ほら、と言って渡してやると、リアンは赤い唇を尖らせた。


「私は冠が欲しいの!」

「へいへい、分かりましたよ、お姫様」


 野の花を摘んで冠に編み上げていく。気づけばオレは第六小隊の制服のままだった。しまった、せめて着替えてからリアンを探しに来るんだったかな。そんなことを思う。


 何かがアンバランスだったが、それが何なのかはさっぱり分からない。ボーっとしている頭の中とは反対に手先は器用に勤勉に働いていた。


「裏切り者」

「……」

「……って言うと思った? 馬鹿ね、ずっと一緒になんて、いられるわけないじゃない」

「リアン……」


 リアンは立ち上がると、真摯な目をしてオレの顔を覗きこんできた。触れれば消えてしまいそうで、すぐそばにあるのに手を伸ばすことすら躊躇われた。だんだんと記憶が薄らいでいく妻の在りし日の姿が、こんなにはっきりと夢に現れたのはいつぶりだろう。そう、夢だったんだ、これは。


「幸せから逃げてどうするの? 私に負い目なんて感じないで」

「…………」

「誰かを好きになることは、悪いことじゃないわ」

「……こんなのオレの勝手な妄想だ。ただの、願望だ。こんなことはありえない」

「そうかもね。

 でも、ねぇ、アリー。あなたの記憶の中の私が言いそうなことと、本物の私が言いそうなことと、何が違うの? それって結局は同じことじゃない?」

「同じじゃない! ……同じじゃ、ないだろ」


 思わず拳に力が入っていた。

 死んだリアンが夢に現れて、オレに都合の良いことばかりを並べ立てるなんて、あっていいはずがない。オレはエトワールに惹かれていることに罪悪感を持っている。だからこそ、許されたいという気持ちがこんな夢を見せているんだ。


 馬鹿馬鹿しい、愚かな妄想だ。ずっと一緒だと、彼女ひとりを愛すると誓ったんだ。だというのにオレは! 


「はぁ。もう! 馬っ鹿じゃないの? 自分から不幸になろう不幸になろうとして、可哀想ぶってんじゃないわよ! メソメソして、それでも大人なの?」

「違う……。オレはただ、裏切りたくないだけだ……」

「アリー!!」


 大きく溜め息を吐いて、リアンはオレを叱りつけた。


「あなたの不幸を私のせいにしないでよ! 私は、可哀想なんかじゃない。私を悲しみの記憶と結びつけたままにしないで。笑ってる私を思い出して……」

「リアン……。リアン。リアン! それでもオレは……彼女を愛せない! 怖いんだ、喪うのが……。

 きみだって、あんなに元気だったのに。出かけるときには普段通りで、手を振って笑って別れたのに。急に……オレの前からいなくなってしまったじゃないか。いつ、どうなるのかなんて、誰にもわからないんだよ。だから、オレは……」


 それ以上は言葉にならなかった。

 項垂れたまま黙りこむオレのそばにじっと佇んでいたリアンが、そっとオレの髪に手を触れた。


「ねぇ、アリー。勇気を出して一歩を踏み出しなさい。あなたは、ひとりで生きていけるほど強くなんてないんだから」

「リアン……」

「男が泣くなら、好きな女の前でだけになさいね。じゃあね、アリー」

「待ってくれ、リアン!」


 目覚める前の、最後の一瞬。幼かったリアンの姿が、成熟した大人の女性になった彼女と重なって見えた。思い出さないようにしていた、あの記憶を揺り起こす、彼女の姿と。


 幻を追って伸ばした手は、空を掴んでいた。一番最初の鐘の音と、鳥の羽ばたきが朝を告げている。いつの間にか濡れていた目許を、オレは乱暴に拳で拭った。


 リアンとはオレが生まれた頃からの付き合いだった。彼女の方がオレより三つ上。母方の祖父がオレをハリスと呼ぶので、それに習ってオレをハリスと呼ぼうとしたらしい。だが、hの音が落ちたしゃべり方とこども特有の舌ったらずで、幼い彼女はオレをアリーと呼んでいた。大人になってもそれが続いて、リアンにとってオレはずっとアリーのままだ。


(もう、夢にも見ないと思っていたのに……)


 リアンの怒りにきらめく瞳を思い出して苦笑する。今も昔も、オレは彼女を怒らせてばかりだ。


「よりにもよって、大会予選の朝にこんな夢を見るなんて。わざと負けようとしてるのがバレたかな?」


 頭を掻きつつ起き上がり、着替えて顔を洗う。リアンに気合いを入れてもらったことだし、やる気はなかったが頑張るしかない。それと、いい加減にはっきりさせておかなきゃいけないこともある。予選の結果がどうあれ、すべてが終わったらオレは……。


「ラペルマ、支度できたか?」

「ああ、今行く」


 珍しくベイジルに呼ばれて階下に行くと、朝食の席には何故かひとり足りなかった。ロクフォールとジェレミアが鎮痛な面持ちで腕を組んでいる。


「あれ、あいつは?」

「浮気がバレて、婚約者に拉致されたって」

「…………はぁっ!?」


 大会予選出場者二十名、ひとり減って十九名。こんな形でひとり欠けて、第三分隊はこれから当分の間、馬鹿にされるに違いない。


「ったく、やってくれたぜ!」


 この武術大会は若手騎士の実力をはかるものというだけでなく、選りすぐりの実力者だけで構成された金杯騎士団への入団試験を兼ねている。全聖堂騎士の憧れ、対魔物戦線における最前、つまり聖堂騎士であればここに所属することは最高の誉れなのだ。当然、どの隊からどれだけの金杯騎士を出せるかはステータスであると言え、どこもこぞって若手騎士たちを鍛え上げる。


 予選でもやはりそんな空気はあり、予選通過者、成績上位者がいる分隊は偉ぶり、下位の聖堂騎士は小突き回されるだろう。これらは食堂の席や風呂の順番、夜勤の日取りの優劣、果ては掃除の担当場所にいたるまで、ありとあらゆる面での優遇不遇に直結する。集団生活においてこんなに恐ろしいものはない。これを回避するために若手たちは死に物狂いで特訓に明け暮れるのだ。


 この不文律を馬鹿にするなかれ。男には面子というものがあり、これらは日々の鍛練の成果が出せないような無様をさらさないための戒めなのだ。指導してくださった上官たちに恥ずかしい思いをさせないよう、若手たちは厳しく言い含められる。ただ、聖堂騎士の上位八から下は正直どんぐりの背比べだ、最下位がどうのと言ってもどうしようもない。


 よほどのヘマをしない限り、そういった優遇はあっても不遇はないのが聖堂騎士団だ。明るく正しく元気良く、が求められる仕事だからな。


 そう、よほどのヘマをしない限り、な。


「これはちょっと、マズイかもしれないな」

「ちょっと? これがちょっとか!?」

「オレに当たるなよ」


 デカい男が涙目で迫ってくるのは怖い! と、まあ、ロクフォールの図体のことはさておき、さて、どうしたものか。ジェレミアの頑張りで相殺されないかな……。


「ここで溜め息を吐いていても仕方がない、とにかく食べて準備しよう。入場行進の後はもうすぐ弓の実技だ、怪我のないように各自準備は念入りに行うように」

「了解っ!」

「了解……」

「了~解」


 ジェレミアの言葉にそれぞれ答えると、オレたちは食卓の上の、まだ湯気が立つ腸詰め肉に我先にとフォークを伸ばすのだった。

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