穏やかな日
武術大会の予選まで色々と忙しく、あっという間に日々が過ぎていった。オレはジェレミアの練習相手として剣を振るわされていたが、それはどちらかと言えば建前で、本当のところはオレの方が修行をつけてもらっていたのだった。もちろん、フレデリックたち第六分隊も一緒だ。
長剣と円盾という、対人戦のためだけにあるような武具での一対一だが、聖堂騎士たるもの魔物退治だけでなく人型をした敵とも戦えなきゃならないからな。ジェレミアの一撃は早く重く、また、剣を受け止めた円盾が上に持っていかれると気づけば蹴りが腹にめり込んでいるので注意が必要だ。当日はさらに黒術による目くらましや足止めがあると思うと……。とにかく仕事終わりの練習では、ジェレミアばかりが笑顔で、オレたち部下は口も利けないほど疲れきっているという日が続いていた。
今日もまた練習だ。軽く体を動かしたら、まずは短弓からだ。麦わらで編んだ的を目掛けて射かける。なぜかフレデリックが、少し離れたところからオレの射を手持ち無沙汰に眺めている。気にはなるが今は射のことに集中だ。オレは背に回した矢筒へ手を伸ばす。視線はずっと的にあった。
大会規定の十本連射を終えたところに、控えめな拍手と共に歩み寄ってくるフレデリック。相変わらず気障なヤツである。
「すごい集中力だったよ。無心で引いているんだな」
「いや? 後ろでキス魔が見てるなあって思いながら射ってたよ」
「う……」
「あと、射がすべて終わってたとしても、すぐに話しかけたりしないほうがいいぜ。機嫌の悪い射手の筒に矢が残ってたら振り向いて……シュッ!」
「っ、すまない、肝に銘じるよ」
フレデリックの心臓めがけて弓弦を引き絞る。ただ空気を裂く音と革の籠手を叩く音だけが大きく聞こえた。色男は顔色を無くしてオレの矢筒をじっと見つめていた。わざと二本多く入れていた矢が見えたか。ここは野外だからな、一応の備えだ。
「冗談だよ、冗談」
「あ、ああ……そうかい……」
「で? 何の用だ?」
「ジェレミアが、弓のコツなら君に教われと言うんだ。ちょっとセドリックを見てやってくれないか?」
「ドゥケスか。アイツならオレが見てやらなくたって上位八番内は堅いだろ。六はいける」
「第四のキャフリーとせっていてね。できれば差をつけて勝たせたいんだ」
「ふーん」
ヨックトルムもキャフリーも、ムカつくヤツらだがさすがに分隊長とその補佐だ、彼らもまた五番内に食い込んでくるだろう。ウチの補佐役は遠慮が勝ちすぎてこういう競技には向かないんだよな。フレデリックの補佐であるセドリック・ドゥケスが果たしてどこまで粘れるかは分からないが、オレの指導を受けて意味があるのかねぇ。
「まぁ、見るくらいなら……」
「ありがとう、トム。ところで本当にどういう訓練をしたらそこまで綺麗に当たるんだい?」
「ん~。オレの場合はすごい勢いで迫ってくる的に得物をぶち当てて落とさなきゃ大怪我してたからな~。こう、どんな物を持ってようが当てられるようでなきゃ使い物にならん、ってのが師匠の口癖だったからなぁ」
「…………」
予想外の答えだったのか、フレデリックは固まった。おいおい、金杯騎士団の上位はこんなのさらっとこなすぞ。本選でボロ負けしないでくれよ、フレディちゃん。まぁ、本選では予選にはない術の行使とかの項目でも点数を稼げるから、そこそこ良い順位につけるはず、だ。
射った矢と的を回収してから教練場へと戻ると、ちょうどエトワールが来ていた。大きな陶製の水筒から飲み物を注いで配ろうとしている。片手を上げて挨拶すると、真珠色の歯がほころんだ口許から覗いた。
「ふふ、お疲れ様です。レモネードはいかがですか?」
「お、やったね。ありがとう…………酸っぱぁ!?」
「あら? あ、やだっ、蜂蜜入れ忘れてました!」
オレより先に受け取った甘いもの好きのベイジルが、声もなく涙目で悶絶している。恐るべし檸檬ジュース! これ多分砂糖も入ってないヤツだ。幸運にも飲むのを免れたロクフォールは「練習相手を探してくる」と言い、そそくさと逃げ出していた。膝から崩れ落ちたベイジルを目にしたせいか、誰も寄ってこない。
「フレディちゃん」
「い、いや、私は結構だ!」
「……ごめんなさい。わたし、作り直してきますね……」
「いーよ、いーよ。水で薄めて飲むから」
しゅんとしてしまったエトワールの肩を叩いて慰め、オレは苦酸っぱい檸檬ジュースにピッチャーから冷えた水を注ぐのだった。野外教練場の端に並ぶベンチに腰掛け、シロメのカップに入ったレモン水を傾けるのは気分がいい。エトワールも黙ってオレの隣に座った。お互いに口を開くことなく、ゆるやかに吹く風をしばし楽しむ。それはとても安らかで、確かに幸せに満ちていた。
「トムさん」
「ん?」
「トムさんは、どの競技に出るんですか?」
「その質問が出るってことは、さては大会予選を知らないな? 王都じゃ、そういうのはやらないのか」
「わたしが小さい頃に一度あったらしいのですが、最近は聞きませんね。もしかしたら、小さな規模のものは各地で開かれているかも知れません」
「そうか。さて、じゃあ、何から説明するかな」
武術大会とは、聖堂騎士の強さがはかられる舞台だ。聖堂での誓いを立てて三年目までの若輩はまだこの大会に出る資格を得られない。また、そこから十二年を過ぎると出場資格を失う。つまりは、仕事に慣れてきたものの、先輩に首根っこを抑えられている若者たちの、あふれる力を発散させる場になっているわけだ。
そんな制限から、この第六小隊で行う予選に出る騎士は二十人だけだ。普段は四十三人のこの小隊からごっそり人数を持っていくと警備もあったもんじゃない。だから出場資格のない若い新人を、予選の前に何人か、できれば予選出場者の半分ほどの人数を小隊に加えて鍛える。そして、出場者が練習に注力できるように仕事を半分負担させる。当日は会場の警備も担当する。予選後はそのまま同じ小隊に配属されることが多いので、地元民への顔見せも兼ねている。ちなみに、オレたちがひと月もここを空けられたのも、この新人研修を普段より早めるよう上司を説得したフレデリックのおかげだ。
予選では弓術、馬術の二種目の点数と、魔術有りの対人剣技の勝ち抜き戦で勝者を決める。弓は長弓と歯車式の弩の扱いを、その速さと正確さを競う。
続く馬術は騎乗しながら正確に的に当てる技量を点数化する。そのときに振るう得物は剣でも槍でも斧でもいい。もちろん、弓でも。大抵は予選で見せ場のない斧や槍で挑む。その方が貰える技術点が高いのだ。多彩な得物に多彩な技、それが聖堂騎士の誇りだからな。多種を使いこなす自信がなければ剣で挑んだ方がいい。慣れない武器を使っても怪我するだけだ。まあ、こうして得点順に一から二十まで番号が振られ、それによって後半の勝ち抜き戦の相手が決まるのだ。
オレの得意は弓と投擲、槍だが、今回は槍といっても種類が違う。馬術競技で振るうのは騎乗槍であり、長槍とも短槍ともまた取り扱いが違うからだ。オレの得意は「投げてよし、受けてよし、突いてよし」の短槍なのだ。まあ、長槍も触ったことがあるし、斧よりは使いこなせるだろう。だから、せめて弓で高得点を稼ぎたいと考えている。
口には出せないが、馬術はそこそこを狙って十位以内に食い込み、二回戦敗退がきっと一番楽だろうと思う。それならきっとジェレミアも怒らないし。エトワールは残念そうな表情をするだろうか。
「楽しみですね! わたし、絶対に一番良い場所で応援します!」
「……ありがとう。そういえば、救護所に詰めるんだって?」
「はい! 小隊長さんにお願いされたんです。だから、打ち身になったら我慢せずに私のところに来てくださいね」
「わかったよ。当日はきっと救護所が一番忙しいな」
「そうなんですか?」
「ああ、間違いない。きっと怪我をしてない民間人までエトワールを見に駆け込んでくるよ。ここに美人がいるぞ~って」
「やだ、トムさんったら!! もう~、もう~、恥ずかしいです!」
「はははは!」
「笑わないでください!」
「エトは可愛いよ」
「!! も、もう行かなくちゃ! さ、さようなら!」
思わず口をついて出たオレの本音に、エトワールは顔を真っ赤に染めた。勢いよく立ち上がったかと思うと、檸檬ジュースの入ったピッチャーをオレに押し付けて、しどろもどろになりながら走っていってしまった。翻る黒衣が危なっかしげだ。転ばなきゃいいが……。オレは何だか愉快な気持ちになって、空を仰いでひとり笑った。
ちなみに。
案の定すっ転んでフレデリックに治してもらうエトワールさんでしたとさ。書いていて「なんだこの可愛い生き物!」と思ったのはエトさんが初めてかもしれない。