しなやかな強さ
隊長たちのいる事務所を出た後、リリオまでまた馬車で移動した。リリオにはジェレミアのことが心配すぎて任地ごとに商売を出している兄貴がいるので、そんな店のひとつに言伝と共に車を返した。すわ印章指輪の出番かと身構えたが、なぜかジェレミアが顔を出しただけですんなりと事は運んだ。ジェレミアめ、あれだけ兄貴を嫌うそぶりを見せながら、ここには通い詰めだったらしい。女性向けのえらく可愛らしい店舗の軒先で、オレやドニは居心地悪く待っていた。フレデリック? ヤツはエトワールやサーラ嬢と歓談しながらフリルの付いたエプロンやなんかを見繕っていたよ! ジェレミアは着ないぞ、そんなの!
昼食の時間は大幅に過ぎてしまっていた。王都なんかと違って、こっちは日暮れ前に夕飯の準備をして、最後の鐘が鳴る九つどきには食べてしまっている。その分、午後のお茶なんて言って軽食をつまむ習慣もないし、王都で晩餐が始まる十刻目には寝ているか、ゆったりしているかだ。というわけで、こどもたちが果物やなんかを食べている、こんな時間に昼食を摂ることになった。
「前に来たときも思ったのですが、こちらは本当に野菜や果物が美味しいですね。特に果物はこんなに大きいのに瑞々しくって、甘いです」
「む。エトワール、果物ばかり食べては駄目だ。きちんとパンや魚も食べないと、偏食は体に良くない」
「ごめんなさい。だって、とっても美味しいから……」
「仕方ないな。きみは隊長から何かもらって食べていたし、お腹にあまり入らないようなら、パンは包んでもらおう」
「わぁ、嬉しいです!」
嬉しそうに葡萄を口に含むエトワールと、房から小ぶりなひと口サイズのものを見繕っては布で拭いて渡してやるジェレミア。その構図はまさしく「心の通じ合った恋人たち」である。……別に、何とも思ってない。何か思うはずがない。むしろジェレミアとエトワールの仲が良いのは大歓迎だ。だが、そんなことになると、我慢の限界が近いのはフレデリックの方だろう。
「大丈夫か~?」
「……頭では仕方がないことだとは分かっている。だが、目の前で見せつけられたら……くぅっ!」
「生きろ」
「トム、君のせいだぞ、これは! さっさと結婚しろ!」
「お前、言ってることが正反対になっていい痛い、痛い! 踏むな!」
フレデリックのヤツが思い切り踏みにじってきやがった。エトワールもジェレミアも、笑っているが結構痛いんだぞ。まったくひどい八つ当たりだ。何とかヤツの靴の下から足を引っこ抜く。折れたらどうしてくれるんだ、と思ったが、嬉しくないことに周りは術士だらけだ、適当に治療されるだけだろう。
「そんなことより! 私たちは話し合わないといけないことがあるとは思いませんか?」
痺れを切らした、といった感じでサーラ嬢が立ち上がり、まだ湯気の立つ食事が乗った丸い卓に手のひらを叩きつけた。何事かと顔を出すダルの親父に、何でもないからと言い訳をして奥に引っ込んでもらう。どうにも、今まで気にしたことがなかったが、オレは彼女のことがちょっとばかり苦手だ。ここはジェレミアに任せて、すみっこで大人しくしておこう。そんな心中を知ってか知らずか、オレに話が振られることはなかった。
エトワールのこれからについて語られた内容は、サーラ嬢ばかりかオレをも驚かせた。聖堂の鐘つきとしてあの男だらけの駐屯地で働くというのだ。そんな馬鹿な話があるだろうか。
「今までだって黒術士の女性が聖堂に住みながら祈り暮らしていた時期があったと聞く。彼女なら申し分ない」
「待てよ、今まで入ってたのって、おばあちゃんだったじゃないか」
「エトワールも先代も同じ女性だろうが。何の問題がある」
大有りだよ、馬鹿野郎。聖典に仕える聖堂騎士だって男なんだぞ。年頃の女の子が来て、大はしゃぎした挙句間違いが起こったらどうするんだ。
「私は反対です、納得いきません!」
サーラ嬢は唇を震わせながら反駁した。きっと眦を吊り上げて非難しているのは、さてエトワールとジェレミアのどちらだろうか。ドニは相変わらず沈黙を守ったままだ。ジェレミアは冷静さを失わずに平坦な声で続けた。
「だが、エトワールと話し合って決めたことだ。彼女が僕の俸禄で養われることを望まないのだから、他にどうしようがある? きみたち二人の下宿にエトワールを受け入れる余裕があるか? 日雇いの仕事で成人三人も養えるのか?」
「そ、それは……でも……!」
「聖堂に奉仕するならば、衣食の心配はいらなくなる。今なら、鐘つきの仕事が空いているんだ、住むところがあれば、自分の面倒は見られるだろう」
仕事ひと筋のジェレミアらしからぬ隙のない説得。これはフレデリックが考えた台本だろう、満足げに頷いているのがその証拠だ。何も言い返せないのか、サーラ嬢はエトワールの情に訴えるように両手を胸の前で組み、くすんと鼻を鳴らした。
「お、お嬢様ぁ」
「わたしは施しは受けません。自分の居場所は自分で勝ち取ります」
そう言って微笑うエトワールの横顔は綺麗だった。そこにはオレに向ける童女のような円やかさはなく、自信に満ちた女性の輝きが宿っていた。サーラ嬢がガックリと首を垂れる。
「もちろん、誰かさんに代案があれば、別だがね」
揶揄するようにフレデリックがこちらを見る。そんな手に乗るものか。
「代案なんてないさ。オレが口出しするようなことじゃないんでね」
「ならば、決まりだな。きっとすぐに受け入れられるだろう。……本当はさっき済ませてしまいたかったんだが」
「すまない、ジェレミア」
「フレディちゃんも疲れてたんだよ。お前も疲れてるだろ? とにかく今日はもう休もうぜ」
「でしたら、わたしはどうしましょう」
「ひと晩だけのことでしたら、私どもの下宿の主人もきっと許して下さるでしょう。お嬢様、ぜひ私どものところへお越しください」
サーラ嬢の懇願に、エトワールも頷いた。女性は女性同士、積もる話もあるだろう。逆にドニを宿に置いていくといいんじゃなかろうか。そう思ったが、三人は旅行鞄やら何やらを持ってさっそく下宿へと向かうようだ。
「トムさん、また明日、お顔を見に行きますね」
「ん~。もし仕事がなければ、男手の必要な作業くらい手伝うよ。引越ししなきゃだろ? もし、仕事がなければ、ね」
「ふふ。トムさん、ちゃんと分隊に戻れるんですか?」
「えっ」
「うふふ、冗談ですよ!」
「……冗談か。そうだよな?」
ジェレミアを振り返ると、そっと目を逸らされた。
「さようなら、おやすみなさい!」
「あぁ、うん。おやすみぃ……」
にこやかに手を振り、エトワールは去っていった。笑顔が眩しい。
「なぁ、ジェレミア。仕事……」
「聞くな。明日はまだ、留守の間の出来事の聞き取りをしたり、これからの仕事の調整だ。じきに武術大会の準備期間に入るし、お前のやることは何か見繕いはするが……」
「つまり、暇か?」
「仕事が用意できなければ、休みだな」
「やった」
「その分、休みだから、給与は出ないぞ」
「げっ!?」
そんなオレたちのやり取りを見て、フレデリックは笑った。くそ、ひとを笑ってると自分にも来るんだぞ!?
「ははは、私は大丈夫だよ。とは言うものの、ジェレミアと同じで明日は書類仕事に追われるだろうがね」
なんとも余裕そうな発言だ。
まぁ、これが普通なんだろうな。うちの分隊は何をやって謹慎食らったんだろうか。聞くのが怖い……。
「さて、帰るか」
「そうしよう」
★エトワールの新たな仕事★
サーラ「お嬢様、本当に大丈夫ですか? 鐘つきは重労働じゃございませんか?」
エト「心配しないで。お婆ちゃんでもできる、簡単なお仕事よ」
サーラ「でもでも、大の男くらい大きい鐘ですよ?」
エト「体重をかけてぶら下がればいいのよ。そ~れ!」
………………
エト「あら?」
トム「……黒術で引っ張るんだよ。本当に大丈夫か?」
エト「あらあら、うふふ♪」