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星の輝きは色褪せない

 明け方には雨は止み、太陽が生命を慈しむように満遍なくその手を伸ばしていた。小鳥たちが歓びを歌う気持ちのよい朝だ。一睡もすることなく今日を迎えたエトワールは、庭園に出てみることにした。昨夜は身も引き裂かれるような悲しみに打ちのめされた場所だったが、今朝の決意を萎ませてしまわないためにも、きっと必要なことだと彼女には思われたのだ。


 光を受けて輝く朝露に飾られた庭は、それは素晴らしかった。澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込み、エトワールはひとり自分に言い聞かせた。


「諦めたり、しない。トムさんはわたしを嫌いだとは言わなかった。わたしを見るあのひとの目は、わたしのことを愛していると言っていたもの。だからわたしは、諦めない!」


 こうして心の裡を声に出せば、決意がよりいっそうくっきりとした気がした。トマス=ハリスたちについて“風の墓所”まで行きたい。そして彼のそばで、それが無理なら近くで暮らしたい。それが彼女の望みだった。


 エトワールは胸の上で両手を重ね、色づく空を見上げる。もう、星は見えない。けれど、まだ腫れぼったい瞼を閉じて満天の夜空を思い浮かべる。かつて祖母がよく言っていたように。


(おばあさま、わたし、辛くてもいい。自分の心に正直に、生きてみたいの……)


 エトワールには、祖母の温かい笑みが、今もそっと背中を押してくれているように思えた。心が決まれば、行動あるのみだ。エトワールは両手で頬を挟み、精一杯の笑顔を作った。休眠を一切摂っていないにもかかわらず、彼女の心身は高揚し、活力に満ちあふれていた。足は仔兎のようにはずみ、唇からは歌がこぼれる。枝を差し伸べる木の青々とした葉に口づけして歩きたい気分だった。


 そうやって歩いていると、背の高い木々に隠れるようにして建つ四阿が目に入った。ちょっと覗いてみようと近寄っていくと、低木の茂みの中に横たわる人影があった。エトワールの全身がギクリと固まる。彼女の藍色の目は見開かれ、赤毛に縁取られた白い貌に釘付けになった。唇は悲鳴の形に開いたまま、喉の奥でおかしな音を立てるだけ……。


 低木を下敷きに、仰向けで足を投げ出したような格好のジェレミアは、全身がずぶ濡れ、そして泥まみれであった。その目は閉じられ、所々はねた泥で汚れていたが顔に傷はなく、まるで眠っているように見える。両手は胸の上できちんと組み合わされており、前髪は掻き上げられて形の良い額が出ていた。


「あ……ああ……!」


 エトワールはドレスが濡れるのも構わず彼の横に跪いた。恐る恐る、深い眠りにあるジェレミアの手に触れると、それはぞっとするほど冷たかった。


「どうして、こんな……!」

「んっ……。エト、ワール……?」

「ジェリーさんっ、良かった、気が付かれたんですね!」

「どうして……うっ!」

「ああっ、大丈夫ですか?」


 身を起こそうとして呻くジェレミアを押し留め、エトワールは囁いた。


「生きていてくださって良かった……。動かないでください、すぐにひとを呼んで参ります」

「いや、僕は大丈夫……」

「大丈夫なはずがないでしょう! いいからじっとしていてください!」


 いつになく強い言葉を使ってジェレミアを叱ると、エトワールは宿へと急いだ。今はとにかく彼を運ぶための男手と、温かい湯と乾いた衣服、それに何か滋養のついて胃に優しい食べ物が必要だった。宿の人間は事情を知るとすぐに必要な処置をし、一刻も経つ頃には、ジェレミアはすっかり元気になっていた。それでもエトワールはジェレミアが寝台を下りるのを許さず、ふかふかのクッションを敷き詰めて背もたれとし、半身だけ起こして座るのならばとおしゃべりを許可したのだった。


「紅茶はいかが、ジェリーさん」

「ああ、もらおうかな」


 エトワールが冷たい視線を走らせると、椅子すら与えられず立ちっぱなしのフレデリックがいそいそとやってきて、銀器に紅茶を注いだ。二人分の温かい茶の良い匂いが漂う。それを二人の前に給仕し終わると、また壁際へと戻る。そこにはトマス=ハリスも同じように立たされていた。


 ジェレミアが宿に運ばれて、ちょっとした騒ぎになった。だが、朝に弱いトマス=ハリスとフレデリックは、ジェレミアから真相を聞き齧ったエトワールが叩き起こしに来るまで暖かい寝台でぐっすり眠っていたのだ。真相とはつまり、こういうことだ。


 昨夜、フレデリックがひとり帰ってしまった後、ジェレミアもまた宿に戻ろうとした。だが、踏み出した方向が悪かった。雨と風、視界のきかなさで何度もぶつかり、転び、このまま強行しては命にかかわると判断したジェレミアは、夜明けを待つことにした。とはいえ、ずぶ濡れのままでは風邪を引くし、最悪、死ぬかもしれない。そのため、すっかり苦手になってしまっていた白術で体を温めるよりは、いっそ黒術で仮死状態となって朝を待っていたのだった。


 エトワールは怒りに頬を染め上げ、瞳を青く煌めかせてフレデリックを(なじ)った。声もなく項垂れる彼を容赦なく責めた。


「お謝りなさい!!」

「……合わせる顔が、ない」

「ならば、ずっと逃げ続けるおつもりですか? 逃げても構いませんが、謝って殴られてからになさいな!」


 エトワールの叱責にフレデリックは覚悟を決め、ジェレミアの回復を待って謝罪しに来たのだった。当の本人はあっけらかんとしており、沈鬱な表情のフレデリックを労るくらいだった。


「僕のことはもういい。問題はトマス=ハリス、お前とエトワールのことだ。これからどうするのか、二人できちんと話し合ってこい。僕はもう少し寝る」


 三人が部屋から退出するとき、名残惜しく最後まで残っていたフレデリックに、ジェレミアは声をかけた。


「フレデリック、昨夜のこと、少し考える時間がほしい。正直、僕にはどうしたらいいか見当もつかないが……それでもきちんと、向き合うから」


 そのひと言だけで、フレデリックは赦されたような気がするのだった。

今回の教訓:友人を置き去りにするのはやめましょう。(二回目)



トマス=ハリス「フレディちゃ~ん? ちょっとこっちおいで」

フレデリック「こ、これには深い事情が…!!」

トマス=ハリス「ちょっとこっちおいで」

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