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ジェレミアの怒り

 今回はジェレミア・サイドの話です。

 話は少しだけ遡る。

 ジェレミアはエトワールとトマス=ハリスが連れ立って庭へと歩いていくのを見送り、その姿が見えなくなると自分もそっと席を立った。


「ジェレミア、どこへ?」

「あ、ええと……ちょっと、野暮用というヤツだ」

「二人を尾行するのかい?」

「そんなことはしない! ちょっと様子を窺うだけだ」


 フレデリックは笑みを噛み殺すと、自分もまた立ち上がった。ジェレミアは何か言いかけた口を閉じ、視線でついてくるように合図をすると歩き始めた。庭園には先に出ていた二人の姿だけがある。彼らに見つからないよう身を隠し、ジェレミアはかなり遠くからそっと眺めていた。


「どうしてこんなことを?」

「しっ、黙っていろ」


 身動ぎすれば触れてしまいそうなほど近くに寄り添い、ジェレミアはフレデリックの耳に囁く。質問ばかりだった口が閉ざされると、ジェレミアはひとつ頷いて二人の方へ視線を移した。人気のない薔薇の弓型状の柵の向こう側ではジェレミアが待ち望んでいた瞬間が訪れようとしているのだ。


 エトワールから、トマス=ハリスに愛の告白をするのだと打ち明けられたとき、ジェレミアはとても喜んだ。だが、本当ならば男の側から愛を請うべきだろうに、とここにいないトマス=ハリスに代わって謝罪するジェレミアに、エトワールは優しく首を振って否定した。かねてから弟の幸せを願っていた彼としては、順番よりも形式よりも、ただ愛だけを選び取ろうとするエトワールがよりいっそう好もしく思えたのだった。


 普段は飄々と軽そうに見えて、真実重要な局面では真摯であるトマス=ハリス。そして貴族の令嬢でありながら、華美な上っ面ではなく内面の美しさを良しとするエトワール。そんな二人だからこそ、互いに惹かれあったのだろう。その二人が結ばれないなんて、そんなことが有り得ようはずがない。ジェレミアはそう信じていた。


「おや、雨だ。戻ろう、ジェレミア。あの二人もすぐに……あっ!」

「先に戻れ! 僕を待たなくていい!」

「ジェレミア!!」


 にわかに降り出した雨の中、ジェレミアは走り出していた。トマス=ハリスの様子がおかしいことにはすぐに気付いたのだが、まさかという思いが勝り、すぐには動けなかった。エトワールひとりを残し、その場を離れていくトマス=ハリスの姿に「なぜだ」という疑問が浮かぶ。混乱した頭であっても、とにかく彼女のもとへ駆けつけなくてはならないという一心でジェレミアは足を急がせた。細雨(さいう)の中に立ち尽くすエトワールは、自分で自分を抱いて静かに(あめ)を仰いでいた。


 声を掛けようとした拍子に蹴立てた花壇が大きな音を立てる。はっと振り向いたエトワールは、すぐに表情を曇らせた。同じような体躯、同じような赤い髪をしていながらも、そこに立つのは彼女の想い人ではなかったからだ。現実から目を逸らすかのように、彼女はうつむいてジェレミアに背を向けた。


「エトワール……」


 露わになったうなじにも、濡れた薄布越しにはっきりと輪郭を見せる細い肩にも、まるで涙のように雨粒がひっきりなしに降り注ぐ。うなだれた乙女の黒髪からは花が抜け落ち、無残にも踏みにじられていた。

 

 ジェレミアはゆっくりとエトワールの正面に回り込んだ。泣き崩れもせずじっと佇むエトワールに、何と声を掛けたら良いのかも分からず、ジェレミアは、それでも打ちひしがれる彼女にわずかでも慰めを与えたくその手を伸ばした。しかし、唇を噛み締めたエトワールが、拒絶するように肩を震わせたのを見て、ジェレミアはぐっと拳を握って身を引いた。自分がここで強引に胸に抱いて慰めたところで、彼女の心についた傷は決して塞がりもしなければ、一時の安らぎを与えることもないのが分かったからだ。


「戻ろう、エトワール」

「…………」


 ゆるゆると左右に振られる首。雨足は弱まる様子を見せない。


「このままでは風邪をひいてしまう」

「…………」


 またしてもエトワールは首を横に振った。


「ならば、せめて雨に当たらないようにさせてほしい。僕のことは、その辺の木と同じように考えてくれればいい。気になるというなら、目も耳も塞ごう」


 ジェレミアが力ある言葉で右手に術を導くと、透明な天蓋(てんがい)が現れ、エトワールは雨を感じなくなった。木々に、芝生に、優しく落ちる雨の音だけが世界を支配しているかのようだ。やがて、堪えきれなくなった嗚咽が雨音に混じり始めた。それでもエトワールはジェレミアには縋らず、ジェレミアもまた彼女に触れようとはしなかった。彼女が縋るべきはただ一人……。


(なぜだ、トマス=ハリス……!)


 ジェレミアの内に怒りの炎が宿る。問い詰めなければならない。なぜ彼女を泣かせたのかを。なぜ、自分の気持ちを正直に打ち明けないのかを。






 ジェレミアは宿の上級女中にエトワールを託した。風呂やその他の世話を頼むと、自らは滴る雨もそのままにトマス=ハリスの部屋へと向かう。エトワールの心を踏みにじり、涙を流させた弟の目を覚ますために。その胸には怒りと失望と哀しみがあった。


 歩む足取りは段々と早くなり、ついには走り出していた。そうしないと抱えている怒りが強すぎてその辺の花瓶を叩き割りかねなかった。だが、それはトマス=ハリスにぶつけるべきものだ。


 勢いよく戸を開け、驚くフレデリックの脇をひと足で走り抜ける。ジェレミアに向けられる、生気のないぼんやりとした顔目掛け、思いきり左の拳を横打ちに突き刺した。


「貴様っ、よくもあんな仕打ちを!」


 その一撃で、トマス=ハリスは寝台から落ちた。床に肘をついて上体を支えながら、ジェレミアを見上げる。その、殴られて当然だという表情がさらにジェレミアの怒りを煽った。


「見損なったぞ、トマス=ハリス・ラペルマ!!」

「………………」


 口の端から血を流した男は何の言い訳もしなかった。それどころか、もっと殴られたい、責められたいと願っているようだった。そんなことをしても、許されはしないというのに。ジェレミアにはそれは逃避にしか感じられなかった。


「今すぐ彼女に謝れ! 全て取り消して、やり直したいと言え! どうして自分の気持ちを偽るんだ、なぜ彼女を妻にしない……? 答えろ、トマス=ハリス!!」

「……オレの気持ちだよ」

「何……?」

「あれが真実、オレの思いだ。エトワールを愛せない。愛せないんだ……」

「このっ……!」


 頭に血が上り、トマス=ハリスに掴みかかろうとするジェレミアを、フレデリックが背後から抱きついて止めた。広い部屋とは言え、寝台に挟まれた空間では思うように暴れられず、ジェレミアもさらなる制裁は断念するしかなかった。フレデリックの腕を引き剥がし、まだ床に座り込んだままの弟に指を突きつける。


「くっ……! このままでは済まさんぞ。いずれもう一度決着をつけてやるから、覚悟しておくがいい、トマス=ハリス・ラペルマ。それと、僕は今日、戻らないからな!」


 そう言うとジェレミアは踵を返し、部屋を出ていった。戸の閉まる音がやけに大きく響いた。

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