表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
25/70

騎士、老魔女と相対す

 マクシムの兄貴とはその次の町で別れることになった。さすがにもう戻らないとまずいらしい。代わりの馬と食材やら着替えやらを積み込んだ馬車まで用意してくれていて、至れり尽くせりだった。ようやく馬鹿な格好からも解放される。……まあ、眉をそり落とされているから化粧しなくちゃならんとかいう屁理屈のせいで未だにスカートを穿かされている可哀想なのも約一名いるが。


 しかも、エトワールの夜会のときの衣装や装飾品も、兄貴が自分の手でノレッジ侯爵家まで届けると言ってくれた。これほど信頼の置ける言葉はない。オレたちの作戦の杜撰さを上手く繕ってもらってしまった。やっぱり、いくつになっても兄貴には敵わないな。


「親愛なる弟たちよ、別れは惜しいが仕方あるまい。この数日、そしてあの夜会、本当に楽しかった。いつかの悪戯を思い出すようだ……。元気でやるんだぞ、二人とも」

「兄貴、ありがとう。すごく助かった!」

「ありがとうございます……兄上」


 オレは兄貴と抱擁を交わし、互いに背中をバシバシと叩きあった。責任ある立場だって言うのに仕事を押して、しかも自分だってろくすっぽ寝てないというのに、オレたちの、いや、ジェレミアのために駆けつけてくれた兄貴。このひとにはいつだって頭が上がらない。言葉にできない思いを、全部込めるつもりで力強く握手した。


 兄貴が無言でオレの目を覗き込んでくる。大丈夫か? と問われた気がした。きっと指輪のことだな、とピンときた。兄貴は目の前で使い方を見せてくれたのだ。馬でも人でも、うまく使えと。オレはしっかりと頷き返して、指輪のある胸元を拳で押さえて見せる。満足そうな笑みが帰ってきた。そのままジェレミアに向き直る。


 いつもは自信満々に頭を持ち上げて胸を張っているジェレミアだが、マクシムの兄貴の前では終始うつむいてふくれっ面をしている。この頑固者は、別れのときだというのにその態度を崩さない。休憩中は誤魔化せても、ここまで分かりやすいとどうしようもないな。兄貴は苦笑いをしているし、エトワールやフレデリックは先ほどからどうしたものかと気を揉んでいるようだった。


「ジェレミア、別れのときくらいは笑顔を見せてくれないか?」

「僕は! ……貴方のことを許せない」

「それは……」

「どんな事情があったにせよ、貴方は嘘をついたんだ。僕はそれを許せないし、許さなくていいと思っている」

「…………」

「だが、貴方を愛しているのも本当だ。いつも心の中に貴方たちがいるのに、実際に離れてしまってしばらく顔も見られないかと思うと、とても、辛い……。ありがとう、兄さん。父さんたちとも最後にきちんと挨拶をさせてもらえて良かった。もうこうして会うこともないかもしれないが、貴方たちが誇りに思えるような聖堂騎士であり続けられるよう、祈っていてほしい」

「ジェレミア!!」


 親父殿に似て大柄な体が、ジェレミアの細身を抱き締める。ようやく笑って別れが言えて良かった。長年の確執は消えてなくなりはしないだろうが、これで幾分か解けたんだろう。この似ていないようでいてそっくりな二人の、よそよそしいやり取りは見ていて嬉しいものじゃない。これでオレもぴりぴりしているジェレミアに気を使わなくて済む。


 手を振って兄貴と別れ、オレたちは新しい馬車で西部大森林への旅路を行く。御者は野暮ったい格好すら優雅に着こなしてしまう謎な男、フレデリックだ。早朝からの馬車旅で体はガタガタだったが、それはエトワールやジェレミアのおかげでなんとかなってしまう。常人にはとうてい無茶なやり方で旅程を短縮できてしまうのが、すごいを通り過ぎて無茶苦茶だと思うのは、もはや術の使えない生き方に親しみすぎたせいだろうか。


 それから二日、何事もなく順調に馬車は進んだ。御者はオレとフレデリックで交代をしつつ、たまにジェレミアが「僕にもやらせろ」と割り込んでくる。ただ、晴れ間が少なく曇りがちで、風が嫌な音を立てているのがオレの胸をざわつかせた。エトワールはずっと沈みがちで、オレたちと話すときも無理をしているようだ。どうにかしてやりたいと思いはするが、良い方法が思い浮かばない。自然と会話が減っていった。


 異変が起きたのは人気の少ない峠道でのことだった。衛士たちの使う警笛が聞こえたとき、妙な危機感に駆られて二つある窓を両方、カーテンを引いていた。その時、馬車の中にはオレとエトワールの二人きりで、ジェレミアは「外の空気が吸いたい」と言って御者席にいたのだ。


「トムさん、何が……」

「分からない。だが、おかしい。衛士がこんな道を警備しているわけがない」

「じゃあ、ロクサーヌが……!」

「様子を見よう」


 エトワールは頷くと、震える手を伸ばして戸口の扉を【固定】した。次いで窓も同じく黒術で封じていく。止まった馬車の横を、人影が三つ通り過ぎていく。ほどなく聞き覚えのない男の声がした。


「そこの男、この馬車はどこまで行く物だ?」

「聖堂まで、黒術士のお嬢さんたちを運んでおります」

「全部で何人だ」

「……馬車の中にも二人います」


 良い答えだ。オレは拳を握った。覗き込もうとしてきた奴がいたが、カーテンはしっかり閉めていたので大丈夫だった。ただ、オレの方からも何も見えないのがもどかしいところだ。


「そこの女、こちらへ来てよく顔をお見せなさい」


 よく通る、厳しい老女のような声。ああ、一度聞けば忘れられない声だ……。エトワールは両手に顔を埋めて、小さく呻いた。


「さあ、さっさとなさい!」

「何なんですか、あなた方は。このひとは聖堂に仕える黒術士なんですよ、あなた方に命令することはできない。それに私たちはアウストラルの法に従っているのですから、何も咎めを受けることなんて」

「……取り押さえなさい!」


 にわかに緊迫した事態となっていた。数人が激しく揉みあっている気配、そしてただ取り押さえられたのではないだろう苦悶の呻きが、それを追うようにジェレミアの怒声が聞こえた。


「フレデリック!」

「その声、お前は……!」


 エトワールが術を解除し、二人で馬車を降りた時には遅かった。古風なドレスに身を包んだ老女とジェレミアが、互いに掴みかからんばかりにして相対していた。足元には両脇から衛士に押さえつけられ、力なく項垂れているフレデリックの姿がある。オレの背後でエトワールが小さく息を飲んだ。


「ロクサーヌ、もうやめて!」

「っ! 二人とも逃げっ……ぅあっ!?」

「ロクサーヌ!!」

「ジェレミア!」


 老女が手に持つ杖がジェレミアを襲い、その一撃はとっさに腕で受け止めていたように見えた。だがその次の瞬間、ジェレミアは体を硬直させ、膝から崩れ落ちていた。ロクサーヌ、と呼ばれた老女の口から高笑いが溢れ出た。


「ほーっほっほっほ、あっはははははぁ!! これで邪魔者はいなくなったわよ、リスタール伯爵令息様。その娘を返していただきましょうか!」

「ロクサーヌ、私、戻らないわ!」

「お黙り、人形風情が! ……そもそも、もう逃げる理由なぞないではありませんの? 両家共にあなた方の結婚を認めているのですから。後は、子ども、子どもですよ、それさえ……」

「確かにエトワールを拐って結婚をしたのはオレだ。たが、悪いがオレは、ジェレミア・リスタールじゃないぞ」

「…………はぁ?」

「オレの名はトマス=ハリス・ラペルマ。……位もない、ただの男だ」

「トムさん!」

「なっ、なっなっ……なんですってぇ!?」


 抱きついてきたエトワールの腰に手を回し、がっしりと抱き寄せる。杖が固い地面に落ちて音を立てた。目の前の枯れ枝のような老女は、目を剥き、だらりと両手を垂らして呼吸すらまともにできてはいない。首を激しく振りながら、しきりにブツブツと呟いている。……大丈夫だろうか。声をかけようとしたとき、物語に出てくる悪い魔女のような有り様でロクサーヌが叫んだ。


「よくも……よくも平民のくせにぃ!!」

「それはまた差別的だな」

「ノ、ノレッジの悲願が……、よくも、よくもぉ! その娘は魔力の高い相手と掛け合わせて、より完璧な人間を作る予定だったのよ!? リスタールならば、まぁ合格点だったというのに! それを、なんてこと……ええい、今からでも遅くないわ、相手ならリシャールがいる!」


 リシャールというのが誰かは分からないが、エトワールの手に力がこもるのを感じ、オレは腹を決めた。さらに嘘を重ねることを心中で導師様に詫びながら、老魔女を挑発する。


「残念ながら、それももう遅いんだな」

「な、に……?」

「オレたちは愛し合った後だ。子どもならすでに……」


 老魔女は冬の荒れ狂う風のように恐ろしい悲鳴を上げて後ずさった。峠道の端から土くれが崩れて落ちていく。


「なんてことなの……まさか、そんな……」

「いいや、事実だ。何の術も使えない、魔力なんて欠片もない、そんな男の子どもを宿しているんだよ!!」

「そんな馬鹿なぁぁぁ!! なんてことなの! そんな失敗作なんて、冗談じゃない……地を這う虫くらいの価値しかない、お前たちみたいな……そんな下らないことのために、わたくしの作った人形がぁ…………」

「わたしはもう、人形じゃないのよ、ロクサーヌ。わたしは好きなひとを見つけたの、何も後悔なんてないわ……」

「あ、ああ、ああ…………終わりだわ。終わりよ、終わりよぉおおおおおぉぉ!! ぁああぁあぁぁあぁ……!」


 老魔女は崖っぷちに座り込んで目を見開いたまま叫び始めてしまった。オレはエトワールを馬車に乗せた。衛士が迷いながらもオレを止めようとするのを、いつの間に意識を取り戻していたのか、ジェレミアとフレデリックが顎に一発ずつ入れて気を失わせていた。


「出すぞ、掴まれ!」


 フレデリックの合図で馬車が走り出す。今度こそ、老魔女は追いかけては来なかった……。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ