騎士、再会を喜ぶ
夜明け前の空気が一番冷たい。交代で仮眠を取ったはずだが、合図がなくとも全員が起きていた。眠気覚ましに熱い紅茶を啜り、馬車の支度を整えた。
「ジェリーさん、遅いですね」
エトワールの心配そうなひと言に、フレデリックの眉間の皺が増えた。オレは何も言えなかったが、せめて安心させてやろうと肩を叩けば、無言でしかめっ面をされた。なぜだ。
その時、風が遠くから蹄の音を運んできた気がした。
「ジェレミアだ!」
フレデリックが黒衣の裾を捲り上げ、跪くと迷うことなく右耳を地面にべったりとくっつけた。そりゃ地を行く者の音を聞くならそれが確実だが、エトワールがびっくりするだろうが。
「あ、あの、フレディさんっ?」
「しっ、静かに! 馬だ……二頭だな。馬車じゃないならジェレミアだ。予定通り馬を調達してくれたんだ」
「だから、決まったわけじゃないって」
オレはフレデリックに身を隠すよう促したが、ヤツは聞く耳を持たなかった。仕方なく自分とエトワールだけでもと思い、彼女の手を引いて植え込みの間にしゃがみ込む。
「トムさん、ジェリーさんじゃなかったら……」
「しっ。とにかく、待とう。追っ手じゃないかもしれないだろう」
エトワールは睫毛を伏せ、唇をきゅっと噛んだ。抱き締めてその不安を取り去ってやりたかったが、そういうわけにもいかない。馬が停まるのかそのまま去るのか……ジェレミアであってくれと願いながら、その短い時間が過ぎるのを待った。
蹄の音がすぐ近くまで迫ってきた。
「ジェレミア!」
「すまない、待たせたな!」
「あっはははは!」
「笑うな! 自分の格好は鏡で確かめたかっ!?」
指を差して笑ってしまったのは仕方がない。お互いにあまりにひどい格好だった。なにがひどいって、ジェレミアは眉を剃り落として、眉墨で刷いているのがひどい。おまけに唇にも淡い紅を差している。頭巾でぴっちりと隙なく髪の毛を隠しているので、まるで「黒髪の清楚な黒術士」に見えなくもない。
「だって、だってお前、母親そっくり!」
「うぐぐぐ……」
「すまない、ジェレミア……す、すごくよく似合って……ッ!」
ほら見ろ、フレデリックだって吹き出してるだろ。
「き、貴様らっ! やるか、表に出ろ!」
「とってもよくお似合いですよ、ジェリーさん!」
エトワールのひと言がオレたちの忍耐にトドメを刺した。ひとしきり笑った後、ようやくジェレミアがひとりではなかったことに気が付いた。
「感動の再会はそろそろ終わったかな?」
「兄貴! どうしてここに……」
馬に隠れるようにして立っていたのは、田舎の作男風に変装したマクシムだった。どこから調達したのかよれよれの服に筋肉質な体躯を収め、わざとらしく鼻の頭を泥で汚している。こんなこと、計画にはなかったことだ。
「ちょっと弟たちの勇姿を見に寄ったのさ。ここから先はしばらく私が御者を務めよう。さあ、T・T、馬を繋いで四頭立てにしておくれ。ジェレミー、友人を紹介しなさい」
そうだった、ゆっくりしている暇はなかった。おまけにジェレミアとフレデリックが兄貴に取られるということは、オレだけで準備をするということだ。せわしないな。幸いに馬具の点検は済ませていたので、誘導して繋ぐだけではあるのだが。そうそう、水やら砂糖やらもやっておく方がいい。本当なら繋ぐ前に済ませておくことだが時間がない。発汗具合から見てそれほど疲れていないようなのが良かった。昨夜と違って歩くような速度で走らせるから、途中で力尽きたりしないだろう。……多分。
井戸水を桶に入れようとしているとエトワールが黒術で水を出してくれ、馬に角砂糖を与えるのも楽しみながらやってくれた。そうそう、手のひらをしっかり開いて、指が邪魔にならないようにしてやってくれ。
その頃には皆、それぞれに支度も終わっていた。車に乗り込み、兄貴がひとり御者台にいる。衛士やなにかに止められたときのために、エトワールとジェレミアの綺麗どころ二人が戸口側で応対係、オレとフレデリックの見られちゃマズイ組は奥でおとなしくしている。誰が誰の隣かは言わずと知れている。
「なぁ、ジェレミア。ちょっと聞きたいんだが、なんで化粧してる? いや、よく似合ってはいるんだがな」
「黙れ。……これは罰だ。貴様、自分だけ事前に報告とか……僕は、騒ぎを起こすなら先に言えと怒られたんだぞ!」
きつい目線を送ってくるジェレミア。オレはすっとぼけることにした。
「お? なんで親父殿に言ってなかったんだ?」
「なっ、お前が誰にも言うなと……」
「それはそうだが、迷惑をかけるんだから身内にひと言くらい断っておけよ」
「……そういう処世術は早めに教えてくれ。僕はずっと聖堂育ちなんだぞ」
「オレもだわ。世間知らず」
「ぐぅ……」
勉強になったか? とイイ話風に締めくくる。ガックリと項垂れるジェレミアの姿に、フレデリックとエトワールも静かに笑っていた。
かなり緩やかな行程だったが、追っ手は来なかった。一度、衛士に止められてヒヤッとしたが、エトワールとジェレミアに微笑まれて舞い上がった若い二人組は質問をさっさと切り上げた。昼飯を一緒にどうか、なんて分かりやすいお誘いも、エトワールは適当なあしらいで逃れた。意外とやるな。
途中、小さな町で昼食を買い求めたのだが、種類の豊富さと質の良さに驚かされた。窓から眺めた上での見立てだと、町の大きさに比べたら商業区の規模の広さはさほどでもないようだったのだが。ちなみに、昼食の買い出しは全て「私なら怪しまれまい。任せておくがいい」と、兄貴が率先してやってくれたので本当にありがたかった。
町を過ぎ、緑野を行く。人気のない河原で昼食を摂ることになった。この辺りの名産だという変わったハムは、腸詰めと同じ材料を使って大きく成形し、こんな風にパンに挟むのに適しているそうだ。ゴマを混ぜて焼いた柔らかいパンに、ハムとチーズ、チシャ、オリーヴのピクルスが挟まれていて絶品だった。他にはウズラの卵フライを三つ串に刺したものや、ウイキョウのピクルスなんかもあった。
「さてと。人心地ついたし、良い知らせを伝えよう」
マクシムの兄貴が食後の紅茶を飲みながら言った。オレたちはそれぞれ顔を見合わせ、兄貴に向き直った。
「出立直前のことだ。王都から一報あってな、王子殿下が無事にご誕生あそばされたぞ」
エトワールとフレデリックがハッと息を吸い込んだ。
「やがて全ての領地にこの知らせが渡るだろうな。私の見立てなら、恩赦も出るだろうし、誕生の祝典に向けて争い事は御法度という向きになるだろう」
兄貴は重々しくオレたちを見渡し、ニヤリと笑って言った。
「つまり、ノレッジも追いかけてこないんじゃないかということだ。連れ戻したってまさか、あれだけの貴族連中の前で宣言したにも関わらず他の家にやるわけにはいかんだろう? 彼女の意志でなくノレッジへと拐われたと分かれば、このリスタールが黙っていない。そんなことは向こうも先刻承知、貴女は解放されたんだ、ノレッジ嬢」
「よし! やったな!」
「ああ!」
思わずオレは立ち上がっていた。オレたちの勝ちだ!
ジェレミアもまた喜びに顔をほころばせ、椅子がわりにしていた石の上に跳びあがっていた。ジェレミアと拳を打ち合わせて作戦の成功を祝う。にこやかに他人のふりをしているフレデリックの首を抱き寄せ、一緒に祝わせた。
「やめろ、私はいいから……」
「なに言ってるんだよ、フレディちゃん! お前さんだって今回の立役者だよ?」
「そうだぞ、フレデリック! きみがいなければ、僕たちだけではどうしようもなかった。ありがとう、フレデリック!」
「ジェレミア……」
押しつ押されつ三人でじゃれていたが、ふと見た肝心のエトワールは浮かない表情で腰かけたままだった。指を膝の上で組み、なにかを思案しているようだ。
「エトワール? もしかして、嬉しくないのか?」
「いいえ! いいえ、トムさん。わたし、嬉しいです。……でも、あのロクサーヌが、わたしを放っておくとは思えなくて……」
「…………」
ざあっと、風が大きく木々を揺らした。




