閑話
私、パトリス・マクシムの自慢の弟たちが帰ってきた。一人は、片方だけ血の繋がった弟、ジェレミア。もう一人は血は繋がらないがジェレミアと双子のようによく似たトマス=ハリス・ラペルマ、私たちはT・Tと呼んでいる。なにせ、T・Tだからね。
今回の楽しそうなお遊びは、宿敵とも言えるノレッジの鼻を明かすことができると、父さんも当初から大乗り気だったんだよ。リスタールが全面的な援助をしているのは、何もT・Tからの頼みだからというだけではないのさ。ここまでは理解できるかな?
「さっさと縄をほどいてください、兄上」
と、私を睨みつけるジェレミアは、その言葉の勢いとは反対に、椅子に座らされた状態で細い鎖に絡め取られている。上着は取り去られ、開襟のシャツにスラックス姿で、だ。髪が乱れて憔悴した表情もなかなか、様になっている。
「なにをしているんですか、さっきから! 机の上で書き物なんて!」
「日記だよ」
「日記!? そんな物のために僕を放置していたんですか! ……信じられない」
そう怒る必要もないだろうに、弟は端正な顔を歪ませて下を向いてしまった。そんな表情させたくはないが、これは彼に与える罰なのだ、と私は身を切られるような思いで……
「だから、その日記を書くのをまずやめてください!」
「え~?」
仕方がなく日記帳を閉じれば、ジェレミアは幾分か落ち着いた声音で話し始めた。ふむ、縛られているというのに大して動じもせず、堂々としている。それはきっとリスタールの嫡子だからという理由や、自分を捕らえているのが親族だからという安心からではないだろう。聖堂騎士として立派に育ったな、ジェレミア……。
「話を聞けぇえ!!」
「おや、どうしたんだ急に。大声出したりなんかして」
「うぐぐぐぐ……!」
怒りっぽいところはまるで変わっていないのだな。昔と同じく可愛いジェレミーちゃんで兄は嬉しいぞ。
「さて。お前の懸念は約束の刻限に間に合うかどうか、だろう? 間に合わせるさ、心配するな。だがね、ジェレミア、よく考えるんだよ? あんな大それた作戦を決行しておいて、私や父上に、全く、何の、相談もなしとはね。ちょっと、どうかと思うんだよ」
「………………」
「真剣な表情だが何も考えていないね? 良いだろう、お前が何をして何をしなかったか、教えてやろうじゃないか。私の忠実な部下であるジルベールが休日返上で調べ上げてくれたのだから!」
「兄上はジルベールに迷惑をかけすぎではないですか?」
何のことだかさっぱり分からんな!!
ぺらりと頁をめくれば、精緻な文字がびっしりと書き込まれている。それは高級な紙を無駄にしないためのジルベールなりのこだわりか、はたまた私への嫌がらせか。おそらく両方だ。
『館に到着したジェレミア様は、まず真っ先に厨房へ向かわれ……』
ふむ。読み飛ばさねば長くなるな。ん? これを焼き捨てる? そんな勿体無い! えーと、
『早朝の走り込みから戻ったジェレミア様は、くしゅんと鼻を小さく鳴らされた。汗をかいて冷えてしまったのだろうか。女中からホットアップルジンジャーをもらって笑顔になっていらした』
なるほどなるほど。どうした、吠えたりして。お、問題のシーンは緊迫感がよく出ているな。ジルベール、戯曲作家の才能があるんじゃないか? そら、読んでやろう。
『恋人たちが手を取り合ったとき、ホールに繋がる階段上に魔女が現れた。恐ろしく時代がかったドレスと、頭がもう一つ増えたかと思うほど大きなリボンは、喜劇役者かと思うくらい滑稽だ。
「二人を捕まえて!」
細い体のどこからそんな声が出るのかと思うくらい、しっかりした老魔女の声が響き渡る。後ろに控えていた黒服の男たちが、ホールの左右にある階段から、それぞれ三人と四人で降りてきた。仮面の貴公子、ジェレミア様は令嬢を抱き上げて拍手の中を走っていかれた。ホール中央に残るは同じく仮面を着けた赤毛の騎士のみ。
「行かせはしない! 築け、分け隔つ壁、【弓型廻廊】!」
騎士は略式詠唱すると共に左手を大きく、下から上へ振るう。すると水が湧き出すように床から噴き出した虹色の半透明な膜は、赤絨毯が敷かれた道をアーチのように覆った。感嘆のため息がそこかしこから聞こえてくる。騎士の導いた術はあまりにも美しかったのだ。
「……おのれ、下賎の輩めが!」
老魔女が唸る。赤絨毯に立つ騎士を避けて令嬢を追わせようとした作戦が挫かれたからだろう。そんな彼女に対し、腰から何かを引き抜いた騎士は高らかに笑い声を上げた。
「どうしても二人を追いたいならば、我を倒してからにせよと言ったはず。かかってこい、魔女よ!」
騎士は威勢よく銀の杖を階段上の老魔女につきつけた。手首から肘までの長さを持つ武骨なそれは、短いながらもまるで剣のようだ。
「くぅぅぅっ! やれ! この身の程知らずを殺してしまえ!」
左の三人がまず先に引き返し、騎士に襲いかかった。大柄な男は無手で騎士に掴みかかろうとする。覆い被さるように、両手をもたげて迫る大男。観客から悲鳴が上がる。
小柄な仮面の騎士は、大振りな一撃を辛うじて避けた。いや、違う。ぎりぎりで躱しながら大男に足払いをかけていた。大きな音を立てて床に倒れる襲撃者の背を踏み台に、騎士は宙へ跳び上がっていた。すぐそこまで来ていた第二の男の首に素早く蹴りを、第三の男にはそのまま倒れ込むように一緒に赤絨毯に転がった。
低い呻き声に、うら若き乙女がその小さな手を握り締めた。観客に緊張が走る。立ち上がったのはただ一人……赤毛の騎士だ!
喝采が上がる。騎士もまた、その歓声に応えて優雅に一礼した。濃い緑の外套が揺れる。
「あっ、危ない!」
乙女の悲痛な叫び。騎士めがけて小剣が投擲されていた。真っ直ぐに騎士の仮面に迫る銀光。それはかん高い音を立てて弾かれていた。
小剣は真上の【弓型廻廊】の天井部へ刺さった。仮面の騎士が眼前で構えていたのは、杖だ!
ひと呼吸遅れてアーチが崩壊し、半透明の膜は光の粒となって消えていった。幻想的な光景だ。そして、支えを失って落下した小剣は、最初から彼の物であったように騎士の空いた右手にすっぽりと収まった。
四人が障害となっていた【弓型廻廊】が消えたことを利用し、二人と二人に分かれながら囲い込むように迫る。騎士もまた倒れた三人を避けるようにして迎えうつ。悲鳴を伴いながら人垣が割れた。五人を囲むようにして円く輪が作られる。
「逃がしはしないわよ、【拡大障壁】!」
いつの間に詠唱を終えたのか、老魔女が彼らを囲む半円状の虹色の膜を張っていた。騎士は右手に小剣、左手に銀の杖を持ち、四人を相手取っている。挟まれた状態だ。支援しようにも膜は観客を守るためのもの……割って入るわけにはいかなかった。
「やぁっ!」
「はあっ!」
黒服たちも手練れ、仮面の騎士は窮地に陥っていた。剣で、杖で四方からの突きを避け、払っているが、いつまでもつか……。
「騎士様……」
涙に湿った声が仮面の騎士の無事を願う。
「……我は、負けぬ! やっ!」
「ぐっ!」
「がっ!?」
騎士は不敵に笑うと、その場で勢いよく一回転し、外套で四人を翻弄した。互いが触れるほどの距離で囲んで戦っていた彼らは、顔を庇って後退する。その間に騎士は剣の平で二人の手を打ち、武器を落とさせた。
「はぁっ!」
左手の杖がすごい早さで黒服たちの顎を襲った。杖が触れた者から、ふつりと糸の切れた操り人形のように倒れていく。膜の外から見ていた者たちからもどよめきが起こった。
「お、おのれっ、おのれぇっ、この無能ども! よくも、わたくしに恥を……!」
階段上からホールへと降りてきながら老魔女がきしりを上げていた。それを冷ややかな目で見ているのは、何も客だけではない。この茶番劇を階上から眺めていたノレッジ老伯爵とその後継だ。普段は何も映さぬ硝子のような無機質な目をしている彼らが、今は珍しく不快感を露にしている。
そんな間にもジェレミア様……仮面の騎士は残る黒服も赤絨毯に沈めていた。多勢に無勢であったのに鮮やかな手並みだ。最後の一人は鳩尾に杖が刺さって、気絶したところを下から担がれて放り投げられていた。痛そうだ。
「さて、最後は貴女がお相手してくださるのかな?」
「くだらぬ! 口を慎みなさいな、下郎が!」
老魔女は怒りにか歯を剥き出しにし、目許を引き攣らせていた。黒術士二人の対決が始まるかと思いきや、それはノレッジ老伯爵の後継の拍手によって中断された。
「お集まりの皆様、余興は楽しんでいただけたでしょうか。リスタール家とノレッジ家はこれまで、皆様には不仲に見られていたでしょうが、それは誤解です。我々は若い二人を応援いたします。さぁ、リスタール伯爵をご紹介しましょう……」
目配せが交わされ、ジェレミア様は一礼して退室された。老魔女の悔しがり方は異様で、細く高い声を喉の奥で出したかと思うと、泡を吹いて運ばれていった。
さて、我らがジェレミア様だが、こっそり抜け出すというわけにはいかなかった。なぜなら……
「おや? さっき出ていったのがジェレミアなら、こちらは誰かな?」
宿敵である兄、パトリス・マクシム・リスタール伯爵令息が、今か今かと待ち構えていたからである。ああ、お可哀想な坊っちゃま』
「……ずいぶんとお前に肩入れしていないかい、これ」
「ジルベールはいつも僕を可愛がってくれるんです」
「あ、そ……。さて、何が問題か分かったかな? いいかい、こんな大騒ぎをして令嬢を誘拐して、父上のとりなしがなければお前たちは犯罪者だぞ!」
「し、しかし、聖典では……」
「聖典にだって、誘拐して良いとは書いてない!」
「………………」
ジェレミアは憮然として黙り込んだ。
「罰が必要だな、ジェレミア」
「父上に迷惑をかけてしまったことは謝罪します!」
「それはそれ。罰は罰、だ」
「ぐ……。なら、トマス=ハリスだって同罪でしょう?」
「いやいや。T・Tは先にちゃんと断りを寄越しているよ」
「!?」
お馬鹿な方の私の弟は、「裏切られた!」とでも言いたげな愕然とした表情になった。可愛いなぁ、相変わらず。
「……罰は、甘んじて受けます。どんな処分でもいかようにどうぞ」
「言ったな? 厳しいものになるぞ?」
「聖堂騎士に二言はありません!」
ならば。好きにさせてもらおうではないか。
「出よ、女中たち! ジェレミアを変身させるのだ!!」
「……あ、兄上? ちょ、待って……なにするつもりだ貴様ーー!?」
兄に向かって貴様はないだろう……お兄ちゃん、傷ついちゃうぞ?
お読みくださり、ありがとうございます。
T・Tに関してですが、ちっちゃいトマス=タィニィ・トマスということで。
アウストラル国のひとは名前を仏語から取っています(例外あり)。言葉は英語主体のよく分からない異世界言語でありますが、ちょくちょく英語が混じります。
なのでタィニィ。普段はリトル(弟)と呼ばれているジェレミアと一緒にいるので同じリトルよりはトマスのTと同じタィニィから取ってT・Tの方が語呂が良いのです。
エルダー・ブラザーで兄上とか、ブラザーを縮めてブロで兄貴とか。ジェレミーちゃん、ならディア・ジェレミーとか。書かれていない設定がたくさんあったりします。
変な英語ですみません。