騎士、身をひそめる
その聖堂は灯りもなく、木々の間にひっそりと佇んでいた。街道の端に馬車が荒々しく停まる。オレはエトワールを横抱きにし、低木の植えられた小路をジグザグに 走った。
鍵はかかっていなかった。石造りの聖堂に人の気配はなく、ただただ静謐さだけがあった。真ん中に一本伸びる通路を講義台まで進む。両脇に何列にも並ぶ聴講用のベンチにも、一段高い場所の台にも、黒板にも、厚く埃が積もっている。
くしゅん、とエトワールの小さなくしゃみが聞こえた。
「おっと、悪い、気付かなくて」
「いえ、ごめんなさい」
そういえばドレス姿のエトワールは肩が剥き出しのままだった。そりゃあ寒いだろう。急ぎ足で講堂を抜け、中庭に面する通路を抜け、オレは聖堂の中でも導師たちが生活する棟へと移動した。そこなら、フレデリックが用意してくれた着替えや防寒具、暖房器具もあるからだ。食堂を抜け、奥の小部屋へ入る。窓は打ち付けられており、さらに厚手のカーテンを引けば、光は漏れそうにない。ここなら安全だった。
フレデリックはというと、大回りして裏の小屋に馬と車を置きに行っている。ついでに街道から外れて裏へ回る、舗装されていない道の轍跡を隠してくると言っていた。
『こういう工作は大好きなんだ』
とイイ笑顔で話していたフレデリックに少しだけ不安を覚えたが、とりあえず、気にしないことにした。
「さっきより暖かくなってきたな、エトワー……何してる?」
見ると、靴を脱いだエトワールが柔らかな敷物の上に立ち、身に付けていた装飾品を外して平たい箱に入れていた。
「何って、着替えるのでしょう? トムさん、このドレス、脱がしてくださる?」
「えっ……」
「さぁ、早く」
「う、ああ、分かった」
背中を見せつつ、ちらりとこちらを見返るエトワール。何をどうしたら脱がせられるのかもよく分からないが、そもそも、オレが脱がせて良いものか……。
「トムさん?」
「待った。エトワール、やっぱり、やめよう。これは良くない状況だ」
「……?」
伸ばした指を途中で止め、固まったオレに向き直るエトワール。オレの説得にも、こくんと首を横に倒して目をぱちくりさせている。睫毛が長いな……じゃない!
「だから、つまり……」
言いよどむオレを尚も不思議そうに見詰めてくるエトワール。い、言えない、邪な気持ちに駆られそうだから手伝えないなんてこと! 言えるわけない!
「やあやあ、お邪魔だったかな」
「フレデリック……!」
すでに開いていた扉に寄りかかり、わざとらしくノックして声をかけてきた親友の姿に思わず、「助かった」と言ってしまいそうになった。
「改めまして、こんばんは、ノレッジ嬢。私は彼、ラペルマの友人で、フレデリック・ガルムと申します。以後、お見知り置きを」
「どうぞ、エトワールとお呼びくださいませ、ガルム様」
「フレデリックで結構ですよ、エトワール嬢」
キザったらしく一礼をしてみせるフレデリック。エトワールは微笑みを浮かべると、ドレスを摘まんで返礼した。なんとなく、面白くない。
「こんな奴、フレディで充分だ」
「おい、ラペルマ!」
「なんだよ」
「ふふっ、よろしくお願いします、フレディさん」
肘で小突き合いをしているところへ、鈴が転がるようなエトワールの笑う声が響いた。オレとフレデリックは顔を見合わせて苦笑いした。
結局、女物の衣服の扱いに慣れているというフレデリックがエトワールの着替えを手伝うことになった。本人曰く、姉が多かったから無理やり覚えさせられただけ、らしい。……本当のところはどうだか。
「うちみたいな小さな家じゃ、女中なんて所詮は母親の持ち物だからね。姉たちは遠慮があったみたいだよ」
「わかります、その気持ち」
「貴女が?」
「ええ。家での私に自由なんてありませんでしたから」
「そうか……」
衝立の向こうで行われる会話は、オレには全く理解できなかった。しかもフレデリックの奴、下着まで新しい物を用意してやがったので、一瞬、蹴り倒してやろうかと……。
「待て! これは必要なことだ。エトワール嬢の身に付けている物を全て送り返さないと、彼女は盗人として追われることになるんだ。それは困るだろう?」
「…………」
フレデリックの主張が苦し紛れの嘘か、それとも本物かと考えていると、エトワールが唇を尖らせてオレを見た。
「トムさんも早く、ピンを抜くのを手伝ってください。わたし、お化粧も落としたいですし、髪形も変えないといけないんですよ?」
「そうか……」
言われるままに真珠のついたピンを引き抜き、柔らかい布を内側に貼った小箱に入れていく。
「ずいぶん差してあるな。一本くらい分からないだろうに」
「ラペルマ、それは金貨二枚は下らない品だぞ」
「はぁ? まぁそりゃ、真珠だからな」
「一本で、だぞ」
「はぁっ!?」
思わず、手の中の小さなピンをもう一度見た。こんな小さな物にそんな値が付くのか。
「ドレスを畳んだときには手が震えたよ……。彼女の身に付けている物を全て売り払ったら、小さめの城が建ちそうだ」
「げ~。ぞっとしないな」
「そうだな。だから、気を付けてくれよ、ラペルマ」
しばらくして、オレの前に現れたエトワールは聖堂に仕える鐘つき女の格好になっていた。この、黒い長袖のワンピースは聖堂の黒術士たちが好んで着ているものだ。髪の毛はピッチりとした頭巾の中に仕舞うのだが、エトワールほどの長さだと三つ編みにしないと確かに収まりが悪そうだ。
悲しいことに、ここから先はオレたちもこの格好になって、大聖堂へ向かう鐘つき女の集団として移動することになるのだ。ジェレミアはともかく、オレとフレデリックは悲惨なことになること間違いない。とにかく老女の振りをして、誰何をくぐり抜けるつもりだ。
「さて。着替えないと、いけないのか……」
気乗りしなさそうにフレデリックが言う。何だよ、オレだって本当は嫌だよ。けど、仕方がないだろう。男女二人連れなんてすぐに見付かっちまうし、男三人に女一人じゃ外聞が悪すぎる!
「仕方ない……仕方ないんだよ、フレディちゃん……」
「はぁ……。せめてジェレミアがいてくれれば」
いても仕方ないだろうが。あいつに何を期待してる?
「いってらっしゃい。わたしはシチューでも煮ておきますね!」
ごった煮かぁ。それはいい。
いやいや、現実逃避している場合でもないな。
フレデリックがどんな衣装を準備してくれているかにもよるが、きっとお互いにひどい出来にしかならないに違いない。エトワールの声援を聞きながら、覚悟を決めて死地に赴く。……チクショウ、なんで下着まで拘ったんだ、あの馬鹿は。着替えを終えて出てきたオレたちは、お互い、悪口すら出てこなかった。つまりそれぐらい酷かったということだ。せめて直視しないようにするのが精一杯の配慮だった。
「…………」
「…………」
「あら、お二人とも可愛らしいですね!」
よしてくれ。自分たちがどんな状態かはよく分かってるんだ。そして、おそらく初めて料理したであろうご令嬢の作った、匂いだけは素晴らしいシチューはまさにごった煮であって、オレとフレデリックはジェレミアのありがたさを思い知った。フレデリックが香辛料を入れて味を整えてくれたおかげで、何とか口に入ったのだった。
夜は更けていく。夜明けまで、そう長くもないだろう。間に合ってくれ、ジェレミア……。




