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姫ぎみは踊る

 ★前回のあらすじ★

 とうとうジェレミアの生家までやってきたトマス=ハリス。エトワールの侍女、サーラから事情を聴き、義憤に燃える二人はエトワール救出の準備を着々と進める。衣装を取り替え、立場を偽って潜入した仮面舞踏会で、トマス=ハリスはまるで人形のように表情を殺したエトワールを見る。一方ジェレミアは……。


 今回のおはなしはエトワール視点。トマス=ハリス視点より少し長めにお送りします。

 ノレッジ伯爵の城に留め置かれたエトワールは忙しい日々を過ごしていた。術士を苦しめる鎖の拘束はなかったが、いまや人質(サーラ)という見えない鎖が彼女から(あらが)う気力を奪っていた。


 日毎に違う色で装い、求婚者たちの母親とのお茶会に喚び出された。つまりは品定めだ。彼女たちはノレッジの作り上げた最高の人形を、息子に与えるのに適当か、自分の家に置くのに相応しいかを実際に手に取って確かめるというわけだ。

 かつては自分たちも同様に、上っ面だけを見られて値札を貼られ、枕を涙で濡らした夜もあっただろうに。そんなことはもう忘れてしまったのだろうか。


 そんな、考えても(せん)無いことでエトワールは鬱々とした気持ちを紛らわせていた。歪みも曇りもない鏡の中では、生気のない表情のお人形が座って髪を梳かされている。その美しい黒髪にさらに艶を出すべく、ロクサーヌ老嬢は念入りに櫛を入れていく。今夜は婚約者を選ぶためのパーティーがある。ここで飾り立てなくてどうするというのだ。最高の出来栄えを披露するため、ロクサーヌは手ずから全ての下準備をしていた。


 ここからはまず髪を結い上げ、化粧を薄く施し、ドレスを着せる。宝飾品を身に着けさせたら、一度全身のバランスを見て、それから化粧を仕上げるのだ。髪結い師、化粧師……念のためもお針子も控えさせている。この日のために完璧に調整されたエトワールを眺め、ロクサーヌは珍しく相好を崩した。


「まぁまぁ! なかなかの素材ですわね。飾ればもう少しマシになるでしょう。笑ってごらんなさい、練習したでしょう? そう、それで良いわ。あくまでも上品にね。飲み物も舌を湿らせるくらいにしておきなさい。さて、髪の毛を結いますよ」


 ロクサーヌは脇の部屋に控えている髪結い師を大声で呼んだ。黒髪は飾りにするべく細く編む部分と、大まかに房を分けて三つ編みにし、巻いていく部分とに分けられた。髪結い師と助手の手でするすると形を変えていく絹のようなそれは、最終的に耳より上にひとまとめに結われて留められた。そこに真珠を付けたピンを挿していく。全て本物、それも色ムラもなく同じ純白に揃えてある高級品だ。このピン一本で城に仕える侍女の給与一か月分に相当するとなれば、取り扱う髪結い師たちの表情が厳しいのも頷ける。


 夜闇の黒髪に散らした真珠の星の間を流れるのは螺鈿細工の冠だ。太く絵筆で刷いたようなラインが頭頂部に近い位置で左右に渡されている。金でもなく銀でもなく、見る角度によって輝きと色彩を変化させるこの貝細工の髪飾りは、今夜のためだけに作らせた一品だ。国中を探しても二つとして同じ物は見つからない。


 パーティーに訪れる貴婦人たちはこの冠を見てさぞや悔しい思いをするだろうと、ロクサーヌの心に意地の悪い考えが浮かんだ。エトワールの手首を飾る二つのバングルにも螺鈿細工が施してある。これらもまたこのひと揃いしかない品だ。この細工物は今後きっと、社交界で欠かせないものになるだろう。そうなれば職人を抱えるノレッジ家としては、またひとつ有益な手札を得ることになる。それが自分の功績になると想像するだけで、ロクサーヌ老嬢の心は満たされるのだった。


 総絹のドレスは豪華絢爛だった。深い青に染め抜かれた上衣は伏せられた花を模して作られており、膨らませた純白のスカートの上に五枚の花弁を広げている。大きく開いた胸元は、だが、ささやかな谷間すら隠すようにぴったりと肌に寄り添って上品さを演出していた。背中は首元まで覆われていたが、剥きだしの細い肩がまだ未熟なエトワールの危なげな色香を引き出し、男たちの目を惹きつけるだろう。全体に渡る細かな銀糸の刺繍、露をあらわすように縫いつけられた水晶、針子たちの嘆きを吸ったドレスを着たエトワールはこの世の者とは思われないほどに美しかった。


「良いわ、星の蒼玉(サファイア)をここへ。さあ、仕上げよ、お人形さん。見てごらんなさい、この耳飾りを。貴女の瞳と同じ大きさのものよ。胸に飾るものはそれよりも大きいわ。一応、星を模して作られているものだけれど、花にも見えるわね……」


 大きな蒼玉だった。光を受けて星を映し出すそれらはまさに天上の宝にふさわしい輝きを秘めていた。その(ぎょく)を白い肌に戴いたエトワールの姿に、その場にいた誰もが感嘆の溜め息を漏らしたほどだ。しかし、彼女自身は何の感情の揺れも覚えなかった。彼女自身の蒼玉は凍りついていた。






  

 仮面舞踏会とはいえ本当に匿名性が保たれているわけではない。全ては「誰が誰だか分からないものとして扱い、多少羽目を外しても許される」という程度のお遊びなのだ。特に今回のパーティーは正式の物とは違い、華やか、かつ雅やかであることが求められていた。ノレッジの血を繋ぐ為の婚約者(どうぐ)を選定するのが目的であったが、建前上は国王陛下の側妃候補から漏れてしまったノレッジ伯爵家の令嬢エトワールの心を慰める為に開かれた宴なのだから。


 偽物の笑みを浮かべ、次々に紹介される若者たちと踊るお人形(エトワール)。その美を讃える言葉も、投げかけられる熱い眼差しも、一切を意に介さず彼女は踊り続けた。そこへ、彼女の記憶を揺り起こす名が呼ばれた気がした。


「伯爵令息、ジェレミア・リスタール」

「…………」


 リスタールと言えばアウストラル王国の中でもノレッジと同等の旧さの家柄だ。昔からよく知っているその名を、どこか別の場所でも聞いた気がする、とエトワールはぼんやりする頭で考えた。それは彼女の中でとても大切な、心のいちばん深い場所に抱き籠めた宝物と結びついていた。


 背の高い赤毛の青年が差し出した腕に、エトワールは反射的に手を重ねた。陶製の仮面に施された鮮やかな装飾、その奥の淡い緑色の瞳を見留めて、心臓が一つ、大きく跳ねた。


「迎えに来た」

「っ……!」


 深みのある落ち着いた声が、記憶の中の騎士のものと重なる。熱いものが込み上げ、制御しようとしても抑えきれない涙が粒を作った。折しも曲調はゆったりとしたものに移っており、仮面の貴公子に抱き寄せられたエトワールが、彼の肩口に顔を寄せても不自然には見えなかった。


(トムさん……! トムさんだ……!)


 どうしてここにいるのか。何をしにきたのか。なぜリスタールの名で呼ばれているのか。疑問は尽きないし、驚きもあった。それでもエトワールの心を大きく占めていたのは喜びだった。


 否応もなく鼓動が速くなっていく。足が、指が、細かく震えるのを抑えきれなかった。白磁の頬に化粧ではない赤みが差す。それに気付くことが出来たのはただ一人、トマス=ハリス・ラペルマだけであったろう。いまだ顔を上げられないエトワールの耳にトマス=ハリスが囁く。


「サーラ嬢から話は聞いた。辛かったろう……? もう、大丈夫だ。オレがついてる」

「サーラ……! サーラは無事なのですか?」

「シッ! ……サーラ嬢もドニも、今はリスタールの屋敷にいる。心配ない」

「良かった……」


 吐き出された溜め息は重かったが、それに反して彼女の声は明るかった。エトワールは重荷から解放された子ロバのように首を跳ね上げると、ふんにゃりとした笑顔を浮かべた。


(令嬢らしからぬ笑み? そんなことどうでも良いわ。今すぐここから抜け出したい。トムさんに、言いたいこと、聞いてほしいことがたくさんあるの……!)


 今でも耳に残るロクサーヌの小言を頭から追い払い、エトワールはトマス=ハリスの碧玉の瞳を見詰めた。記憶にあるよりも色が薄い。脆い細工物のようなその双玉が、強い闘志を秘めているのを彼女は知っている。彼の少し歪んだ唇が笑みを作り、力強い腕が、身を離してできた隙間を埋めるように再びエトワールを引き寄せる。


 再び目頭が熱くなるのを感じながら、エトワールはただただその腕に身を委ねた。頬を寄せた肩口から、肩に当たる広い胸板から、彼の温度が伝わってくる。小さな唇から溜め息が漏れた。


(幸せ……。もう、このまま死んでも構わないわ……)


 緩やかで伸びやかな弦楽器の調べ。切なくなるほど甘く、まるで夢のようなひととき。今だけは誰にも邪魔されずに想い人の胸に抱かれていられる、それがどんなに素晴らしい時間か、どんなに彼女の心を慰めたか、誰にも分かりはしないだろう。曲が終わりに近づき、トマス=ハリスがそっと囁く。


「最後のフリーダンスの時間に、オレと逃げよう、エト」

「えっ?」

「迎えに来たと、言ったろう? きみを拐っていく……」

「……嬉しい、です」

「不安か?」

「いいえ……いいえ! ただ、貴方の迷惑になりはしないかと」

「大丈夫だ。きみがきみのままで、いてくれさえすれば」

「トムさん……」


 曲がついに終わり、次の相手の名を呼ぶ声が聞こえる。


「あ……」


 離れていく温もりを追うように、エトワールの指が伸びた。

 本来ならばあってはならないことだ。立ち合いの面々の間に緊張が走る。仮面の貴公子は事も無げにそのレースに包まれた指先を手に取ると、自らの口許へ運んで細い指に口づけた。


「いずれ、また。私の宿命の星……」

「!」


 エトワールの白皙の頬が薔薇色に染まった。ノレッジ老侯爵の眉間には皺が寄り、次の相手であったいささか年嵩(としかさ)の伯爵家令息もまた、怒りに顔を赤らめた。トマス=ハリスは優雅に一礼すると、さっと踵を返してドレスの花畑へと紛れた。


「なんという失礼な奴だ……。エトワール嬢、気分を悪くされませんでしたかな。さあ、どうぞ御手を」

「……ええ、大丈夫ですわ。お気遣い、痛み入ります」


 青い星の令嬢はうわの空でありながらも、小首を傾げて完璧な微笑で応えた。その美しさに脂下がった表情を見せた男は、自分のダンスの相手が目を伏せたまま一度も彼の顔を見なかったことにすら気が付かなかった。





 そこからは全てが滞りなく執り行われた。エトワールは全部で三十五人もの若い貴族と踊り、招待客は希少な美食と美酒、流麗な楽の音に酔いしれた。老伯爵が最後の挨拶を終えると、場はにわかに温まった。最後のダンスを前にして、男も女も望みの相手を得ようと思い思いに動き始める。ひとの波に押し流されそうになりながら、エトワールは必死にトマス=ハリスの姿を探した。高鳴る心の臓をドレスの上から押さえる。きっと彼もまた自分を探しているだろう。


 細い首を巡らせ、人垣の向こうに赤い髪を見つけた。彼だ。エトワールはドレスの裾を摘まみ、身を捩らせてその背中を追う。やっとの思いで触れられる距離まで詰めた頃には、息は上がり、心臓も痛いくらいに打っていた。


「トムさん……!」


 はしたないことかもしれない。相応しくない振る舞いかもしれない。だが、エトワールにはそんなこと、どうでも良かった。誰に何を言われても構わない、もうこんな家に縛られるつもりもなかった。今や鎖となって彼女を戒めていた人質もなく、エトワールは持って生まれた力を使いさえすれば、どこまでも自由になれた。


「トムさん……、わたし……!」


 広い背中に縋りつく。ふわりと香るのはどちらの香水だったか。ふと感じた僅かなちがいに顔を上げると、彼女を振り返った仮面の男は別人だった。


「……ジェリーさん?」

「エトワール嬢! 無事で良かった。残念ながら、貴女の騎士は僕ではありませんよ。ほら、ご覧なさい」

「あら……」


 にこやかに階段を示すジェレミア。その手の先には、同じようにこちらに気付いた赤毛の貴公子の姿があった。


「トムさん!」

「エト!」


 トマス=ハリスは舞台の真ん中まで男女を掻き分けて進んでこようとしていた。軽やかな円舞曲が始まる。彼の作る道の先の小さな抗議の悲鳴は金管楽器の豊かな音に飲まれた。


「エト……、エトワール!」

「トムさん!」


 伸ばされる手。エトワールもその手を掴むべく腕を差し伸べた。


「許しませんよ!! 取り押さえなさい!」


 突然、老婦人の金切り声が響いた。


「ロクサーヌ……」


 階段の上から、黒服の男たちを引き連れて見下ろしていたのは、今日のために貴婦人もかくやという装いに飾り立てたロクサーヌ老嬢だった。銀色のひっつめ髪には頭よりも大きな絹のリボンを括りつけている。


「やあやあ! 姫君を閉じ込める悪い魔女よ、お前の手から救わんと、今ここに若き騎士がやってきたぞ! 我は二人を見守る者、いざ、かかって参られよ!」

「な、な、なんですってぇ!?」

「さあ、皆様、今宵の趣向は逃げる二人の恋人たちを追う魔女と、それをさせまいとする騎士の対決です。ノレッジ家ご令嬢エトワールを抱いて走るは、リスタール家のジェレミアでございます。どうぞ、彼らに道をお開けください!」


 ジェレミアの芝居がかった口上が会場に響き渡ると、招待客たちは拍手でそれを讃えた。割れるようにして出口までの道ができ、エトワールは驚きに目を見張った。


「これは、いったい……」

「急ごう。すまないが、じっとしていてくれ」

「へ……? きゃっ!!」


 ジェレミアに扮したトマス=ハリスがエトワールを抱き上げた。いきなりのことに戸惑いながらも、何とか彼の首に腕を回すエトワール。狼狽え、恥ずかしさに頬を染めるその美貌を、温かい緑色の瞳が見下ろしていた。


「行こうか」

「……はい!」


 走り出す騎士の背に、ロクサーヌ老嬢の怨嗟の声がぶつけられる。エトワールが見やると、大きすぎるリボンを揺らして歯を剥きだしに怒鳴る彼女の痩身が遠くなりつつあった。その滑稽な姿に、客たちもクスクスと笑い声を立てている。エトワールも思わず小さな声を漏らしてしまった。


 掴みかかる黒服たちを軽くいなして、ジェレミアがエトワールに一礼する。その背後から襲いかかろうとする手合いに悲鳴を上げかけたが、ジェレミアは危なげなくその男も下した。割れんばかりの大喝采が響き渡る。エトワールは今度こそ笑い声を上げた。


 飛び出した先の夜の闇には、手が届きそうなくらい近く、散りばめられた星々が輝いていた。

 次回更新は月曜日です。お読みくださりありがとうございます。次はトマス=ハリス視点に戻ります。

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