騎士、別れを惜しむ
渡すものを渡したら、ドニはさっさと立ち上がって別れの言葉を口にした。オレも立ち上がり、外まで見送りに出た。エトワールのことを聞きたかったが、ドニはしかめ面でつかえながら、こう言った。
「自分は説明が得意ではないので、リスタール様の屋敷でエトワール様の侍女に話を聞いてください」
「ああ、あのときの女性か。ん? ドニはマクシムに雇われたんじゃないのか? 侍女まで伯爵家にいるのか」
「はい、そうです。二人でリスタール家に、世話になっています」
「てっきりアンタは探索者か何かの、エトワール嬢に臨時で雇われた護衛だと思ってたんだがな」
「…………。臨時雇いではあるんですが、探索者ではないです」
「うん、まあ、詳しいことは彼女に聞くとしようかな」
ドニは一礼して雑踏に紛れた。始終何かを耐えているような表情の男だったな。エトワールの侍女だという女がリスタール家にいるのは不思議だ。追い出されたのか、まさかジェレミアの名を覚えていて、エトワールに何かを託されて伯爵家まで訪ねていったのか。
「トマス=ハリス、いつまで食べているんだ?」
「お? 悪い悪い、今食べ終わったとこだ」
階段まで荷物を取りに行く。オレの分まで荷造りしてくれたようだった。フレデリックはと言えば、すっかり元の調子を取り戻しているようでいつもの気障な優男に戻っていた。
女将さんから籠を買い取り、リサへの果物や野菜と一緒にフレデリックの軽食も籠へ入れた。
「フレデリック、気を付けないとお前の分までリサに取られるぞ」
「それは困るな。お嬢さんにはこのスモモなんかどうだろうか」
リサは食いしん坊だからな。オレの忠告を本気にせずに彼女に近寄ると、マジで全部食べられちゃうからな?
結果的にフレデリックは自分の朝食を死守した。林檎を彼女の鼻先に放り投げるという荒業だったが、その判断は見事、リサの注意を惹き付けた。フレデリックが端正な顔を焦りで歪ませている様子はなかなかに見ものだった。
カリヨンまではまた野宿だ。それも精々が一泊、もしくは閉門に間に合わずに二泊か。最初はジェレミアを毛嫌いしていたリサも、これまでの旅の道中でだんだんと態度が和らいでいった。ジェレミアは昼は冷たい飲み水を差し入れ、夜は温かい湯で体を洗ってやったりと積極的にリサに尽くしていたから、その甲斐があったんだろう。
石を積んで作った簡易なかまどに鍋を置き、乾燥野菜と燻製肉を煮込む。焦げ付かないように混ぜながら、オレはぼんやりしていた。
ドニの話が気にかかるのだ。なぜエトワールの侍女が彼女の側を離れてリスタール家にいるのか。あと一日でカリヨンに着く。明日の今頃は屋敷で歓待を受けているだろう。そのときにはエトワールがどうしているのか、あれから何があったのかを知ることになるはずだ。紐に通した印章指輪が心臓の上で揺れた。
溜め息を吐き、オレはスープに割り入れるための卵に手を伸ばした。それを背後から止める奴がいる。
「そっちは明日の朝食用のゆで卵だぞ、ラペルマ。……何だ、その顔は」
「……いや、またジェレミアと間違ったのかと思ってな」
「ジェレミアなら向こうで鶏肉を炙っている」
オレは卵をよく確認し、鍋に入れて黄身を崩した。
「フレデリック、悪いが火を少し弱められるか?」
「ああ、お安いご用だ。……面倒だろう、術が使えなくなるというのは」
「……ふ。別に、慣れたさ。あれば便利だとは思うがな」
「そう、か。私なら、いきなり魔術が使えなくなったら不安で堪らなくなるだろう。身の回りのちょっとしたことも術で解決してしまうし、私の仕事は魔物の調査や間引きだからな、戦闘能力が落ちるのは怖い。……あ、すまない、無神経だった。そんなつもりではなかったんだ!」
「よせ、気にするな。……オレは魔術が使えなくなったことを悔やんでない。むしろ、こうなって良かったと思っているくらいだ」
頭を下げようとするフレデリックを手で制し、オレは本心からの言葉を口にした。
「昔は魔術ってやつはオレの一部で、使えるのが当然だった。今は使えないのが当然の状態になった。だが、世の中使えない人間のほうが多いんだ、気に病むことじゃない。それに、術と一緒に辛い記憶も消えたようでな、もう、悪夢を見ないんだ。……オレにはそれが何より嬉しいよ」
しばらくどちらも口を開かなかった。かまどの中で木がはぜて音が鳴る。火の粉が舞い上がる。
悪夢のことはジェレミアにさえ話したことがなかった。それを何故、今になってオレはこいつに打ち明けたのだろうか。少なくともこんな、言ってどうにかなるものでもないことなど語って聞かせるつもりはなかったのだが。
「重い話をして悪かったな、フレデリック」
「いや、こちらこそ、軽々しく踏み込むことではなかった。嫌な思いをさせた……」
「いいって。お互い様だろう?」
それでもやはり申し訳なさそうにするフレデリック。オレは場の空気を変えるべく、何かを言おうとして、兄貴から受け取った金子の存在を思い出した。
「ああ、そうだ、渡しておかないといけない物があるんだ。ちなみに、後援者からだから、遠慮なく使ってくれ」
こっそり渡すと、フレデリック はそれをざっと確認してすぐに懐にしまい込んだ。
「ラペルマ、これは?」
「逃走用に色々と準備が必要だろ。心配しなくても、向こうに返すものは金じゃなくて、別の形で求められるさ」
「厄介な……」
「そんなもんだよ」
オレはスープを火から下ろすと、椀に注いでいった。フレデリックは白術でパンを温めながら配り、ジェレミアは鶏に刃を入れて均等になるよう皿に盛っている。
うん、宿場街で新鮮な材料を買えたのは良かった。宿の食事も悪くはなかったが、やはりジェレミアの作る西部流の料理の味つけが良い。
スパイス族の案内人、クローブと酒を酌み交わしながらチーズをかじるのも最後かもしれない。別れを惜しみつつ夜は更けていった。