騎士、ゾウに乗る
「リサ! リサじゃないか、久しぶりだな、元気だったか?」
ジェレミアが嬉しそうに両手を広げて彼女に近寄ろうとすると、リサは怒ってつんざくような雄叫びを上げた。長い鼻は天を衝くようにしなやかに持上げられ、四本の足は地団太を踏んでいるようにも、ジェレミアを威嚇しているようにも見える。
……実際、威嚇しているんだろう。とんでもない高さ――三十フィートを優に越えるそれから降り下ろされる重量感に富んだ一撃を、ジェレミアは左右どちらかに跳ぶことで避け続けている。とても楽しい遊びだとでも言いたげに笑い声を立てて。
だが、鼻が地面を打つ鈍い音とこちらに伝わる震動から考えると、まだうら若い乙女であるリサにとって、ジェレミアはまさに鼻持ちならない狼藉者であるらしかった。
「……なぁ、ラペルマ。……あれは、遊び、なのかな? ジェレミアが楽しそうでなによりだが、私にはあのゾウが……」
「お嬢さん、な? ちなみに名前はリサだ」
「あ、ああ……。お嬢さんがものすごく怒っていて、ジェレミアに一撃食らわしてやろうとしているようにしか見えないんだが……」
オレと同じく離れた安全な位置から二人を眺めつつ、それでもフレデリック・ガルムはようやっと聞き取れるかという小声で俺に耳打ちした。その表情も声音も、困惑を隠せない有り様だ。
「ああ、うん。リサはジェレミアをぶん殴るつもりだろうなぁ」
「なっ!? ならば止めないと……!」
「大丈夫、リサもわかってるから。もし当たっても死なないように加減してくれるだろ。それに、どうせもうすぐ終わるさ」
「そ、そうなのかい? 手配したは良いが、こういうのは全く慣れていなくてな……」
「そうか。まぁ、なかなか乗る機会はないよなぁ」
リサとジェレミアのじゃれあいは加熱し、勢いが増している。オレたちのトランクを運びこもうとしていた案内人も悲鳴を上げて逃げ戻ってきた。
「あのお嬢さん、どうしてあんなに怒っているんだろうか……」
「それなは~、うん、ジェレミアが悪い。見てわかったと思うが、オレたちは彼女と面識があってな。もうちっと若かった頃、ジェレミアが遊びでリサに剣を持たせて打ち合ったんだ」
「はぁっ!?」
フレデリックが間抜けな声を出す。その拍子に後ろに撫で付けていた髪がひと筋、はらりと落ちた。目を見開いたこいつは、いつもの取り澄ました表情からは思い付かないほど若く見える。……そういえば年が一つ下なんだったな。
「こう……鼻に握り込ませてな? なに、ゾウは器用だし賢いから、苦じゃなかったみたいだ」
「いやいやいやいや、気にするところはそこじゃないだろう」
「そうか? まぁ、二人は楽しく遊んでたんだが、ジェレミアの不手際で彼女の顔に傷をつけてしまったんだ。すぐ治療して傷は消えたし、ジェレミアも誠心誠意謝ったんだが、リサはずいぶん怒ってな~。以来、リサが好きで仕方ないジェレミアが馴れ馴れしくしてくるのを、ああやって大嫌いだ~って追い返してるのさ」
「嫌われても近づいて行くなんて……」
「忘れてるんだろ、単純だからな」
「…………」
何か言いたそうな表情で黙り込むフレデリックをそのままに、オレは危険なじゃれあいをやめさせるべく近寄っていった。これじゃ、いつまでたっても出発できないからな。
「二人とも、そこまでにしておけ。やあ、リサ、久し振りだな。そんなに怒るとせっかくの美人が台無しだぞ? ジェレミアみたいな野暮な男は放っといて、オレとお喋りしないかい?」
片手を上げてリサに挨拶すると、彼女は嬉しそうな声を上げてこちらへ歩いてきた。しなやかに動く長い鼻がオレの肩に回され、オレも親愛の証としてそれを軽く叩き返す。
「くすぐったいな。リサ、林檎食べるか?」
「……トマス=ハリス! ずるいぞ、僕だってリサと触れあいたいのに!」
「だけどジェレミア、リサはオレの方が好きなんだってさ」
「そんな!」
どこまで本気か分からないやり取りに呆れでもしたのか、リサはその辺の水桶からちょちょいっと水を吸い取り、ジェレミアの不満顔に向かって発射した。
「ぶはっ!」
「はははは、リサ、よくやった!」
リサお得意の高速射出に、さすがのジェレミアも避けられず、頭から足元まで濡れ鼠になってしまった。赤毛の鼠とは珍しい。しばらく咳き込んでいたジェレミアだったが、きっと顔を上げると、
「リサ、よくもやってくれたなっ! お返しだ、それっ!」
「ブーーー!」
黒術で呼び出した水がリサの顔にかかる。いつものラッパのような音ではなく、不満を表す低音がリサの鼻から漏れた。嫌がって逃げる彼女を、ジェレミアは左手から呼び出した水をぽんぽん射出して追い立てていく。……まったく、仕方のないヤツらだ。
「ジェ、ジェレミアが……」
「うん? 大丈夫だって。気になるなら後で乾かしてやれよ、フレディ。さもなきゃあいつ、気にせず脱ぎだすぞ」
「なんだと? それは眼福……いや違う、人目に晒すわけにはいかん」
「お前……」
結局、オレやフレデリックまで巻き込んだ水掛け合戦のせいで出発は半刻遅れだった。