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姫君は檻のなか

 エトワールの話になります。一部、不快にさせる表現や思想が出て参ります。閲覧にはご注意くださいませ。

 周囲を海に囲まれた島国アウストラル。聖火国の聖堂騎士が大陸から船で渡り切り拓いたとされるこの国は、魔物による害が少なく、他の小国が(おこ)っては亡(ほろ)んでいくなか、建国から十六代目の国王コルネリウスを戴く現在まで四百三十八年の歴史を有している。


 「アウストラルの建国の父」と呼ばれた聖堂騎士を支え、彼の死後、その息子を初代国王とし、国としての(いしずえ)を築いてきたのがノレッジ侯爵家の始祖、アンジャルク・ノレッジそのひとである。アンジャルクは娘を初代国王に嫁がせ、自身は大公として国の整備に当たった。

 魔術を極め、不死身とも言われた彼は子孫たちにも魔術師として生きることを課した。魔法や魔術に関わる物の蒐集(しゅうしゅう)、魔力の増幅に関する研究、そして、「完全なるひと」に関する研究……。


 アンジャルクはまた、ノレッジに仕える二つの家にも魔術を伝え、血筋を長く残すようにと命じた。それぞれ、(よう)()を持つオブライエン、(いん)()を持つリズボンだ。それら二家はもう血も薄れてしまい、リズボンはまだ何とか術を伝えているが、オブライエンでは(よう)の魔術、白術(はくじゅつ)を操れるのは当主の息子のみとなってしまった。


「ですから、魔術を研鑽(けんさん)し、後の世に伝えてゆくのがノレッジとしての使命なのですよ。お分かりですかしら?」

「ええ。……はい。だってもう何度目かしら、数えきれないほど聞きました!」


 ひっつめ髪の老侍女にして家庭教師であるロクサーヌの嫌みったらしいお小言にはうんざりする。エトワールは心の中で溜め息を吐いた。


「わたくしだって、同じことを何度も何度も言いたくはありません。しかし貴女が講義を無断欠席したのは今年に入ってこれで二十七度目ですよ。

 もちろんその度にノレッジ家の成り立ちと課せられた使命をお教えしますとも。お忘れになるから、講義を欠席されるのですものねぇ?」

「ああ、ロクサーヌ! 私はもう黒術(こくじゅつ)の位階は最高位まで修めたのよ? これ以上どうしろというの?」


 少女の声は大きくはなかったが、悲痛な響きを伴っていた。圧し殺された怒りがその中にはあった。しかし、ロクサーヌはそれを鼻で笑って(かわ)す。


「貴女のお父上は詠唱を短くするための研究をされておいでで、実際に成果を出していらっしゃいます。貴女もそうすべきでしょうに」

「……………」

「ラ・ジョリ・プゥペ、お父上の可愛いお人形さん、貴女はご自分の役割を果たすべきですよ。黒術を研鑽なさい。(いん)の気しか持たない貴女にはそれしか出来ないのですから」

「……やめて。私はお人形なんかじゃないわ」


 エトワールは元々好意的とは言えない表情だったが、それすら削ぎ落とした無表情で言葉を吐き出した。それは今にも怒鳴り出したいのを無理に押さえ込んでいるような硬質な声だった。


「あら、貴女はお人形さんですわ。中身のない、空っぽなお姫様!」

「……………」


 古めかしい衣装に身を包んだロクサーヌ老嬢は、高笑いを鼻に響かせながら部屋を後にした。図書室に残されたエトワールは、膝の上に置いた両手を、指先が赤く色づくほど強く握り締め、叫び出したいほどの激情に耐える。それでも、とうとう堪えきれずに、ぎゅっと噛んでいた唇から恨み言が紡がれる。


「……誰が、……誰がそんな風に育てたのよ! 貴女たちじゃない!! こんな風に閉じ込めて、毎日、毎日、魔術のことばかりで……」


 わたしを空っぽにしたのは貴女たちだ!


 エトワールは怒りのままの勢いで立ち上がると机上(きじょう)の本を思わず振り上げ……、しかし床に投げ出すことはなくゆっくりと元あった場所に戻した。絹の表紙を撫でる。指に触れる滑らかさと古書の匂いが(たかぶ)った心を宥めてくれるかのようだ。

 力なく椅子に腰を下ろし、黒髪の美しい少女は静かに涙した。藍色のさながら夜空のような瞳からは雨粒のような雫がしたたる。こんなときに思い出されるのは優しい祖母の言葉だ。


『辛いときは空を見上げて、星をお探しなさい。貴女は真っ赤な太陽にはなれなくても、自分で光り輝く星なのですよ。だから、ね、空を見上げればお友達がたくさんいるでしょう? 貴女は一人じゃない、いつだって寂しくないわ』


 辛くて泣いてしまうとき、胸が潰れそうなとき、この祖母の言葉がどれだけ救いになってきたことか…!


 祖母だけが幼いエトワールの味方だった。講義が終わった後、彼女の部屋で過ごす短いひとときだけが心の支えだったのだ。


 思い返せば寂しい子ども時代だった。父母との会話は夕食の際にお休みなさいの挨拶をする時だけ、ずっと一緒のロクサーヌ老嬢はエトワールに厳しく、また、確実に彼女を嫌っていた。エトワールの方も、この年老いてなお意地の悪い侍女が嫌いで仕方なかった。外見も中身も古めかしいロクサーヌは、エトワールにとって、旧い因習にとらわれた(いと)わしいノレッジという家そのものにも見えていた。


 刺繍に裁縫、歌に踊りに弦楽器、美術鑑賞、上流階級の間で交わされる会話の心得、食事やお茶会の作法から果ては領主の妻としての屋敷の運営や使用人の躾についてまで、ありとあらゆるマナーを叩き込まれながらも、それらをどこか別の場所で使う機会はついぞなかった。

 エトワールが産まれた日、なぜか家を訪ねてきていた謎の老女によって「この娘は子を産み落とせば死ぬ」という予言がなされて以来、まともに屋敷の外にすら出られず、同年代の子どもとの交流などもっての他だったからだ。


 どうして使いもしない無駄な知識を蓄えなくてはならないのか、エトワールは何度もロクサーヌに問い質した。その度に返ってくるのは鼻につく嫌らしい笑いと、「それが淑女としてのたしなみですもの」という型通りの台詞だった。


『淑女になんてならなくて良いから、早くこの家から出ていきたい。わたしのところにも騎士様が来て、助け出してくれないかしら……』


 幾度となく夢想したのは祖母の部屋で読んだお伽噺にある騎士だった。塔に閉じ込められたお姫様を救出するため、命懸けで炎の魔物と戦う騎士の姿…、それはまだ恋を知らないエトワールの憧れの的となるには充分だった。


『子どもを産んで死んでしまうなら、産まなければ良いのよ。私は素敵な男性と幸せな恋をして、二人でずっと一緒に暮らすの!』


 十二になったばかりの、子どもと大人の境に立つ少女の淡い夢。講義に使う教材以外の娯楽本などは屋敷の中から徹底的に排除されていたために、読むのを許されていたのは祖母の持っていた子ども向けの本だけ。これらの本からしか、魔術師として生きる以外の道を、外の暮らしを知らなかった少女の、それはあまりにも脆弱な希望だった。






「っ!? ……くぅっ!」


 全身に走る苦痛に息が止まり、次いで抑えきれなかった呻きが歯の間から漏れ出る。忌まわしい隕鉄の首輪から解放され、深い眠りから覚めたエトワールはしかし、最悪の気分だった。

 痛みは床に投げ出されたためだけではない。おそらく長い間意識なく横たえられていたために体が固まっていたのだろう。今回はいったい何日間眠らされていたのかと彼女は頭を振りつつ考えた。


 魔力の流れを阻害する隕鉄は、魔物や術士の拘束具としても用いられる。体に巻きつけると、術の行使が出来なくなるのだ。それだけではない、体内に気が滞って害を与え、最悪の場合、死に至る。

 (よう)()が滞れば体内から腐り果て痛みと苦しみに悶え死ぬことになる。エトワールのように強い(いん)()が滞れば、目眩や記憶の混濁に見舞われ、深い眠りに陥る。そしてそのまま衰弱死することも十分にあり得る。


 エトワールは段々とはっきりしてくる記憶を整理しながらも、目の前に立ち冷ややかな眼差しを向けてくる老嬢ロクサーヌを睨み付けた。


 全て思い出した。


 父の一族内部の覇権争いの駒として、アウストラル国王の側妃にさせられそうになったこと。平然とエトワールの命を差し出そうとした父に失望し、ノレッジから逃れたいと願ったこと。祖母の葬られた西部大森林の“風の墓所”へ赴き、これからどうするべきかを祖母の近くで考えたかったこと。


 そして、そこで出会った騎士様のこと…。


 “炎の尾持つ(ファイア)殺戮者(スパイク)”に遭遇し、殺されるか相討ちかといった時、助けに駆けつけてくれた赤毛の騎士、トマス=ハリス。飄々として掴み所がなく、ふざけているように見えるけれど、とても情熱的な瞳をしていた。垂れ目がちなところや皮肉げに歪んだ頬が、整ってはいるがハンサム過ぎずに、愛敬ある顔立ちに見せていた。


 身を挺して守ってくれた彼に、エトワールは恋をした。そして、彼の声を聞く毎にそれは深まっていくような気がしていた。運命だと思った。


 エトワールが祖母の墓で己に問いかけたかったのは、このまま国王に嫁いで望まぬまま子を産み、予言の通りにノレッジの家に殉じるべきなのか、それとも二度と家には戻らず一人きりで生きていくべきなのか…。

 トマス=ハリス・ラペルマに出会い、エトワールの意思は固まった。


(わたしは彼の側で生きていたい!)


 せめて祖父には直接会って伝えなければと思った。アウストラル王家とノレッジ家の間にもう一度繋がりをと望んだのはノレッジ家の現当主である祖父だったからだ。手紙を届け、嘆願(たんがん)に行った。祖父は意外にもあっさりとエトワールの願いを聞き届け、国王の下には従妹のトリシアを嫁がせると言った。トリシアはすでにそのつもりで婚約式の準備を進めているそうだ。


 トリシアが意欲的だったことに安心し、エトワールは祖父の屋敷を後にした。意気揚々と西部大森林に引き返そうというその時、現れたロクサーヌによって捕らえられたのだった……。


「……ロクサーヌ、あれから何日経ったの? 今はいつなの?」

「ほほ、目覚めたと思ったら威勢の良いこと! 黒術でわたくしを威嚇するのは賢いとは言えませんよ?」

「……答えて! あんな風に眠らされて、どうかすれば死んでいたわ」

「はん、そんな下手を打つものですか」


 挑発的な表情で見下ろすロクサーヌ老嬢を、エトワールは冷ややかに見据えた。片や細長い金属の棒を持ち不敵な笑みで立っており、片や地面に座り込み上体を起こしているのもやっとといった風情だったが、にも関わらず優勢なのはエトワールの方だった。部屋の気温が下がっていく。空気さえもが音を立てて凍りついてしまいそうだ。


「おやめなさいな!」

「きゃあっ!?」


 ロクサーヌが金属の棒でエトワールを打ち据えると、その魔術が込められた道具から傷を付けない衝撃が彼女を襲った。白光が弾けた一瞬、悲鳴が上がり、エトワールの薄い体がぴんと硬直したかと思うと、ほどけた黒髪に倒れ沈んだ。


「まったく……手に負えないお転婆娘ですこと。勝手に使用人を連れて西部大森林まで行くなんて! 貴女みたいな年頃の娘は目を離すと猫みたいに盛って、男をくわえこんで帰ってくるものですが、まぁ、貴女はその点だけは分別があったようですわね。

 一度しか使えぬ(はら)なんですもの、より濃い魔力か、もしくは(いん)(よう)、両方を併せ持つ子が産まれるよう調整しなくては……。リシャールがさっさと貴女を抱けばそれで済んだ話なのに、駄々をこねるものだから相手探しなんて手間の掛かることを……」


 ロクサーヌは一人でぶつぶつと呟き、力なく横たわるエトワールのしどけない体を服の上から金属の棒の先でなぞった。


「……ロクサーヌ、貴女は鬼だわ」

「あらあら、もうお目覚め? 道具は駄目ねぇ、微調整が利かないわ」

「お父様にわたしを抱かせようとしたの!? 父と娘よ? 断るのが当然だわ!!」

「ほほほほほ、あらまぁ、リシャールそっくりの口ぶりだこと! 父娘なのねぇ、おかしくってよ」

「ロクサーヌ!!」

「魔術師ならば、人間の道理など引っ込めてでも追うべきものがあるのですよ。ノレッジとして。リシャールはその辺りの覚悟が足りませんわ。だからこそ、この程度の扱いだということがあの子には分からないのねぇ……甘やかしてしまったわ」

「………………」


 出来の悪い子どもについて語っているかのようなロクサーヌだが、その内容はあまりにも醜怪(しゅうかい)だ。人間同士を掛け合わせて理想の個体を作り出そうなどと……しかも血の繋がった父と娘を。エトワールは不意におこった吐き気をこらえるために悪態を飲み込むしかなかった。


(このままじゃ、わたしは道具として使われ死ぬだけだわ……。そんなの、絶対に嫌!!)


 エトワールはこの場面で使うべき黒術を頭の中の呪文書から探した。黒術のほとんどは左手で対象に触れなければならない。術者の影が触れていれば拘束できる術もあるが、今回は位置が悪かった。あの魔道具の金属棒に触れて激痛を(こうむ)ることになろうと、ロクサーヌの意識を奪う術を行使すべきだと彼女は考えた。


「お人形さん、妙な考えはおよしなさいな」


 ようやく上体を起こしたエトワールの顎先を、ロクサーヌの金属棒が持ち上げる。少女の藍色の瞳が秘めている強い意思を思ってか老嬢は意地の悪い笑みを浮かべた。


「貴女は自分がどうなっても構わないんでしょうけど、サーラはどうかしら?」

「!」

「貴女がこうして捕まっているというのに、サーラが逃げおおせるとお思いかしら。貴女が反抗すればその分、サーラに償ってもらうとしましょうか……」

「やめて!! ……わかりました、どんなことでも従います。けれど、サーラは解放してあげて。わたしが無理を言って連れ出したのよ」


 真実は逆で、咎めを受けないようにと一人で家を出ようとしたエトワールにサーラが無理やりついて行ったのだったが、そんなことはロクサーヌにはまるで関係がなかった。老嬢はエトワールに言うことを聞かせられればそれで良かったのだ。


「まあ、聞き分けの良いこと! 最初からそうしてほしかったわね!」

「サーラを自由にしてあげて……」

「……そうねぇ」


 ロクサーヌは考える素振りをしてみせた。そして、


「そうね。全てが終わったら、どこへなりとも好きに行かせましょう。大丈夫、あれもリズボン。嫁ぎ先も勤め先も、紹介があればすぐに見つけられるでしょう。……お礼を言ってくださってもよろしいのですよ?」


 平気な顔で(うそぶ)いた。だが、エトワールはその言葉を鵜呑みにする他ない。奥歯を噛み締めつつも睨み付けないように目を伏せて礼の言葉を口にした。


「ほほほ……素直が一番ね。サーラのことは心配しなくてよろしくてよ。お人形さん、貴女には四日後にノレッジ侯爵家の本宅で行われる舞踏会に出てもらいます。そこで貴女の主人に相応しい者を見つけますからね。ご当主の目にかなう男がいれば良いのですけど」

「…………」


 ロクサーヌのこの言葉で、祖父すらもエトワールを欺いていたのだと知った。胸が刺すように痛む。


(トムさん……!)


 四日後には誰とも知れない相手に、まるで人形のように手渡されることを思うと、叫びたくてたまらない気分になる。だがそんなことをしてロクサーヌの機嫌を損ねては、何の罪もないサーラが代わりに罰を受けてしまう。それだけは避けたかった。


(結婚してしまえば逃げる隙も出来るでしょう。でも……でも、それじゃあ、あのひとの側にはいられない…!!)


 頭の中はもうぐちゃぐちゃだった。とりとめのない想いばかりが現れては消えていく。いますぐ寝台に身を投げて泣いてしまいたい……! けれどそれは一人になったときだ。この鬼婆あの前で泣いてなんてやるものか!


 エトワールはあえて微笑みを浮かべた。たとえ諦めなくてはならないものがあっても、負けないように。

 お読みくださりありがとうございます。来週はトマス視点に戻ります。よろしくお願いいたします。

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